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花とナイフ  作者: 玉緒
第二章 鬼狩
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第八話 電話



 大河原の携帯電話が鳴ったのは、夕食時の午後6時を過ぎた頃だった。

 ちょうど出先に居た彼は、ディスプレイに表示された見慣れない番号を確認した途端、慌てて近くに止めてあった自分の車に戻り、慎重に周囲を確認してから通話ボタンを押す。


『……あの、もしもし』


 儚げな少女の声が耳に届いた瞬間、彼は思わず心のなかでガッツポーズした。

 コンシェルジュの目を盗み、なんとかメッセージを投函してすでに1ヶ月あまり。


 もう殆ど諦めかけていた。


「もしもし、どなたですか」


 心の内を悟られないよう、努めて平静な声で尋ねてみる。電話口の相手は少しだけ躊躇ったあと、その質問には答えずに、同じ言葉を大河原に返してきた。


『少し前になりますが、私の部屋にそちらの電話番号を書いた手紙が届いていました。心当たりはありますか?』


 随分と落ち着いた声色で話す少女だった。こちらを不審に思ってはいるようだが、言葉遣いは至極丁寧だ。

 大河原は確信に近いものを感じ、思い切って身元を明かす。


「デイリー新報で記者をやっております大河原と申します。あなたは、藤代華絵さんですか?」


 記者と名乗ると、電話口の相手が息を呑む気配がした。

 ますます警戒は強まるだろうが、ここで引く訳にはいかない。


「あなたを探していたんです。藤代さん」

『……記者の方、ですか。あの、お父様の件でしたら、私には関係のないことですので……』


 その言葉に、富士白製薬社長の不倫ニュースが頭をよぎる。

 このタイミングではそう取られてしまうのも致し方ない。しかしそれも想定していた大河原は別段焦ることもなく、はっきりとした口調でその疑念を否定した。


「断じて申し上げたいのは、お父様の件で手紙を送ったのではないと言うことです。私が聞きたいのは藤代さん、あなたについてなのです」

『…………私、ですか』

 まだ半信半疑の少女に駄目押しするようにして大河原は力強く「はい」と答える。

「藤代の里に伝わる"鬼の伝承"についてお伺いしたく、あのような形で連絡を取らせていただきました」

『……鬼の……伝承』

「ご存知ですよね? 昔から里にある言い伝えの事です」


 少女が押し黙る。大河原は矢村亜紀から奪い取った藤代記録のコピーを取り出し、それを膝の上に広げた。


「今私の手元に藤代記録の一部があります。藤代記録についてはご存じですか?」

『ごめんなさい……知りません』


 知りません、とわずかに言いよどんだ彼女の声を、大河原は冷静に分析する。

 相手が動揺しているのは声の揺れから明らかだった。警戒して、しらばっくれているのだろうか。

 こうなると少しめんどくさいな、と彼は心の中で舌打ちをする。


 相手から情報を引き出すことにかけては百戦錬磨の大河原が、この小娘相手にどう攻めてやろうかと思案し始めた時、意外にも少女は申し訳無さそうな声色で自ら言葉を発してきた。


『大河原さん。大変申し訳無いのですが、私は記憶障害を患っていまして、過去に関する記憶は殆ど無いのです』

「……は?」


 そう来るとは夢にも思ってなかった彼が、思わずマヌケな声を漏らす。


『嘘ではありません。……記者さんならご存知かと思いますが、幼い頃の誘拐事件で脳に障害を負いました。それで、幼い頃の記憶が抜け落ちたまま今も戻りません。里の伝承についても、全く心当りがないのです。お力になれなくて申し訳ないのですが……』


――誘拐だって?


 もしこれが少女の咄嗟の演技なら、彼女はとんだ大物女優だ。

 声は真に迫り、一切ためらいやブレや、後ろ暗さがない。


 しかし長年記者をやってきた大河原でさえ、藤代武永の孫娘が過去誘拐された話など聞いたこともなかった。


「それは……確かですか? あなたが誘拐されたというのは」

『はい。大きな事件でしたので、新聞などにも載ったかと思います。その事件で姉も亡くなりましたし……』

「……はぁっ?」


 今度こそワケがわからなくなって、やや高めの声で叫んでしまう。

 少女も、そんな大河原のリアクションに戸惑っているようで、電話口で小さく「え?」と声を漏らした。


「あの、これは確認なんですが、お姉さまのお名前を伺えますか?」

『……調べれば分かるとは思いますけど……姉は雪絵と言います』


 どこをどれだけ調べてもそんな名前は出てこないだろう。大河原はそう思った。


 公には、藤代武永の直系の孫娘は藤代華絵一人だ。

 しかしその華絵の存在すらも、ちょっと調べて出てくるような容易なものではなく、大河原は過去のツテを総動員してやっとのことで孫娘である華絵に辿り着いた。

 そこから彼女の居場所を突き止めるまでには、さらに何十倍もの金と労力がかかった。


 それを考えると、公には一切知られていない姉がいても不思議ではないのかもしれない。

 幼くして亡くなったのなら尚更だ。


 でも何かしっくりこない。

 記者の勘とでも言うべきか。


「つまり、過去の誘拐事件でお姉さまは亡くなられ、あなたは記憶を亡くしたと」

『……仰るとおりです』


 都合が良すぎるシナリオには、いつだって巧妙な嘘が混じっている。

 過去の経験から、大河原はそれを知っている。


「長年記者をやっておりますが、私の知る限り藤代絡みの誘拐事件など聞いたこともないですね」

『え……』

「ましてやそれで跡目を失ったとあれば大騒ぎになっているはずだ。そういう大きなネタって、どれだけ金を積んで黙らせても絶対にどっかで漏れるもんなんですよ。とくに、情報を生業にしている我々みたいな筋のものにはね」

『……そう言われましても』

「あなたは事件のことを覚えているんですか?」

『……先程も申しましたが、私は記憶を失っているんです。特に、事件前後のものは』


 ほらまた、都合のいいシナリオだ。


「あなた先ほど、大きな事件なので新聞にも載ったとおっしゃいましたが、それをご自身の目で見たことは?」

『……いえ。私は新聞とか、私はそういったものを見ないので……』

「なるほど。つまりあなたが知る誘拐事件とは、人の話を鵜呑みにしただけの何の証拠もないものとも言えますな」

『…………お言葉ですけど、その事件で姉は亡くなっております』

「それも人から聞いた話ではないですか? 失礼は承知でお伺いしますけど、そもそも記憶のないあなたが自信を持って言える過去の事象が存在するのでしょうか」

『…………』


 黙りこくってしまった相手に、大河原も沈黙する。

 畳み掛けてしまうのは悪い癖だが、これが功を奏する時だってあるのだ。


『姉と私は誘拐されたんだと思います。そりゃ……記憶はないですけど、そんな嘘をつく理由だってないはずです』


 少しムキになったような声色に、大河原は満足するようにひっそりと頷く。

 その清楚な声色から儚げな印象を抱いていたが、案外気丈で好奇心旺盛な子なのかもしれない。


「藤代さん。私に少し時間をください。過去の誘拐事件について調べてみます」

『……え』

「私は何としてでも藤代の伝承についてあなたからお話をお伺いしたいのです。記憶が無いのなら、取り戻すお手伝いをさせてほしい」

『…………』

「また電話をかけさせて頂いてよろしいですか? この番号に」


 そう尋ねると、少女は慌てて「ダメです」と二回繰り返す。


『この番号には掛け直さないでください。親戚の家の電話からかけているのです。それにもうすぐ、家人が戻ってきます。足りない食材を近所に買い足しに行っただけなので……』


 何を焦る必要があるのか大河原には理解できなかった。家人が戻ってきたから、だから何だというのだろう。


『とにかく電話は困ります』

「ではどうやって次回以降あなたとコンタクトを取ればいいのですか? 携帯電話はお持ちですか?」

『いえ、持ってません。私の家には電話もパソコンもありませんから……難しいと思います』

「…………」

『大河原さん。御存知の通り私は藤代の娘です。とても難しい立場にあります。気安く外界の方と会ったりお話したりは出来ないのです。どうかお許し下さい』

「……それであなたは、いいんですか?」

『え……』

「過去を知りたいとは思わないのですか? 誰もあなたに真実を語っていないとしたらどうです? 納得できるんですか? お姉さまのことは? 人から聞いた話で満足ですか?」

『…………』

「誰もあなたから、あなたの人生の一部を奪い取る権利なんてないんですよ」


 少女が押し黙る。

 揺さぶりはかけた。あとは運を天に任せて待つだけだ。

 そう思いながらも、大河原は携帯電話を強く握りしめる。


 しばしの沈黙の後、電話の向こうの相手が、小さく息を吐く音が聞こえた。


『……毎週水曜日の午後に病院にかかっているんです。久々宮病院と言います。……お話はできませんが、お手紙のやりとり程度なら、上手くすれば気づかれないかも……』


 その控えめな提案に大河原はすぐさま飛び乗った。


「それで行きましょう!」


 張り切った声でそう言うと、ほんの少し吐息で笑いを零した少女が「はい」と答える。

 いたずらを企む子供のような、軽快で可愛らしい声だった。

 


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