第二章 ティアズゲーム 【6】
私は私を見下ろしていた。
あれ~? なんか変なの。
意識がぼんやりとしているし、真下では私がナギルに背負われたままぐったりしている。
彼は折れた剣を振るって、なにかしていた。
閃光が稲妻のように神殿内を駆け抜け、彼の衣服がはためいた。
初めてテレビから出てきた時と似ている衣服。けれども露出が高めのそれのせいか、はためいた衣服の下で、彼の肌が少し露になる。
浅黒い肌に、大きく紋章が描かれていた。それがまるで蠢いて、息をしているかのようにおぞましく感じる。
「どけ!」
ナギルの恫喝の声に神殿がびりびりと揺れた。
わっ、と何かが散っていく。それも引き裂かれるように。
何が起こっているのかはっきり認識できない私は、眠っている私に近づく。
触れた頬をすり抜けてしまう。けれどもそのまま私はずぶりとそこへ埋まっていった。
元居た場所に戻るために……。
そんな夢を見たせいか、寝起きは最悪だった。
「うー……」
呻き声を発して、寝返りを打つ。すると、何かが額に当たった。
「……いっつー……」
右手で額を摩って、面倒ながらも瞼を開けると、赤い瞳と視線がかち合った。
あれ……? あれれ?
きょとんとする私を、彼は不機嫌そうに見下ろしている。
私は彼の膝に額をぶつけたらしい。
膝枕ではなく、あぐらをかいた状態のナギルの足によりかかって眠っていたことがわかり、恥ずかしさに顔が熱くなった。
「起きたか」
「お、起きました」
機械的にそう応え、私は引きつった笑みを浮かべた。
彼は嘆息し、それから頭に巻いたターバンを軽く揺らす。……ターバンに似てるけど、合ってるのかな、『ターバン』で。まあいっか。
頭の右端に垂らされたその布が揺れ、彼は眉間に皺を寄せた。
「ベッドで眠ってくれないので、どうしようかと思案していたところだ」
「? なにが?」
「おまえがベッドで眠るのを嫌がったのだが」
じろりと睨まれて、私は不思議になって上半身を起こす。
はらりと何かが落ちた。そこに視線をやり、仰天した。
「ぎゃーっ!」
気づくなり、悲鳴をあげてナギルを突き飛ばした。彼は不自然な体勢のまま、その場でごろんと転倒する。
んなっ、な、何も、何も着ていないとか……!
かろうじてかけてあったシーツらしきものを手繰り寄せて身体に巻きつける。
なにこれ。どうなってんの?
ていうか、見られた!?
起き上がったナギルは忌々しそうに私を見遣り、舌打ちする。な、なにその態度!
「妖精の粉まみれの衣服を着せておくわけにはいかないからな。それに、近くにいないとまたヤツらがさらいに来る可能性があった」
「? さらいに来る?」
「妖精どもはおまえを『惑わし』に遭わせた。それだけだ」
「で、でも、ふ、服をっ、ぬ、脱がせたままなんて……!」
「………………」
呆れたようにナギルが見て、頬杖をついた。
「妖精の粉のついた服を脱げと言ったら散々駄々をこねられて、仕方なく脱がせただけだ。
抵抗されたから、目隠しまでさせられていたんだぞ?」
「そ、そうなの?」
「触るなとかエッチとか、…………意味不明なことも散々言っていた。憶えていないのだろうな?」
「憶えてません……」
「脱いだ途端にくらくらするとか言い出して、眠いと喚いたんだ。
ベッドに行けと言っても聞かないで、とうとう座り込んで寝だした」
「うそ……」
なんていう醜態だ。いくらなんでもひどすぎる。
ナギルは面倒そうに息を吐き出し、瞼を閉じる。
「おまえの貧相な身体など見ていないから安心しろ」
ひっ!?
…………むぐ。お世辞にも確かにすごいボディというわけではないけど……。
そ、そこそこ胸はあると……思う。平均よりは、少し…………少しだけど……たぶん…………。
どーせ王宮とか、お城とか? そういうところにいる美人には敵わないわよ! うちはしがない一般市民の家庭なんだし!
ん?
その時ようやくわたしは周囲を見回して気づく。
豪奢な室内は広い。床には細かい手作業で作られたような模様の豪華そうな絨毯が広がっている。
ベッドとかはあるけど、低い。広いけど、高さがあまりない。
ナギルは大きなクッションみたいなものを肘置きにしていて、こっちを面倒そうに眺めていた。……ま、マハラジャ……?
いやでも、室内はインドっぽくないというか……。いや、インドに失礼よね。私のイメージだし。
「あ、あの、なにか服を……」
屈辱に耐えつつ小さな声で訴えると、ナギルはじろりと見てきた。うぅ、なによその目。
「清めてからだ」
きよめる?
思わず目を細めて睨むように見ると、ナギルが面倒そうに視線を逸らした。
むっかー! なにその態度!
もしかしなくても、たぶんここは彼の部屋で、私はまたも事件に巻き込まれた。で、助けてくれたのが彼……なのかしら?
…………重い。空気が。
うわ~ん、お姉ちゃん、由希~! 誰かいないの~?
思わず視線を床に落として膝を抱えてしまう。もちろん、シーツは身体に巻きつけて。
どたどたと足音が響いてきて、私は怪訝に思いつつ顔をあげる。ナギルはその足音が部屋の前で止まるのがわかっていたかのようだった。
「王子!」
派手な音をたてて両開きの扉を開けて入ってきたのはインコ……モンテさんだ。……や、やっぱり何度見ても慣れない。
視線を逸らしつつ、部屋の隅にそろそろと座ったまま移動をしている私など気づいていないようで、モンテさんは一直線にナギルの元へ駆け寄っていく。
近づくと、一定の距離をとってひざまずいた。というか、正座に近い。こっちの世界ではこういうスタイルで接するのかなぁ。
「王子から王位継承権を剥奪すると……!」
言葉が続かないくらいに動揺しているみたいで、モンテさんはきょどきょどしている。
え? 王位継承権の剥奪?
それって……ナギルが王様になる権利がなくなるってこと?
ナギルは平然とした顔で「ああ」と低く洩らす。
「元老院の者達はわかっていないのです! 王子は婚約者を助けに行っただけで、非はないというのに!」
「……勝手にシャレイの森に侵入したのは罪だ。王位に興味はない。剥奪には承諾すると伝えろ」
「いけません! そんなことをしては、名ばかりの王族になります。さらに皆に見くびられます」
「それが?」
尊大に言い放つナギルは溜息混じりに返す。
「今さらだろう。どうせオレの母親の地位はこの国ではそれほど高くない。
元老院のジジィどもも、いい口実ができてちょうどいいだろうよ」
「王子!」
悲痛な声を出すモンテさんと、ナギルの間には明らかに温度差ができている。
「妖精どもには認められないだろうから、継承権から外れても問題はない」
「そ、それが……」
問題が大有りだと言わんばかりにモンテさんが押し黙った。
さすがにナギルが顔をしかめる。
「妖精どもは、現在の王位継承権全員を認めないと言っているのです。契約を破棄したいとまで」
「なっ……!」
「王に相応しい人物を見つけたので、そちらを王位につかせろと脅迫してきているのです」
「馬鹿な……」
険しい表情で言うナギルが、上半身を真っ直ぐに起こす。
「それで……誰だ? 妖精どもが選んだ人物は? 農夫か? 行商人か?」
「…………あの」
非常に言い難いのですが、と前ふりをして、
「名も知らぬ異世界人だと言うのです」
「…………異世界人」
ナギルの視線がこちらを見るが、すぐに考え直して外された。そうよね。だって私の名前は、妖精たちは知ってるもの。
「モンテ、相手は誰だ?」
「…………ミワ殿です」
絶句。
ナギルと私が揃って絶句しちゃった……のも、無理もない。
モンテさんはやや絶望的に青ざめた視線を床に落とす。まさに「がっくりした」体勢だ。
「王子がアヤ様を助けに行っている最中、あちらではティアズゲームがおこなわれていたのです」
「ティアズゲーム……! 王を試すという妖精の試練か」
初耳だとナギルが顔をしかめた。
あれ? そういえばなんでインコ……いや、失礼よね。モンテさんとナギルがここに居るの?
「ミワ殿は妖精相手に圧勝してしまわれて……」
「…………まさか。そんなこと」
なにかよくわからないけど、うちのお姉ちゃんが大変なことを仕出かしちゃったのは確かみたい……。
えええ……? な、なんか私の立場ってやばいんじゃ……。
「なるほどねぇ」
そんな声が割り込んできて、私はビクッと身を竦ませた。だ、誰!?
モンテさんが入ってきたのれんみたいなのがかかっている入口に立っていた、ぽかーんと口を開けてもいいほどの美女だった。
黒髪は長くてウェーブがかかっている。どこかナギルみたいな雰囲気があるのは、たぶんアジア系統の顔立ちのせいなのかもしれない。
真っ赤な衣服がとてもよく似合っている。
「………………」
シーツを巻きつけているだけの自分のことを見下ろし、比較して悲しくなってきた。
……これじゃ、確かに貧相って言われても仕方ない。……おかしいなぁ。中くらい以上はあると思ってたんだけどなぁ……。
「元老院のジジィどもはおかげで大騒ぎだ。おまえの婚約者を出せと騒いでるぞ、ナギル」
「兄上!」
「アルバート兄上はご帰還されたようだが、なにやら大変そうだな」
「………………」
無言で返すナギルと美女の会話に私は疑問符が飛び交う。
兄上? え? この人、ナギルのお兄さんなの? ニューハーフ……なのかしら? だってどう見ても胸があるし……。
え? え? あ、いや……うん、偏見はよくないわよね。いたっていいわよね、オカマくらい。そうよ。性別がなんだってのよ。
うんうんとしきりに頷いていると、ナギルがぐいっと頭を引き寄せた。
「なにをさっきからこくこく頷いているんだ! おまえのことだぞ、アヤ!」
「は?」
「は、じゃなくて……だな……」
力尽きたようなナギルの情けない顔。
あれぇ? なんだろう、この人、雰囲気ちょっと変わった?
くすくすと美女が笑う。
「愉快な婚約者殿だな」
「兄上、からかうのはよしてください」
「おまえは私に大きな借りができたのを忘れるなよ」
「……わかっております。王位継承では、あなたの元に就くと約束いたします」
え? いいの? そんな約束しちゃって?
目をまん丸にしていると、また美女が笑い出した。
「愛らしいなぁ。お名前はなんというのかな? おっと失礼、『本物』の私は部屋から出られない身なので、こうして私の魔道士の肉体を借りて喋っている」
「はぁ……?」
「この肉体はアシャーテという魔道士の者だ」
アシャーテと名乗った美女は軽く膝を折り、会釈をする。意志の強そうな瞳をしていて、すごい綺麗。
あ、美女って表現はおかしいのか。ニューハーフさんだけど…………うん、まぁ混乱するから美女でいいか。
「私は第三王子のエルイス。ナギルの兄だ」
「だっ、だいさんおうじぃ!?」
大声で発する前にナギルに掌で口を塞がれた。おかげで「むぐふふほぉ?」をみたいな発音になっちゃった。
「機会があれば訪ねてきてくれたまえ、お嬢さん。お名前は?」
「兄上には関係のないことです」
ムッとして言い返すナギルに美女がとうとう吹き出して笑い出した。
「アハハハハ!」
「兄上!」
「……べつに取って食いはしない。よほど気に入りはしない限りな。おまえの『婚約者』だぞ?」
「………………」
「どうも信用ないな、私は。まあいい。
おまえに協力したのは私もだ。おまえが私を推すというのだから、少しは協力してやろう」
「……どうするのです?」
「文句が出ないように、秘密裏に婚約式を済ませてその娘に刻印をつけるのだ」




