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第2話:グレーゾーンの悩みを駆け抜けて

「うーん……」


 音羽は腕を組んで悩んでいた。バイオリンの入ったケースをジッと見つめながら、唸り声をあげる。

準備を整えて、後は登校するだけなのだがいつまで経っても悩むばかりで動こうとしない。さっきから何を悩んでいるのかと、レッドバットは壁に取り付けられた止まり木から離れて音羽の傍へと近づく。


「おい音羽、さっきから何をうんうん悩んでるんだ?」

「赤バ……私っていっつもバイオリンをケースから出そうとごちゃごちゃしてる時に逃げられるでしょ?」


 確かに音羽はよくそのパターンで女の子に逃げられている。だがそれがどうしたのだろう。


「もう初めから外に出して持ち歩いてたらいいのかなーって」

「でもさすがにバイオリンを出しっ放しにするのは駄目だろ。うっかり汚れとか傷とか付いちまうぜ」

「そうだよね……代わりはいくらでもあるけど、替えが効くのは一個もないもんね。諦めようか」


 音羽は結局バイオリンをケースに仕舞ったまま持っていく事にした。母がバイオリニストだったからか多くのバイオリンが残されているが、それら一つ一つに大切な思い出が込められているのだ。

中には安物もあるかもしれないが、それにだって音羽が初めて演奏したとか、家族旅行で記念に弾いたとか多くの思い出があるのだ。だから、簡単に傷つけていいバイオリンは一つもない。

だから音羽は、いつも通りの行動でナンパする事にしたのだ。


 一連の経緯を見て、レッドバットはポツリと呟いた。


「ナンパの方法考えてただけかよ……」






 音羽のクラスでは魔法の授業が行われていた。今日は防御の魔法をテーマに実践する内容だ。

元々あまり派手な攻撃魔法は教えられないのでこういった身を守る為の授業が多くなっているが、ただ話を聞くだけの講義よりもこうして実践出来る演習の方が生徒のやる気も出る。

そんな生徒が羽目を外さないように先生も全員の行動を監視しながら指示を出す。


「はい、それでは実際にシールドを出して下さい。無理をせずに、自分のペースで構いませんからね」


 生徒が良い結果を残そうと無理しないよう、注意を呼びかける。そうして生徒達は実際に魔法を使ってバリアを貼るが、概ね皆上手く出来ているようだ。

そんな中、上手くいっていない生徒がいたため先生がアドバイスする。


「維持できずに点滅している時は、慌てず魔力を安定させる事に集中するのよ」


 バリアが消えかかった時、多くの生徒は焦って魔力を上乗せして継ぎ足そうとする。だが、大事なのはバリアに行き渡る魔力を維持する事だ。下手に魔力を流し込むよりも、微力でも均等に送り続ける事が大事なのだ。

アドバイスの甲斐あって、その生徒は上手くバリアを維持することが出来た。先生が安堵した瞬間、突然轟音が鳴り響いた。

何事かと目を向けると、そこには制服の所々を焦げさせた音羽が笑いながら手を挙げていた。


「先生! 爆発した時はどうすればいいですか!?」

「また貴女ですか、魔法さん……」


 先生は今日も問題を引き起こした音羽を見て溜息を吐いた。この子は本当に基礎が出来ないと頭を悩ませていた。

先生が苦悩しているにも関わらず、音羽は脳天気に笑っている。


「先生……これはもしかして私と先生でイけない補習授業ですか!? いいですよ、私は40までならOKです。見た目によっては50でも許可します!」

「後日課題のプリントを出して貰うので、今日はもう休んでて下さい」

「ぎゃふん」


 勝手に盛り上がっていた音羽は先生の言葉を聞いてバタンと床に倒れ込んだ。

いつもの光景にクラスの生徒達は軽く笑いながら授業を再開し始めた。音羽がこうして失敗して笑いものになるのはもはや恒例行事と言ってもいい。

音羽はただひたすら、女教師との個人授業が出来なかった事を嘆いて座り込むのだった。




「しっかし、お前はいつまで経っても下手っぴだな」


 鞄のチャックを中から開けて、スキマからレッドバットが顔を覗かせて音羽を笑う。

放課後になって廊下を歩いていた所を、こうしてからかわれるのもいつもの事だ。しかし、そろそろまともな魔法の一つくらいは使いたい物だと音羽は悩んでいた。


「ねぇ赤バ。私って本当に魔法の才能あるの?」

「そう言うと語弊があるな……潜在的な魔力量が桁外れなだけで、全然扱えてない。要は巨大なタンクに水がたっぷり入ってるけど、蛇口が壊れてて開かないみたいなもんだ」

「変身出来た時は才能あるって喜んでたんだけどなぁ」


 音羽は自分が初めてウィクターへと変身した時の事を思い出して、溜息を吐く。それを聞いてレッドバットはケラケラと笑い続ける。


「あれは俺が魔石を通して魔力をコントロールしてるだけだ。お前はなーんも操れてないぜ」

「でもさ、魔力の元は私の力なんでしょ?」

「そうだな。普通なら魔石自体の魔力も上乗せするんだが、お前の場合はコントロールに全振りしてる。だからあの魔力自体はお前自身の力だ」


 それが出来て、どうして簡単な魔法は自力で使えないのかと音羽は落ち込む。

いつもの落ち込みだと思っていたレッドバットだが、今日はいつにも増して真剣な顔をしている事に気が付いた。

これほど音羽が魔法を上手く使いたいと悩んだ事など一度もない。一体どういう風の吹き回しかと尋ねた。


「どうした音羽。お前がこんなに真剣に魔法について考えるなんて珍しいな。やっぱり、一流の魔術師になりたいのか?」


 レッドバットの問いに、音羽は力強く頷いて肯定した。



「勿論。だってそれ絶対にモテるじゃんか!」

「それが目的かい!?」


 単に女の子を釣る為の手段として魔法を覚えたいだけだったらしい。

レッドバットはもう何も言うまいと口を閉ざすのだった。




 そうしながら歩いていると、ジュンと誰かが話している姿が視界に入った。音羽はジュンに何をしているのか尋ねる。


「ジュン先輩、何してるんですか?」

「ああ、大したことじゃない」

「ちょうど良かった。魔法さん、貴女からも言ってやってよ」


 ジュンと会話していた相手が音羽に助力を申し込む。何の話か分からない音羽は彼女に詳細を尋ねた。


「スイコ先輩、ジュン先輩がなにかしたんですか?」


 井口スイコ。音羽より一つ上の先輩で、ジュンの幼馴染みだ。ジュンと同じくらいの背丈は女子にしては非常に高く、水色の髪は真面目で清楚な印象を強める。

自分も初めて会った時はナンパしたなぁ、と昔の事を思い出しつつも話を本題に移す。

スイコは額に手を当てて俯きながら口を開いた。


「ジュン、一年前にサッカー部やめたっきりなんの部活にも入っていないでしょ? だから早くどこかに入部するように言って欲しいのよ」

「あ、ごめんなさい先輩。それ私にもダメージ入ります」

「……魔法さん、貴女もしかしてまだ帰宅部なの?」


 スイコの信じられないと言いたげな顔から目を背けて、音羽は口笛を吹いた。言える訳ないのだが、ここに入学して以来ずっと陰ながらウィクターとして戦ってきたのだ。拘束される部活動などする暇が無かったのだ。

だから普段の授業の成果と合わせてすっかりサボリ癖のあるふらふらした女と周りから思われているのだ。

ジュンもスイコの提案に文句があるようで、頭を掻きながら溜息を吐く。


「大体俺がなにしてようが勝手だろ。お前は吹奏楽真面目にやれてるんだから気にすんなよ」

「……そう、だけど」


 ここに来て何故か急にスイコの歯切れが悪くなった。気まずそうにして立ち去るスイコを眺めながら、音羽とジュンは不審に思った。


「どうしたんだろ、スイコ先輩」

「うーん……そういや、最近あいつの様子がおかしかった様な……」


 ジュンがそんな言葉を零した。

そんな大事なイベントがあるならなぜ攻略しないのかと、音羽はジュンの事を心底軽蔑した。幼馴染の少女が悩んでいるならそれを解決して一気に接近するのが常識だろうに。

そうして呆れているとジュンが音羽の頭に手刀を浴びせた。


「なんか知らんがムカつく」

「エスパー!?」




 結局後をつけて音楽室まで来てしまった。音羽とジュンはバレないように扉の外から様子を伺う。

まずは全員で合わせる練習で、部員の全員がそれぞれ自分の楽器を鳴らしている。スイコはトロンボーンの担当をしていて、部屋越しから他の楽器の音と混ざり合いながら耳に入ってくる。

ジュンは部屋を覗き込みながら呟いた。


「あいつは真面目だよな……俺はなんか合わないからって理由で辞めちまったけど、あいつは今もずっと続けられてるんだから。俺はそこまで何かに熱中した事ねーから分かんねーけど」

「でもスイコさんの音、迷ってるよ。全然楽しそうじゃない」


 音羽がそう言うと、ジュンは口を開けて呆然とした。あまりにも音羽が似合わない事を言い出したので驚いたのだ。

ジュンは納得しかけたが、笑いながら突っ込みを入れる。


「って、音聞いただけでそんな事分かる訳ないだろ。そもそもどれがあいつの出してる音か分かんねーし……トロンボーンなんて他にもいっぱいいるだろ」

「分かるよ。一人一人違う音をしてるもん。スイコさんとは一年いたから分かる……あの人の音色は、いつもは澄んでいたから。それと同じ波長の音が、今はとても悲しんでる」


 いつもなら笑い飛ばす様な内容だった。また新しい口説き文句でも考えたのかと突っ込んで馬鹿にする内容だ。

だが、今はそんな事は言えなかった。目を閉じて静かに、それでいてしっかりと話す音羽の雰囲気がジュンの知るいつもの音羽ではなかったから。だから何だか馬鹿に出来なかったのだ。

そうして考え込んでいるといつの間にか最初の練習が終わり、皆それぞれ個人練習を始めていた。


「おい、スイコを探しに行くぞ」

「はーい」


 ジュンはスイコを探しにいつもスイコが練習している場所へと移動をした。音羽もそれに付いて行く。




 いつもスイコが練習している踊り場まで来たが、どこにもいない。不審に思ったジュンは近くにいた吹奏楽部の部員にスイコがどこにいるか尋ねた。

すると、部員から驚くべき事実が言い渡された。


「え、早退けした?」

「はい、体調が悪いらしくって……井口先輩にしては珍しいですけど」


 どうやらあの後すぐに帰ってしまったらしい。スイコは滅多に体調を崩したりしないし、一度たりともサボッたりする事も無かったため、今回の早退けがかなり珍しい。

本格的にスイコが不調なのだと察したジュンは、音羽に頼み込んだ。


「今からあいつを追いかける。悪いけどバイクに乗せてくれ!」

「えー、まぁいいけど……」


 男と二人乗りというのは音羽にとって全く美味しくないシチュエーションだが、このまま放置するのも後味悪い。

大事な先輩の頼み事だから引き受けることにして、音羽は自分のバイクまでジュンを案内することにした。音羽に付いて行きながら、ジュンはスイコの事を考える。

一体スイコは何を悩んでいるのだろうか……どうして自分に何も言ってくれなかったのか。もやもやしたまま、ジュンは歩き続ける。






 音羽のバイクに乗ったままジュンは振り落とされないようにしっかりと捕まる。音羽もあまりスピードを出さないように気をつけてはいるが、油断すると危ないのは確かだ。

こんな事を考えている暇ではないと思いつつも、ジュンはまだスイコの事で悩んでいた。胸のモヤモヤが晴れずにずっと留まっているな、気分が悪い感じがする。そんなジュンに、音羽がバイクを走らせながら話し掛けた。


「素直に何があったか聞いたら良いんじゃないかな」

「え?」

「多分スイコ先輩、ジュン先輩に自分の事聞いて欲しいだけだよ。そしたらあの人、自分で解決しちゃうと思うから」


 音羽はそう確信していた。確かにスイコは何かに悩んでいるけど、それを誰かに聞いて欲しいだけなのだ。だから、ジュンが歩み寄るだけで全部解決するだろう。

それを聞いて、ジュンは呆気に取られた。そして、思わず溜息を吐いて笑い出す。そんな事で解決するなら、一体さっきまでの自分の悩みはなんだったのだろう。

少し馬鹿馬鹿しくなったが、まぁ人の悩みを聞くなんて今くらい気を抜いていた方がいいのかもしれない。


 そうしている内に歩いているスイコの後ろ姿を発見した。近くまでバイクを近づけようとした瞬間、音羽は魔石が響く音を感じた。

スペイジョンが現れた気配を、自分の体に埋め込まれた魔石が察知したのだ。音羽はバイクを止めてジュンに降りるよう言いつける。


「ごめん先輩、悪いけど一人で頑張って!」

「は? って、おい、待て!!」


 ジュンが止めるのも聞かずにその場を走り去って行く。ジュンには悪いが、まぁ元々二人きりにさせる予定だったから変わらないだろう。

そう思って音羽はグングン速度を上げて去っていってしまった。その後ろ姿を呆然と眺めていたジュンだが、諦めて振り向いた。そこには、バイクの音に気がついてこちらをジッと見ているスイコがいた。

こうなったら仕方ないとジュンは思い切って本題から入ることにした。


「話がある。つーか、話を聞かせてくれ」






 音羽はバイクを走らせながら、段々と周囲に人がいなくなった所を見計らってレッドバットを呼びつける。


「レッドバット!」

「よし、派手に行こうぜ! リチュアル!」


 レッドバットが音羽の左手に埋め込まれた魔石に噛み付くと、腹にベルトが具現化する。そのベルトに、レッドバットは自分から止まりに行った。


「変身」


 レッドバットが装着された事で音羽の体が光に包まれた。バイクで走りながら服装が次々と変わっていき、光が弾け飛ぶと同時に音羽の体は完全にウィクターへと変わっていた。

ローブを風に靡かせながら普通のバイクと比べ物にならないスピードで走り続ける。やがて人を襲っているスペイジョンを発見した。まるで虎の様な姿の怪人が刺叉を振り上げて男性を殺そうとしている。

音羽はバイクの速度を上げてそのまま怪人を轢き飛ばした。男性はさっきまで自分が運転していたトラックに乗り込むと、一目散に逃げ出す。


 怪人は音羽を睨みつけると、逃走し出した。音羽はバイクを走らせて追跡し、距離を縮めていく。怪人のスピードも中々の物だが、音羽のバイク……ブラッディバイクの速度よりは数段劣る。最高速度600kmを誇るこのバイクから逃げきれるはずもなく、怪人の体は再度バイクに轢かれる。

怪人はスタジアムの壁に叩きつけられ、地面に落ちる。起き上がった怪人はスタジアムの中へとまた逃走した。確か今日は休館日で、誰も中にはいなかったはずだ。

だがこのまま見逃す訳にはいかない。音羽はバイクから降りて怪人を追いかけた。



 スタジアムの中に入った音羽を周囲を見渡した。辺りには誰もいない客席と、下に競技場が広がっているばかりだ。

そうして辺りを探索している音羽を、怪人が上段の客席から飛び降りて奇襲した。刺叉で斬りつけられた胸から火花が散り、音羽は痛みでよろける。

ウィクターの服は強力な魔装束で、強固な鎧よりも固い防御力を誇っているが、それでもノーダメージとはいかない。怯んだ音羽に怪人は追撃を加え、キックを当てて競技場へと蹴っ飛ばした。


 飛ばされた音羽は転がって着地の隙を消して襲いかかって来た怪人を殴り返す。そうして反撃に移るが怪人が武器を持っているため思うように格闘が出来ない。

怪人の持っている刺叉は先端に虎の爪の様な武装が取り付けられており、どちらかというと槍の様な使い方がメインだ。音羽の拳を柄で防いで肩に柄を叩きつけて怯ませて先端で再度音羽の胸を斬りつける。

火花を散らしながら吹っ飛んだ音羽は、何とか体を起こすとベルトの右側に付いている灰色の笛を取り出した。


「鬱陶しい奴だな……音羽、獣には獣だ」

「うん」

「ウルフストーン!」


 レッドバットに魔石で出来た笛を咥えさせると、灰色の石と赤い石が共鳴し合い透き通った音が響き渡る。そして、狼の遠吠えと共に薄らとした灰色の狼の残像が音羽に乗り移った。

服の形状が次々と変化していき、魔女らしい服から獣の牙が散りばめられた荒々しいパンクな服装へと変わる。そして音羽の左手に狼の口の形をした柄の剣が持たされた瞬間、周囲に激しい波動が広がると同時に変化も終了した。

そこにはまるで狼そのものと言ってもいい雰囲気を放つウィクターが立っていた。


 自身の魔力を源に活動する基本形態レッドウィッチフォームから、狼の力を宿したグレーウルフフォームへと姿を変えた音羽は、一瞬俯いた後に狼のように大声で吠えた。


「グルル……ヴアァァ!!」


 そうして吠えた音羽は素早く地面に右手を付いて構えた。左手に持った剣を肩に乗せて対峙している怪人を獣の鋭い眼光で睨みつける。

怪人も唸りながら刺叉を構えて互いに睨み合う。やがて音羽と怪人は同時に駆け出し、全速力で接近する。怪人は刺叉を横に振って攻撃するが、音羽は地面を蹴り上げて空中を回転して怪人を通り過ぎる。

振り向きざまに怪人を切りつけると右手を振り下ろして怪人がカウンターで繰り出した刺叉を叩き落として剣を両手で握って真っ直ぐ振り下ろす。


 縦に斬りつけられた怪人は声を上げて倒れるが、すかさず刺叉を拾って反撃に出る。音羽はその一撃を剣で受け止めるとそのまま怪人に接近して、剣をバチバチと火花を散らしながらも刺叉を強引に切り落とした。

剣を振り下ろして肩に食い込ませると右手に力を込めて握り締める。すると右手に灰色のエネルギーが充満して狼の顔の形へと形作る。そのまま狼の頭を拳に乗せて撃ち込むと怪人は大きく吹っ飛ばされた。

音羽は両手で自分の体を抱くようにしてうずくまったが、すぐに手を広げて開放する。


「ガアァァ!!」


 音羽の遠吠えと共に鋭い衝撃波が周囲に広がり、起き上がろうとした怪人を再び地に叩きつける。

十分に怪人が弱りきったと確信したレッドバットは音羽に指示を出す。


「今だ、ウィクター! ウルフブレイド!!」


 音羽は左手に持ったウルフブレイドをベルト……レッドバットの前にまで持ってくる。するとレッドバットの体内に連結した赤い魔石と共鳴してエネルギーが充填される。

狼の様な低い声で唸り声をあげながら怪人目掛けて全速力で駆け抜ける。怪人を右から左へと横に一閃で切り裂くと、怪人の目の前に満月を模したエネルギー体が現れる。それは怪人が逃げられないように拘束しつつ、止めを指すために爆発の為のエネルギーを集め始める。

音羽は地面を蹴り上げてジャンプすると、体を捻らせて回転しながら体重を乗せた一撃で満月ごと怪人を切り裂いた。


 満月が砕けると同時に怪人の体も砕け散り、音羽の魔力によって変えられていた周囲の空間も一気に正常に戻り出す。

また夜になっていた周囲も、あっという間に昼に戻って明るくなる。音羽は通常形態へと戻るとスタジアムを後にした。







 音羽が戻ると二人は喫茶店で会話をしている最中だった。どうやらスイコの悩みは解決したようだと安心した音羽は席についてどんな話だったのかを聞くことにした。

ジュンに部活を決めるよう急かしていたスイコだが、スイコ自身このまま吹奏楽を続けるべきか悩んでいたという。楽しくて仕方なかった吹奏楽も、コンクールの入賞を目指して練習するだけの日々に次第に情熱が薄れていったのだという。

だが、スイコはもう三年だ。今のこの時期に部活を辞めるというのはお世辞にも褒められた事ではない。


 だからどうしたらいいのか悩んでいたのだが、ジュンに悩みを打ち明けている内にスッキリしたらしい。

それが正しいのかは分からないが、辞める事にした。このまま続けてもきっと楽しくないだろうとスイコは思ったのだ。最後まで黙って聞いていた音羽だが、頷いて微笑んだ。


「いいんじゃないですか、嫌々弾いたって誰も喜びませんよ」


 それが音羽の本音だった。音楽とはどういうものか、音羽にその真実が分かるわけではないがそれでも今日聴いたスイコの音色はあまりに悲しかった。

きっと吹きたいと思った時に吹いたトロンボーンこそ、一番美しく楽しい音色になるだろう。

趣味で弾いているだけの音羽にもそれだけは断言出来る。


 ジュンはコーヒーを飲みながら見守っていたが、何か思いついたのかニヤニヤしながら音羽に話し掛ける。


「そうだ、折角だからお前もなんか弾いてみろよ。あれだけ言っといて楽器が弾けないとか言うなよ?」


 今ここで演奏するのはどうかと思ったが、周りに客は誰もいない。カウンターを見ると店主が笑顔でこちらを見つめている。どうやら問題ないようだ。



「仕方ないなー。じゃあスイコ先輩の新しい門出を祝って一曲」


 音羽はケースからバイオリンを取り出して構える。ジュンはあのケースの中に本物のバイオリンが入っていた事に驚き、スイコも予想もしていない楽器の登場に唖然とする。

音羽の演奏が始まると、まるで周囲の時間が止まったのではないかと錯覚する程の静寂が店内を支配した。外では変わらず人が行き交っているというのに、バイオリンの音色以外何も聞こえない。

目を瞑っている音羽にも、店内の様子はありありと想像出来ていた。ジュンとスイコは驚きながらも笑顔で演奏に耳を傾け、店主も目を閉じて清聴してくれている。


 自分の音色がスイコの後押しになる事を祈りながら、音羽はバイオリンを弾き続けるのだった。

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