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花とナイフ  作者: 玉緒
第二章 鬼狩
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第五話 月下想花


 夜の闇に浮かぶ月明かりは真実だけを照らし出す。


 人の面の皮を被っていても、人の振る舞いを真似ていても、月明かりは容赦なくその本質を暴いてしまう。


 今男の目の前に立つそれは、人の猿真似をしている鬼だ。

 そう直感した。


 青白く発光する不思議なオーラも、口元から覗く鋭利な牙も、その全てが人外の証。


 それにしてもなんて美しい鬼なのだろう。

 風が吹くたびに長い頭髪が揺れるその様や、獰猛そうな青い瞳の煌めきたるや、夢のように神々しい。決して人では到達し得ない、異端の美貌。


 そして思う。今自分と対峙するあの鬼に、己のこの姿は一体どう映っているのだろう。

 醜く変形した肉体。歪んだ魂。すでに亡者と成り果てた己を見て、鬼は何を思うのだろう。


「……ァ、グゥ、ウ、ガ……」


 助けてくれ、と言った声は、肥えた獣の唸り声となって静寂に響く。

 鬼がわずかに瞳を細めるのを見た。まるでこちらを、憐れむように。


 やがて追い詰められたこの身に一迅の刃が振り上げられる。


 肉体は、記憶は、魂は、そこで事切れる。この世界に別れを告げる。

 今生の終わりに見たものは、切った刃で返る鮮血を浴びる鬼の瞳だった。

 それはやはり美しく、今際の際を飾るには十分すぎるほどだった。




『――……良くやった。下がって衛生員の指示を待て』


 耳にはめた通信機から告げられた声を聞いて青年は一歩下がった。

 足元に転がる切って捨てた肉塊は、すぐさま駆けつけてきた防護服姿の衛生員たちの手によってブルーシートにくるまれ、慎重に搬送されていく。それを遠目に眺めてる青年の衣服を、分厚い手袋をした衛生員は慣れた手つきで脱がし始めた。


 代わりに差し出された薄緑色のローブを着ると、青年は待機していた黒いライトバンの中に乗り込む。

 車中は二次感染を防ぐために特殊な改造が施されており、運転席と助手席が後方部分と完全に仕切られている。

 後部座席を全て取っ払った車内には、透明な硝子板で囲まれたスペースがあり、向かい合うようにして簡素なベンチが2つ置かれている。青年はその1つに腰を掛け、衛生員が隔離スペースに鍵をかけるのを確認しながら、用意されてあったタオルで顔の血飛沫を拭った。


『滅菌作業と検査がある。このまま病院に向かうぞ』


 運転席から告げられた声が、隔離スペースに設置されたスピーカーと、耳にはめ込んだ通信機の両方から流れる。

 青年は通信機を取り外すと、それを床に投げ捨てた。



 車は深夜の高速を駆け抜け1時間半後に目的地である病院に到着した。

 

 久々くぐみや私立病院は、深夜三時もすぎた来客を快く迎え、来訪者を裏口から通す。青年は衛生員や看護師に指示されるがまま滅菌室、検査室、診察室と順に進む。


 老齢の久々宮医師が彼に施す診察はいつも決まっている。

 まずは15センチ程も伸びた青年の鉤爪を鼻歌交じりに切っていき、やっと使い物になる指先で1メートルは伸びたであろう髪を1つに縛るように指示する。

 言われたとおりに青年が髪を括ると、最後にちらっと心拍数を見て、それで終わりだ。

 早く髪を切ってもらいなさい、と去り際に告げるのも同じ。3日前も、彼は同じ言葉を残して鼻歌交じりに去っていった。


「終わったか」


 診察室を後にした久々宮医師と入れ違うようにして、鳥の巣頭の中年男性がドアを叩き、部屋を覗きこむ。

 片手に青年のカルテを抱えていた男は、久々宮医師の席に腰を下ろすと、あろうことか病院内でタバコを取り出し、清々と火をつけた。


「ここでタバコ吸ったらまた嫌味言われますよ、阿久津あくつさん」


 肺の奥まで深く吸い込んで白い煙を吐き出す相手を見て、青年が呆れたように告げる。

 知るかよ、と強気に返す阿久津宗一郎そういちろうは、くわえタバコのままカルテを机に広げ、青年にも見るようにと視線で促した。


「だいぶ鬼火が弱ってきてるな。検査でも、免疫機能がかなり低下してるのが分かる」

「はい」

「さっき現場で思ったんだが、感染者の首を斬る瞬間、太刀筋が一瞬詰まったように見えた。覚えてるか」

「はい。わずかですけど」

「お前の鬼火が錆びてる証拠だろう。分かってるとは思うが、なまくらでは首は切れん」

「分かってます」


 人事のように淡々と頷く青年を前に、阿久津はうーんと唸って、指先でペンを弄ぶ。


「……とりあえず薬増やしてみるか。アンフェタミン、忌避剤……抗SI剤あたりだな。それで改善しないようなら、……研究所に話を上げて応相談になるが」

「はい」

「お前に限っては重々承知だろうが、忌避剤を増量すればまた推定余命が縮む。異存はないな?」

「はい」

「……よし。じゃあ、今日は帰るか。疲れただろうから髪は明日でいいよな。お互い帰って休もう」

 

 車を回してくる、と言い残した阿久津を見送って、青年はぼんやりと診察室の天井を眺めた。

 太刀筋が一瞬ぐらついたことに、気づかれていたのは意外だった。ほんの僅かなブレではあったけど、やはり阿久津の目は誤魔化せないらしい。


 わずかに開いたカーテンの隙間から、窓ガラスに映った自身の姿が見える。

 簡素な椅子に座りながら、虚ろな瞳でこちらを見ている化け物。

 青年はそれを視界から追い出すようにして深い青の目を閉じた。


――助けてくれ


 異形の者が、そう言って涙を流す。

 どうしてやることも出来ない。せめて一息に葬ってやることしか。今はそれも、満足にこなせなくなってきている。


 あと何年この体は使い物になるのだろうか。

 一年でも長く生き延びたいと思う反面、今すぐ事切れたいとも思う。そうすれば面倒なこの世の全てと縁を切ることが出来るのに。



――「ねぇレン」 


 過去がまた青年の名を呼ぶ。鮮やかに蘇る笑顔は、どれだけ時が過ぎても色褪せることはない。


――「どうしてレンは、私のこと楔姫様って呼ぶの?」


 何も知らない幼い少女が黒い瞳で覗きこめば、彼は一歩も動けなくなる。

 楔は、あの世の異端をこの世に繋ぐ。

 いつだってとても固く、無情なほどにとても強く。



 ほんの少し自暴自棄になることすら、許してはくれない。



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