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マズい……。
「――どうですか?」
俺は掛けられた声を無視して咀嚼を続ける。ほろほろに煮込まれたイモが、肉が、口の中でほどけてゆく。
しょっぱいような、それでいて甘い。この地に来てからは初めて食べる味わいばかりだが、これはまた一段と――
「あ、あの……お口に合いませんか?」
「マズい……」
こぼした言葉に、隣にぴったりとくっつくように座り俺の様子を窺っていた少女が泣きそうに顔を歪ませた。
その表情にたまらなく罪悪感を刺激されて、俺は慌てて言葉を続けた。
「あ、いや、料理は美味いよ。ほんとに。マズいってのはそっちの事じゃなくて……」
――胃袋を掴まれてしまいそうでマズい。
俺は、不思議そうな顔を向けてくる少女から視線を逸らして弱り切った溜息を一つ、冷める前にとお椀に残った肉を掻っ込んだ。
波打ち際に潮風。鳴き歌う鳥の声はどこまで届いているか。
泡立つ水面は夕陽をきらきら撥ね返して、はじけているようにさえ。
人によっては郷愁を覚えるかもしれない。
心打たれるかもしれない。
果てもなく広がるそれに恐れを抱く者もいるだろう。
では、俺はどうかというと。
人魔大戦に敗北を喫し、ジスルート大陸から人の国が消え魔物蔓延る地となったのが今より500年前。
戦いの傷跡を癒やし、いざ取り返さん、と、時の勇者のもとに大陸の一端に切り込んだのが200年前。
しかし人が踏み入らぬ間に荒廃しきっていたジスルート大陸は、ただ魔物を追い払うばかりでなく復興にも多くの人手を必要とした。
そのために魔物の掃討は進まず、200年経った今なお半分以上が魔物の領分のまま、冒険者達による開拓を待つばかりである。
――というのがこの大陸の現状だ。
俺はジスルート大陸唯一の都市、カルサノの港で地平線に半身を隠す太陽を見つめていた。
思えば遠くに来たものだ。故郷から王都の冒険者学校で二年、それから海を渡ってこの大陸へ。
俺はここで必ず名声と一攫千金、幸せを掴み歴史に名を残すのだ。
決意も新たにしていると、ふと背後から声を掛けられた。
「何、黄昏れてるの? 夕日なんか見ちゃって。あ、もしかして海に突き落としてってフリ?」
物騒な言葉とその声で誰かを察し、慌てて振り返る。こいつなら本当にやりかねない。いや、やらないだろうがとにかく油断は出来ない。
明るい茶色の短髪を夕日に染めた少女に俺は否定の言葉を返そうとして、こみ上げてきたものに口元を手で覆った。
少女は俺の背面の夕日が眩しいのか、俺の醜態に対してか目を細めた。
「船酔い? まあカレットが夕日を眺めるなんて高尚な趣味もってるはずないか」
思えば船酔いを覚ますために埠頭に出たのは失敗だった。
波の打ち返す音が絶え間なく、まだ船に乗っているかのように錯覚する。
俺は言葉を返す余裕もなく、急に振り返ったせいなのかぶり返してきた感覚にうずくまって背中を丸めた。
「背中をさすって欲しいってフリ? するわけ無いでしょ」
と言いつつも少女は近づいてきて、慎重な手つきで俺の頭の上に紙片をのせる。
「動かないで。自律神経をととのえる書陣だから船酔いにも効くはず」
さすが用意が良いと感心して、言われた通り俯いたまま動かないようにする。
「始動、01。指定、01。発動、01」
短く区切って発せられる言葉。起動し、効果を指定し、発動する。
聴き馴染んだ呪文を少女は軽やかに詠唱した。大気魔力がわずかに震えるのを感じ、そしてそれもすぐに静まる。
「少しは楽になったんじゃない」
そんな無愛敬なことを言いながら、俺の頭から紙を除けてくれる。
「ああ、ありがとう。ロア」
礼を言うと、顔をしかめて横向かれた。
「……まだ少し気分悪いんじゃない? 寒中水泳したらすっきりするかもよ? 何なら突き落としてあげましょうか?」
「遠慮するよ……」
立ち上がって深呼吸し、潮風を思い切り吸い込む。
随分と胸が楽になり、今の気分なら夕日も楽しめるかと海を見るも、いつの間にかその姿はほとんど地平線に隠れてしまっていた。