第3話:グリーンな謎
朝早くに目覚めた音羽は、登校時間よりも早めに学園に来ていた。誰もいない空き教室で、一人きりでバイオリンを弾く。
誰に聴かせる訳でもなく、こうしてただ弾くだけの演奏を時々していた。これをすると目が覚めるというか、集中出来るのだ。別に成績が良くなったりする訳ではないが、ちょっとした息抜きとして音羽はこの習慣を気に入っていた。
そんな中、誰かが拍手しながら教室に入って来た。音羽は演奏を止めると来訪者に何用か尋ねた。
「サスケ君、なんか用?」
「いや、やっぱり先輩のバイオリンはいつ聞いても最高っス! 音楽知らない俺でも分かっちゃいますよ!」
後輩のサスケは朝早いにも関わらずテンション高めで捲し立てるようにして喋りだす。サスケのマシンガントークはいつもの事なのでスルーして、取りあえず本題に入るまで音羽は黙って聞く事にした。
「それで大事なことはっスね……これ! やっぱり謎の戦士ウィクターの事っスー!!」
音羽は頭を抱えたくなった。
サスケはスペイジョンと戦う正体不明の存在、ウィクターに霧中なのである。その正体を探ろうとした取材結果を毎回聞かされ、音羽は正直辟易しているのだ。
そもそも何故自分にその話をしてくるのか。もしかして正体に感づいているのではないかと音羽は警戒する。
「俺のお気に入りはこのキック! 格好いいっスよー」
ウィクターが怪人にトドメを指している写真を指差しながら飛び跳ねるサスケを見て、それはないかと音羽は安堵した。
ともあれ、こうしてウィクターについて探られるのはあまりいい気がしない。何とか止めさせたいのだがどう言えばいいのか分からない。下手なことを言えば自分がウィクターだとバレるかもしれない。
新しい悩みが出来たと、音羽は肩を落とすのだった。
「へぇ、サスケの奴がウィクターについて調べてるのか」
「ちょっと心配だよ、危ない事しでかしそうで」
音羽はジュンにサスケの事について相談していた。放課後の時間は基本的に暇なため、こうしてジュンにお茶を奢って貰う事が時々あった。今日は二人だけでなくスイコも一緒にいる。
彼女も部活を辞めて時間に空きが出来たからか、以前より顔を合わせる事が多くなった。話を聞いていたスイコだが、ある事が気になって会話に入って来た。
「私、ウィクターの事よく知らないのよね。一体何者なの?」
「ど、どうでしょうねー?」
音羽は笑って誤魔化した。うかつに喋るとボロを出しそうだからこの手の話題は避けてきたのだが、今回は自分から話し出した為ここで強引に話題を逸らしても怪しまれる。
音羽が何も言わないのでジュンが代わりに説明を始めた。
「この世界に伝わる伝説の一つで、昔からスペイジョンと戦っていた魔法使いの事らしい。昔は今よりももっとスペイジョンが活発に行動していたらしいんだけど、何十年か前の大きな戦い以来姿を消していた……んだっけか」
ジュンはうろ覚えながらウィクターについて知っている事を話す。魔力が結晶化して出来る神秘の石、魔石を用いて戦う魔法使い。それがウィクター。
音羽は適当に相槌を打とうと考えていたが、自分の知らない事実を聞いて素直に驚いた。まさか昔にもウィクターがいるとは思っていなかったのだ。
「へぇ。昔にもいたんだなぁ、同業の人が」
「何の話だ?」
「あ、何でもないよえへへ……」
思わず口を滑らせてしまい音羽は慌てて笑い出す。ジュンとスイコは首を傾げたりはしたものの深くは追求しなかった。音羽が変なテンションになるのはよくある事だ。
スイコはコーヒーを飲みながら呟いた。
「でも一体何の目的で戦っているのかしら。一応襲われている人を助けているらしいけど」
「自分の為、じゃないかしら?」
スイコの呟きに答えるかのように、誰かが話し掛けて来た。音羽が振り向くと、そこには星が立っていた。
何故かは分からないが、星も偶然この場に現れた。音羽はすかさず星に飛びついた。
「御言園先輩! 今日は一段とまた美しいですね!」
「貴女は毎日変わりませんね」
弓子が音羽の頭を掴んで強引に席に押し戻す。いつもと比べてかなりマイルドだが、一応学内のカフェだから気を使ってのことだろう。
それよりもジュンは星の言葉がどういう意味なのか気になって尋ねた。
「自分の為っていうのは一体どう言う意味なんだ?」
「ウィクターとその下僕は倒したスペイジョンの魂を吸収して力にする事が出来る。自分が強くなるために戦っているに過ぎない可能性もあるのよ」
音羽は星のこの言葉を聞くと真っ先に自分の鞄に顔を突っ込んで小声でレッドバットに問いただした。
「ちょっと、私今の初耳なんだけど。魂を吸収ってどういう事?」
「昔はそうやってたんだよ。今は俺がスナック感覚で食ってるだけだから安心しろ」
「なんだ、私には関係ないんだ……って、本当に食べてたの!?」
「……何しているの?」
弓子は自分の鞄に顔を突っ込んだままもごもごとしている音羽を気味悪がっていた。
音羽は鞄から顔を出すと照れくさそうに笑って誤魔化す。星はそれには気にも止めずに話を続ける。
「今は人を助けてくれているけれど……力に溺れて調子に乗ったら、ウィクターは私達にとって大きな脅威となる」
「……なりませんよ、大丈夫大丈夫!」
音羽は笑顔で星に語りかける。星は唖然として音羽を見つめた。何故彼女は笑っているのだろうか。
自分の記憶が正しければ、いつも彼女は笑っている。どうしてそんな風にいられるのかは分からないが、とにかく彼女に話を遮られたのは確かだ。
星は呆れて頭を抱えるとその場から立ち去ろうとする。
「貴女達も変な事に首を突っ込まないで、真面目に学園生活を送ること。いい?」
「その為にも是非私とデートを!!」
「失礼します」
弓子が音羽の頭を再度鞄に突っ込ませると、星はこの場から立ち去ってしまった。
二人が去っていった後、音羽は鞄から顔を出して辺りを見回す。だが、既に星は帰ってしまった後だった。
「ああ、御言園先輩ー!」
「お前はいい加減諦めろ」
ジュンは滝のような涙を流す音羽に突っ込みを入れた。スイコもこの光景にただ苦笑するしかなかった。
「ふむふむ……ウィクターに対する意見は結構割れてるっスね。あんなに格好いいのに疑うのがちょっとイミフっスけど」
サスケはメモを片手に自分の調査結果の感想を呟いていた。
ウィクターについてどう思っているかを尋ねた結果、ほぼ半々くらいの割合で危険視している人と信頼している人に分かれていた。
だが一つだけ言えることは、ウィクターに助けられた人は口を揃えて感謝していると言う事。
きっと人を助けたいというオーラが滲み出ているんだろうな、とサスケが感心しているとある会話が偶然耳に入って来た。
「聞いたか、ビブラート海岸の方にスペイジョンが出たらしいって」
「釣り人が偶然見つけたけど、気づいたらいなくなってたって奴だろ? 注目されたい連中の嘘っぽいけどな」
サスケはその会話を黙って聞いていたが、やがて耐え切れなくなって駆け出した。
嘘か本当か確かめる為にも、ここで自分が動き出さなければ! サスケは興奮する気持ちを抑えながら、しかし笑みを隠せずに走り続ける。
「……!!」
音羽はジュンやスイコ達と一緒にまだお茶を飲んでいたのだが、スペイジョンが現れた事を察知して立ち上がった。
耳を澄ませると、体内に埋め込まれた魔石がどこへ行けばいいのか告げているのが分かる。
「ごめん、私ちょっとトイレ!」
「お、おい」
音羽は話も聞かずに鞄を持ってカフェを飛び出して行ってしまった。残されたジュンとスイコは互いに顔を見合わせて首を傾げた。
確かに音羽は突拍子もない言動の少女だが、ここ最近は特にいきなり飛び出していく事が多い。
何か変な事に首を突っ込んでいるのではないのかと不安になるのだった。
「……ここっスよね?」
サスケは海岸を歩きながら周囲を見渡した。
波の音だけが広がる静かな海岸に、サスケは言いようの知れない不安を覚えた。まるで何者かに見られているような得体の知れない恐怖が体に纏わり付いている。そう錯覚する程異様な空気だった。
ただ、それは錯覚では無かった。突然大きな水音が上がったかと思うと、海からタコの姿をしたスペイジョンが現れたのだ。
「っ!? に、逃げるっス!」
サスケは逃走しようとするが、砂浜に足を取られて上手く走れない。あっという間に怪人に追いつかれたサスケは、顔面を殴られて大きく吹っ飛ぶ。
鼻から垂れる鼻血を見て、サスケは体をガクガクと震えさせる。怪人がニヤニヤしながらサスケに迫ろうとしたその時だった。
「ハァッ!」
ウィクターに変身した音羽が、バイクに乗ったまま怪人を突き飛ばした。怪人は真っ直ぐに吹っ飛ばされて海に叩きつけられる。だがすぐに起き上がると、音羽を睨みつける。
音羽はバイクから降りて怪人に向かって駆け出した。サスケは間近でウィクターを見たい気持ちを抑えながら、岩陰に身を潜める。
音羽怪人の体に拳の連打を撃ち込み、怯んだ所を思い切り蹴っ飛ばす。海面に叩きつけられた怪人は、そのまま海中に潜り込んだ。中々表に出てこない怪人に音羽は警戒しつつもひとまず海から距離を取る為に後退りする。
すると、海中からこっそり顔を出した怪人が口から黒い球形の墨を吐き出した。複数の墨が命中すると火花を散らして音羽は膝をつく。素早く陸に上がって来た怪人はそのまま音羽を蹴っ飛ばして転がさせる。
両手の触手で顔や体を叩きつけ、音羽が反撃しようとした所でまた墨を吐いて吹っ飛ばした。
砂浜に倒れた事でレッドバットは大量の砂を被り、ぺっぺっと不味そうに吐き捨てる。若干苛ついてきたのか、音羽に命令をする。
「ああ面倒くせぇ! アイツでちゃちゃっと決めちまおうぜ!」
「うん、えっと……」
音羽は形態を変える為のアイテム、ホイストーンを取り出そうとベルトの右側に手を伸ばす。茶色のストーンに手を掛けたが慌てて隣の緑色のストーンを取り出す。
ストーンを構えた音羽はそれをレッドバットに咥えさせて共鳴させる。レッドバットを媒介に石と石が触れ合うことで周囲に音波が広がり、それが音羽の魔力の流れを変える。
「サーペントストーン!」
海中から緑色の海ヘビが飛び出したかと思うと、音羽の体に入り込んで周囲を緑色に妖しく照らす。
服が変化する度に水滴が飛び跳ねて、瞬く間に魔女の服から所々が鱗で出来た生物的な服に変化する。髪もまるでヘビが生えているかのような奇妙な長髪に伸びて帽子にも禍々しい牙が生える。
音羽の右手に蛇が絡みついたデザインの銃が握られると同時に変化が終了しグリーンサーペントフォームへとなった。
「グァァ!」
「……ふふっ、やぁっ!」
遠距離から墨を吐き出した怪人に対抗して、音羽は引き金を引いて銃口から水弾を発射する。墨の球を全て撃ち落としたら、続けて連射して怪人に水弾のシャワーをお見舞いする。
怪人は思わず怯んでしまい、その隙に音羽はすぐそばまで接近する。近づいて来た音羽に触手を振るうが、音羽は流れるような動きで受け流すと銃で怪人の頭を叩きつけてすぐさま顔面に銃口を突きつける。
「えへへっ」
微笑みながら引き金を引いて、ゼロ距離で水弾を直撃させた。怪人は堪らないと言わんばかりに逃走し、再び海中へと飛び込んだ。
音羽はそれを見て両手をクロスさせて精神を集中させる。すると音羽の体がスライム状の海ヘビに変化し、海へと入り込んで怪人を追いかける。姿を捉えた音羽は体に巻き付くようにして絡みつくと怪人を陸へと放り投げた。
そして海中から勢いよく飛び出すと、自分の体を人型に戻して銃で狙い撃つ。陸に放り出された所を撃たれて、怪人はなすすべなく倒れ込む。
トドメを刺すチャンスと確信したレッドバットは音羽に最後の指示を出す。
「うっし、今だウィクター! サーペントシューター!」
音羽が銃をレッドバットの前にかざすと体内に内蔵された魔石が共鳴してエネルギーが充填される。
音羽は人差し指を軸に銃をクルクルと回転させると今度はしっかりと握り締める。狙いを定めて怪人に銃口を向けると、銃口からポタポタと毒液が零れ落ちながらも激しいエネルギーが溜まっていく。
そして引き金を引いた瞬間に、緑色のヘビ型のエネルギーが発射された。
ヘビは右へ左へと自在に蛇行しながら怪人目掛けて進み、逃げようとジャンプした怪人を追い掛けて急上昇する。ヘビの噛み付きが怪人を直撃し、緑色のエネルギーが全て体内へと入り込んでいく。
体中を毒に犯された怪人の体はボコボコと膨らみ始め、やがて耐え切れずに爆破してしまった。音羽はこの光景を、銃を回して遊びながら眺めていた。
音羽はそのまま帰ろうとバイクに乗り込んだが、後ろから誰かが追いかけてくる。そこで音羽はサスケがまだ隠れてこの場にいた事に気が付いた。
「待ってっス! アンタは……俺を助けてくれたんスか?」
サスケは息を切らしながらウィクターに尋ねる。音羽はどう答えようか迷ったが、下手に喋ったら正体がバレそうだしこのまま放っておくと本当に巻き込まれて死ぬかもしれない。
脅しの意味も込めて銃口をそっとサスケに向ける。サスケは体を震わせて驚いたが、暫くすると首を傾げて呟いた。
「……撃たないっスよね?」
それはサスケ自身どうしてそう思ったのか分からなかったが、何故か自信を持って言える事だった。目の前にいる存在がこのまま自分を撃ち殺すとはどうしても思えなかったのだ。
音羽は暫く無言で銃を構えていたが、意味が無いと察すると諦めて銃を降ろした。やはり自分にヒール役は似合わないな、と呆れながら音羽はバイクを走らせようとグリップを握る。
そんなウィクターの後ろ姿に、サスケは声を張り上げて話し掛ける。
「あの、もうこんな事しないっス。だから……これからも、宜しくっス!!」
音羽は何も言わずにバイクで走り去った。
そんなウィクターの背中を見送りながら、サスケは改めて格好いいと憧れる。同時に、あの存在から感じる親しさに近い雰囲気は何だったのだろうと、悩むのだった。