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茶髪の少女ことロアは冒険者学校での同期だ。冒険者学校生は卒業後、軍隊や開拓者など危険を伴う仕事につくことが義務付けられているため、女性の比率は相当に少ない。
一方で在籍中には手厚い支援があるので、食い扶持に困ってやむにまれず入るという人も多く、出会った当初はロアもそういう事情を抱えているのかと思っていた。が、実際には憧れゆえらしい。
「…さむっ。どこで待ってるんだっけ?」
ふと吹き抜けた風に体をぶるっと震わせて、俺は隣を歩くロアに声を掛けた。
「寒いから手を握りつぶして欲しいって?」
「それはなんかおかしいから」
ジスルート大陸は俺の故郷から北進、王都から更に北の海を渡った先にあり、年中温暖な地域で育った俺にはかなり堪える寒さだ。
とはいえ慣れるしかないのだが。
「ああ、あれよ。待ち合わせのサンテン堂」
とロアが前方の建物に掛かる看板を指差して言う。フォークとナイフが交差した絵柄の下に、サンテン堂と刻まれている。足早に俺達はサンテン堂の中へと入った。
応対しようとした給仕の娘にこたえるよりはやく、角のテーブル席に座る少年とその対面に座る少女が声を飛ばす。
「おう、ロア、ここだ。遅かったな」
「カレット君勝手にどこか行っちゃあ困るよー」
俺とロアは、とりあえず、と給仕に温かい飲み物の注文を伝えて彼らのいるテーブルについた。
どちらもロアと同じく同期生で、金髪でたれ目の少女がレーレ、少年というには無精髭がいささか邪魔してる男がディグだ。
冒険者校では特にこの四人で班を組んで行動することが多く、卒業後四人ともそのまま冒険者業に臨むということで引き続きパーティを組んでいるのだ。
「悪い、船酔いを覚ましてたんだ」
「船に乗ってる間そんな体調悪そうには見えなかったけど……もう大丈夫なのー?」
「乗ってる最中はあまり気にならなかったんだけど、降りてからちょっと色々考えてたら急に気持ち悪くなってきてな……もう平気だ」
気遣わしげにこちらを見るレーレに答える。
「まだ油物は控えたほうがいいか?」
とディグはテーブルに置かれた皿の鶏の軟骨や野菜を揚げたものをフォークで豪快に突き刺しつつ言う。
「それが賢明ね」
ナフキンで手を拭い、ロアもそう言って皿に手を伸ばす。
俺は苦笑して、
「一応やめとくよ。初日っから吐きたくは無いしね」
少しして注文した飲み物が届くと、誰とはなしにロアに視線が集まる。
「……何?死亡フラグを立てて欲しいというフリ?」
「音頭を取るならロアしかいないでしょー?」
一同の気持ちを代弁したレーレの言葉にうんうんと頷く俺とディグをみて、ロアは溜息をつくと、カップを手にとり口を開いた。
「それじゃ……私達の新たな門出と、友情を祝して」
乾杯、と木製のカップ同士を打ち付けた音は、決して静かではない店内でやけに響いて聞こえた気がした。
「なんて丸きりフラグなモノローグさえしていなければこんな事にはならなかったんじゃないか……」
日中でさえ薄暗いほど鬱蒼と茂った森の中を、俺は一人で歩いていた。
端的に言って俺は迷子だった。
「疲れた……」
悪路を歩く訓練は受けていたが、しかし疲れで足が重くなるほどに足場の悪さもまた厄介なものとなってゆく。
加えてこの半日の間に何度も襲撃を受けている、たてがみが特徴的な魔物への警戒が疲労を増大させる。疲れで更に足をとられる回数が増える、悪循環。
――何の意味もなくても、口にしなきゃやってられない事もあるものだ、と俺は先程から繰り返している言葉をまたつぶやいた。
すなわち、疲れた、と。
俺達は測量の任務を帯びて、早朝からこの地域へとやってきていた。冒険者ギルドを通した国からの正式な仕事であり、
先達が既に何度も踏破し強力な魔物も確認されていない山林で、初仕事としてなんら問題なく達成できるはずの任務だったが、はず、とは得てして裏切られるもので。
測量の資格を持つロアとディグ、俺とレーレがそれを護衛する形で、しかし俺達の出番はなく指示された範囲の測量を終え、帰還しようと言うところでロアが短く言葉を発した。
「――警戒!」
何度も訓練して体に染み込ませただけはある。ロアの号令に俺達は考えるより前にすぐさま陣形をとり、周囲を警戒する。
ロアの鋭い視線の先を追って目を向けると、木の陰から一体の魔獣がのそりと体を現した。
乱れ逆立つ銀色がかったたてがみをもつ、成人の倍はあろうかという体躯の四肢の獣だ。
「……あんな奴いたっけー?」
いつもの間延びした口調で、しかし今は確かな緊張を滲ませてレーレが言う。
「覚えがないな……」
俺も同意して、刺激しないようにそろそろと左手を腰帯に伸ばす。
「未確認……ね。ついてない。思えば今朝の朝食にナスが入ってたのがフリだったのかな……」
「どうするよ、ロア?」
相変わらずの呟きを漏らすロアに、ディグが手を短剣に掛けたまま問う。
「撤退。私が先頭で最短を行くから、カレットが最後尾。いい?」
こちらを見つめる三人に俺ははっきりと頷いてみせる。
最後尾が危険なのは間違いないが、俺の魔法が撤退戦で最後尾を務めるに一番向いているのだから了承するに是非もない。
「じゃあ、行きましょう。いざとなったらカレットの事は切り捨てるから」
真面目な顔で言って、ロアは魔獣に背を向けて駆け出した。後に続くディグ、そしてレーレが、
「今のは絶対死んじゃダメってフリだと思うよー」
なんて言い残したので、俺は苦笑しかけ、それから、姿勢を低くし今にも飛びかかってきそうな魔獣に表情を引き締める。
「――こんなところで死にやしないって」
帯から取り出した紙筒を広げ、それを地面に落とす。
「解放、01。指定、04。発動、03」
魔力の伴流に反応してか勢い良く飛び出してきた魔獣に目もくれず、俺は振り返って駆け出した。
一拍の後、背後から轟音。吹き付ける風に背中を押され転びそうになりながらも加速する。
風を発生させる殺傷能力はない妨害用の魔法。今ので怯んで逃げてくれればいいが――。
という希望的観測は、しかし一瞬で打ち砕かれる。
先の魔法発動時の轟音より更に大音量の獣の咆哮が森に響いた。前を走っていたディグがその声に振り返り、そして俺の背後をみて目を見開く。
俺もつられて足は止めぬまま後ろに首を向けて、すぐ間近まで迫っていた魔獣の鉤爪、そして俺の顔のすぐ側を横切って、その肩にディグが投擲したのだろう短剣が突き立ち、あわや切り裂かれるところを助けられた事を知った。
「助かった!」
先をゆくディグに一声かけて、俺はこの足場の悪い中でちらちら後ろを見やりながら走るという行為に不安を覚えつつも、魔獣の様子をうかがう。
魔獣は憎々しげにこちらを睨みつけるとそのまま速度を落とし、木々の合間に生まれた陰の中に姿を隠した。
「陰……影?」
否、いくら木々に覆われてるとはいっても、まだまだ日も高いこの時間。明らかに自然に生まれた闇ではなかった。
「魔法か……厄介な」
対策を練りつつ、その情報を伝えようと前を向いたところで、俺は進行方向に広がる闇に気づく。
あの魔獣が仕掛けたものに違いなかった。俺は急停止しようとし、そして――つんのめった。
足元への注意がおろそかで、たくましく伸びたツルに気づかなかったのだ。
俺は刹那の時間、浮遊し、手招きされているかのように闇のなかへと飛び込んでいった。
空中に投げ出され、そのまま地面に落下し、体をしたたか打ち付ける。
俺は白黒しつつも素早く転がり立ち上がった。すぐさま俺が通ってきたらしい闇に目を向けるも、徐々に小さくなってゆき消滅した。
あたりの様子を見れば林相が異なり、先ほどまでとは全く別の場所に飛ばされたようだった。
事前にジスルート大陸の判明している地理情報は学んでいるのだが、ここがどのあたりかは見当もつかない。
「ひとまず、ロア達は安全か……」
未確認種がそうそう居るはずもないし、あのあたりに現れうると分かっている魔物相手ならば三人でも余裕だろう。
問題の未確認種は、そう、ここで俺を睨めつけ、牙を剥いているのだから。
それから数時間に渡って、接敵と逃走を繰り返している。
魔物とは、元は人の手で生み出されたのだという。ゆえか時に生物としては不条理にも思える行動をみせる。
ともすれば自分の命を奪いかねない相手を、手負いの状態で半日も追い回す、とか。
――いつまでも逃げていてもらちがあかない。
未確認種から逃げまわってる間に見かけた他の魔物の種類から、ここがどのあたりであるかの見当はついている。
高いところを探して方向を確認するか、狼煙を上げて救援を待つか。
いずれにせよ、あの獣が邪魔だ。
俺は、視界の隅にあのたてがみがちらとでも映らないかと、後ろを気にしながら進めていた足を止めた。
魔物を倒すというのは、思う以上に難しいことだとされている。
実戦に慣れない初心者は、魔物に遭遇した場合は相手を撹乱し、追い払い、撤退するのが基本であり、
魔物の掃討戦も未踏破地の調査も熟練者のやることだ。
なりたて若葉冒険者であるところの俺も勿論それにならって、今回持ってきている書述式はほとんどが目眩ましや設置型トラップ等の、直接攻撃には向かないものだ。
まして相手は未確認種。本来ならまず、攻撃が通用するかを疑うところから始めなければならない。
しかし。
「ディグさまさまだな……後でもう一度礼言っとこう」
ディグの投げた短剣がやすやすと突き刺さった事から、魔獣の外皮はそう硬く無いのではないかと思われた。
幾度もの接敵の間に判明したこともある。
「対策をたてれないでもない……」
ごく弱気な事を呟きつつ、俺は周辺に罠を設置していった。手早く済ませなければならない。
「始動、09。指定、04。発動、01」
詠唱を終えたところで木陰から魔獣が姿をみせた。戦闘の合間にいつのまにか短剣は抜け落ちてどこかへ行ってしまったが、
肩からは血が流れ出ているし、全身にすり傷を負っている。既に相手も万全な状態という訳ではないのだ。もっとも、すり傷はお互い様だが。
血走った目で一段と殺意のこもった視線を頂く。俺が目をそらすと、魔獣は低い唸り声と共に後ろ足を蹴り、飛び出した。
直後に魔獣の背後で爆発が起き、生じた風が魔獣を追いすがり加速させる。
俺は呼吸さえ止めて待ち構え、今一瞬の後に交差せんという、その瞬間。
「……え?」
足元が崩れた。崩落する足場に自由落下する俺の頭の上を、魔獣が飛び越してゆく。
無理やり体を捻って魔獣を見れば、俺の背後に隠れていた鋭く突き出る樹の幹に体の半身をぶつけるところであった。
すぐに、そこに仕掛けられた書述陣が発動し、再度の爆発。魔獣の体を深くえぐりとる。
そう、それは良い。結果的には作戦通りだ。想定外だったのは――。
俺は下を見やった。ぽっかりと空いた、底の見えぬ真っ暗闇。
「うおおおぉぉ!!」
崖から落下中の人間は高確率で叫ぶ傾向があるらしい。
そんな統計が存在するかは知らないが、俺の腹の底からの叫びは空洞に響いて消えていった。