第二章 ティアズゲーム 【8】
「宣誓せよ」
ナギルと亜矢は前もって指示されていたように、互いに向き合って、少し俯いた状態で立っている。
ナギルは先ほどから亜矢の様子が少しおかしいことに気づいていた。
(やはり……はっきり言い過ぎたか?)
だが実際にそうなのだ。ナギルには恋愛感情というのがよくわからない。
家族愛というなら、嫌と言うほど木暮家の者に見せてもらったが…………。
二人とも、右手を宣誓するように挙げた。そして、掌をぴたりと合わせる。
亜矢の手はナギルの手よりも幾分も小さく華奢だ。剣を持つことも多いナギルは豆でごつごつしているので、たぶん、内心驚かせているはずだ。
モンテではなくアシャーテが婚約式の段取りを整え、宣誓師を連れてきたのは手早く済ませるためなのだろう。さすがに魔力が強力だけあり、アシャーテはあっという間にこの広間に結界を張って侵入する者がいないようにとしてくれた。
第三王子のエルイスがなぜここまで親切なのか、ナギルには不気味でしょうがなかった。第一王子のアルバートとはまだ会っていない様子だったが…………。
宣誓師は重なった掌を確認し、ナギルの左腕に手をかざす。
「乙女よ。汝、この男との絆を誓え」
「………………」
指示された「誓う」という言葉を言わないので、ナギルは心配になって彼女の表情をうかがった。
ぎょっとしてしまう。亜矢は泣きそうだった。
(な、泣くほど嫌だったのか?)
後で破棄できるようにとも言ったのに?
なんだかここまでくると疲れてくる。
「……ちかう」
ぽつりと亜矢が呟いた刹那、亜矢の右腕にナギルと同じ紋章が浮かび上がった。まるで片翼を思わせるような不可思議な、だがこちらの世界には馴染みのある「第七の」紋様だ。
(これで妖精は手出しできまい)
安堵したナギルは脱力したように亜矢が座り込むのに驚いた。
宣誓師も「んん?」と洩らしている。
「どうした? 気分が悪いのか?」
「……んーん。ちょっと考えてて、ぐるぐる回っちゃって………………でもごめん」
は?
ナギルにはさっぱりわからないので、思わず宣誓師のほうを見る。年老いた宣誓師もわからないようで首を激しく左右に振っている。
俯いて、亜矢はそのまま続けた。
「私、ほら、ナギルに最初すごい悪い印象受けちゃって」
「……ああ」
「そのままでいるから、ナギルが助けに来てくれたって聞いてすごくびっくりしちゃって」
「…………」
「ひどい人だって、高飛車で迷惑だってずっと思ってて」
(…………亜矢の美徳は言葉を虚偽で飾らないことだな)
思わず口元が引きつる。
はっきり言い過ぎるのだ。
けれど亜矢は素直な性格が災いして、混乱すると全部口から洩れてしまうのだろう。それは魂だけの状態でよくわかった。
彼女は常に表情には出ていたが、口にはしないことがかなりあった。だからこうして口にする時は、感情のままに。
「あなたのいいところ、ちっとも知らないってことに気づいたの。ごめんなさい」
「……――――」
奈落の底、というか…………突き落とされた気がした。
(まずい)
なんだろう、この感覚は。
嫌な予感でナギルは全身に嫌な汗をかいた。
「………………」
深呼吸一つ。気を落ち着かせないとまずいことになる。これは本能が知らせていた。
ナギルはふっ、と息を吐き出してから亜矢の腕を掴んで引っ張りあげた。
「巻き込んだのはオレだと言っただろうが。それに、誓っている間はおまえを守るのもオレの役目の一つだ」
「……そういうものなの? こっちの世界ってなんか、色々あって面倒なのね」
ぼーっとして応える亜矢は立ち上がり、「ふぅん」とこれまた、覇気のない声で呟く。
滞りなく婚約式はおこなわれたというのに、ナギルの中の気持ちの悪い感覚は膨れ上がるばかりだった。
広間を出たそこに、おろおろした様子のモンテと、アシャーテが待っていた。
「終わったようだな、弟君。おまえも毛色の変わった女が好みだな」
「兄上……」
ナギルがたしなめるようにそう言った直後、亜矢がアシャーテに距離を詰めた。びっくりしたように目を見開くアシャーテを、彼女が睨む。
「えっと、ナギルのお兄さん、ですよね?」
「そうだ」
「私のお姉ちゃんが、妖精との勝負に勝ったって聞いたんですけど、どうなるんですか?」
ナギルは広間に居たために、情報がその間遮断されていた。亜矢がぼんやりしていた理由の半分はここにあったらしい。
そう気づいた途端、ナギルは猛烈な泥臭い感情が広がるのに気づいて仰天する。
(え? な、なんだ……)
亜矢が美和を大事に想っているのは知っているのに。
けれど婚約式の最中まで姉のことを心配していたとは!
「王子、顔色が悪いですぞ」
モンテが寄ってきて小さく囁いてくるので、ナギルは小さく笑う。
「……オレはミワ殿より頼りにならないか?」
「は? あー……えっと、ジャンルが違うと考えるのはいかがでしょう?」
「ジャンル?」
「アヤ様にとってミワ殿はヒーローなのです。いついかなる時もやってくる白馬の王子ですな」
「王子はオレだ!」
「そんなことはわかってますよ。そうじゃなくて、アヤ様は王子の情けない姿しか見てないわけで、ちっとも頼りになるとわかっていらっしゃらないんです」
「そ、それはそうだとは思うが」
「結局精霊の森の出来事も憶えてらっしゃらないんでしょう? それでは王子の、彼女の脳内評価は『迷惑な異邦人』止まりです」
「………………」
考えてみれば、モンテもはっきり言う性格だった。それが気に入って傍に置いていたのだが……こう、ぐさぐさと胸にナイフを突き立てられているような感覚に陥るのはなぜだ?
「おぬしの姉君には、私も会ってみたいものだな」
朗らかに応えるエルイスの言葉にモンテとナギルが青ざめた。それはやめたほうがいい。絶対に。
「お姉ちゃんはどうなるんですか? こっちの王様になるはずなんて、あるわけないんですけど」
「妖精の誘いを真っ向から断ったと聞く」
エルイスの言葉の真偽を確かめるためにモンテのほうをナギルは見た。モンテは渋い顔で頷く。
実際、あの場にいた者は冷汗ものだったのだ。
妖精たちがしきりに「王になりなさい」と言っていたのに「誘拐犯め」と言い返す美和のキレ方は半端ではなかった。
「まぁ、アヤ殿が弟の婚約者になったのだから、多少は融通がきくようにはなったがね」
「? どういうことですか」
「『庶民』から格上げしたということだ」
堂々と言われてナギルは亜矢を咄嗟に自分の背後に隠した。
「兄上、口が少々悪いようですな」
「なに。アヤ殿は気にするようなタイプではないと考えたゆえなぁ」
はははと笑う三番目の兄は、「うっ」と声を発してそのまま沈黙してしまう。
アシャーテは困惑し、「す、すみません。殿下が失礼なことばかり」としきりに頭をさげた。
どうやら肉体の主導権がアシャーテに戻ったらしい。
「アヤ様も、申し訳ありません。殿下は他人を見下すのが大好きなので」
ひどい言われようであった。
亜矢は「うーん」と考えてから首を傾げる。
「いやまぁ、庶民なのは間違ってないからいいんですけど。
エルイスさんはどうかしたんですか?」
「さあ……? 体調でも悪くなったのかもしれません。わたくしは戻りますので、失礼いたします」
姿をすぐさま消してしまうアシャーテ。残されたのは三人だけだ。
気まずい空気が流れる。
「…………エルイス様は性格が悪いですなぁ」
「ああ。あれさえなければいい兄上なんだが……」
「………………」
三人がそれぞれ思ったことを口に出したり、出さなかったりで……とりあえず彼らは歩き出した。
三人はまだ知らない。べつの事件がすでに始まっていたことに。
それは美和へ王位を譲れという妖精とのいざこざとは、まったく関係のないところで発生した。




