Очи чёрные 3
酒場の男の言う通り、彼の名前を出すと、宿はすぐにとれた。亭主に言って、彼女に水を飲まさせた。案内してくれた男に礼と別れの言葉を告げ、スバルは、ハクアを連れ部屋に入る。窓は一つ。一人用の簡素なベッドと同じく一人用の机が、狭すぎない部屋に詰まっていた。そのベッドに白い少女を座らせる。
「大丈夫?」
「うん。よくなってきたみたい」
そう言う彼女の肩は、まだ小さく上下していた。
「また、いつもの?」
ハクアにはときどき、こうした発作が起こることがあった。先生は彼女に、ストレスからくるものだと言っていた。荒い呼吸の中、彼女は首肯する。
そうか、とだけ応えて、持参していたトランクケースを開けた。だがスバルは、これの中身を知っていた。小瓶とも言えないような、小さな小さなそれの中で、透明な液体が揺れていた。その小瓶の中身を、亭主に貰った水の中に溶かして、濃度をさらに下げた。だがこれでも、少年の懸念を拭い去ることはできない。
「ほら」
それだけ言って、容器を手渡す。思慮と衝動の入り混じったような仕草で、彼女はコップをひったくった。そのまま口元に運んで傾ける。水がこぼれた。一息で飲み干す。
「大丈夫?」
彼女はふぅと息をついた。
「大丈夫だと思う。多分」
良かったという言葉が口をついて出た。本当にそうなのかは、わからなかった。
「さっきさ、怖かったんだ」
一拍置いて、彼女はそう言った。
「わからないけど、それを思い出したら、私じゃなくなっちゃう気がして」
思い出す。その言葉が意味するのは、彼女の閉じられた記憶。彼女が無意識に忌避しているもの。
「ハクアと会う、前のことか」
「そう、だと思う。そういえば、ちょうど一年前くらい?」
初めは、それが何を意味しているのかわからなかった。
「私たちが会ってから」
一拍遅れて納得した。
「そっか。もう一年か」
そう思うと感慨深いような、他愛もなかったような。しかし、一つ大きな変化を思い出す。
「ハクア、よく笑うようになったよな」
「そう?」
「そうだよ。昔はもっとこう…無表情だった」
「なんかそれひどくない?」
ごめんごめんと言って笑った。するとハクアは腕を組む。
「あー思い出しちゃうなースバルさんと初めて会ったときのこと思い出しちゃうなー」
その勝ち誇った笑みから、ハクアが何を言いたいのか理解した。理解してしまった。自分でも、顔が紅潮したのを感じる。
「ほんと初対面の人にあんなことするなんて考えられないよねー」
とても、お楽しみになっていた。
「あのときは…ごめん。いやほんとごめんなさい」
そして、彼女は笑った。本当に楽しそうに見えた。
「なんてね、ごめんごめん。でもさ、いつもスバルさんにやられてること、わかっておいてほしいなーって思うんですよねー」
「はい。すいません」
「うん、よろしい」
なんとも満足気な表情だった。可愛らしいその表情が、どうしても思い出させる。
「にしてもさ」
「ん?」
「私って、そんなに似てるの? スバルの妹さんに」
それは、少年の記憶の中に、目の前の少女の雰囲気に。そして、先ほどの少女の黒い瞳に浮かんだ存在だった。