僕のなりたいもの
「っけ、このアルマータ人が!」
同じ年頃の少年に顔を殴られた。殴った少年の体格は僕よりはるかに大きく、殴られた鼻からは血が吹き出す。
殴られた理由は特にない。いや、ないことはないが、僕が何かをしたというわけではない。ただ街を歩いているところを不運にも見つかり、そして路地に無理矢理連れて行かれては私刑にされる。僕にはよくありえることで、つまりは運が悪かったのだ。
「きったねぇんだよ」
少年は殴った手をひらひらさせて言う。
今朝水浴びができたばかりだ汚くはない。そもそもそう思うなら殴らないでほしい。そんな僕の思惑などお構いなしに今度は蹴られる。そして少年の取り巻き達もそれに便乗して僕に暴行にかかった。
僕はただいつものように体を丸めて必死に耐える。殴り返せるほど喧嘩は強くもないし、少しでも殴り返せば後にもっとひどいことが起きる。
一度だけ、過去に殴り返したことがあったが、その翌日には大人たちがやってきて家の中を荒らし、寝たきりの母を怒鳴り散らしては帰っていった。
僕はもうあの惨劇を繰り返すわけにはいかないと学んだのだ。
「死ね、死ね、くそっ!」
暴言を散らしながら笑う少年の顔がひどく歪んで見える。僕の視界が歪んでいるのか、はたまた汚い言葉を罵る彼が歪んでいるのか。
「うぐっ!」
腹をすくい上げるように蹴りで息が漏れる。つい腹を押さえると、今度は顔を蹴られた。
数分後、少年は気が遠くなりかけた僕のポケットに手を伸ばし、そこからくたびれた紙のお金を手にする。
僕がなんとか働いてできた生活費から少しずつ貯めた半年分のお小遣いである。今日はこれで好きな本を買おうと思っていたのだ。
「たったこれっぽっちかよ」
「だ、だめ! それは……っぐ」
僕の必死な制止は空しく、手を伸ばしたところを蹴り飛ばされて、僕は地面へと転げゴミ溜めに埋もれる。
「っへ、お前にはそこがお似合いだ。アルマータ人めっ」
そう言って少年達は唾をかけてきたが、もう体が動かなかった。こうなっては抵抗するのも空しい。
彼らが狩人で、僕が獲物なら、そもそも狩人の前に姿をさらけ出した獲物が悪いのだ。
ただ、僕にもう少し力があればどうにかなったのかもしれない。彼らを蹴散らすことができたのかもしれない。虚ろな目で彼らを見ながら僕はそんな想像をする。
「おい! 何をしてる!!」
突然野太い声が響いた。
「やっべ、逃げろ!」
少年達は一目散とその場から消えていった。
自然保護官に見つかった狩人とはこのようなものなのだろうか。
そんなことよりも僕は安堵した。知っている声だ。
「先……せ……い」
「レドナ!?」
僕が先生と呼んだ男は、僕の名前を呼びながら駆け寄る。そしてぐったりとした僕を抱え起こした。
「もう大丈夫だレドナ。安心しろ、今俺の家まで連れてってやるからな」
どんなに暴力を振るわれようとも出なかった涙が、今になってあふれてくる。
安心。それは僕の住む環境にとってはだいぶん遠い言葉であったが、先生と一緒にいる時は本当に安心できた。
「泣くな泣くな。あの小僧共今度見つけたらとっ捕まえてやるからな」
先生は僕の頭を撫であやすと、背中におぶろうとする。
「き、汚いよ」
先生の背中に泥やゴミが付着するが、そんなことはどうでもいいと半ば強引に背中に乗せられた。
広くて大きく、そして暖かい背中。僕はそこに甘えるように顔を埋めた。
「まずはお前さんの怪我をどうにかしなきゃな。さぁ、早く行こう。新しい本も買ってあるぞ、ゆっくり読むといい」
僕は学校を通っていない。というより通えなかった。そんな僕にとってこの人はたった一人の先生だ。
先生の家は個人学校を開いており、そこで正式な学校へ行けない子供たちを集めて勉学を教えている。僕にとっては家族のように迎えてくれる場所でもあった。
暇なときは必ずと言っていいほど本を読みに向かったし、いっぱい色んなことを教えてもらった。
そして、いつか僕も先生のようになりたいと思った。
強くて優しい先生になるため。
しかし現実は甘くなかった……。