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 どうしたものか、と、私はそう思った。

 目の前には、ごく間近にまで迫った、光沢のない紺藍色の髪目をした冴えない感じの少年の顔。

 まだ理解が追い付いてないのか、目をぱちくりさせて私を見つめている。

 私は今、その少年に押し倒されるように馬乗りにされていた。

 片手は私の腹のあたりに――そこに重心をかけかているのか結構痛い。

 もう片手は私の片方の胸の上に――私の性格と同じく、慎ましく淑やかな胸を手のひらで押し込んでいる。へこみそうだった。

 ともかく、非常に屈辱的な体勢であったが、私は今すぐに彼を押し退けるか迷っていた。そんな取り乱したような振る舞いは、英雄にもとる行為ではないか――


「たるんでいるな!」


 声のほうに目を向ければ、そこにはこの状況を作り出した張本人が立っている。

 今年から冒険者学校へ入ることとなった若者達の誰よりも小柄で幼い容貌で、しかし彼女は教官であることを示すバッジを胸元に着けている。


「仮にも冒険者などなろうというのなら、あの程度かわして然れ!」


 小さな教官の高飛車な台詞は、目の前の少年に対してか、私に対してか。

 とりあえず答えておく。


「私がかわしていたら、彼は怪我をしたかもしれません」


 教官は目を光らせた。小動物のような見た目のくせに、その目付きは大型肉食獣のそれだった。


「ほほう!身をていしてかばったというわけか。だが、その結果、君たちはふたりとも一時的に行動を取れない体勢に陥った。については?」


「状況判断の結果です」


「なるほど、なるほど。面白い!それもいいだろう。よく見たら君は入試トップの子じゃないか。面白い!」


 なんだか楽しそうだった。私は面白くない。教官は視線をずらして、


「一番情けないのはまず避けられなかった君だがな!」


 私のうえでいまだ呆けてる少年に向けて言った。もしかすると脳がいい具合に揺れてるのかもしれない。

 仕方ない、と思う。

 彼女は教室に入ってくるなり、動きにくそうな腰辺りまでの、原色のようなまぶしい赤髪を振り乱して躊躇ない動きでこの男を張り飛ばした。

 いや、手加減されている素振りではあったが、私でさえ見きるのがやっとだったそれを、このみるからにぼさっとした男が避けられるわけがない。

 ふと視線を感じた気がして目を向けると、こちらを見つめていたらしい少女と一瞬だけ目が合い、そらされる。

 彼女はたしか、もともとこの少年の隣に立っていたように思う。

 褐色の肌に、晴れの日に雲が太陽を隠したような、そんなやわらかい空色の髪。

 綺麗なコントラストで好ましく感じていたのだか、彼女の、今の視線は。

 教室内の注目の的であるこちらを見ていたことは別におかしくはない。彼女は、無表情なようでいて、とても暗い目をしていたような気がした。

 私の困惑をよそに、教官が遅い自己紹介をする。


「私がこれから二年間君たちの担当を務める!基本的には個々の分野の担当者から授業を受けることになるわけだが、

君たちの担任はあくまで私だ。何かやらかせば私の責任となるので、その際には相応の覚悟をもっておくように」


 まるでそそのかしているかのような言葉だ。教官ははつらつした声で、


「それから、私のことは教官と呼ぶように。名前で呼んだり、消し炭になりたくなければ間違っても――」


「――赤鬼」


「――などとは、」


 誰かの呟きが聞こえて、直後教官の姿がぶれるように消えた。

 否、実際には動きを目で追うことは出来ていたが、そう錯覚させられるほどだった。その場で爆発でも起きたかのような音と共に教官は埒外の速さで移動した。

 人垣が割れて、私は床に寝転がったままそちらを見やる。

 教官の握られた拳は壁際ぎりぎりで静止していて、そこから一歩離れた位置には薄い笑みを浮かべた男が立っている。

 まだ若い男だ。

 オレ軽薄してますよ、という感じに着崩された、あれは職員の制服か、黒髪には銀が混ざり、瞳も輝く銀色。

 男が言った。


「教官、やりすぎですよ。いくらちっこいのを舐められないようにって――」


 いつ振り抜いたかも定かでないほどに、一瞬で教官の腕は男のいた場所へ振るわれていたが、既に男は移動していた。

 その男の動きは、今度ばかりは本当に、体を動かした瞬間が全くわからなかった。

 教官の背面に立った男はにこやかな顔で、


「みんなすっかり怯えてますよ」


 教官は舌打ちして振り返った。


「どうしてここにいる、シルバ」


「今年度からここで働くことになったんですよ。またご指導お願いしますよ、教官あらため先輩」


「……お前を採用するなんて、ギルドの人事は揃って流行り病にでもかかったか?」


 やだなあ、とシルバと呼ばれた男はいっそう笑みを深めた。


「ひとえに、教官と一緒にいるために手を回したんですよ」


「……私をからかうのはそんなに楽しいか?」


「ええ、とても。とても愛らしいですよ。教官がオレとデートしてくれたらなお楽しいんですけどね」


「……はあ。もういい。お前に構っていると教室を壊しそうだ」


 教官は額をもみほぐすように手をあて、大きく息を吐いた。


「後で話に付き合ってやるから、今は出ていけ。ほら、しっしっ」


 そう言って手を振るう仕草をされたシルバは、ついには声まで震わせて喜びを表現し、


「本当ですね?!やっぱり無し、は、なしですよ!」


 そして足を弾ませて教室を出て行った。


 冒険者学校の教官と職員はかくも異次元なものか、と私がひそかに感嘆の息をついていると、「あー」と、なんとも間の抜けた声が聞こえた。

 見やれば、ようやく気を取り戻したのか、いまだ私に乗り掛かったままの少年が、実に気まずそうな表情でみてくる。


「なんといったらいいか……」


「とりあえず、もう一度吹っ飛ばされてどかされたいってフリじゃなければ、退いてほしいかな」


 私が言うと、少年は慌てて退こうとし、今さら私の胸に触れていたことに気づいたのか顔を赤くしたり青くしたりしながら離れた。

 差し出された手を無視して立ち上がり、私は服のほこりを払った。


「すまない、ごめん」


「……いいよ、不可抗力だったと思うし」


 とはいえ、あまり今後関わりたくもない。私はそうそうにその少年から離れようとしたが、


「悪かった。俺はカレットだ」


 名乗られ、無視するわけにもいかず、私は仕方なく口を開いた。


「私は……ロア」


 それが出会いだった。





 再び静かに降り始めた雨が、軒をつたい雨だれを立てる音に、ただ耳を傾けていた。

 時計の針のように定間隔なそれは、自然と今朝のことを想起させる。

 シャルレーニの『停止』は、あれはまるで――

 ぼんやりと、そんなことを思う。

 女神さまとシャルレーニが悶着を起こし、シャルレーニが立ち去ったあと、俺と女神さまはしばらく動けずにいたが、

 やがて女神さまは俺に近づいてきて、おずおずと俺の手を引いた。

 それからずっとお互い、言葉少なに、女神さまは腫らした目を俺と合わせようとせず、俺も言葉を見つけられず。

 夜の帳がおり、今晩ばかりは女神さまは俺のもとに来なかった。

 きっと、考えることがあるのだろう。

 俺もまた、考えなければならなかった。

 女神さまをもっとも傷つけるかたちとなった、自身の振る舞いについて。


――ふと、瞬きして。

 俺は雨に打たれていた。

 肌に張り付くようなしとりと冷たい雨に、思わず体を震わせると、服の表面の泥や水滴がまわりに飛び散って、すぐ雨の影に混ざり消える。

 いつのまにか泥だらけだった。それも雨に流されてゆく。


「さっさと離れるわよ」


 声に振り向くと、水滴を弾いてるらしき外套に頭まですっぽり身を包んだシャルレーニが、疲れた表情で立っていた。


「ま、待ってくれ。ここどこだよ?どうなって……」


 直前まで、ひと月毎夜を過ごしてきたサツネ村の民家の一室で一人思いに暮れていたはずだった。


「移動してから話すわ。……それとも、女神サマのところに戻りたい?」


「っそれは……」


 さっさと踵を返して歩き出すシャルレーニに、俺はついて行くほか無かった。




「女神サマに気づかれる前に出来るだけ離れたいけれど……風邪でも引かれたら困るわね」


 少し歩いたところで、シャルレーニは俺を振り返った。


「カレット、あなた、魔法制御は得意?」


「……得意なほうではあると思う」


 寒さに唇を震わせながら答えると、シャルレーニは外套を脱いで俺に渡した。


「これ着て、魔力を流してご覧なさい」


 かじかんだ手で受け取る。外套はだいぶ余裕を持たせて作られており、丈は足りないものの、俺でもなんとか袖を通すことが出来た。

 内側に魔力の受け口があるように感じられ、そこに魔力を流してみると、確かに込められている手応えが返ってくる。

 そのまま流しこむこと数秒、


「温かい……?」


 外套が熱を持ち始め、冷えきった体を温めていく。


「一回で成功させるなんて器用ね……魔力を流してる間だけ温度調整機能が働くから、そのまま使ってなさい」


「俺が使ってたらシャルレーニは……」


 と言いつつ見れば、シャルレーニは外套を纏っていた時と同様に雨粒があたっている様子はない。


「私は『止め』られるから。そもそもその外套、私は扱えないしただの防寒用よ」


 あっさりと言って、シャルレーニは再び歩き出す。

 俺はありがたく外套をフードまで被って、そのあとに続いた。

 体が温まったことである程度余裕ができ、ふと見ればここは林のなかのようであった。

 俺は歩調をはやめ、シャルレーニの隣に並んで話しかけた。


「どこに向かってるんだ?」


「夜営の準備をしてあるのよ」


「……どうして、戻って来たんだ?」


「話はついてからって言ったでしょ」


 シャルレーニが鬱陶しそうに、こちらを見もせずに答える。


「歩きながら話すなんて疲れるだけよ。利口じゃないわ。……まあ、利口じゃないからこんなことしてるんだけど」




 夜営地なる場所につくと、そこは樹林が開けた場所で、赤い布に黒線で魔法陣が描かれたようなものが敷かれていた。

 もっとも、夜闇のなかでほとんど見えない。シャルレーニはその上に躊躇無く足を踏み入れ、


「はやくはいりなさいよ」


 そう俺を促した。未知の魔法陣に乗るのがどうとか言っていられる状況でもなく、俺は足を進めた。

 踏み入った瞬間、急に雨音が弱まった。同時、水は外套が弾いているものの、打たれている感触はあったそれが消失する。


「簡易結界よ。天幕以外の用途で使うには耐久性足りないけどね」


 二人で入っても余裕のある面積で、シャルレーニは腰を下ろした。

 俺もそれにならって、向い合って座る。


「すごいな……」


 俺の知るものにも似たような用途を持つ書述陣があるが、あれは結界の維持に常時魔力を吸い取られるので、術者はとても休めたものではない。

 シャルレーニはどうということも無さそうにしており、何気なく魔力の流れに注目してみて、俺は驚愕した。


「大気魔力を使ってるのか?!」


「大声出さないで頂戴。そうよ」


 シャルレーニが事も無げに頷く。大気魔力をエネルギーに変換出来ればエネルギー問題の八割は解決する、と、それは人類たっての悲願である、はずだった。


「……これは、『向こう側』の物なのか?」


「ええ。量産品よ。と言ってもこれは軍用だけれど」


 ふと考えてみれば、『向こう側』の人々はシロイ山脈の『瘴気』の正体を突き止め対症法を開発し、失敗に終わったとしてもシロイ山脈の上を越えようとするだけの高空飛行技術を持ち、大気魔力をエネルギー変換する術さえも持ち合わせているという。


「……すごい発展してるんだな、そっちは」


 当然、軍事技術もあるだろう。シャルレーニが先に警告したところで、敵わないのではないか、とそんな考えが浮かぶ。


「そうかしら?そんな便利なものばかりでもないわよ」


 こちらの現状をさしあたり俺に聞いただけのシャルレーニは、ぞんざいに否定した。


「この天幕も、変換できる大気魔力の種類にかなり制約があるから、それこそ夜中に風で大気魔力が流されて維持できなくなって、突然大雨が降りこんでくる、なんてこともあるらしいわよ」


「……え、大丈夫なのか?」


 不安になって上を見ると、針のように降る雨が円錐状の結界の外側にあたって、つたい流れてゆく。


「止めてるから大丈夫よ。とりあえず、私が起きてるあいだはね」


「止めてる、か……」


 俺が思わず繰り返すと、シャルレーニは目を細めた。


「カレット、あなたの魔力もあの場所に『止めて』きたけれど、そろそろ女神サマも気づいてる頃でしょうね」


「……なんで、戻って来たんだ?」


 俺はあらためて問うた。シャルレーニはザックに手をかけながら、


「別に、あなたに連れてってくれと言われて、引き受けたから果たそうとしただけよ。今からでも女神サマのところに戻りたいなら、ご自由に」


 真っ黒の炭のような石、小ぶりの鍋などを手際よく取り出して並べてゆく。


「あなたが昨晩と同じ家にいるか、女神サマと一緒にいないかどうかは賭けだったけれどね」


 あらかじめ集めてあったのか小石を並べ、その中心に黒石を置き、マッチで火をつけると黒石が燃え上がった。

 鍋を結界の外につき出して雨水を溜め汲み、それを火にかける。

 およそ、魔法陣の描かれたうえでやる作業ではないが、『止めて』るから大丈夫なのだろうか。


「女神サマに気づかれないように、あなたの魔力とか、吐き出した息とかが残留するあの場所の空気を、あなたごと止めて、それから引きずって村を離れた。

あなたの荷物まで持ってくる余裕は無かったわ」


 女神さまは、はじめに俺が転移で飛ばされた時にすぐ姿を現したように、自分の領域内で起きた変化はすぐに察知出来るらしく、


「そのことは知ってたから、一度退いてみせたのよ。女神サマ、実直だしお人好しだし、一度諦めたとみれば、気を抜くだろうと思ったわ」


 何度も言うけど、と、シャルレーニは、目の前の計算高い黒髪の少女は、俺を見据えて言った。


「戻りたいなら好きにしたらいいわ。一応書き置きはおいてきたから、私がカレットを連れだしたってことは女神サマもわかってるはずよ」


 俺はそれに、はっきりと応えた。


「いや、一緒に行くよ。連れて行ってくれ」


 もとより、自分がどうしたいか、どうするつもりかなどずっと前に決まっているのだ。

 俺の言葉を聞くと、シャルレーニはわずかに表情を緩めたようだった。


「そう?……なら、責任もって送り届けるから安心して頂戴」


 そう言って、新たに取り出した黒色の固形物を沸騰した熱湯のなかに放り込む。

 怪しい黒紫に染まっていく鍋のなかを見つめながら、俺は思った。

――後悔する、別れのかたちとなった。

 また失敗したのだ、と。

タイトル詐欺!

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