第6話;原点 音羽の心
「ジュン先輩って砂糖いりますか?」
「ああ、頼む」
音羽は砂糖をスプーンで掬うとそれをカップに入れて紅茶と混ぜ合わせる。ジュンにそれを差し出すと、自分も椅子に座ってジュンと向き合う。
あの場で長話する訳にもいかず、取りあえず日を改めて話す事になった。放課後に自分の家に誘い、そこで話せる事を全て打ち明けようとしていたのだ。他人に聞かれる心配もないし、ここなら落ち着いて話せる。
音羽は紅茶を一口味わうと、宙を見上げながら自分の事を話し始める。
「どこから話そうかな……じゃあここに入学を決めた時辺りの事から話すね」
一年とちょっと前かな、そろそろ進学先決めないといけなくなった時期にお父さんから催促されて、どこかの魔術学園に通わないといけなくなったんだ。お腹の石の事もあるから、とにかく魔力の使い方を覚えないといけないってね。
でもその時の私は絶賛引きこもり中だったから、いまいち決めきれなくてね。
「引きこもりって……お前がか?」
「うん、事情は長くなるから省略するけど、とにかく一番の目標を達成して燃え尽きちゃったんだよね。それでやる気を無くして部屋に篭るようになっちゃった」
私はジュン先輩に笑いながらちょっと恥ずかしい秘密を打ち明けた。中一の時に目標を達成し、それ以降ずっと部屋でアニメやゲームに嵌ったりバイオリンを弾いたりして過ごすようになった。
お父さんもお母さんもそれなりに怒ったりはしていたけど、あまりきつくは言ってこなかった。ただ、さすがに命に関わることだからかお父さんは高校にだけは絶対通わせようとしてた。
私がそう話すと、ジュン先輩はまた驚いた。
私は、自分に生まれた時から魔石が埋め込まれていて衰えた時に未熟だと魔力が暴走してしまう事を打ち明けた。流石にウィクターに関係なく命に関わる事態になっていたとは思っていなかったのか、心配そうにしている。
今は気にしなくていいとジュン先輩を安心させると続きを話し出す。
絶対にどこかの魔術学園に通うか決めろと言われて、私は渋々入学案内のパンフレットを見ながらどこかいい学校はないか探して……そして見つけた。この御言園魔術学園を。
「今でも大切に切り抜いてあるよ……素敵だったなぁ、表紙の御言園先輩!」
「それが理由かい!!」
ジュン先輩はさっきまでの神妙な顔から一転して是力で私に突っ込みを入れてきた。調子が戻ってきたと嬉しく思いながらも、私は弁明をした。
何も本当に表紙に写っていた御言園先輩だけが目当てではない。学園の事を調べている内にこの世界、マジングについて色々と調べて……何故か強く惹かれた。
お母さん達にマジングについて話したら、二人とも困ったような嬉しいような、そんな複雑な笑みを浮かべた。
「マジングにあるこの家はね、私の遠いご先祖様が使っていたらしいの。それはまだ分かるんだけど……何故か、私みたいにこの世界に行こうとする子がたまに現れるみたいなの」
「時々この世界に惹かれる子供が生まれてくるって事か?」
「うん。お母さんは違ったみたいだけど、私のおじいちゃんやひいお婆ちゃんはマジングに住んでいたみたい。だから、よっぽどここには縁があるみたい」
お母さんには既に私がウィクターである事は打ち明けてある。でも思ってたより驚いていなかったから、もしかしたらこういう事が起きるって初めから分かっていたのかもしれない。
とにかく私は自分の勘を信じて、マジングへとやって来た。お父さんは私の故郷、ミューゾングで仕事を続けないといけないから残ってお母さんだけが私と一緒にこの世界にやって来た。
「でも、お母さんもすぐに他の世界でコンサートをやらないといけなくなったから、私一人で暮らさないといけなくなったの」
「それでこんな屋敷に一人で住んでたのか」
ジュン先輩は納得した様子で頷いた。前々から私が一人暮らしするにはちょっと大きな屋敷に住んでいる事を不審に思ってたから、合点がいったんだろうな。
私は入学した当日の事を話し始める。今回の話で一番大事なこと……私がウィクターになったのは、ちょうどその日だったから。
始めて校門を通って学園の敷地を見回した時、私は感動していた。さすがに入学式があるからか皆きっちりと制服を着ていて、楽しそうにしていた。
笑顔が溢れる学園で、私はその人を見つけた。ここに来るきっかけになった、美しくて素敵な人……御言園先輩に。私は先輩の手を取って微笑んだ。
「やっと見つけた、私の女神。運命も私達を祝福してますよ!」
「……ふぅ。頭は大丈夫?」
心配された。
「それは呆れられたんだと思うぞ」
ジュン先輩が溜息を吐いて、私から目を逸らしながら呟いた。私は先輩の目線を追って周囲のガラスケースに飾られている多くのバイオリンを眺めながら笑って流す。
確かに急に攻めすぎたかもしれないが、ああいう時はストレートに好意を伝えるのがいいと思ったのだ。後悔はしていないし、間違っているとは思っていない。まぁあの時のせいで警戒されて弓子さんのガードが厳しくなったんだけど。
私は先輩の話を切り上げて、本題に移る。
私は学園から帰ってくると、リビングに入って寛いでいた。引っ越してきてからずっと自室で引き篭っていたせいで私はそれまでこの部屋にバイオリンが飾られているなんて知らなかった。
今と同じで色んなバイオリンが飾られているこの部屋を私は気に入って、誘われるかの様に気づいたらバイオリンを取り出して弾いていた。それまで私にとってバイオリンはお母さんから習っている時以外は一人で静かに弾きたい時になんとなく弾くものだったんだけど、その時は無性に弾かないといけない気がしたの。
で、実際に弾き始めると、私の中に埋め込まれている魔石が何かに共鳴して震えるのを感じた。そして突然、あいつが現れたの。
「おー! シャバの空気は久々だぜ!!」
「……誰?」
私は壁を突き破って中から出てきた奇妙な生物に演奏を止めて尋ねた。ちょっと機械っぽい体だけど、どう見てもコウモリなその生き物は、私の周りを飛び回りながら色々話してくれた。
「これがレッドバット。ウィクターが着る装束の本体というか、解放を許可してくれる」
「おう宜しくなジュン。お前の事は見てたから知ってるぜ」
私が右手を上げると、そこに止まる様にしてレッドバットが降り立った。ジュン先輩は見慣れない生物が喋った事に驚き、体を後ろに下げた。改めてまじまじと見つめながら声を漏らす。
「し、喋るのか」
「うん、私の家族みたいなものだよ」
「よせよ、照れるじゃねーか」
レッドバットは照れくさくなったのか、私の手から離れてどこかへ飛び去って行ってしまった。私は紅茶を一口飲むと続きを話す。
いきなり現れたレッドバットに私は驚いたけど、更に話を聞いて驚いた。
レッドバットは私の体に魔石が埋め込まれている事を言い当てて、ウィクターに変身してスペイジョンと戦うよう求めてきた。
「嫌だ」
「即答かよ」
話を少し聞いただけで私は拒否した。普通に過ごすだけでも面倒なのに、更に戦いまでやらないといけないなんて、訳が分からな過ぎて受け入れ難かった。
そんな私を説得する為に、レッドバットは更に色々教えてくれた。
「お前みたいに魔石が埋め込まれている奴はな、ウィクターとなって戦う事で魔力のコントロールを覚えたんだ。これはお前の為でもあるんだぜ」
「でも、わざわざ戦わなくてもいいじゃん。面倒だしやりたくないよ、赤バだけでどうにかして」
「赤バって俺のことか? だっせー名前で呼ぶなよ……ん?」
呆れていたレッドバットは、突然言葉を途切れさせて黙り込んだ。同時に、私も胸を抑えて耳を澄ませていた。
その時初めて、私はスペイジョンが現れた事を察知する音を聞いたの。体の中の魔石が強く震えて、頭の中で「行け、行け」って強く命じてくる。そんな不思議な感覚。
訳が分からなくて立ち尽くしていた私に、レッドバットが外に出るよう命令する。
「外に出ろ。あいつらが……スペイジョンが現れた!」
「スペイジョン……」
私は言われるがまま外に出て、バイクで石が告げる場所に向かった。それまで面倒で動く気の無かった私だったけど、不思議と心が告げている様な感覚に逆らえず素直に行動していた。
私が着いた時には、自警団の人達とスペイジョンが戦っている真っ最中だった。馬の姿をしたスペイジョンは、人の放つ魔法弾を喰らっても少し怯むだけで殆ど効いていなかった。
レッドバットはこれを見守る私に正面から真面目な声で話し掛けて来た。
「スペイジョンは一昔前に人間に敗れて以来、滅多に出てこなくなった。そうして平和になった現代に……再び蘇った。だから俺様もお前に惹かれて目覚めたんだ」
「私が戦わないといけないの……?」
「大人に任せたいのか? 別に駄目じゃないけどな、平和ボケした現代人じゃ対抗するのに時間が掛かると思うぜ。今はあのザマだし」
私が戦場を再び見下ろすと、怪人がダッシュで自警団の人達を轢いて吹っ飛ばしていた。さっきの魔法も全然効いていなかったみたいだし、確かにまともに戦えるようになるのを待っていたらどれだけの人が犠牲になるか分からない。
頭を抱えて考え込む。私はちょっと可愛い子が多そうな学園に通いたくて、後は好きな事をして生きていきたいだけだった。
小さい頃は深く人と関わらないようにしてたし、中学生の時は引き篭ってて。美少女を好きになったのも、単にゲームとかの影響で惹かれただけ。
だから赤の他人がどうなろうと構わなかったし、自分と周囲の人が平和ならそれでいいと思っていた。
でも……私は自分でも信じられなくて、ちょっと微笑んで笑うのを堪えながらレッドバットを掴んだ。
「他人を見捨てるのって、思ってたより難しいんだね」
「そうか?」
「うん、私は戦うよ。私の心は……私の音が、そうしろって言ってるから」
レッドバットの牙が私の左手に噛み付いた。すると魔石で出来ていた牙から、魔石の部分だけが私の左手に宿って埋め込まれた。
新しく体に埋め込まれた魔石が、私の腹の中に埋め込まれていた魔石と共鳴して響き合う。
「リチュアル!」
「……変身」
レッドバットが宣言すると同時に私の体を魔力が循環する。私は魔法は全然出来なかったから知らなかったんだけど、大量の魔力が無理なく体中を駆け回る感覚に心地よさを感じた。
私は自分でも驚くくらい自然とレッドバットをベルトに装着した。すると私の服が次々と変化していき、身長や髪の色も変化してウィクターへと変身を遂げた。
そして、怪人の元へとジャンプで近づくとボロボロの自警団の人を庇うようにしてパンチを受け止めて逆に怪人を殴り飛ばした。
「な、なんだお前は!?」
自警団の人達も驚いたのか私を不審がる。その頃はウィクターの伝説なんて殆ど忘れ去られていたから、咄嗟に出てこなくてこ無理ないんだけどね。
私は怪人を倒す事に集中して、正面から向き合う。右へ歩みながら相手の動向を伺い、やがて同時に走り出す。
並行して走り続けていたが、怪人の方から攻めてきた。私は繰り出された拳をかわすと反撃に殴りつける。その拳は避けられたが、私は咄嗟に防御の姿勢をとって怪人の蹴りを受け止める。
怪人の足を押し返してバランスを崩させると長い顔を掴んで地面に転げさせる。倒れた怪人の体に蹴りを叩き込むと距離を取って走り出す。
急いで怪人は私の後ろを追い掛けて近付いてくる。やがて目の前に崖が迫って逃げ場がなくなり、怪人は不敵に微笑んだ。
だけど、私は崖を蹴りつけて飛び上がって反転する。怪人の後ろに回り込んだ私は再び長い口を掴むと崖に体を押さえつけて何回か叩きつける。そしてまた地面に転がすと起き上がろうとした所を蹴っ飛ばす。
「戦い方が分かるのか?」
「……うん。不思議だけど、なんとなく分かる」
今まで喧嘩なんて全然した事ないんだけど、どう動けばいいのか分かる。魔石を通じて、音が告げている。
どう動いたらいいのか、私の心が答えを告げてくれている。本能で理解した私はそれに従ってベルトの左側にあるホイストーンを取り出してレッドバットに咥えさせる。
「シンフォニーストーン!」
私が構えて集中すると、魔石の共鳴音が響き渡って周囲が夜へと変貌する。
私は高く飛び上がると、空中で反転して右足を突き出した。高速で加速した私のキックを、怪人は直撃で喰らって爆散する。
空も元の青空に戻ったところで、自警団の人達が徐々に意識を取り戻し始めていた事に気づく。私はその場から逃げるようにしてバイクで去っていった。
「……はい。これが私がウィクターになった経緯だよ」
「なるほどな……まぁ、大体は分かった」
音羽は長い話を終えて背伸びをして寛ぎ始める。既に話は終わったと言いたげな態度だったが、ジュンとしてはまだ気になる事がある。
音羽のやる気が完全になくなる前に聞いておかなければ。そう思ってジュンは音羽に尋ねた。
「音羽。お前がウィクターになった理由は分かった……でも、なんで黙ってたんだ。せめて先生とかには話しておけば、授業を抜け出した時の罰も受けずに済むだろ」
ウィクターとなって人々を守るのは決して悪い事ではない。だったら、それを明かしてくれても良かったはずだ。今まで音羽が色々サボリがちだったのがウィクターとして戦っていたのが理由だとしたら、黙ったままでいいと思えない。
周囲からもだらしない人として思われるのも、謂れのない事だ。
それに少し褒められた事ではないが、ウィクターであると明かせば人気だって出るだろう。星だってすぐに態度を改めるはずだ。どうしてそうしないのか、ジュンは気になったのだ。
「ははは、私は元から結構ズボラだし……最初はね、色々面倒な事になりそうだからってのが理由だったよ。暫くしたら、せめて大人には明かしてもいいのかなって思いはしたんだけど」
「……けど?」
音羽は笑いながら紅茶を飲む。いつだって音羽は自分のペースを崩さない。
そんな音羽を目の当たりにしながら、ジュンは音羽の次の言葉を待つ。
「皆といるのが、思ってたより楽しくて。ずっと引き篭ってたけど、色んな子に言い寄ったりそれを笑われたりしてる内に……魔法音羽として皆と接するのが楽しくて仕方なかったの。それが無くなるのが嫌で……皆にとってはただの魔法音羽でいたかった」
「音羽……」
「隠し事しておいてアレだけど……本音で友達と話すのが本当に楽しくて。私なりにそれを続けていたかったんだ。ゴメンね」
ジュンは少し嬉しかった。
何を考えているかは分かりやすくても、心の中で何を思っているかは分からなかった音羽。そんな彼女が、学園の皆の事を好きだと言っているのが嬉しかった。
安心したジュンは頷いて微笑んだ。
「分かった。お前が打ち明ける気になるまで、俺もウィクターの事は誰にも言わない」
「ありがとう。最低でも新聞部の皆にはいつか本当の事言うから」
「ああ、そうしてやってくれ」
ジュンはそう言って右手を差し出した。音羽は何事かと思ったが、ちょっと吹き出して笑うとすぐに握手を交わした。
ジュンは初めて、音羽と握手をした様な気がした。繋いだその手から、音羽の心が伝わってくる。今まで全然分からなかったが、音羽はこうして人の心に直接気持ちを伝えてくる子だった。
これが、魔法音羽の奏でる音なのかもしれない。
この光景を見ながら、レッドバットも微笑むのだった。
「自分の心を音にして伝える魔法使い……ウィッチ・コンダクター。まさしくお前の事だぜ、音羽」