第一章 異世界からの訪問者 【9】
木暮家では「一件落着~」とまではいかないまでも、そんな雰囲気をかもし出していた状態の際……。
うそぉ……、と私は硬直する。
「王子!?」
トカゲ頭の人が消えちゃった王子様にびっくりしてた。
私は青ざめ、横に立つ由希に目を遣る。由希も状況がわからなくてきょとんとしていた。
こ、これって……前代未聞の出来事じゃない……わけ? やばくない? いや、すごくやばい。
私たちは再びべつの部屋へと案内され、そのまま待つように言われた。
舌打ちする由希が唇を尖らせる。
「チッ。こんなことなら変装キット、何か持ってくればよかった」
……変装キットとか言わないの。だいたいそれも、お姉ちゃんの依頼があった時にやってたことじゃない。
部屋の中は豪華絢爛で、ふわふわのイスに座っていると居心地が悪い。木暮家のあの使い古した硬めのソファが懐かしい。
部屋の中を行ったり来たりしている由希が視界の中ですごく邪魔。でも気持ちはわからなくもない。
「ちょっと由希、大人しくしておきなさいよ。なにか不測のことが起きたのは間違いないんだし」
「どう見てもそうだろうよ。しかも、見た? あの王子の足元に小さく魔法陣出現してたの」
「え? ま、まほーじん?」
「何度説明すればいいんだよ! まったく、ここまでファンタジー素人だとこっちが情けなくなる」
悪かったわね! そもそも普通に生きてる人はファンタジーのファの字とは無関係で済むんだから!
「俺たちを召喚した時のものに似てたから、あの王子はどこかに召喚されたんだろ」
「どこって?」
「そこまでわかるわけないじゃん。とにかく、状況をもっと詳しく把握しないとこっちも危ない」
由希はこっちをじっと見つめ、目を細める。…………すごく嫌な予感。
「ね、亜矢姉。俺と衣装交換しない?」
「いやよ!」
それにこれ、脱ぐのも大変そうなんだもの!
「ちぇっ。そう言うと思ったよ。んー……じゃあ女中の衣装を拝借したほうが早いな」
え? なに? なに言ってんのこの子。
私が頭の上に疑問符を幾つか浮かべていると、いきなりドアを開けた。そこには兵士が立っていて、思わず私はぎょっとした。
み、見張られてる……!
物怖じしない由希は唐突に英語で喋りだした。
うぉ……さすがというか。我が弟ながら多才よね、本当に。英語の成績抜群だって聞いたけど、会話までできるとは。
日本語よりも聞き取られ難いと判断したんだろう。由希は私が不調だというように身振り手振りまで交えて必死に訴えている。……あれが演技だと知ってなければなんて姉思いなんだろうって感動するところなんだけど……。
とりあえず調子を合わせて具合の悪そうな演技をしてみるけど、たぶん……由希から見れば大根役者なんだろうな。うぅ……。
兵士はこちらの様子をうかがい、様子がおかしいと思ってくれたみたいだ。すぐに誰かを呼びに行き、入れ替わるようにメイドがやってくる。
言葉が通じないのはイヤリングをつけていないのでわかった。由希はジェスチャーと英語でまくしたてていて、メイドを困らせていた。
メイドの女性は私のほうへと近づいてきて、様子をうかがってくる。運んできた盆の上には色んな茶葉が乗せられているから、まぁ薬の類いだとは思うけど……。
ドアが閉じられているのを確認した由希がメイドの背後に音もなく忍び寄る。本当に猫みたい。
一撃でうなじに衝撃を与えて意識を奪うと、由希は盆を奪い取り、私のほうに倒れてきたメイドにびっくりしつつ私は支えた。
「じゃ、衣装を拝借しようかな。体格はなんとかなるだろうし、この人にはしばらく俺の代わりをしてもらおう。
亜矢姉はこの薬、飲んでるふりしてて」
「はあ?」
「敵情視察だって。すぐに戻ってくるよ」
「言葉も通じないんだから無茶言わないの! あんたどうするのよ?」
「美和姉ほどとはいかないけど、なんとなくわかると思うから大丈夫。それより亜矢姉、大根なんだからちゃんとやってろよ」
忠告するなり、いきなりメイドの衣服を脱がし始めるので私は悲鳴をあげそうになった。
「なんてことしてるのよあんた! 人でなし!」
「じゃあ亜矢姉が脱がしてくれればいいよ」
「そういう問題じゃない! 反省なさい!」
「は~?」
気の抜けた声で応じるな!
メイドさんの衣服を脱がせて後ろを向いていた由希に投げつける。受け取った由希はさっと自分の服を脱いでそれを着始めた。
ヘッドキャップまでつけて振り向くと……げげー! 女の子にしか見えない!
「ん。まあ化粧道具ないからこれ以上はどうにもなんないけど、じゃ、行って来るわ」
「行くってどこから?」
「窓」
まど?
私は窓のほうへと見遣る。確かにここは1階だし、見張りの兵士は窓にはいないけど……。
衣服を脱がせたメイドは由希の衣服を着て、私の足元に心配そうにすがりつくようにされている。
「部屋を覗かれたらすぐにバレちゃうわよ! だって一人足りないのよ?」
「そっちの衝立使うから大丈夫。影で女中がいるように仕立てるから」
ぐわー! こいつ本当に悪知恵っていうか、そういう小賢しい知恵ばっかり!
準備を手際よく仕立てると、お茶を淹れて由希は窓枠に手をかけた。
「じゃ、あとはよろしくな亜矢姉。すぐに戻って来る」
「……スカートでそのがさつな動きはやめなさいよ」
「するわけないじゃん。美和姉に言われて女子高に潜入した時に、一度もバレたことないの知ってるだろ?」
知ってるけど……。なんて不安にさせる弟なのかしら。将来が心配だわ。
ひらりと外に出て行った弟に、私は言い知れぬいや~な予感を感じた。
ドアが開いて、様子を兵士がうかがってくる。ヒッ! 慌てて病弱なふりをしつつ、お茶を飲む私。
兵士は逃げていないことに安堵してまたドアを閉めた。
ひぃぃぃぃ! なにこれ! すごいストレス! プレッシャーがすごいかかるんだけど!
しかも苦い! なにこのお茶! 苦い! 下剤とかだったらどうしようと泣きそうになった。
由希はものの数分で戻ってきて、あっという間に元の衣装に戻った。器用だわ、ほんと。
「で、どうだったの?」
「んー、騒動にはなってるけど、内々にって感じだな。ここに第一王子が来る事は内密みたいだね」
そりゃそうでしょうよ! いきなりやって来るとかありえないじゃない!
ほら、普通だったら段取りっつーものが存在するわけで、それ全部すっ飛ばして会いに来たわけでしょ?
白い目で見ていると由希が肩をすくめた。
「インコの名前が出てたから、たぶん王子を召喚したのはインコだ」
「え? インコって、あのインコ?」
てことは……第一王子って、ちきゅうに……?
青くなって薄く笑う私に由希が「おーい」と声をかけてくる。
「当たってると思うぜ、その予想。十中八九」
「お姉ちゃんの入れ知恵よね……」
なんていう大胆不敵!
たぶん私たちを取り戻すために王子を召喚したんだわ! 無謀にもほどがある!
「大変じゃない! これじゃ、話が大ごとになっちゃうわ」
「どうだろーなー。今頃、美和姉にやり込められてそうなイメージ浮かぶんだけど、オレ」
う! そ、それは言わないの!
「それより私たち、どうすればいいの? これって、マズイわよね……」
「逃げても逃げ場所なんてないし、俺はこのままここにいて状況に任せるのをおすすめするね」
私が座る長いすに、由希も座った。気絶したメイドは起きる気配がない。
「ふつう、こういう場合って逃げない?」
「それは地球の、日本での話だろ? 交番行けばいいとか、逃げる方向もなんとなくわかるだろ」
「うーん、まあそうね」
「でもここは別の世界で、俺たちは地理がわからない。どこ逃げたって兵士に見つかってまた捕まるのがオチだと思うけど」
…………なんて夢も希望もないこと言うのかしら、この子。
確かに本の世界みたいにうまくはいかないわよね……。確かに、この世界のこと全然知らないし!
「逃げてもどうにもならないことは亜矢姉だってよくわかってんだろ?」
「そ、それはそうだけど、心情的にはね……はは」
ふへへ、と変な笑いになっちゃった……。
逃げた先で無事にうまく事が運ぶなんて、めでたい思考は持ち合わせていない。
私は事件に遭遇するたびに絶望を味わうことも多かった。クラスメートがなんでもないことで殺されちゃった時とか。
そんな時はいつも…………ん?
「あ、そうか! じゃあ待てばいいんだわ」
「ん?」
「向こうにはお姉ちゃんだけじゃない。インコやナギルがいるもの。どうにかしようって動いてくれてるはずよね?」
「だろうね」
「だったら大人しくしていたほうがたぶん……いいわよね、うん」
「大人しくしてて、拷問とかされちゃったらシャレにならないけどね」
「ヒッ! あんたなんてこと言うのよほんとに! 冗談に聞こえないわよ!」
身を竦ませると由希が薄く笑う。
「いやだって、ありえない話じゃないしさ」
「アヤ様、ユキ殿」
ぼわ~んとした奇妙な反響のする音で名前を呼ばれた。
思わず由希に抱きつく。
「ちょ、ゆ、由希! 幽霊! 幽霊が出たわ! ファンタジーはそういう怪談もアリなの!?」
「いやこれ、インコの声だろ」
え?
きょろきょろと見回すけど、声の主はどこにもいない。
「こちらです。鏡台のほうへ」
耳障りな響きだけど、私たちは立ち上がって部屋に設置されている鏡台に近づく。
うおお! 怖い! 鏡いっぱいにインコの顔が! いや、顔っていうか、頭?
「ぶはっ! すげー!」
笑いを堪える由希の腹に肘で一撃を加え、私はやや引き気味になりつつ尋ねた。
「おお、無事のようですな」
「無事だけど……どうなるかわからないのよ。どうすればいいの?」
「王宮へ行くのです」
……どうやって?
横の由希に目配せするけど、由希は「さあ?」と目で応えただけだ。
「どうも行き来できないように強力に邪魔されておりましてな。王宮にある、隠し通路手前の部屋にある鏡を使えば帰って来れるのです」
「ど、どうやってそこまで行くのよ!」
「アヤ!」
呼ばれてぎくっとしてしまう。インコが背後を振り向き、なにかを受け取ってから頷いている。
この声はナギルだ。
「『リィエンの華』だ。これを身につけて王宮へ行くと兵士に伝えろ。そうすれば行けるはずだ」
「待ってくれ。行ってからの地図も必要だ。俺たちは異邦人なんだぜ?」
由希が遮ってもっともな意見を言った。
鏡からインコの手が無理にこちらに出てくる。
「指輪と、地図です。ミワ殿はさすがですな」
そう言うなりインコの姿が突如として消えた。どうやら通信はこれが精一杯だったのだろう。
床に落ちている指輪を私が、地図を由希が拾い上げた。
「あーあ、指輪なんてもらっちゃって」
「からかうんじゃないわよ! この様子だと、相当大変なことになってるじゃない!」
地図を広げながら由希が長いすに腰掛ける。
「まあこの地図を頭に叩き込むから、亜矢姉は兵士にどうやって命令するか考えるんだな。あのトカゲ頭のことも気になるし、こっちも気は抜けないぜ?」
「と、トカゲ頭って……」
たぶん……魔道士ってやつじゃないの?
私はどかっと由希の横に座り、腕を組んだ。そして、薬指に指輪をつける。あつらえたかのようにぴったりで、びっくりした。
ついている宝石は大きくない。けれどもリングは凝った細工がされていて、宝石のほうは見たこともないような虹色をしていた。
これ……ナギルにはとっても大事なものなんじゃ……。
そんな考えが過ぎったけど、今はそれどころじゃない! やらなきゃならないことがあるんだもの!
兵士をうまく騙して、王宮まで行く。そして隠し通路の前の部屋の鏡の前に行くこと。
あー、もう今頃お姉ちゃんたちはどうしてるだろう?




