10
いよいよ大槻と話せぬまま下校時刻となってしまった。隣に視線を移せば既に帰り支度を済ませた大槻がクラスメイトの女子達と談笑している。
「帰りどっか遊び行かない?」
「いいじゃん! 行こー!」
「あ、ごめん。今日は私ダメなんだー……」
両手を合わせ彼女らに小さく頭を下げる大槻。何食わぬ顔で身支度を整えつつ彼女達の話に耳を傾ける。
「何か用事?」
「うん……ちょっと」
「朝遅刻したのと関係あったりする?」
……流石は女子。踏み込んでいいのか迷うような話題もすんなり口にしてきた。俺なら尻込みした挙句差し支えない挨拶と共に会話を終わらせていただろう。
「……まぁそんなところかな」
「ねぇねぇ、羽衣ちゃんて大崎先生と付き合ってるの?」
そのド直球な質問に俺の手が止まる。合わせて周りの空気も緊迫したものになった気がした。きっと他の者達も興味のないフリをして聞き耳を立てているに違いない。
「え? また突拍子もない質問だね。何で?」
大槻は全く顔色を変えずに目を何度も瞬かせて不思議そうな様相を見せた。どうやら彼女は自分が向けられている噂を知らないらしい。
「今日の朝ほぼ同時刻に遅刻して来たでしょ? だから皆『二人には何かあるんじゃないか』って言ってて……」
「で、どうなの?」
詰め寄られる大槻。どういう反応をするのかと思っていたらなんと彼女は呆気に取られた後、声を上げて笑い出した。
「あっはは! 皆そんなこと考えてたのっ? 面白いね!」
「え、ということは……」
「ないない! 有り得ないよ! 確かに大崎先生はカッコいいと思うけどね。でも先生となんて有り得ないって!」
終いには腹を抱えて笑い出す始末。それを目にした周りの女子達はそれぞれに視線を交わすと安堵の表情で息を吐いたり笑みを浮かべていた。男子達もガッツポーズをする者や明らかに喜んだ顔をしている者ばかり。
「なぁんだ。良かったぁ」
「実はこの子ガチで大崎先生のこと好きになっちゃったみたいでさ」
「ちょっと!!」
大槻と話していた内の一人が顔を真っ赤にして暴露した友人の肩を叩いている。だが叩かれた彼女はその口を止めようとしない。
「それで『もし大槻さんが先生を好きなら絶対勝てるわけない』って落ち込んでたのよ」
「……どうして?」
大槻が小首を傾げて問えば訊かれた女子は恥ずかしそうに俯きながら口を開く。
「だって……大槻さん、凄く可愛いし……」
「えー、そんなことないよ? それに私は……」
言葉が途切れたと思ったら大槻の視線がふと俺を捉えた。嫌な予感がする。それまで会話に夢中になっていた彼女達だったから周りにまで気を配るようなことはないだろうと高を括り、その場に留まっていたのが運のツキだったかもしれない。
「……大崎先生より圭人の方が好きだけどなー」
「…………は?」
時が止まる。誰も微動だにしない。それは一瞬だったかもしれないし、結構な時間を費やしていたかもしれない。が、次の瞬間教室だけでなく廊下にまで声にならない絶叫、並びに咆哮が響き渡った。
「君達何を騒いでるの?」
このタイミングで廊下側の窓からひょこっと顔を出したのは今一番顔を見たくない相手だった。
「大崎先生っ!!」
「はい」
呼ばれた兄は爽やかな笑顔で返事をする。が、こちらはそんなに穏やかな空気を纏える状況ではない。
その時誰かが言った。
「先生! 大槻さん、大崎君のことが好きなんですってー!!」
その一言で今までざわめいていた教室が嘘のように静まり返った。
そんな中僕の目に留まったのは、何故か一瞬陰を差したような兄の表情と、僅かばかり口角を吊り上げた大槻の表情だった。