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小暮亜矢の冒険  作者: 真白もじ
第二章 ティアズゲーム
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第二章 ティアズゲーム 【3】

「………………」

 ザー……と、テレビのノイズ音だけが響き渡る中、誰も一言も洩らさない。

 さあ、どうする? いや、もうわかっているはずだ。

「……美和姉呼ぶしかねーと思う」

 どれだけ頑張ってもナギル以外はあちらへ行けないことがわかり、どん詰まりだった。もう打つ手がない。

 あちらの様子もわからない。助けることもできないでは、お手上げ状態だった。

「まどかちゃーん、美和姉起こしてきてよー!」

「そりゃあ無理さね。由希もよくわかってるさー」

 台所での雑談を中止して、戦う坊主はあっさりと笑って返した。

 触らぬ神に祟りなし。だが梅沢が立ち上がった。

「起こしてきましょうか、俺が」

「え? 梅沢さんマジで言ってんの?」

「本気ですが」

 きょとんとする警官。

 誰もが、彼の言っていることを冗談だと受け止めていた。


「美和さん」

 コンコンと控え目にノックをすると、部屋の奥から呻き声が響いてきた。掠れた声はまるで老婆だ。

「…………んー…………だれだぃ」

「梅沢です」

「知るか」

 ばふっ、という音がしたので布団でもかぶってしまったのだろう。

 梅沢の背後には由希、それにアルバートがいる。モンテはビビってしまい、円とキッチンで待機していた。

「もー、だから言ったじゃん。冬眠モードに入ってる美和姉起こすのって、すっげー難しいんだってば」

 美和は探偵としてのスキルが高いせいか、他のことに無頓着で、とにかく眠るのが大好きなのだ。趣味が睡眠と言ってもいい。

 普段からあまり動かないのに、亜矢の事件引き寄せ体質でかり出されると余計な体力を使う。それが「探偵」の体力と言ってもいい。

 だからこそ、余計に眠りにつくのが早いのだ。やはりどんな人間でも、プラスがあればマイナス部分があるということである。

「美和さん、実は新たな事件が発生したのですが」

「……そんなこと、知ったこっちゃないね」

「ですが、困るんです!」

「知ったことかい」

 声に張りが少し戻る。

 どうやら布団の中で面倒でイライラしているようだ。

 だがドアの前の梅沢は平然としていた。

「お礼に、ブランテージュの抹茶モナカを買ってこようと思うのですが」

「あんたねえ……」

「抹茶プリンもつけます」

「………………」

 しばし、室内でごそごそと音がしていたと思ったらドアがいきなり開いた。

 眠そうに瞼を擦り、

「税金泥棒だねぇ、梅沢のにーさんは」

「それなりの働きはしておりますが」

 にっこり笑う梅沢の表情に、美和は怪訝そうにするが、アルバートと由希が惜しみない拍手を送っているのに「はあ?」とも洩らした。


 数分後、いきさつを聞いた美和はすこぶる機嫌が悪かった。

 どっかりとソファに腰をおろした彼女は「なるほど」と呟く。

「そのヨーセーだかヨーサイだかわからないものは、亜矢のことを気に入ったわけだ」

「気に入った? どこをどうしたら気に入るんだよ?」

 由希が不満の声をあげる。

 確かに顔が可愛いのは認めよう。だが亜矢の持つ不運なまでの事件吸引体質は、酷すぎるのだ。

「一緒に居たら事件に巻き込まれるし、よほど根気のある友達か、家族じゃなきゃ一緒にいられないって」

 そのせいか、亜矢自身は知らないが友達はそれほど多くない。性格も悪くないのに、可哀想なことだ。

<あら。ナギル殿下はどこ?>

 リビングに響いた「声」に全員が……いや、美和を除いたメンバーが硬直した。

 ナギルの世界の、王族と契約を交わしているという……妖精の声だ。

「彼はそちらの世界に戻った」

<あら? 入れ違いかしら。ふふふ……意味のないことを>

 多重で聞こえる「声」に由希が苛立ち始めた。

 その時だ。

 静かに座っている美和に初めて妖精たちが気づいたようでざわめいた。

<ここにも女の子がいるわ……>

「ナギルの代わりだよ」

 そう短く呟き、美和は向かいのソファに座るメンバーに「どけ」と顎で示す。

 由希とアルバートは慌てて立ち上がって避けた。

<王子の代わり? 変わった人間だわ。面白い。面白いわね>

 きゃらきゃらと笑い声が響いた。美和が「やかましい!」と一喝しないのが不思議でならない。

「あんたたちが連れてるのはあたしの妹でね……帰しちゃくれないかい?」

 静かな美和の声に、由希の顔色がどんどん青くなっていく。

(み、美和姉――――!)

<いいわよいいわ。ならば勝負をしましょう。そうよ。勝負しましょう>



 アシャーテの移動魔術でもここが限界だ。

 一緒に運ばれた馬に乗り、ナギルはシャレイの森を目指して駆けていた。

 城の回廊を歩いていた亜矢の幽体と言うべきか、「理性」の塊はうずくまったまま、姉と弟に助けを求めていた。これで魂は3つだ。

「きっとあの二人なら来てくれるわ。あの二人は来てくれる。助けてくれるもの。お姉ちゃんと由希なら」

 それを聞いた時、ナギルは正直腹が立ってしょうがなかった。

 姉弟なのだから、助けを求めるのは当然の道理だ。だが、それでもこの異世界で一番頼りになるのは自分だ。

 仮とはいえ、婚約を結んだ。自分にだって、彼女を妻にすると宣誓した以上、撤回されるまではそれを貫く誠意はあるし、彼女を助けたいという気持ちもある。

(なぜオレを頼らぬ!?)

 憤りで馬を叱咤するように急がせていた。

 恋人でもない、ただの知り合いではある。けれど、いい加減な気持ちで婚約者になると言い出したわけではない。

 自分は王族で、王族の婚約は重い。だからこそ、彼女を守る覚悟もあったし、母のようにならないようにしようと考えた。

 もしも亜矢が本気で自分と結婚するというのなら、自分は迷わず彼女を受け入れるし、王族だからとその習慣を無理強いしないと決めていたのだ。

 ナギルとしても、最初の出逢いがまずかったのは自覚がある。亜矢がまったく許してくれていないのも……知っている。

 頼りにしてくれてもいいのに、少しくらい。

 そんな子供じみた嫉妬を感じつつ、ナギルはシャレイの森が視界の中に見えてほっと息を吐いた。

 『残り』の亜矢は森に囚われているはずだ。

 歯止めのきかない亜矢は妖精に気に入られて森へと呼ばれた。

 王族の中にあった『惑わし』。つまりは、神隠し。

 気に入った子供がいると妖精は連れ帰ってしまうことが昔は多かった。そのため、王族は妖精から身を守るために肉体にまず妖精避けの魔術を受ける。

 だが王宮に入った亜矢はナギルとの婚約と指輪で、仮の王族になった。妖精が近寄れる唯一の王族だ。

 ナギルは腰に携えている一振りの剣の柄を掴み、それを抜いた。ぎらつく刃には魔術がかけられている。

 森の入り口の寸前で、剣を一振りしてナギルは進んだ。実際は、妙な結界で中には入れないが、剣でその境界線を一時的に断ち切ったのだ。

 時間はない。結界は自動的に修復する。それまでに戻らなくてはならない。

 剣に込められた結界断絶の魔術は一つだけ。物に魔術を宿らせる回数には限度があり、そもそもが少ないのだ。

 シャレイの森の中は広い。だが普通の森とは違う。まず、生き物の呼吸が聞こえない。存在しているのは妖精と植物だけなのだ。

 虫も鳥も、そのほかの生物も、この森には生息できない。

 存在できるのは、抜け殻の肉体か、逆に、魂か。

 森の中央にある神殿に亜矢はいるだろう。そこを目指すのは簡単だ。道はないが、王子の馬術の腕前にはそんなこと、関係ないのだ。

 一直線に神殿を目指したナギルはぎょっとして手綱を引き、馬を止める。

(あれは……)

 木立の下に、半透明の亜矢が突っ立っている。

 こちらに背を向けている彼女に、馬から降りて近づいた。

「アヤ!」

 おそらく彼女の『欠片』だろう。

 声をかけると、亜矢はこちらを振り向いた。嬉しそうに顔が輝いたのは一瞬だけ。この光景は王宮でも見た。「理性」が最初に声をかけた時に見せた顔だ。

 苦々しい気持ちになるナギルは、ずんずんと近づいて安否を確かめる。やはり魂の欠片のようだ。足元に影もないし、透明度が高い。

「なんだ……お姉ちゃんじゃないのね……」

 がっかりした声が静かに反響する。魂の声はナギルの胸元にずどんと重いなにかを乗せた。

(うぐっ……、な、なんのこれしき)

 木暮家で木っ端微塵にされたプライドのことを考えれば些細なことだ。

 彼女が頼るのは一番上の姉であり、自分ではない。当然だ。そう、当然なのだ。

「ミワ殿もユキも心配している。戻るぞ」

「もどる? どこへ?」

 放心している亜矢の言葉にナギルはショックを受けた。王宮に居た亜矢の欠片は素直に賛同したのに、この欠片はそうではない。

 間違いなく、妖精の『惑わし』にかかっている!

「コグレの家だ。おまえの家ではないか」

「……でも、お姉ちゃんが迎えに来てくれなかったから……怒ってるんだわ」

「怒ってなどいない。心配していた」

「そりゃそうよ。妹だもん。でも、私は帰れない。私、帰るのに失敗しちゃったから」

 涙を浮かべる彼女はそのまま体裁もなく、ぽろぽろとそれを頬に伝わらせる。

「お姉ちゃんを怒らせちゃった……。あの時みたいに」

「あの時?」

「滅多に怒らないけど、私が迷子になった時と……殺人犯と、それと知らずに会話してた時……」

 ぼんやりと思い出すように喋る亜矢の言葉にナギルは卒倒しそうだった。

 亜矢が事件に巻き込まれやすい体質だということは散々聞かされていたが、それほど「頻繁」とは思わなかったのだ。

 これでは美和の心配の種が尽きないのは当たり前で、ナギルとの婚約に反対している理由も判明した。

 亜矢は美和にとっては守るべき対象で、彼女を守るに値する人物でなければ美和は認めないだろう。一生、だ。

 由希が心配しているのも不憫でならない。地球に戻ってすぐ、亜矢が幼い頃に誘拐されかけたことがあることを思い出して狼狽していた彼は、目を離したことを後悔していた。

 木暮亜矢はとにかくトラブルに遭いやすい。

 これはもう体質で、本人の意思は関係ない。

「ああ、そういえばまだあったわ……。ええと……」

「いや、もういい」

 聞けば聞くほど、気分が落ち込むのは目に見えている。

 ナギルは深く呼吸して、その後「はあ」と短く息を吐いた。

(問題なのは、本人は自覚している『つもり』ではあるが、無自覚ということか……)

 トラブルの一つに自分も含まれているのを感じて、ナギルは頭痛がした。

 自分との婚約も、亜矢にとっては好ましくないことの一つだろう。言い出したのはナギルだが……いや、元々はモンテではあるが、王族の婚約者になることなど、普通はありえない。

「お姉ちゃんに怒られちゃう……もっと警戒しろって言われてるのに……」

 警戒していてもダメなのは火を見るより明らかだ。

(あの二人が護身術を習っていたのは、アヤのためであったか……)

 長女と長男だけが身のこなしが違うのは、武術も学んだナギルにははっきりしていた。亜矢一人だけが、隙が多いのだ。だがそれは一般市民に多くみられるので、変だとは思わなかった。

 めそめそしている亜矢は、普段は表に出てこない意識の一つだろう。姉への恐怖、だ。

 幼い頃に誘拐されかけた亜矢を助けたのは美和だと聞いた。知らない男について行こうとしていた亜矢を、美和が引きとめ、誘拐犯の正体を見抜いたためだ。

 泣きながら謝る亜矢に、声もかけずに手を引いて美和は歩いて連れ帰ってきたというのだから、亜矢のトラウマの一つになっていてもおかしくはない。つまり、忘れている記憶の一つだ。

 ナギルは視線を一度落とし、それから上げて、まっすぐに亜矢を見た。

「帰ろう。ミワ殿とユキが心配していた。帰らなければ、ますます心配させる」

「でも迎えに来てくれない」

 強情な亜矢に、ナギルがぐっと我慢する。怒鳴りつけたいが、欠片の亜矢は一つの感情に支配されていて、常識が通じない。

「迎えに来たいと言っていたが、ダメだったのだ。だから代わりにオレが来た」

「代わり?」

 屈辱だ。

 はっきりそう思う。

 だが口にはできない。

「そうだ。ミワ殿から頼まれている。安心しろ」

 柔らかく言うと、亜矢はやっと納得して消え去った。これで一つ、終わった。

 欠片は元に戻ろうとする。魂をこれ以上分割されては元に戻せない。これ以上、欠片がないことをナギルは願い、馬に軽やかにまたがった。

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