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雨の贈り物

雨降りの白昼夢

作者: あやねいおり

 喧騒けんそうに埋め尽くされる教室。

 本来、静寂の中に教師の教えが響くはずの部屋。しかし、今は生徒たちの活気に支配されている。

 生徒たちは、それぞれが示し合わせたようにひとつの目標へと突き進む。

 それは、食欲への渇望。午前中の授業の中で耐えぬいた空腹との戦い。己を縛り付ける理性という鎖から解き放たれ、各々は動き出す。

 購買部へと人気パンの争奪戦に向かう者。

 用意周到に用意したコンビニの袋を机上に出す者。

 カバンにしまわれた弁当箱をそっと置く者。

 手法はバラバラだが、一貫した行動をとる。そんな環境が静寂であるはずがない。

 中にはいそいそと、食料を抱いて教室を抜け出す者もいる。別のクラスの友人と食べるのか、恋人とランチデートをするのか、理由はこれまた様々だ。

 その流れを逆流し、教室へと入ってくるポニーテールがいる。

 すれ違う生徒に声をかけられては頭を下げて元気良く挨拶をしている。なぜ、それ程までに律儀なのか。それは胸元のリボンを見ればすぐにわかる。

 この教室の女生徒のほぼ全員が身につけているリボンの色は青。それに対して、彼女は赤色。つまり、他の学年なのだ。

 更に言えば、彼女は一年生で、ここは二年生の教室。

 本来であれば近づきがたい先輩の教室。そのような領域のはずだが、臆することなく。むしろフレンドリーな雰囲気だ。

 その彼女が、ひとりの女生徒の机を挟んだ正面に立つ。

しようちゃん。お昼食べよ」

 弁当箱が入っているであろう巾着袋を胸の高さに上げると、満面の笑みを見せる。

「そうね」

 答えた昭子の机上には、同じく巾着袋に入れられた弁当箱が置かれていた。口を開けようとした様子はなく、主とともにじっとポニーテールの彼女が現れるのを待っていたようだ。

 その巾着袋に視線を落とす後輩の女生徒は、誰かわからない先輩の、席の椅子を方向転換させ、抵抗なく座る。

「今日もお待たせしちゃったね」

「全く待っていないのだけれど。むしろ、早すぎよ。のクラスだけいつも授業が終わるの早いの?」

「そんなことないよ」

「だったら、なおのこと怪しいというか、授業を抜け出したりしてないわよね?」

「ないない」

 手をひらひら揺らす。

「だったら、良いのだけれど。教室の階は違うし、そんなにすぐにこられないと思うのだけれど……」

 汗ひとつかかず、息切れもしないで、昭子のクラスまで来ることは不可能なタイミングだ。実際、全力疾走で階段を上ってきているはずで、どんな体力だと昭子はあきれると同時に羨ましくなる。

「相模ちゃん、いらっしゃい。今日も早いね」

「いやー。それ程でもないですよ。お邪魔します、汐里しおり先輩」

 昭子の隣の机を寄せてひとつの大きな食卓を作っていた昭子のクラスメートである春日かすが汐里からも声がかかり、慣れた雰囲気で返答をする。

 すっかり馴染なじんでいる様子だ。

「お弁当。食べましょう……」

 とっくに見慣れた景色のはずだが、香那の順応ぶりに昭子はめ息混じりにそう言った。

 その言葉をきっかけに女子高生たちのランチが始まり、とりとめのない話題とともにお昼休みは過ぎてゆく。

「ふぅ」

 弁当箱をしまった巾着袋の口を閉じる動作に合わせて、ハッキリとしため息が漏れた。

 そのめ息に反応して、一緒にお昼を食べていた面々が意外そうな表情をする。

「おや、珍しいね。相模ちゃんが、そんな愁いに満ちた表情をするなんて」

「そうね。元気だけが取り柄の香那が、そんな表情をするなんて」

「う……、傷つくなぁ」

 全方位から意外な行動だと言われて渋面になる香那。唇をとがらせふてくされるポーズをする。

 昭子はその様子を見て、表情をほころばせる。いつもの元気なときも含めて本当に表情が良く変化して飽きない。それは、一緒に弁当を食べていた汐里も同じようでにこやかだ。

 香那の表情をほんの一瞬だが楽しんだ後、昭子は問い掛ける。

「それで、何かあったの?」

「んー。何かあったわけじゃないんだけど……」

「じゃないけど?」

「ここのところ。雨が多いじゃない」

「そうね」

「梅雨も終わったのに雨が続いて、少し憂鬱だなーと思って授業中に窓の外を見ていると、眠くなっちゃうんだよ」

「いきなり落第の危機とは、確かに重大事件ね」

「ちがーう。成績は大丈夫……。そうじゃなくて、うとうとしていると夢を見るの。すごいハッキリした夢を。それが一週間も続いていて、流石さすがに疲れたなぁと」

「もしかして、相模ちゃん? 一週間、お昼休み後の授業を寝ていたよって、報告がしたかったのかな?」

流石さすがに香那でも、それはないんじゃ」

「流石にってところに引っかかりを覚えるけれど、結果的にはそうなるのかな……」

「そ、そうなの」

 フォローしたつもりが、否定されて苦笑が漏れる。

「あ、いえ。話したい内容を聞いてもらった結果、そうなるかもってこと。本題はこれからだよ」

 ふんふん。と興味深げにうなずいて先を促すように手の平を見せる汐里。

「毎日、同じ夢で、きっちり続きを見ていて、何だか不思議な気分なんだ」

 そう言って、香那は語り出す。今日までに見た夢の話を。

 

 ◇

 

 少女は、見知らぬ街を歩いていた。

 腰まである少し癖のある髪を揺らし、真っすぐ前を向いて歩く。

 その横顔を飾るリボンが特徴的で、一房の髪にリボンを巻き付けるように飾っていた。

 そして、少女には、全く知らない道を歩いていた。しかし、本人にそのような感覚はなかった。

 傘の外を降り続ける雨は視界を遮り、いつもと違う街にいるように錯覚させる。

 ただ、それだけのことかもしれない。

 少女の中にあった違和感は徐々に薄れ、ただ雨にれないように気をつけよう。そう思うようになっていた。意識は常に移りゆく。

 どれくらい歩いたのだろうか。

 表情の見えない通行人とたくさんすれ違った頃。

 どれくらい目的地へと近づいたのだろうか。

 通行人の顔などいつも見ていなかったことに気づいた頃。

 そう考えたとき、少女は足を止めた。

 何かの声が聞こえた気がしたからだ。小さくか細い。今にも消え入りそうな声。雨の音に遮られ、ただでさえ小さな声が聞き取りにくくなっていた。

 少女は、その声の主を探して周囲を見渡す。

 すると、それはすぐに発見できた。

 道路の反対側にごそごそ動く段ボール箱がある。半分だけ蓋の開いた状態で電柱の下に置かれていた。

 その箱に近づき、のぞき込むと子犬が少女を見上げていた。

 雨にれ、毛並みが体に貼り付いて、小さな体が余計に小さく見える。

 捨て犬だ。

 ここに捨てられてから、どれくらいの時間がたっているのだろうか。おなかかせているのだろうか。箱の中に餌らしきものはない。捨てた人が入れていたとしても、もうとっくに食べきってしまったのだろう。

 少女は、子犬を抱き上げると歩き出した。不思議なことに子犬は暴れることなく、少女の腕の中で落ち着いていた。

 少女の制服は、犬の毛にたっぷり染みこんだ雨で、ぐっしょりれているはずだが、そのようなことを表情に出すこともなく歩いている。

 程なくして、自宅へと辿たどり着く。

 れ細った子犬を抱いて帰った少女。

 その姿を見た少女の母親は、驚きの顔を見せる。

 少女の「この子を飼いたいの」という言葉に、母親は首を横に振る。そして、母親は「ごめんなさい。私の体質のせいで動物は飼えないの」と、悲しげに言った。

 少女は、それ以上、何も言えなかった。

 しばらく沈黙が流れ、少女はそのまま自宅を出た。

 

 ◇

 

「こんな感じでスタートしたんだよー」

「ちょっと重たい感じだね」

「つまり、この後もこの重たい雰囲気で続くのね」

 重たくなった空気を一掃しようと、おどけて現実に戻ってきた香那だったが、昭子の問い掛けに黙ってうなずく。

「午後の睡魔と戦いつつの授業。そして、睡魔に敗れた先には重たい夢。相模ちゃんでも、流石さすがめ息がつきたくなっちゃうかな」

 香那は「ですよねー」とさも仕様がなかったと同意している。しかし、昭子はそれを許さなかった。

「そもそも、授業中は居眠りをしないのが前提なの」

「はーい」

「はい」

 香那の居眠りに対して注意したはずが、なぜか返事が二人分聞こえる。

 声の主に昭子が目を向けると、ぺろりと舌を出した汐里がいる。仕方がないといった表情をしてしまう昭子。

 それを見て、汐里は何かを思いついた表情を返す。

「それじゃあ、相模ちゃんが午後の授業も頑張れるように、これをあげよう」

 汐里が食べていたデザートのひとつ。リンゴをフォークに刺して香那の方へと突き出す。

「はい、あ~ん」

「あーん」

 汐里の突然の行為に、香那は素早く反応し、口を開ける。そして、美味おいしそうに咀嚼そしゃくする。

「ありがほうほざいまふ」

「口をいっぱいにしてしゃべらないの」

 モゴモゴとお礼を言う香那に昭子が眉間にしわを寄せて苦言を呈する。

 汐里は、予想どおりの反応を尻目に「怖い先輩だねー」と香那の頭をでる。

「それで、夢の続きはどうなったの?」

 香那と汐里の二人を見て、昭子は明らかに不機嫌な声で先を促した。

「うんうん。どうなったの?」

 昭子の反応を楽しむように同調する汐里。香那がこの教室へお昼を食べに来るようになるまでは、見られなかった昭子の表情。汐里としても本当に怒らせるつもりはないのだが、表情の豊かになった昭子を見るのは楽しかったし、うれしかったのだ。

「毎日、きっちり続きってわけじゃなくて、時間とか場所が飛んでたりする感じなんだけど。続きは続きかな」

 香那は、少しあやふやな出だしで、夢の続きを語り始める。

 その始まりに不安を覚える昭子。

 楽しそうに聞き入る汐里。

 気持ちはバラバラだが、教室は楽しそうな雰囲気でお昼休みが続く。

 

 ◇

 

 少女は、子犬と出会った場所に戻っていた。

 そして、段ボール箱を見下ろす。

 子犬をまたこの段ボール箱へと戻して立ち去るべきか。

 そんなことをして良いはずがない。

 そのことが、ずっと頭の中をグルグルと周り堂々巡りを繰り返す。

 結論の出ない思考。

 犬を自宅で飼うことができなければ、他に当てはなく捨てるしかない。

 拾わなければ良かったのだろうか。

 そうすれば、自分が改めて捨てる必要はない。

 だが、見捨てるという意味ではどちらも同じだ。何となく事実から目をらしやすいだけだ。

 では。どうする?

 自分が駄目ならば誰かに頼るしかない。何とか、その考えには至った。ようやくとも言えるが、完全に迷子になった思考では仕方のないことだ。その事実に気づいた理由が、子犬の入っていた段ボール箱に書かれていた――誰かもらってください――の言葉だったとしても。

 実際のところとしては、誰か飼ってくれる人を探そうにも、当てはなかったのだ。だから、この答えに至ることを避けていたのかもしれない。

 そして、少女は意を決して道行く人に声をかけた。

「うちでは無理なんだ。ごめんな」

 丁寧に断ってくれる人

「――ッ」

 迷惑そうに無視する人。

「あなたが飼ってあげれば良いじゃないですか」

 冷たい言葉を返す人。

 自分で飼えるならこんなことしていない。そう思ってしまい次第に声をかける気力がなくなる。

 しかし、どうして良いか。これ以上の案などなく。思いつく当てもない。

 次第に、ただ、うつむいて雨の中、冷たくれた子犬を抱いて立っていることしか、できなくなっていった。

 どれくらい時間がたっただろうか。

 ほんの一瞬だったかもしれないし、一時間以上だったのかもしれない。時間の経過がわからなくなっていたころ、少女の前に誰かが立ち止まる。

 うつむいた少女には、制服と靴しか見えない。

 だが、雨でも綺麗きれいに整った靴からは、住む世界の違いすら感じる。

 目の前に立っていることはわかっても、自分に用があるとはとても思えなかった。

 子犬の飼い主を探したい想いとは裏腹に、誰にも渡したくない。自分で飼いたい。そんな気持ちで心の中はぐしゃぐしゃになっていた。

 だから、声をかけられても最初は反応ができなかった。自分以外の誰かと話しているのではと思ってさえいた。

 しかし、雨の音だけは、なぜかハッキリと聞こえていた。アスファルトを打ち、水たまりを跳ね上げる音。完全にひとりぼっちになっていると錯覚しかけていた。

 その中で、大切な言葉が聞こえた。だが、それが自分への問いかけであると認識できるまでに時間がかかり、リアクションが取れずにいた。

 少女が動けずにいるとき、その言葉は繰り返される。

「その子犬。うちで預からせてもらえないかしら?」

 今度は、ちゃんと聞こえた気がした。

 いや、ハッキリと聞いた。

 完璧に聞いたが、やはり理解が追いつかない。

 うれしいような、悲しいような。ぐちゃぐちゃな気持ちのまま。何とか聞こえた言葉の意味を理解して顔を上げた。

 気持ちと動揺にひどい顔をしていたはずだ。

 そんなことは自分にはわからない。でも、精一杯の笑顔で応えた。

「はいっ」

 本当に目の前に立っている相手で良いのか。それはわからない。虐待をするような人かもしれない。

 だが、ただ立っているしかできなかった少女を理解し、声をかけてくれたのだ。信じたいと少女が願っても誰も責められないだろう。

 目の前に立つ少女の長くあでやかで真っぐな黒髪。綺麗きれいに切りそろえられた前髪は、凜とした表情をより引き立てている。そんな同世代の少女が、自分の意志をくみ取り声をかけてくれた。

 少女に断ることができるはずがなかった。

 それに、黒髪の少女は、気になる髪型をしていた。右側の髪を一房にリボンを結んでいた。左右対称だが、少女と同じ髪型に運命すら感じていた。

 だから、少女は言った。

「お願いします」

 傘はさしていたが、雨にれたような有様の顔だった。

 そんな醜態を気にした様子もなく、黒髪の少女は静かに微笑ほほえむ。

 そして、

「この子には、ちょくちょく会いに来てほしいわ」

 少女の腕の中の子犬をでる。

「きっと、この子も寂しがるだろうから」

 子犬に落とした視線をもう一度、少女に向け言った。

 少女は、これほどの巡り会いをもう二度と経験できないのではと思った。本当に大げさかもしれない。だが、少なくとも今この瞬間はそう感じていた。

 黒髪の少女は、「預からせてくれ」と言ったのだ。「引き取らせてくれ」でも「飼いたい」でもなかったのだ。そして、いつでも会いに来てくれ、と言ってくれた。これ以上の心遣いがあるだろうか。

 その後、黒髪の少女の自宅まで子犬を抱いて運んだ。

 会いに行くためには、当然知っておかなければならない。

 一時的でも、子犬との別れが寂しくて悪あがきをしただけ。ただ、それだけだったのかもしれない。

 しかし、どうして良いかわからず子犬と路頭に迷いかけていたときとは違い、少女の心は晴れ晴れとしていた。

 

 ◇

 

「という、スッキリしたような。モヤモヤする夢だったよ」

「思っていたよりは、長かったわね」

 うんうんと、汐里は笑顔でうなずく。

「毎日、細切れで見てた夢だからね。長かったよー。いつも、ブツブツ中途半端なタイミングで終わるし」

「夢って見たいときに見たい内容にならないからね」

 汐里が同意する。それな、と香那を指差している。

「問題はそこかしら……」

「じゃあ、何が問題なの?」

「授業中に居眠りしすぎとか」

「ソウダネー」

 汐里には思い当たる節があるらしく、泳ぐ視線がとても元気だ。

 だが、汐里もこの悪い流れのままではいなかった。普段以上ににぎやかな身振りで話題を戻そうとする。

「ねね。最後にさ、わんこを引き取ってくれたって言う。昭子似の黒髪美少女。気になるね」

「そうなんですよー」

「何が、気になるって言うのよ」

「相模ちゃんの中の昭子像なのか、はたまた理想の女性像なのか」

「夢の中のことを真面目に考えてどうするの」

「え~。気にならないの?」

「全く」

 視線をらす昭子。

「先輩、表情が悪い感じです」

「こんな表情の昭子はなかなか見られないんだぞ」

「そうですかね」

「んー。そのセリフにけるぞ。ぽっと出の小娘のくせに私の昭子を奪うとは、お主やりおるな」

 汐里が冗談めかして香那を責めると、それを香那は軽い笑いで受け止める。

「このクラスになって話すようになったあなたと大差ないと思うけど」

「そうかなぁ。私はずっと前から親友だった感覚なんだけどなぁ」

 悲しいぞ、と今度は昭子を責める。

 独りでいることが多くなってからは、昭子にとってこの距離感が少し苦手だった。香那と二人、今までに経験したことのない接近具合で戸惑っていた。

 だが、決して嫌ではなかった。

 だから、少し戸惑いながらも受け入れつつも、気恥ずかしさを必死に隠そうとしていた。

「そ、それより、香那の落第は本当に大丈夫なの? そろそろ期末テストなのに」

「……」

 黙ってらされる視線。

 静かに固まる表情。

「はははー」

 聞こえるのは乾いた笑い声。

「昭子ちゃん、助けて!」

「昭子、お願い!」

 二人の声が重なった。

 そのシンクロに昭子が驚く。

「香那の事情はある程度把握していたし、予想どおりなのだけれど……。どうして、あなたまで一緒に手を合わせているの?」

「中間テストが思ったより良い成績だったなーと思って油断していたら、あっという間に……」

「あっという間に?」

 突き刺さる視線が痛い。

 香那が『そんな言い方じゃダメですよ~先輩~』と他人たにん事のように手をヒラヒラとやっている。

「香那――。他人のことを笑っている場合なのかしら?」

「はい。スミマセン」

 香那の姿が急に小さくなる。その姿を見て昭子は、ハッキリと肩を落とし、同時に息を吐いた。そこには当然、あきれも含まれるが、頼られることに対する心地よさもあった。香那と汐里の二人にはわからないが。

「二人とも、明日からの土日は私の家でみっちり勉強ね」

「「えええ~~」」

 今度は、完全にシンクロした。

「さっき聞こえた助けの声は気のせいだったってこと?」

 絶望する二人。

 勉強をみっちり仕込んでもらえるのは有り難い。

 しかし、どう考えてもスパルタなのは容易に想像がつく。これも自分たちが助けを求めた結果なのだから、頑張るしかない。

 勉強を見てもらって成績を何とかしたい気持ちと、猛勉強からは逃げたい気持ちが、頭の中をグルグルと回っていた。

 その様子をにこやかに見守るかのように見えた昭子は、笑顔で手を打つ。

「はい。一学期で落第はないけれど、赤点で補習にならないように頑張りましょう。夏休みが無くなってしまうかもしれないし、ね」

 昭子はあくまでも笑顔だ。

 香那は、楽しいはずの週末のことを考えて、食べたばかりのお弁当の味をすっかり忘れてしまっていた。

 

 ◇

 

 本のページをめくるときのこすれる音。

 筆記具をノートに走らせるときのかすれた音。

 それらが、狭い部屋にかすかに響く。

 約束どおり開催された期末テスト対策の勉強合宿。

 昭子の部屋には、汐里と香那が集まっていた。

 女子高生の部屋としては狭くはないが、部屋の真ん中にテーブルを置いて三人が集まれば、流石さすがに狭く感じてしまう。

 部屋の温度を調整する神器であるところのエアコンは冷房で絶賛稼働中だ。そのお陰で、香那たちは何とか勉強を続けられていた。

 案の定、昭子は鬼教官であり、香那たちは完全にペースに巻き込まれていた。それは、良い意味でも昭子の独壇場だった。

 昭子の教え方や勉強法は的確で、二人の性格を理解して違う手法を採用していた。勉強会がしっかりと継続できていたのは、エアコンの力だけではなかったのだ。

 そのとき、部屋の扉をたたく音がする。

 直後、扉は開き人影が入ってきた。

「二人ともお疲れ様。そろそろ休憩したらどうかしら」

 昭子の母親が、気を使って差し入れを運んできてくれたのだ。

 お盆の上にはお茶とお菓子というか駄菓子の山。

 静かにテーブルに近づくと香那と汐里の前にお茶が出され、テーブルの中心に木製の浅いボール皿に山盛りの駄菓子が置かれた。

 昭子の母親が部屋に入ってきた直後、テーブルの上は綺麗きれいに片付けられ、差し入れの置く場所には困らない。迅速な片付けだ。

 昭子は、その光景に感心しつつ、もうひとつ気になることを口にした。

「どうして、私のお茶はないの?」

「だって、見ているだけでしょう?」

「しっかりと教えているわよ」

「あら、ごめんなさい」

 昭子の母親は、オホホとわざとらしく笑う。

「昭子の分はお盆に乗らなかっただけで、ちゃんとこれから持ってくるから安心してちょうだい」

 そして、静かに部屋を出ていく姿を、昭子は眉をひそめて見送った。

「もう」

 昭子としては、口の中でとどめた言葉だった。

 しかし、汐里と香那は聞き逃さなかった。いや、見逃さなかった。そして、目を合わせると黙ってうなずいた。

「何?」

「ご馳走ちそう様」

「ご馳走様です」

 学校では見せない表情がうれしかったのだ。の昭子を見せてくれたことへの感謝のつもりだ。

 しかし、昭子は、二人のニヤニヤした表情にムッとする。

「じゃあ、これは下げようかな――」

「「まって!!」」

 二人のシンクロ率が高まっていた。

 昭子も本気で下げようなどとは思っておらず、持ち上げようとした皿から手を離す。「さ、糖分をとって脳のエネルギー補給よ」

「元駄菓子屋さんだけあって、おやつは駄菓子なんだね」

「そうね。違和感はないわね」

「うん。全然、違和感ない」

 香那の感想に同意する昭子と汐里。

「でも、懐かしいな。昔、良く通ったよ」

「毎度、ありがとうございます」

 汐里は、チョコレートでコーティングされた、棒状のスナック菓子の包装を開けながら、子供の頃のことを思い出していた。

 それに対して、冗談めかして、接客のものをする。

「この辺に住んでいる子供はみんな一度は来たことあるんじゃないのかな」

流石さすがにそれはどうかな」

 今度は香那の過大評価に、昭子は苦笑する。だが、笑顔だ。祖母の店が褒められて素直にうれしい。

 ふと、机の上の写真立てに目を向ける。そこには懐かしい駄菓子屋を背景に撮った写真が飾られており、ゆったりと寝そべる梅太郎の左右に祖母と幼い頃の昭子がしゃがんで写っていた。

 香那もつられて写真を見る。

「あの犬さんも懐かしいな」

「香那は、一時期、怖がってたよね。それでも買いに来てたから、すごいと思っていたけれど。あれは食い意地が張っていただけなのかな」

「ちょっと、昭子ちゃん!」

「なになに。気になる。相模ちゃん犬が怖かったのに食い意地で駄菓子買いに来て、でも今は平気っぽい、と。何があったの?」

「何もないですってば」

 汐里の食いつきに香那はただ否定する。

「本当かなぁ」

 汐里は、テーブルを回り込んでグイグイと詰め寄る。

 慌てて体を引く香那。それと同時に両手の手の平をかざして落ち着くように促す。香那の額に冷や汗が流れて良そうな光景だ。

「そうそう。その懐かしい駄菓子屋さんを始めたばかりの頃の写真もあるよ」

 詰め寄る汐里に押され気味な香那を見かねたのか、話題を振る。

 そして、昭子は立ち上がり机の引き出しへ手を伸ばした。

 そこから取り出された一枚の写真。

 それはモノクロの古い写真。

 しかし、色がなくてもわかる。写真に写っているのは、真新しい駄菓子屋の正面。

 その前には、子犬を抱いた女子高生と両親と思われる男女におじいさん。

「うちの駄菓子屋を始めたばかりの頃の写真みたい。おばあちゃんの遺品を整理しているときに見つけたの」

 香那と汐里が興味深げにのぞき込む。

 やはり、モノクロ写真は物珍しい。

 携帯電話の写真もモノクロ加工で遊べるが、当時の本物とは何かが違う。目の前の写真にはデジタル加工では表現できない趣を感じていた。

「駄菓子屋は、このおじいさん。私のおばあちゃんの、おじいちゃんが始めたんだって」

「へー」

 素直に相づちを打つを汐里。

 代わりに黙って写真を見つめている香那。

「ねぇ、昭子ちゃん」

「なに?」

「つまり、この写真に写っている黒髪ロングでセーラー服の人が、昭子ちゃんのおばあちゃんってことだよね?」

「そうよ」

 真剣に写真を見つめる。

 何事かと昭子と汐里が見守る。

 ゆっくり顔を上げた香那が言う。

「夢で子犬をもらってくれた人だよ」

 部屋にエアコンの音が響き、部屋の外から階段を誰かが昇降する足音が聞こえる。

「昭子似の黒髪美人は、昭子のおばあさまだったと?」

 ようやくひねり出した汐里の疑問に香那は首肯する。

「偶然でしょ。自分でもビックリするくらいそっくりだし」

 昭子が最もらしいこと言う。

「でも、ホントそっくりだよね。髪型も同じだし。リボンをしてないくらい?」

「リボンをしたら完璧だね」

 香那と汐里が、キラキラした瞳で昭子を見つめる。

 その視線の意味を理解して、昭子は軽く顎を引く。

「し、しないわよ……」

 小さく拒否する言葉。

 しかし、二人の瞳の奥では、キラキラが増してさえいるようだ。

「だから――しないってばっ」

「ちょっと確認するだけなのに、けちー」

 部屋に満たされた三人の笑い声に、扉をたたく音が割り込む。

 そして、扉が開かれる。

「お待たせ、昭子」

 昭子の母親の再登場だ。

 さっきの言葉どおり、昭子の飲み物を持って来た。手にしたお盆には、コップがひとつ。ではなく、湯飲みがひとつ乗せられていた。

「はい、どうぞ」

 おじいさんが使っていそうな渋みを感じさせるデザインの湯飲みは、お盆から下ろされ、昭子の目の前に置かれた。

「昭子ちゃん、この季節でも熱いお茶なんだね」

「そうなのよ。この子ったら一年中、熱いお茶で、お父さんにも渋い顔をされてるのよ」

「余計なことは良いってば――」

 昭子が動揺して両手の拳をブンブンと上下に振っている。テーブルに飲み物があることを意識して当たらないように気をつけているところは昭子らしいが、香那たちにとっては、また普段見られない姿で思わず頬の筋肉が緩む。

 昭子の母親は「まぁまぁ」とにこやかに見守っている。

「ところで、懐かしい写真を見ているのね」

 テーブルの上の写真に視線を向けた。

「はい。机の上に飾ってある写真を見て、お店が懐かしいねって話をしていたら出してくれたんです」

「あら。二人もお店に来てくれていたの?」

「「はい」」

 二人の返事が重なる。とても、気持ちの良い声だ。

「小学生の頃は、良く来てました」

「それは、ありがとうね」

「お店でお世話になっていたおばあちゃんが、昭子ちゃんにすっごいそっくり美人さんだから、ビックリしちゃいました」

「そうよね。この子ったら、あまりにも似ているから、写真を飾っておくと自分がはるか昔から生きている妖怪みたいに感じるからって写真をしまっているのよ」

「あー、もう」

 優しそうに笑う母親と、取り乱した娘のアンサンブル。

 いつもクールな昭子も母親にはかなわないようだ。

「それで、昭子は嫌がったのね」

 汐里と香那が目を合わせてうなずき合う。

「どうかしたの?」

 当然、そこに昭子の母親も乗っかってくる。

「はい。そっくり度合いを確かめるべくリボンの着用をお願いしたのですが、拒否されました」

 香那は、司令官に報告するイメージでビシッと背筋を伸ばした。

 それを見た昭子の母親は、一度頷うなずくと昭子の方へと向き直り――

「あら、あら。リボンくらいすれば良いのに。女子高生なのに、あんまり飾りっ気がないのもお母さんは心配よ」

「だから。余計なことを――。ていうか、心配って何がよ」

「おしゃれよ。過剰なのは、どうかと思うけれど。全くなのも良くないわ」

 うんうん。

 一同、うなずく。

 新たな敵を認識して、昭子は諦めのような空気を出す。

「それでですね。お洒落しゃれも大事なわけですが、私の夢に出てきた子が、昭子ちゃんだったのか、それとも時空を超えておばあさんの夢を見てしまったのか。確認する必要があるのです」

「あら、気になるわね」

「もう、気にしなくて良いから――」

 母親を立たせようとする昭子。事態がますます悪くなる前に早く追い出そうと必死だ。

「仕方がないわね」

 出て行こうとする母親。

 振り返ると。

「早々、お二人のお名前を聞いてなかったわ。良いかしら?」

「私、相模香那って言います。いつも昭子ちゃんにはお世話になっています」

「私は、クラスメートの春日汐里です。いつもお世話してます」

「あらあら」

 ニコニコご機嫌だ。だが、一瞬、表情が止まった。そして「相模さん……」と口の中で復唱していた。

 そんな昭子母の振る舞いには誰にも気づかれることない。

「それじゃあ、二人ともゆっくりしていってね」

 扉を閉める音。

 すぐに昭子の母親が階段を下りる音が聞こえる。

 足音が聞こえなくなっても、しばらく昭子はうつむいて黙っていた。

「二人とも……」

 昭子はそのままの姿勢で肩をふるわせながら、呼びかける。

 ただ、それだけだ。

 しかし、当の二人は正座をして背筋を伸ばした。何かを感じたからだ。

「私の課題を終わらせるまで、帰れないと思いなさい」

「「はいっ」」

 二人は本能で察した。逆らってはいけないと。そして、今日一番のハモりを響かせた。

 

 ◇

 

「お疲れ様」

「がんばったよー」

「昭子~、明日は休みで良い?」

「ダメ」

 力尽きてテーブルに突っ伏している汐里と、床に倒れている香那。

 そして、二人の心からの願いは無下に却下された。

 その姿を見て、仕方がないわね、と息を吐く。

「頑張ったのは認めているよ。夕食までに終わるとは思っていなかったから」

 意外な言葉に、香那と汐里が視線を交わし、親指を立てた。厳しい戦いをくぐり抜けた仲間たちのきずなを感じる。

 そのとき、携帯電話が振動する音がした。

 その音に昭子が反応して、電話の画面を見る。

「夕食できたみたいだから、下へ行きましょう」

「はーい!」

「うー、待っていたよ!」

 急に元気になって立ち上がる二人。

「まったく」

 昭子はあきれたと言いつつも、笑顔で二人を見る。

 そして、そろって夕食の待っているダイニングへと移動する。

 そこには、食事の用意をしてくれていた昭子の母親と、現在の飼い犬であるおうろうが待っていた。

 香那の足下を元気に駆け回り始める。

「本当になつかれているわね」

 昭子の母親も驚きの懐きっぷりだ。

「よしよし、よく我慢したねー。ご飯を食べたら遊ぼうね」

 香那がしゃがんで頭をぐりぐりとでる。

 実は、勉強開始直後に勉強会会場である昭子の部屋に侵入し、邪魔をしたために閉め出されていたのだ。ようやく遊び相手に再会できて、尻尾の動きはいつも以上だ。

 ダイニングは和やかな空気に包まれる。

「さ、二人ともしっかり食べて勉強を頑張ってね」

 昭子の母親が手を打ち、じゃれ合いムードに区切りを入れて食事へと促す。

「「いただきます」」

 全員が席につくと、元気な挨拶とともに食事が始まる。

 が、香那はあまり気づきたくないことに思い当たった。

「あの昭子ちゃんのお母さん……」

「何かしら?」

「『しっかり食べて勉強を頑張ってね』とは食事の後も続くという前提なのでしょうか……」

 不安げな表情で、昭子とその母親の顔を交互に見る。

 目の前の美味おいしそうな料理がとたんに重く冷たく感じる。

 母親の発言に納得して、うなずく昭子。しかし、――

「あら、ごめんなさい。明日もって意味だったのだけれど」

「ちょっとお母さん!」

「ちょっとって何よ。人には休息ってものが必要なのよ。大事よ、メリハリは」

「う……」

 また、やり込められている。香那と汐里は思った。もしかすると、昭子は思っているよりも、かなりチョロいのでは、と。

「食事が終わったら、お風呂でゆっくりしてもらってね」

「そうね……」

 昭子は、同意をするものの若干納得のいかない顔だ。だが、どのみちお風呂に入らないわけにはいかない。予定どおりだ。そう思うことにした。

「うちのお風呂は、お父さんがこだわってリフォームしたから、ちょっとしたものよ」

「え。どんな感じなんですか?」

「すっごい気になる」

「それは、見てのお楽しみ。ゆっくり楽しんでね。ただ、こだわった本人が家に中々帰れなくて悲しい思いをしているけれど」

 サラッと衝撃的な事実が付け加えられていた。

 実際、この場に昭子の父親はいない。仕事が忙しくて帰っていないのだと言う。そんなにすごいお風呂を楽しめないくらい大変とは、どのような状況なのか。気になるが、聞けない香那であった。

 気になることもあったが、その後も食事は和やかに進んだ。

「ご馳走ちそう様でした」

「お粗末様でした」

 食後の挨拶も終わり、後片付けが始まる。

 食卓の上が片づいた頃、昭子の母親が言った。

「そうそう。香那さん。あなたに渡したいものがあるの。ちょっと待ってね」

 そう言うと、リビングにある箪笥たんすの引き出しを開けて何かを取り出した。

 それは、少し膨らんだ紙袋だ。

「うちのおばあちゃんから、あなたが来たら渡してほしいって言われていたの」

 香那は何のことかわからず、不思議そうに受け取る。心当たりなどないのだから当然だ。

 お店には良く来ていたが、特別何かがあったわけでもない。

 疑問に思いながらも中を確認すると、赤いリボンと手紙が一通。

 香那は黙って手紙を開いた。

 

 

 出会いを大切にするあなたへ

    

 前略

 お久しぶり、でしょうか。それほどでもないでしょうか。こうやって改めて手紙を書くのは少し気恥ずかしいですね。ですが、どうしてもお伝えしたことがあって筆をとりました。

 あのとき、子犬を引き取ることができて私の人生は大きく変わりました。とても大きな出会いを得ることができ、とても感謝しています。さらには、この手紙を書くきっかけまで頂いたのですから。

 きっとあなたは、何のことだろうと首をひねっているかもしれません。これは私の勝手な気持ちの押しつけでしかありません。気を悪くされるかもしれませんが、そっと受け止めていただけると幸いです。

 あの日の思い出のリボンを同封しましたので、これも良ければ使ってください。

 それでは、あなたの人生にも良き出会いが続きますように。


 草々 

 出会いを教えてもらった私より 

 

 

「何が書いてあったの?」

 手紙から顔を上げた香那に汐里が声をかける。

「んー。何と言えば良いのかな。昔のことでお礼を預かった感じ?」

「難しいね」

「ですね。自分で言ってて、良くわかりません」

 楽しげな内容を期待していたのか、落胆する汐里に対して、香那は苦笑いをした。

「でも、夢の理由とかいろいろ解決したかもです。夢に見たのは、やっぱり昭子ちゃんのおばあちゃんだったみたいですし」

「それって、相模ちゃんが実はタイムスリップして過去で昭子のおばあちゃんに会っていたってこと?」

 汐里が俄然がぜん食いつく。

「いやいや。流石さすがにそれはないですよ」

「デスヨネー」

「小さな頃に聞いたこととか、私の思い出とかが、ごっちゃになってたなーって感じです」

「お昼寝の夢だもんね」

「ですです」

 汐里と香那が、妙な納得をしていた頃。昭子は――。

「でも、おばあちゃんから、香那に何だったんだろう」

 納得できていないようで首をひねっていた。

「香那さんが小さな頃にお店に良く来てくれていたから、そのときに何かお礼を言いたくなるようなことが、あったのかもね」

 昭子の母親はにこやかにフォローする。

「でも、それでわざわざ手紙を残したりするかな?」

「それは、ちょっとあるかも」

「ふふふ。おばあちゃんは梅太郎のこと大好きだったでしょう。きっと、梅太郎のことを大切にしてくれる香那さんのことも大好きだったのよ」

 昭子と汐里の疑問も最もだが、昭子の母親は笑みを絶やさない。

「そんなこと……」

 その言葉に香那は少し気恥ずかしくなってしまう。

 同時に、意外な言葉が聞こえてきた。

「孫としては、少し複雑な気分ね」

「おや、昭子が焼き餅をストレートに表現するなんて珍しいねぇ」

 汐里の悪い笑顔が向けられる。

「あら、ホントだわ」

 それに、母親まで乗っかる。

 自分の失言に気づいた昭子は耳まで赤くしてうなる。実際は失言でも何でもないのだが、目の前の笑顔が魔性のように感じてしまう。

「昭子ちゃんのおばあちゃんは、孫をそんな複雑な気分にさせないために、リボンを二本用意してくれていたみたいだよ」

 そう言って、香那が紙袋に入っていたリボンの一本を差し出す。

 昭子は出しかけた手を引いてしまった。リボンを受け取ると当然、身につけなければならない。やはり、そのことに抵抗があるのだ。

「おばあちゃんから、香那ちゃんへのプレゼントでしょ。二本一組で使わないと」

 昭子は苦し紛れで受け取りへの辞意を表明する。

 しかし、香那は何も気にしていない。

「どうだろう。私ってずっとポニテで二つに結んでいたことってないし」

「でも……」

「私とおそろいでもダメかな?」

 香那が少し寂しそうに問い掛ける。

「ダメってわけじゃ……」

 本当はリボンをつけるのは嫌ではない。大好きだった祖母とおそろいでもあるのだ。自室では恥ずかしさから拒否してしまい、素直になれないでいた。

 その様子を見かねた汐里が口を挟む。

「ちょっとお二人さんけるんですけどー。でも、昭子が拒否るなら、私が」

「妬けるって、どこがなの」

 汐里は、テーブルについていた肘を上げ、手を香那の手元へと伸ばそうとする。だが、その手はとてもゆっくりで、誰かを待っているようだった。

 汐里なりの気遣いに昭子は、つまらない意地を捨てた。

「じゃあ……」

 それでも、やはり少し気恥ずかしくて少しうつむいている。しかし、受け取ってくれたことに香那はうれしそうにうなずいた。

「母さんが結んであげましょう」

 昭子の母親はするっと手の中のリボンを取ると、昭子の右側に立って髪にふれる。一房だけ分けるとどこから出したのかヘアゴムを出すと結び、その上からリボンを巻き付けた。

「あら、大人しいのね。昭子」

「黙ってて」

 キツく言葉を返すものの、全く感情は隠せていない表情だった。

 祖母の残してくれたものを身につけられる。それも大切な友人とのおそろいだ。

「ありがとう……」

 小さくつぶやいた。

 リボンを巻いてくれた母親に対してなのか、リボンをもらえるきっかけを作ってくれた香那に対してなのか。

「昭子ちゃん、似合ってる~」

「うんうん。華やいで良いね」

 汐里は満面に笑みで親指を立てている。

 気がついたら香那もリボンを結んでいた。左側に垂らしていた一房に巻き付けた感じだ。

「そうだ。写真を撮ろうよ!」

「え」

 昭子が、顔をしかめる。

「そうしましょう。私が撮るわね」

 汐里の提案に昭子の母親も乗り気で、昭子をすぐに立たせた。

 両脇に、香那と汐里が取り押さえるようにくっついた。

 そして、――。

「はい、チーズ」

 室内にシャッター音と笑顔が広がる。

 

 了


この作品に興味を持っていただいてありがとうございます。

そして、お疲れ様です。

少しでも楽しんでいただければと思います。


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