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花とナイフ  作者: 玉緒
第二章 鬼狩
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第七話 七年目の手紙



 今年で17歳になる少女が、世間について知っていることは少ない。

 彼女の世界は自宅と病院、そして週に一度通う料理教室、その三つで構成されている。


 もちろん、幼少の頃より学校に通ったことはない。

 家に固く禁じられていたからだ。ただし不満に思ったこともない。

 そういうものだと、言い聞かされてきたからだ。


 少女が故郷を出て、里を離れた東京で一人暮らすようになったのは今から約7年前のことだ。

 故郷である里で生死を分ける大きな事故に巻き込まれた少女は、身体に致命的な障害を負った。

 家の者は彼女に医療設備の整った都会で暮らすべきだと命じ、少女はそれこそ病院のベッドごとこの地へ運ばれてきたという。しかし当の本人には、その当時の記憶が無い。


 記憶障害は、事故の後遺症として彼女が負ったハンデの一つだった。


 そんな少女のためにと二年前から親族の女性が開いてくれる料理教室は、リハビリの一環でもあった。少しでも脳が活性化するようにと、少女は真面目に取り組み続ける。その成果が中々見られなくとも、少なくとも料理の腕前は上がる。 最近はそのことに、微かな喜びを見出している。


華絵かえ様、お鍋の火をもう少し弱くしてくださいませ」


 隣で魚を捌いていた小巻こまきに言われ、少女は慌ててコンロのつまみに手を伸ばす。


「ここからは弱火でコトコト煮込みましょう。20分ほどしたら火を止めて出来上がりですよ」


 ニッコリと微笑む小巻は、華絵よりも10は年上のはずなのに、その低い身長と童顔のために小学生くらいにしか見えない。顎のあたりで切りそろえられたオカッパ頭と、着物の上に着用した白い割烹着姿がトレードマークだ。


「お鍋の野菜は今朝方藤代の里から届いたものなんですよ。採れたて新鮮です」

「そうなんだ。美味しそうね」


 鍋の中でぐつぐつと煮込まれる野菜を見下ろし、華絵は口元だけで微笑んだ。

 久しぶりに故郷の名前を聞いて、わずかに記憶に残る田舎風景を思う。思慕が募るほどではないが、どこか胸がきゅっと締め付けられる程度には懐かしい。


「華絵様、お手が空きましたらテーブルのご用意をお願いしてもよいですか?」

「わかったわ」

 

 そう頷くと、濡れた台拭きを搾ってダイニングテーブルをさっと拭く。

 その途中、電源がついたまま音声が垂れ流しとなっているリビングのテレビが視界に入った。

 華絵は台拭きを持ったままリビングに入り、キョロキョロと辺りを見回しながらリモコンを探す。夕食は小巻とゆっくり会話を楽しむ貴重な時間だ。テレビの雑音に邪魔されたくはなかった。


『藤代議員! お応えください!』


 見つけたリモコンに手を伸ばしかけた途端、怒鳴るようなマスコミの声が響いて華絵はビクリと顔を上げる。


『議員! 富士白ふじしろ製薬社長の不倫疑惑について何かお聞きになってますか!?』

 

 録音機器に囲まれた白髪の大柄な老人の横に、オレンジの枠で縁取られた青白い肌の男の映像が並ぶ。

 その胸元あたりに"不倫社長"と大きく打たれたテロップは、幸の薄そうな印象の男をより滑稽に飾り立てていた。


 この男、大手富士白製薬の代表取締役、藤代誠ふじしろまこと社長が、不貞ですっぱ抜かれゴシップ雑誌を賑わせたのはほんの数日前のことだ。危機を察した張本人がさっさと海外に雲隠れしたことによって、マスコミの矛先がその義理の父である藤代武永議員に向かったのだろう。


『藤代議員! 今回の騒動が今後の選挙活動にどのように影響するとお考えですか!!』


 沈黙を貫いたままの藤代武永は、今の質問をした記者に一瞥くれて、心底くだらないとでもいう風に鼻を鳴らした。彼はそのまま何も語らずに警備員に囲まれたまま記者の前から立ち去り、カメラはスタジオに戻る。苦笑いのコメンテーターが、武永の僅かなリアクションから、あれやこれやと妄想話を膨らませるが、やがて後ろから伸びてきた小巻の手によってテレビのスイッチは切られてしまう。

 まばたきも忘れて画面に見入っていた華絵ははたと我に返り、振り返った。


「頂きましょう、華絵様」


 にっこりと微笑んだ小巻が、2つに重ねた空のお椀を持ちながら彼女の背中に立っていた。



 二人分の温かい鍋料理が並べられた食卓で、華絵はポツポツと近況を語る。

 とはいえ変わり映えのしない生活だから、自宅で交わした家庭教師と会話や、病院での出来事を語ることくらいしか出来ない。

 それでも小巻は興味深げに相槌をうち、少女の私生活についてあれやこれやと質問を浴びせた。


「やっと中学三年レベルまで追いついたって感じなの。それでも数学はまだまだ苦手」

「お怪我をされて二年も寝たきりだったのですから、人より遅れてしまうのは当然です。焦りは禁物ですよ」


 わかってるわ、と頷いて華絵は二人分の豪華な料理を眺める。

 初めは包丁もまともに扱えなかった。ゆっくりと成長しているのだと思いたい。


「……近頃は、下世話な話が華絵様のお耳にも入っているかと思います」

 

 やや声のトーンを落としてそんなふうに切り出した小巻を見て、少女は首を傾げる。

 何を言っているのか分からなかったが、すぐに先ほどのニュース番組のことだと思い至った。


「誠様についてあることないことマスコミは騒ぎますけど、どうかお気になさらないでくださいね。華絵様のお父上はとても立派なお方です。富士白製薬という大きな会社を、一人で支えてきたお方ですもの」


 神妙な顔つきの小巻を見て、「気にしてないわ」と華絵があっさり返す。

 

「お父様のことは尊敬してるけど、最後に会った日すら私には思い出せないほどなのよ。さっきテレビで久しぶりに顔を見たけれど、いまいちピンと来ないというか……まるで他人みたいに思えてしまって」

「華絵様……それは後遺症のせいです。いずれはお父上の記憶も戻られますよ」

 

 そうだろうかと華絵は思う。

 事故をキッカケにして幼少時の記憶を殆ど失ってしまった華絵だが、それでもかつての過去を見聞きすれば胸が疼くくらいの感情の揺れはあった。


 でも、一番身近な血縁である父や母に関しては、心が一切の反応を見せない。

 もとより家族とは薄い縁だったのではないだろうかと、近頃は考え始めている。

 学校にも通わず、一人故郷を離れ、家が用意した場所で言われるがままただ日々を送るだけの特殊な環境を思えば、それも十二分にあり得る。


「お父様もお母様も、里を出た私に一度も会いに来てくれないし、もともとその程度の関係だったんじゃないかしら」

「断じて違います」


 やや愚痴るように零せば、小巻が厳しい口調できっぱりと否定する。


「華絵様は藤代直系の唯一の跡取りなのですよ。一族皆が華絵様が日々健やかに過ごせますようにと胸を痛めておりますのに、そのような物言いは控えてくださいませ」

「……ごめんなさい」

「それに……お母上が会いに来られないのは、まだ雪絵様の死から立ち直っていらっしゃらないからです……。とても悲惨な事件でした。……華絵様が記憶を失ってしまうのも無理はありません」


 言いながら、小巻が目尻に涙を浮かべる。

 それを他人事のように眺めながら、華絵はぼんやりとすでに他界しているという姉について考えてみた。


 大物政治家の孫娘であり、大手製薬会社の社長令嬢であり、巨大財閥の跡取りであった雪絵と華絵は、かつて金目当ての非道徳な輩に誘拐されたという。一族と警察が手をつくした末に命からがら助かった華絵だったが、雪絵の方は無残にも殺害されてしまった。

 母はそのショックから家に閉じこもり、もう何年も外界との接触を拒絶しているというが、今の華絵には事件の記憶も雪絵の記憶もないから、どんなに熱っぽく語られてもやはりピンと来ない。


「いつか華絵様がお家を継ぐその日までお守りするのが小巻の、一族皆の使命なのです。その御身の尊さを、決してお忘れにならないでくださいね」

「……もちろん、分かっているつもりよ」


 自分が人と違う生活を送る理由は重々承知している。不満を言ったことだってないはずだ。

 だけど時々思う。彼らは、本当に自分をそんなに大切に思っているのだろうか。


 事件が収束し、三日後に目覚めた華絵は、その日のうちに里を追い出された。

 まだベッドから起き上がることすら出来なかった彼女に、労りの声をかける親族は居なかった。それから7年もの年月を一人きりで過ごしているが、こうして優しい言葉をかけてくれるのは小巻だけだ。

 彼女以外の親族は、一度足りとも華絵を見舞いになど来ない。

 自分は用意された場所に住み、能面のような顔をした教師や言葉の少ない医者と、与えられたカリキュラムに取り組むだけの人形だと思っていた。


 だから過去を取り戻したいと思う反面、それが怖くもある。

 もし小巻が言うような愛情を過去に見いだせなかったら、その時自分はどうなってしまうのだろう。




 小巻の住むマンションから、華絵の住むマンションまでは、車で約5分程度の距離しかない。

 それでも一人で外を出歩くことを許されていない華絵は、迎えに来た黒塗りの乗用車に乗り込み、小巻に別れの挨拶をする。

 運転手とはこちらへ来てから丸7年の付き合いになるが、交わした会話は片手で数えられる程度だ。

 彼はいつも黙って華絵の出先についていき、黙って彼女を家まで送り届ける。気味が悪いと思ったことはないが、もうちょっと冗談の一つでも言ってくれれば楽しいのにと、初めの頃は不満に思っていた。


「ありがとうございました」


 そう言って無反応の運転手に礼を告げ、マンションのエントランスをくぐる。

 迎えたコンシェルジュが彼女のためにエレベーターを呼び、彼女の部屋の階数を押す。


 確かめたことはないが、このマンションには自分以外に住人は居ないと華絵は思っていた。あの運転手も、華絵を部屋まで送り届けて去っていくあのコンシェルジュも、おそらくは親族の者だ。

 自分の周りには常に一族の者がいて、いつも誰かしら何らかの形で彼女に同行している。 

 まるで、彼女の一挙手一投足を監視するかのように。 


「あれ……?」


 部屋の扉を開けると、僅かな玄関スペースに一枚の手紙が落ちていた。

 郵便物だろうか。それを拾い上げて差出人の名前を確認するが、書かれていない。


 華絵宛ての郵便物はいつもコンシェルジュが受け取り、彼から華絵に手渡されるのが常だったから、少女はちょっと面食らった。

 扉の僅かな隙間から直接投げ込まれようにして落ちていた手紙には、郵便切手も消印も見当たらなかった。


 恐る恐る封筒を切って中に入っていた白い紙切れを開く。

 便箋というよりは、ザクザクと切り取り取られたノート用紙のようだ。その上に走り書きをしたような荒っぽい字で11桁の数字が並ぶ。その下に電話をくださいと添えられた一文を見て、華絵は眉根を寄せた。


 電話をくださいと言われても、相手先の名前も書いていない。

 それに、そもそも華絵の部屋には電話がない。


「……何なのかしら」


 紙切れを見つめながら一人ぼやく。

 折りたたんで靴箱の上に一旦手紙を置くと、華絵は部屋に上がり部屋着に着替えて就寝の準備をする。その間も、脳裏には11桁の番号が焼き付いて離れなかった。

 いたずら心で近づけるほど華絵の部屋のセキュリティは易しくはない。だとしたらあのコンシェルジュからのメッセージだろうか。それなら、自分の口で言えば事足りるだろう。先ほどまで二人きりだったのだから。


 電話をください。


 簡素なメッセージのわりには、切実な印象を受けた。ひどく焦ったように字が歪んでいたからだろうか。

 温かい湯船に浸かりながら、少女は少し考えてみる。


 どこか、電話をかけられるような場所はあるだろうか。

 外界との接触を禁じられている華絵の部屋では、電話もインターネットも出来ない。

 外では彼女を見張る親族の目がある。でも、ほんの一瞬でいい。


 このメッセージに答えられるチャンスが、果たしてあるだろうか。



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