16
ピコンッ
『ライナのどこを好きになったんですか?』
次に来た質問にどこか懐かしさを覚える。その響きは未だに記憶に新しい筈なのに。
「……どこを、か」
あの時俺はなんて言ったっけ。記憶にないのはきっとその程度の返答だったってことだろうけど。でも兄の答えは今でも鮮明に覚えている。
※※※
「二人はライナのどこを好きになったの?」
喫茶店で腰を落ち着け注文をして早々、唐突な質問を投げ掛けてきた大槻に俺も兄も目を丸くした。どちらからともなく視線が交わる。
「どこを、って……」
好きになった頃の記憶を手繰り寄せてみるが中々理由まで辿り着かない。兄とライブに行くようになって改めて好きになっていったところもあるが、具体的にどこがと訊かれれば返答に困るというものだ。
「私は単純にメンバーの容姿に一目惚れして、そこから歌も好きになっていったの」
あぁ、だろうな。だって鞄にギターの人のビジュアル缶バッジがいくつも付けられている。
「僕は……ある歌詞を耳にしてから、彼らの音楽に惹かれていったんだ」
「歌詞に?」
疑問符を浮かべて僅かに前のめりになる大槻。その隣に座っている翼さんは変わらない表情で、それでも真剣な眼差しを兄に向けていた。
「……まだ僕の母さんが生きてた頃の話、してもいいかな?」
俺のことを気遣い一言そう添える兄に小さく頷けば、兄は僅かに視線を伏せ両手を組みテーブルに肘をつく。
「僕がまだ小学生の頃、母さんは重い病気に掛かっていて、その時間の殆どを家のベットで過ごしてたんだ……」
※※※
「……あら、おかえり達磨」
僕は学校から家に帰ると一目散に母の居る部屋へと向かい、そうっと扉を開けて中の様子を窺うのが日課だった。
「……ただいまお母さん」
調子が良い時は微笑みを浮かべ、快く迎え入れてくれた。
「今日は学校どうだった?」
「今日も楽しかったよ」
「そう、良かったわね」
そう言って頭を撫でてくれる時が僕の至福のひとときで、そんな時は大抵部屋でライナの曲が流れてた。……正確には、後にライナのボーカルになる人が歌ってた唄だったんだけど。
「母さんこの人の唄好きだね」
「そうね。この人の唄、凄く心に響くの。それに心なしか身体が楽になるのよ?」
気の持ちようかもしれないけれど、なんて控えめな笑い声を溢す母の顔は今も脳裏に焼き付いたまま。
そんな言葉を交わして一ヶ月もしない内に、彼女は安らかな眠りに就いた。
それは冬の寒い日で、僕は白い息を吐き出しながら雪の降り注ぐ空を眺めた。何だか実感が湧かなくて、涙も出なかった。
「……達磨、帰ろうか」
小さな骨壷に納められた母を片腕に抱いた父が、その日だけは珍しく手を差し出してきた。その手を握って少し歩いたところで車に乗り込み、大人しく助手席に座った。
その時ラジオから偶然にも流れてきた曲が、ライナの【一等星】という曲だった。
キミが見たかった明日を
キミの代わりに見続けるよ
たとえそれがボクにとって
絶望の色をしていても
キミにはきっと輝かしく
煌めいて見えただろうから
ボクは生きるよ キミの分まで
大切なキミの 笑顔を抱いて
大切なキミとの 想い出を抱いて
「…………っ」
それまで溢れることのなかった涙の雫が決壊したみたいに一気に零れ落ちていった。運転していた父が動揺してしまうぐらいに、僕は声を上げて泣いた。
※※※
「母さんとの思い出が蘇ったのもあるけど、まるでその歌が母さんの為に綴られた曲のようにも思えたし、僕を励ましてくれてるようにも聴こえてさ。あの時ぐらいじゃないかな、あんな風に感情剥き出しにして泣いたのって」
どこか寂しそうに告げる兄に俺はなんて言えばいいのか解らなかった。大槻も同様だったようでどことなく悲痛な表情を浮かべている。だが相変わらず翼さんは無表情で。
「……先生」
「うん?」
「その話、どこまでがホントなの」
「「…………?!」」
予想だにしなかった台詞に俺も大槻も驚愕のあまり言葉を失う。今の話のどこに嘘の要素があったというのだ。そう思うと沸々と怒りに似た感情が湧き上がり思い切って立ち上がろうとした。のだが、
「ちょっとお兄ちゃん!! それはいくら何でも酷いよ!! お兄ちゃんには人の心が無いの?!」
一足先に大槻がテーブルを叩いて立ち上がり激昂する。出遅れた俺はただ呆然とそのやり取りを眺めるに留まった。
「いいんだよ大槻さん。えっと、大槻、君はー「翼でいい」……翼君はどうしてそう思った?」
「初対面の人間にそこまでの話するとは思えねーから」
「成程」
批判されたはずの当の本人は至って冷静且つ暢気にも程がある振る舞いで、最後には笑っていた。
「ちょっと先生!! そこは怒ってもいいところだよ!!」
憤怒の収まらない大槻はやや声を荒らげているが兄はそれを宥めた末に、爆弾を落とした。
「まぁまぁ……それに、翼君の見解が間違ってるって証拠もないよ?」
態とらしく含んだ笑みが象られる。俺は言ってる意味が解らぬまま疑問を声に出していた。
「何だよそれ……それじゃあまるで……」
「……さぁ、どうだろうね」
ーーーー今まで目にしたことのない、仄暗い笑みがそこにはあった。