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花とナイフ  作者: 玉緒
第二章 鬼狩
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第十二話 会議室にて


 第三会議室の上座に座る阿久津宗一郎は、やや憂鬱な面持ちで集まった面々を確認した。


 当初彼は自分が呼んだ数名の面子と話せればいいと考えていたのだが、予想外に上との電話会議が長引き、その間にどこからか話を聞きつけた里の野次馬まで集まってしまい、今や20名強の親族が会議室にところ狭しと鎮座する。


 まったく、とんだ誤算だ。


 阿久津は重たいため息と共に煙草を灰皿に押し付け、すでに着座している彼らに向かって口火を切った。


「単刀直入に言う。本家に祀られていた藤代日誌が盗まれた」


 スパッと一気に言い切った彼の言葉に、室内がどよめく。


 声がデカイのはやはり我妻の面々だ。

 彼らは昔からなにかと大声を上げたがる傾向にあって、その血をしっかりと引き継いだ跡取り娘の国枝も、例に漏れず甲高い声を上げる。


「嘘でしょ!? それやばくないっ!?」


 やばいからこんな事になってんだろ、と喉まで出かかった言葉を飲み込み、阿久津は頷いた。

 

 我妻軍団の横にちょこんと座る小柄な染谷家の女性は、そんな彼女に冷たい一瞥をくれてから、呆れたように肩をすくめる。

 そろそろ三十路に差し掛かるくせに、その容姿たるや小学生にしか見えないという化け物じみた彼女は、里でもちょっとした有名人だった。

 その彼女が今、真っ直ぐに阿久津を見つめながら淡々とした声で「誰の犯行ですか」と質問を投げかける。



「もう分かっていらっしゃるのでしょう? だからあんなに、事前の会議が長引いたのでしょう?」


 中々に鋭い。

 この女だけは、昔から食えないやつだった。


小巻こまきの言うとおりだ。犯人はすでに分かっている」


 そう言って、部屋の隅に固まり所在なげに視線を投げてくる一派を見つめる。

 その一派に向かって、阿久津はため息混じりに告げた。


「梶ケかじがやいぬだ。かつて破門としたあの狗が、藤代記録を持ちだした」

「証拠はあるのか!」


 阿久津の視線の先にいた梶ケ谷の家長が声を荒げる。

 今の今まで怯えていた彼が、ついに開き直ったかのようにして威勢良く吠えた。

 

「ありますよ」


 答えたのは、対角線上に腰掛けていた久々(くぐみや)のマキだ。


「マ、マキ様……どのような証拠があると仰るのですか」

「私が追い払いましたので、この目でしかと逃走する梶ケ谷の狗を見ております」

「……そんな……そんなはずはない。あれはとっくに、破門にしたはずの狗だ」

「ですが、間違いなく梶ケ谷の狗でした」

「あり得ない。だって……あれはとっくに死んでいるはずなんだ……」


 震える梶ケ谷の家長の声を聞いて、黙って彼らのやり取りを見ていた阿久津も深く頷く。


「我々も、あの狗については長らく死亡扱いとしてきた。そう考えるのが最も自然だったからな」


 部屋中が、水を打ったようにしんと静まり返る。


「だがこの事件によって我々の常識は覆された。……藤代雪絵の狗はまだ生きている」


 そう。大事なのは藤代記録が盗まれたことではない。

 先ほど電話会議をしていた武永の興味は、もはやそこにはなかった。


「楔姫を失って七年。本来ならば楔なしに生きる狗などあり得ない。ましてやあの狗は、生まれた瞬間に楔を失うという稀有な生い立ちだ。……しかし今なお自我を保ち、人の姿を保ち続けているとなれば……」


「……あり得ません」


 静かな声で小巻が呟いた。

 彼女はあくまで冷静に、ゆっくりと首を左右に振りながら否定する。


「楔を失った狗が独自に生き続けることはあり得ません。それでもなお見苦しく生き続けているのならば、それはもう狗とは呼べません。忠誠心を失ったただの悪鬼です。即刻処分すべきです」


 その通りだと答えて阿久津は咳払いをする。


「しかし、武永様のご意向はまた違う」

「……どういうことです」

 

 ぴくりと片方の眉を吊り上げて、小巻が睨みを利かす。


「梶ケ谷の狗を生かしたまま捕らえ、その生体を調査すること。それが武永様のご意向だ」

「生きて……捕らえるですって?」


 明らかな苛立ちを帯び始めた小巻の声色を聞いて、側に座っていた阿久津ハクが「まぁまぁ」と気休め程度の声をかけた。

 

「相手は狗だ。普段の仕事ととは全く異なるだろう。お前らだって、狗同士で狩りあったことはないだろうからな。その危険性を加味して、今回の命令には本家筋の狗を集め総動員でかかる」


 その瞬間、ダンッ! と力強い打撃音が響く。


 阿久津を含めその場の全員が音の方向へ視線を投げると、派手な髪色をした美女が机の上で拳を握り、怒りで口元をひくつかせながら阿久津を睨みつけていた。


「狗同士で狩り合わせるなんて冗談じゃないわ。そんな危険な仕事に私のハクを使うつもり!?」


 久々宮宝良くぐみやたからはそう怒鳴りつけて阿久津からフイと顔をそらし、すぐさまハクに向かって「絶対にダメよ」と早口で命ずる。怯えたように身を縮めながら素早く頷くハクを見て、阿久津は頭を抱え始めた。


「宝良様の仰るとおりですっ! 雪絵様の狗となればそれは本家藤代の姫の狗。その力量が、他家の狗とどれだけかけ離れているかは、考えなくても分かるでしょう!」


 宝良の援護をするように捲し立てた小巻の言葉を聞いて、阿久津がついに頭を掻き毟る。

 ただでさえダラシがない鳥の巣頭が余計にみすぼらしく乱れたのをチラリと見て、国枝がひっそりとため息を零した。



「まぁ皆さん、落ち着いて」



 パンパンと両手を打ち鳴らし、場を沈めるために声を上げたのは武永の秘書である我妻修平しゅうへいだった。

 銀縁眼鏡にすらっとしたスーツを着こなす彼を、その場にいる誰もが冷めた思いで見つめる。


 元より一族とは一切縁のない修平だったが、数年前政界で出会った武永に見初められ、武永の命によって我妻の家と養子縁組を組んだ彼は、里の者にとって見ればただの余所者だった。



「皆さん色々と懸念はあるでしょうが、武永様のご意向を無視するわけにも行きませんよね」


 男の割には高めの修平の声は、静まった会議室によく響く。


「無論大事な狗を危険に晒すのことは武永様の本意ではありません。ですから、今回の計画は入念に立てて行わなければならない。あらゆるリスクを回避して、なるべく安全に捕獲するのです」


「作戦とは」

 両手を広げて皆をなだめようとしていた修平に、そんな質問が投げかけられる。

 青い瞳から鋭い眼光を放つ青年が、腕組みをしながら修平を見つめていた。


「……やぁ、染谷のお狗様。そう言えば君とは初めて会うね。君が現場の指揮を執るリーダーだと聞いている。狗は大抵見目麗しいと聞いていたけど。驚いたな……聞きしに勝る美貌だ」

「作戦とは」


 ニッコリと笑ってそんな風に茶化す修平に対して、レンは先ほどと同じトーンで同じ質問を投げる。

 修平の眉が不愉快そうにわずかに歪んだ一瞬を、阿久津は見逃さなかった。


「良いだろう。まず作戦の大前提としてあるのが、おとりの存在だ。一見神出鬼没に見える相手だが、彼の生い立ちを鑑みれば何に突き動かされて生き延びているのかは明白。まず間違いなく復讐心だろう」


 そこまで言って、修平はコホンと、咳払いをする。



「彼がもっとも憎む人物。それは愛する楔を亡き者にした相手に違いない。つまり君だ」


 意気揚々と立てられた人差し指が、真っ直ぐにレンに向けられる。


 その場に居た誰もが息を呑んだ。

 過去藤代の里を震撼させたかつての凄惨な出来事が、一瞬にして全員の脳裏に蘇る。


「この話は君たちの中ではタブーとなっているらしいけどね。状況が状況だからあえて言わせていただくよ。梶ケ谷の狗は他の誰でもない君を恨んでいる。違うかな?」


 そう問われても、レンは微動だにしないまま、相手を見据えている。

 透き通る青い瞳の奥で、彼が今何を考えているのか。それは誰にもわからない。

 幼い頃からずっと近くに居た国枝ですら、レンの心の中を読み取れた試しはなかった。


「一体どうすれば君を一番苦しめられるのか、あの狗はよく知っている。誰を傷つければ、君を打ちのめすことが出来るのか」

「いい加減にして下さいっ!!」


 たまらずそう叫んで立ち上がったのは小巻だ。


「まさか華絵様を囮として差し出せとおっしゃるのですか!? 藤代の姫を!?」

「大きなリスクを回避するためには、小さなリスクを受け入れないと」

「ご冗談はお止めください。そんなこと、我が染谷家は絶対に了承できませんっ!」


 ガタガタと荒っぽく人の脇をすり抜けて、小巻は座っていたレンの席まで来ると、立ち止まる。


「小巻は至急藤代の里に戻りまして家長とお話しなければなりません。レン様もご同行ください」

 

 こわばった口調で言われ、レンが静かに立ち上がる。

 

「それから阿久津様。このお話については染谷の家を通じて家長より正式にお返事させていただきます。ですが、このような馬鹿げた作戦に同意するつもりは毛頭ございませんので、ご了承くださいませ」


「おーい小巻ー、勝手は困るぞー」


 のんきな声で言葉をかける阿久津に、一度も振り返ることなく小巻は部屋を出ていき、その後に続くようにしてレンも出て行く。


「はー、参ったね。まぁこうなるとは思っちゃいたが」


 悠長な態度の阿久津に苛立ったのだろうか。

 やや険しい声色の修平が、そんな彼を責める。


「もっと厳しく言うべきです! あなたはこの施設の長なのですから!」

「そうは言ってもなぁ」

「それに、私の作戦は他でもない武永様のご意向でもあるのですよ!?」

「そうは言ってもお前……見てみろよ」


 煙草を取り出した阿久津が、室内を見るようにと顎先で促す。

 

 視線を向けた修平の目には、顔色を無くして俯く一同の姿が映った。

 先ほどまでああだこうだと声を荒らげていた者も、黙って事の成り行きを見守っていた者も、一様に俯き、寒さに凍えるようにして震えている。

 特にハクなどは蒼白の面持ちで奥歯を打ち鳴らし、狗の中では最年長にあたる久々宮のマキですら、血の気が引いたような顔で一点を見つめている。


「……ど、どうしたのですか、皆さん……」

 室内の空調は十二分に効いているというのに、皆が一様にガタガタと震えている光景は異様だった。



「お前には分からないんだろうなぁ」


 煙草の煙をため息とともに吐き出しながら、阿久津が言う。


「あの瞬間小巻が立ち上がって遮らなきゃ、俺たちゃ全員レンの鬼火に焼き殺されていた」

「……は」

「長らく狗と過ごしてきた俺達には分かるんだよ…………修平、くれぐれも狗を怒らせるな」

「…………」

「見た目に惑わされ人のつもりで話したらいかん。あいつらは理屈で生きてはいないということを、こちらも頭に叩き込め。鬼を飼い慣らすってのはそういう事だ」

「……ですがっ」

「小巻の機転に命拾いしたな。お前も俺らも」


 ニヤリと不敵に微笑む阿久津の額にも薄っすらと冷や汗が浮かんでいるのを見て、修平は絶句する。

 しばらく奇妙な沈黙が室内を包み込み、やがて声をあげたのは掠れた声の久々宮宝良だった。


「……でも、雪絵様の狗を相手にするのなら、やはり華絵様の狗……レンは不可欠よ。私のハクじゃ、本家の姫の狗にはかすり傷ひとつ負わせられないわ」


 まだガタガタと震えの収まらないらしいハクの肩に腕を回してそう零す宝良に、阿久津が頷く。


「わかってるさ。レンはもう頭数に入ってる。何が何でもやってもらうしかない」


「気に入らないわね……例え武永様のお考えだとしても、これは気に入らないわ。華絵様を餌にレンを釣ってるみたい。先の短い彼に一番危険な仕事をさせて、それでレンが死ねば華絵様だって用済みってことなんでしょう。小さなリスクって、そういう意味なんでしょう?」


「……俺に聞くなよ」


 心底弱り切ったような声色の阿久津の言葉を聞いて、宝良が項垂れる。


「……誰も賛同なんてしてないってことくらい、わかってるよ」


 しんと静まった会議室に、力の抜けたような阿久津の声が小さく響いた。



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