野乃花と深雪
「そこにいらっしゃるのはどなたです?」
客間に案内はされたものの、すっかり忘れられているのか、野乃花の率いる日良軍の少人数護衛隊は、完全に役目もなく暇をしていた。適当な会話がぽつぽつと飛び交っていた中で、これまで一言も言葉を発さなかった野乃花が、凛とした声でそう問い掛けを放った。
彼女が睨むその方向に、人影はなかった。駄弁り始めていたし、気配に気付くことは出来ないが、これでも日良軍では優秀な部隊だ。誰もいない様子に思えるが、野乃花がそう言ったなら、皆で武器を構えてその方向を向く。
先程までの和やかになりつつあった雰囲気など、少しだって残っていなかった。どのような目的で、どこに来ているのかということを、まさか忘れたわけではない。気を抜いているように見えても、これくらいは当然であったろう。
「悔しいくらい、すぐにバレちゃったなぁ。これでも忍びだから、忍ぶことに関しては、自信があったんだよね。残念だけど、さすがってところだね」
声が聞こえ、何もなかった場所に人影が出現し、それがどんどん形になっていく。驚きに固まってしまって、動けなくなってしまっていたところに、野乃花の声で漸くハッとして警戒し直す。
「まだどなたかわかりませんか? 武器など向けては失礼ですよ」
「はっ! 失礼致しました」
呆れたような野乃花の言葉に、一斉に敬礼をしたのだが、やはり誰なのかわかっていない様子である。結局、姿を現して、部屋に入って来たところを確認するまで、野乃花以外は誰にもわかっていなかった。
「上司にも部下にも苦労って感じだね。お疲れ」
楽しそうな軽く明るいステップで、普段以上に弾んだ声で、それも満面の笑みを浮かべて入って来たのは、長谷川深雪その人であった。どこを取っても上機嫌で楽しげであるのに、その瞳だけは冷たく冴え渡り、死神と言うに相応しい怪しさを持っていた。
獲物を狙うその瞳の鋭さは、潜むことすら出来ておらず、野乃花に簡単に見破られる程度であった。野乃花でなくとも、微かな違和感を覚えさせる程度であった。
「別に、上司には苦労していません。お宅の姫様とは違って、ノンが仕える方は、冷静な平和主義者ですのでね」




