第一章 異世界からの訪問者 【1】
ごろりとリビングのソファに転がって、私はテレビのリモコンを片手にしていた。あぁ、土曜のお昼って、面白い番組やってないなあ。
その時だ。家の電話が軽快な曲を流して顔をあげる。
誰だろうかと思って表示されている番号を見る。あれ……なんでこの人。
受話器をとって出た。
「はい、木暮です」
<いつもお世話になっております、梅沢です>
礼儀正しい、だけど焦っている様子の声が響いてきた。お世話になってるのは私で、お世話してるのはお姉ちゃんだと思うことは口に出さない。
「どうしたんですか、梅沢さん」
<あの、美和さんは居る?>
ほらね。やっぱり。
そんな言葉が頭に浮かぶ。梅沢さんの目的はだいたいお姉ちゃんになる。あんな色気もないイモジャージのお姉ちゃんのどこがいいんだか。
「携帯にはかけました?」
<かけたけど、出てくれないから……>
なるほど。
「たぶん寝てるんだと思うんで、ちょっと待っててください」
そう言って保留にして、二階に向けて大声を放った。
「おねえちゃーん! 梅沢さんからでんわー!」
おそらく今の音量で起きたとは思う。それで、布団の中でごそごそもぞもぞ動いてから、のろのろと部屋を出て……。
がちゃ、とノブを回して部屋を出てきたお姉ちゃんが階段を面倒そうに降りてきた。寝起きらしく、さらに目付きが険しい。
「梅沢の兄さんがまたあたしになんの用かね」
低い声のままで私から受話器を受け取り、電話に出ていた。
梅沢の兄さん、って……お姉ちゃんと6つしか違わないじゃん。あ、充分か。
「はいはい」
<美和さん!>
声がでかいよ、梅沢さん。私にも丸聞こえ。
「声がでかいよ、梅沢の兄さん。あたしゃ起きてきたばっかりなんだ」
不機嫌そうに応えるお姉ちゃんは、首を左右に揺らして肩を鳴らしていた。……肩こりかなぁ。
「用件を言っとくれ」
<は! 実は少々手伝って欲しいことがありまして、こちらまでご足労願えますか!>
「やだね」
<美和さん!>
悲痛な悲鳴をあげる梅沢さんが可哀想になってきた。
「お姉ちゃん、手伝ってあげなよ」
「あたしゃ免許もないんだよ? なんでわざわざあんなところに行ってやらなきゃならないんだ」
<お迎えにあがりますから!>
ブツッ、と向こうで電話が切られた。
私は溜息をつく。
「これは、今回の事件、よっぽど大変とみたよ、お姉ちゃん」
「あたしゃ一般人なんだけどね。探偵扱いするのはやめて欲しいよ」
本気で嫌そうに言うお姉ちゃんは顔を洗いに洗面所に行ってしまった。とりあえずは行く気なんだ……。
ジャージ姿はそのままで、身支度を一応整えたお姉ちゃんは「ちょっくら行ってくる」と、面倒そうに言うと家を出て行った。
梅沢さんの迎えを待つ義理はないって言っていたし、いつものことだ。梅沢さんもわかってると思うから……うまくお姉ちゃんを途中で拾えるといいけど。
どうでもいいけど、外行きの靴がスニーカーじゃなくて、便所スリッパって……二十歳の女としては大問題だと思う。
由希は今日はお出かけだから居ないし、久々に私一人!
解放感に大きく両腕を上に伸ばし、再びソファにごろんと寝転がった。
お姉ちゃんが出向いたってことは、もう事件は即行で解決のはず。ただ、梅沢さんの苦労がうかがえる。
梅沢さん、っていうのは刑事さん。なんか一度階級とか言われたような気がするけど、興味ないからべつにいいか。
熱血。うるさい。真面目。最初はお姉ちゃんのこと毛嫌いしてたらしい。今の心酔ぶりからすれば、お姉ちゃんが絶大な効果を発揮した協力があるんだろう。
私のお姉ちゃんは、探偵だ。
いや、探偵なんてものを生業とはしていない。
だけど、物語とかマンガに出てくる探偵のような存在だとは思う。
ただ、お姉ちゃんは歩いていても事件には遭遇しない。遭遇するのはもっぱら私。だからお姉ちゃんは仕方なく助けてくれる。
ある意味お姉ちゃんは反則キャラなのだ。物語の中にキーキャラとして絶対に必要な存在。だけど現実世界では、お姉ちゃんは一介の女子大生なだけだけど。
……うん、嫌ってないけどね。
たまたま再放送をしていた探偵ものがやってる。2時間スペシャルのやつだ。
探偵ってのは、大抵なにか事件に巻き込まれて、手がかりを得て、事件を解決に導いていく。だけど実際はこんなに簡単にはいかない。
ドラマの中には解決のためのヒントがきちんと盛り込まれていて、アドバイスを与えてくれる登場人物たちしかいない。
ヒントばっかりくれるんだから、多少は迷っても、最後はゴールに辿り着くに決まってる。
「……うちのお姉ちゃんなんて主人公にしちゃったら、そもそも成立しないよねー……」
始まって数分で終わっちゃう。
テレビではちょうど探偵役の男性が必死に町中を走っているシーンだった。……こういうのもドラマでよく見る。
誰かを追うシーンによく見られるけど、闇雲に走ったって見つかるわけないじゃん。ふつーは諦めるっての。
――とまあ、こんな感じでドラマを見ていたのが30分前の私。いや、こんな状態になる前の私の出来事。
さて、なんでむーむー唸っているのかっていうと、もうちょっと説明がいる。
テレビを眺めていた私は、液晶画面からぬっ、と腕が生えたのに気づいて瞼を擦った。
疲れ目なのかな。でも私、パソコンとか使わないし、両目とも視力は1.5以上っていうか……。
擦っていた手をおろすと、腕はなかった。
なあんだ、やっぱりね。ほらね。
そういうことだと思った。だってさ、なんの手品かと思うじゃない? それにテレビから出てくるって、呪われたビデオじゃあるまいし。だいたいうち、ビデオデッキないし。
ほら、ね。と自分にもう一度言い聞かせていたら、またぬっ、と腕が生えた。
あまりのことにぽかーんとしていると、さらに腕が動く。うわっ、キモい! なんか動きが怪しい!
何かを探すようにぶんぶんと手を振り回している。
ぎゃああああああ!
素早く立ち上がって、私は台所にあったハエたたきを取ってきて構えた。
「悪霊退散悪霊退散ー!」
ばしばしと無遠慮に腕らしきものをはたく。うおお、消えろ! ナムアミダブツ!
叩いていると、腕が引っ込んだ。
……はぁー。良かった。ったく、ひとん家の家電製品になにしてくれてんの。
そっと近寄ってうかがうけど、何も変化がない。良かった。穴とか空いてたらお姉ちゃんだけじゃなくて、由希にも怒られるところだった。
胸を撫で下ろしていると、腕が強い力で掴まれる。
「いやああああああああああーっ!」
大絶叫をあげてしまう。
ちょ、ちょっと! 掴まれちゃった! しっかりと! むんずと!
「お姉ちゃーん! 由希ぃぃぃぃっー!」
たすけてー!
情けない助けを求めながら、私はひたすら画面から出ていた腕を振り払おうと必死だった。
ぐっ、と腕に力が込められる。そして、画面からずるりと何かが出てきた。
ぎゃああああああ!
なになに「ずる」ってなによ! 私はナメクジとかああいうぬめぬめしたのが大嫌いなのに!
一気に血の気が引いて私の意識が、ブラックアウトした。
で、起きたら布団の上から荷物用の紐でぐるぐるに縛られて、タオルで猿ぐつわ、だったわけ。
私の前を行ったり来たりして物色しているのは、見た目はなんていうか……マハラジャ? って感じの若いお兄さんだ。お姉ちゃんより年下か、同じ年くらいだろう。
……なぜに外人がうちの中をうろうろしている?
彼はぴたりと立ち止まり、顎に手を遣って何やら考えていた。そしておもむろに私を見る。
ひっ、と身を竦ませた。ちょ、ちょっと何もしないでよー! 花も恥らう女子高生に手なんて出さないでよね!
「………………」
なにか問いかけられたようだったけど、聞き取れなかった。
怪訝そうにうかがうと、同じ事をもう一度言われた。……あのー、すいません、インドの言葉は知らないんですけど。
疑問符を頭の上に浮かべていると、男は舌打ちした。おおおーい! なに舌打ちしてんの! 私がしたいよ!
ああ、お姉ちゃん早く帰ってきて! あ、でもできるなら梅沢さん連れて来て! 逮捕しちゃって、この変な外人を!
「ただいまー」
その時だ。玄関の鍵を開けて入ってきた足音とその声に私は目を瞠る。
い、今の声は由希?
「あれー? 亜矢姉、いないのー?」
間延びした声は男の子にしてはやや高め。救世主となるのかと期待していたけど、うろうろしていた人が声に気づいて私の傍に戻って来た。
ぎゃああ! 来るな! あっち行け!
リビングに顔をひょこっと覗かせた由希は、名前の印象を裏切らない美少年だ。
華奢な体躯と、中性的な顔立ち。昔は女の子とよく間違われてたよね、そういえば。
「……すげー。なにそれ、なんのプレイ? 緊縛プレイ?」
薄ら笑いを浮かべて言う由希に、本気で腹が立った。おまえはどうしてそういう下品な発想しかしないんだ! 顔はいいのに!
ナイフを私の首元に近づけ、男が由希に向けて何か言う。もちろん、通じるわけがない。
「亜矢姉、俺、二階行ってるわ。そんじゃ、後は二人で楽しんで」
あっさりと手を振って去る由希の姿に真っ青になる。慌ててむーむー唸ってみる。由希は性格が淡白だから、興味のないことには本当に気も向けない。
「帰ったよ」
はあああああ! 神様ありがとう!
美和お姉ちゃん、妹の窮地を救いたまえ~!
玄関からあがってくるお姉ちゃんのほうを由希が見ているのが、こっちから見える。
「あれ? どっか行ってたの、美和姉」
「まあ。ちと、梅沢の兄さんに呼び出されてね」
「またかよ。相変わらず無能なんだな、あの刑事さん」
さすが、辛らつな口と美しい面立ちのギャップが有名なうちの弟。ずばり言っちゃった。かわいそうな梅沢さん。
「しかし、由希、そこで何してんだい? 邪魔だよ」
「ん~? なんか亜矢姉が緊縛プレイしてるから、眺めてるとこ」
おおおおい! なにが緊縛プレイだ! ひとを変な趣味がある人みたいに言うな!
「あれま。あの子、顔はいいのに変わってるからね。そういうのに目覚めちゃったのかい?」
目覚めるかあー!
由希がにやにや笑って、視線だけこちらに向けた。おのれ! わかっててやってるな、この悪辣弟め!
足音がする。お姉ちゃんが由希の向こうからこっちを見た。ひぃ! 首にな、ナイフの感触が……。
気を失う手前の私を見て、お姉ちゃんが無言になった。
「緊縛というよりは、SMプレイじゃないのかねえ、あれ」
「そうかな? だって亜矢姉って痛いの苦手だからね」
おまえら……殺す。
と、お姉ちゃんが何かを素早く投げつけた。それを叩き落とそうと男が動く。
「俺のケータイ!」
悲惨な声を由希があげた。携帯電話は弾き飛ばされ、どこかにぶつかった。なんか壊れたんじゃない? って音までしてたけど……。
男が私を押さえつけて動けないように力を入れた。でもその時にはお姉ちゃんがもうこっちに踏み出していた。
さらに何かを投げてくる。お姉ちゃん! 妹が人質にされてるのになんでそんな簡単にー!
自分の携帯だったらしく、それも叩き落とされる。だけど、もうお姉ちゃんはすぐそこだった。
足でソファを勢いよく押して、こっちに動かす。見事に男に当たった。よろめいた隙に、気づけば由希が傍まで来ていた。
「まったく、世話ばっかり焼かせるなよな、亜矢姉」
「む~!」
感動して唸ると、由希がにやっと不敵に笑った。
私たちがお姉ちゃんの後ろへと避難すると、お姉ちゃんはやれやれと溜息をついた。
「亜矢、あんたとうとう強盗まで引き寄せるとはどういう了見なんだい?」
タオルを外されて私は抗議した。
「違うってば! なんかこいつ、テレビから出てきたの!」
「ふーん」
そんだけ? って反応をするお姉ちゃんがすごい不思議だ。昔から、私の言うことを嘘だとか、否定したことがない。
由希が紐と布団もとってくれて、晴れて自由になった。
うおお! なんて頼りがいのある姉と弟! 失礼なこと言ったのは許すから! ああ、でも作戦だったのかな? でも本気で思ってた感じもしたよ?
お姉ちゃんは私たちを庇うように左腕を広げる。かっこいいけど、ジャージに裸足って……。
悔しそうにこっちを見てくる男を、私はきちんとその時に認識した。あ、あれ?
浅黒い肌に、癖のある黒髪。顔立ちはいいほうだ。ん? うちの由希とは趣旨の違う美形、と言えなくもない。
「さて。悪いがうちはどっちかっていうと、それほど裕福じゃないんだ。今なら逃がしてやってもいいけど、どうするね?」
「………………」
男が口を開いて何か言うけど、由希が首を傾げた。
「なに? 亜矢姉、わかる?」
「わ、わかるわけないでしょ! ほんと怖かったんだから~!」
じたばたして由希に抱きつくと、はいはいと面倒そうに由希が返してきた。こらぁ! 姉には優しくしろー!
お姉ちゃんだけは黙ってたけど、ふむ、と頷いた。
「なにやら迎えが来るのを待っているみたいだね」
「……お姉ちゃん、言葉がわかるの?」
「いや?」
「…………なんでわかるの?」
「見りゃわかるだろ」
さらりと言われて私はふらり、とよろめいた。
どこが。見たらわかるってなによ、それ。相変わらずこの人、むちゃくちゃだわ。
すぐ傍で由希がぶはっ、と吹き出して、げらげら笑い出した。
「ははは! さすが美和姉~! すげー!」
「笑いすぎよ、由希」
「だってすごいじゃん! 探偵直感は言語をも超えるか!」
すげーすげーと連発する由希のことは放っておいて、私はお姉ちゃんをうかがった。どうする気なんだろう……。できればもう帰って欲しい、かも。
なにやらまくし立てている男をお姉ちゃんは眺め、面倒そうにした。
「連れが来るそうだし、このまま置いておいてもいいんじゃないかね?」
「えー! やだやだ!」
思わず、ぶんぶんと首を左右に振りながら言うと、お姉ちゃんは肩をすくめた。
「そんなこと言われてもねえ、あたしゃか弱い一般市民だから」
どこがよ!
思わず突っ込もうとしたら、由希がまたげらげらと笑い声をたてた。笑いすぎだっての!
「まぁ俺も美和姉も、護身術ちょっとかじっただけだし、無茶できないっていうのわかるけどさ」
「でも泥棒もどきよ! 追い出しちゃおうよ!」
必死に言う私を、青年が見てくる。ひっ! 思わず由希の背後に完全に隠れてしまった。
ていうか、なんなのこの家族は! 前から異常だとは思ってたけど、ここまでなんて!
ふつう、家の中に見知らぬ男がいて、家族が縛り上げられてたらもっと怒るし、動揺するもんじゃないの!?
変人だ変態だと散々思ってきたけど……まさかここまでなんて……。
「……あらら。なんか亜矢姉が脱力しちゃってるんだけど……。
美和姉、どうすんの?」
困ったような由希が珍しく気遣ってくれている……。でも絶対、背後に私が寄りかかってて重いからだ。……くそー。
「まああちらさんは出て行く気がないみたいだし、放っておくかね」
こらああああああああ! なにその対処! ありえないでしょ!
「梅沢さん呼んで、逮捕してもらおうよお姉ちゃん!」
我ながらナイスアイデア!
頷きつつそう言うと、お姉ちゃんは面倒そうに片手を振ってみせた。
「ついさっきまで顔つき合わせてたんだよ。やだね」
「面倒なだけでしょ!」
「あっちはお役人。あたしらのありがた~い税金で食ってる公僕なんだよ? あんまり手をわずらわせちゃ、可哀想じゃないか」
「うそばっかり!」
呼びつけるとすぐに来るとわかってるから、嫌がってるだけなの、知ってるんだから!
お姉ちゃんのことが好きな梅沢さんとしてはかな~り可哀想な話だけどね。ああ、本当に脈がなさそうで、泣けてくるわ。
「うーん。亜矢がそんなに嫌がるなんて、死体を前にした時と、ゴキブリを前にした時くらいかと思ってたよ」
どこか感心したように言うお姉ちゃんを、私は思わずぎろりと睨む。
どっちも大嫌いだけど、不審者に親切なんて異常よ、異常!
お姉ちゃんは不審者、もとい泥棒に向き直った。
「というわけで、出て行っとくれよ」
さらりと、日本語で言った。
………………あの?
その人、日本人じゃないと、思う……んだけど?
「居てもいいところ紹介したげるよ。
諒色寺ってとこなんだけど、あそこならうちより広いしね」
ひっ! よりにもよって、お姉ちゃんの友達のあの一色さんに預けようと……いや、丸投げしようとしてる!
ちなみに一色さんていうのはお姉ちゃんの幼馴染。でも恋愛感情なしの、友情だけの男の人。
スキンヘッドの若者だけど、かなりのネット通だし、なんか色々やばいことやってそうだし、怪しいし……な、人だ。
なによりあのアロハ! なんでいっつもアロハシャツ着てるのよ! 冬はその下にさりげなくババシャツ着てるの知ってるんだけど!
お姉ちゃんは泥棒を観察し、溜息をついた。
「お迎えはここじゃないとわからないそうだよ。亜矢、諦めな」
「えー!」
なんでこっちが折れるのよ! おかしいじゃない! こっちは被害者なのよ! どうして加害者を擁護するのよ!
むむむと睨んでいると、お姉ちゃんがしょうがないねと呟いた。
「じゃあこのリビングから出ないようにしてもらおうじゃないか」
「はあ?」
言ってる意味がわかんないんですけど。
さすがに由希にもわからないようで、「んん?」と洩らしている。
「円に結界でも張ってもらおうかね。あんなんでも、坊主だし」
宗教が違うんですけど! ていうか、お寺って結界とかそういうオカルトオッケーだっけ?
いや、人形をおさめるお寺か神社があるんだから、あってもおかしくな…………いやいやいや、変でしょ今の会話!
「すげー、まどかちゃん、そんなことできんの?」
「知らないけど、できそうじゃないか」
なんですってー! 適当なこと言わないでよ!
由希は「でもできそうだよな」と笑っている。笑ってる場合じゃないし、何回も注意してるけど、一色さんをしかも下の名前で「ちゃん」を付けて呼ばないの!
と、そこで泥棒が何か話しかけてきた。お姉ちゃんに懸命に、というより対等な立場として? 話してる感じがする。
……まあね。お姉ちゃん、ムダに態度でかいしね。本人、そのつもりないみたいだけど……。
「ねえ由希、なに喋ってるかわかる?」
「さあね。ていうか、喋ってないのに事情わかる美和姉ってすごくね?」
そっち!?
思わず睨みつけると、由希は泥棒のほうに視線をすぐに戻した。調子のいいやつね、本当!
一通り話し終えたあと、お姉ちゃんが頷いた。そしてこっちを見る。
「なに言ってんのか、さっぱりわからないね。困ったね」
「うっそー! わかってそうな顔と合致しないセリフ言わないでよ!」
涙目になる私に、でも、とお姉ちゃんは続ける。
「どうやらどこかから逃げてきてて、迎えを待ってるってのは当たってるっぽいね。匿って欲しいんじゃないかね」
「…………こんな狭い一般家庭で?」
すいません、異文化交流は避けたい所存なんですけど。
「てこでも動きそうにないけどね。ま、どうしてもってんなら、円を呼んで連れて行ってもらうよ」
それって無理やりってことじゃない! 戦える坊主を自称してるあの人を呼んだら、部屋が大惨事になるわよ!
ぎゅう、と由希の肩を握る手に力を込める。
「い、いてぇよ姉ちゃん」
「おねえちゃんは、かなしい」
「わかるけどさぁ、言葉も通じないし、さっきの亜矢姉の状態見てたらこっちも危ないぜ?
通報なんてしてみなよ。刺されるかもじゃん」
「あんたには私を守ろうとかいうそういう気概はないわけ?」
薄情な弟をまた睨むけど、由希は平然としてる。まあね……わかってたけど。
私は渋々頷いた。変人だらけのこの家族で、2対1という状況だ。まず勝てるはずがないもの。
「わ、わかったわよ。でもすぐに迎えに来てもらうようにしてもらって!
あと、謝ってよさっきのこと!」
由希の背後からそうお姉ちゃんに喚くと、
「ああ、悪かったね」
「お姉ちゃんじゃなくて、そっちの泥棒!」
指をさすと、泥棒がこちらを睨んだ。ひっ! 怖い!
お姉ちゃんは首を軽く傾げて、そうだねえと呟く。
「謝りなよ。悪いのはあんただ」
また日本語で言ってるし……。
通じないのが当然なので、泥棒は頭の上にハテナマークを浮かべている。
と、つかつかとお姉ちゃんが泥棒に近づき、無理にその頭を掴んで下へと押した。
「謝りな。わたしの妹に無体なことしたあんたが悪い」
「………………っ」
必死に頭を上げようとしているみたいだけど、泥棒はそれができないみたい。
困惑して私は由希を見ると、
「あっちゃー。美和姉、実はすごい怒ってんじゃないの?」
と、苦虫を潰したような声で小さく言う。
……怒って、るんだ。…………あのお姉ちゃんが?
や、でも……今までも、そうだったかも。私が危険にさらされると、すごい怒ってくれたし……。
………………うん。
じゃあ、いいか。
「も、もういいわよ、お姉ちゃん」
「土下座させるまで待っとくれよ」
「も、もういいからっ!」
このままだと無茶苦茶しそう!
慌てて止めると、「そうかい」とお姉ちゃんは手を離した。
解放された泥棒は息ができなかったらしく、激しくむせている。…………どういうことしたの、お姉ちゃんってば。
泥棒がまたお姉ちゃんに話しかけた。
「ああ? 用心棒なんてごめんだよ!」
冷たくそう言い放ってお姉ちゃんはさっさとリビングを出て行ってしまった。
……え? 用心棒頼まれたの?
え? ちょ、ちょっと待って。通訳いなかったらここ、成り立たないんじゃないの?
ちらりと泥棒を見ると、むすっとした表情でいる。ほらやっぱり怒ってるし!
「ゆ、由希は置いていかないわよね……?」
恐る恐る確認すると、弟はけろりと笑った。
「えー? 途中で止めてるフィギュア、作りたいんだけどー」
「そんなお人形遊びはあとでいいから!」
血の繋がった人間であるお姉さんと遊びましょう!
「えぇ? 亜矢姉、そんな人形遊びとか言ったら、その界隈の連中、すっげー怒るぜ?」
「ものの例えよ、ものの!」
緊急時だと気づきたまえよ、我が弟よ! なぜにいつもと同じペースなの、あんたは!
「放っておけばいいじゃん、こんな外人」
「なに言ってんのよ! 家の中をうろうろされたら嫌じゃない!」
「……そりゃそうだな。俺の部屋に入って来られたら抹殺ものだぜ?」
可愛い顔してなんとも怖いことを冷たい声で言うものだ。……やりそう、こいつなら。
ていうか、カオスと化してるあんたの部屋になんて、私なら絶対入りたいなんて思わないわよ?
「じゃ、テレビでも観てる? しょうがないから、姉孝行でもしてやるよ」
「ゆ、由希ぃ」
思わず涙ぐんで抱きつくと、
「……亜矢姉、相変わらずだな。いい具合なおっきさだ」
…………この変態!




