Очи чёрные 6
甘い匂いがした。とても甘ったるい匂いだ。私はこのとき何を考えていたのだろうか。その答えは、この水面に映ったわたしが知っている。
暗い部屋だった。光は松明一つほどで他に人は見当たらない。こんなところに一人でいることに、わたしは耐えられない。わたしは帰りたいと思った。どこに。自己完結。わたしは一人だ。暗い部屋で一人。きっと前も、そうだったのだ。
「ねぇ」
それは反響した。松明の火が、赤く瞬いた。
「あなたは?」
鈴のような可愛らしい声が、わたしに話しかけている。
「え、えと…わ、わたしは…」
わたしは、誰だ。わたしは、何だ。
「名前、教えて?」
わたしの、名前。覚えている。忘れるはずがない。誰かが呼んでくれた、その名前。
「わたしは…」
ごめんなさい。私の、名前も知らない友達。
「わたしの名前は…ハクア」
ごめんなさい。
「ハクア…?」
ふと見ると、彼女は涙を流していた。ただ、返事はない。眠っているようだった。彼女の頭に右手を重ねる。そして髪を撫でた。やはり、投影してしまう。どうやっても、忘れることなどできなかった。
「どこに行けば、会えるのかな…」
ハクアの顔を見て、そう呟いた。差し込む夕陽を見上げる。せめて、同じ陽の光を浴びていてほしい。今の私には、そう願うことしかできなかった。
ふと、ノックの後に声が響いた。
「入ってもいいかな」
先ほどの、酒場の男のものだった。ハクアの髪から手を離す。
「どうぞ」
扉が開いた。木の軋む音がした。
「どうかな、彼女の様子は」
「良くなりました。このまま安静にしておけば問題ないかと」
「そうか。…そりゃよかった」
後手に男は扉を閉め、なにか思いつめたような顔をして言った。
「君たちの旅に、ヴェーラを同行させてやってはくれないかな」
それはつまり、ローゼンクロイツの公務に、ということだ。多くの可能性がある。そう簡単に許可されることではない。ただ。
「どういうことでしょう」
やりようはいくらでもあった。彼次第では、連れて行くこともできるだろう。
「ええと、どう話せばいいかな」
男は、一拍置いてから話し始める。
「彼女が記憶を失っている、という話は、もうしましたね。彼女は、自身の記憶を探し続けている。私に会う、ずっと前からのようです。…でも」
逆説を、一層強調した。
「やっと、彼女の記憶に辿り着ける人が現れてくれた。ハクアさん、あなたにも、辛いことを思い出させてしまうかもしれない。辛いものを、見せてしまうかもしれない。それでも、お願いします」
彼女の方を見る。いつから聞いていたのか、ベッドに座り口を開く。息を吸う音が、脳裏に残った。
「私の方こそ、お願いします」
覚悟の込もった言葉を紡ぎ出す。
「いろいろ考えました。でも私、知らなくちゃいけないから。何があったのか。彼女は誰なのか」
話は決まったようだった。
「私は、ヴェーラにこのことを伝えてきます」
そして男は、扉に手をかける。
「ありがとう、ございます」
そう言って部屋を去る男の姿が、やけに印象深かった。
二人きりになった部屋で、彼女は言う。
「私、頑張るから」
「ああ。応援してる」
私はこの時、何かに怯えた。




