第3話 絶望の果てに
仲間たちの撤退が始まった。
蓮は小田桐美沙を庇いながら、血走った目で迫る異形の巨体に向き直る。
「僕が食い止めます……早く!」
その叫びに、佐伯をはじめ残されたメンバーが振り返りかけたが――。
「……頼んだぞ、蓮君」
リーダーの声が全てを決した。
彼らは悔しさを滲ませつつ、美沙を抱え後方へと退いていく。
残されたのは、蓮ひとり。
ボスが咆哮し、赤い閃光のような腕が振り下ろされる。
蓮は剣を構えたが、刃は震えていた。
(僕なんかじゃあ……どうにもできない)
必死に受け止めた瞬間、骨が軋む。衝撃で吹き飛ばされ、壁に叩きつけられる。
視界が白く染まり、呼吸が途切れそうになる。
それでも立ち上がった。
(せめて……時間だけでも稼げれば……)
再び迫る巨影。
爪が薙ぎ払い、蓮の胸を深々と裂いた。
――熱い。
――痛い。
血が噴き出し、膝が崩れる。
死の淵。逃げ場はない。
◆
そのときだった。
――カチリ、と何かが脳内で噛み合うような音が響いた。
視界に、あり得ない光景が浮かび上がる。
半透明の黒いウィンドウ。
そこに浮かぶ見慣れない文字列。
《LEVEL UP SYSTEM 起動》
《現在レベル:0 → 1》
……これは、何だ?
蓮は混乱する余裕もなく、次の瞬間――全身を覆っていた痛みが、すうっと引いていくのを感じた。
裂けた胸の傷が閉じ、折れたはずの骨が繋がり、血に濡れた皮膚が再生していく。
「……嘘、だろ……」
呼吸が楽になる。
心臓の鼓動が力強く蘇る。
さっきまで死にかけていたはずなのに――。
そして目の前のボスは、一瞬だけ動きを止めた。
まるで何かに怯えるように。
◆
――その後の記憶は、途切れていた。
◆
外界。
渋谷のゲート前に急行していたギルド協会員たちは、緊急報告を受けていた。
途中で離脱した討伐者が「内部は二重ダンジョンだ」と叫び、仲間が全滅したと報告していたからだ。
だが――間もなくゲートは静かに閉じた。
「討伐成功……? いや、待て……全滅の報告が……」
「どういうことだ……?」
協会員たちの動揺が広がる。
常識的に考えれば、最弱のFランク一人がボスを討伐したなどあり得ない。
しかしゲートは消えた。世間的には“成功”としか映らない。
◆
閉じたゲートの傍らに――一人の青年が横たわっていた。
神谷蓮。
服は血に濡れ、破れていたが、不思議なことに傷ひとつ残っていなかった。
「……生きている……?」
「どうして……」
協会員たちは急いで彼を病院へと搬送する。
◆
病室。
意識を取り戻した蓮は、見知らぬ天井を見つめていた。
「……僕は、死んだんじゃ……」
呟いた瞬間、再び視界に浮かぶ黒いウィンドウ。
《LEVEL UP SYSTEM》
《現在レベル:1》
「……やっぱり、これ……」
蓮以外には、誰も見ることができない。
その直後、病室にギルド協会の職員が入ってきた。
「神谷蓮君。君に聞きたいことがある」
「……はい」
「二重ダンジョンは閉じた。だが……なぜ君だけが生き残ったのか。ボスを倒したのは君なのか?」
蓮は首を横に振る。
「……いいえ。僕なんかじゃあ、倒せるはずがありません」
協会員はしばし黙り込み、それから小声で言った。
「……まさか君は、“再覚醒者”なのか?」
再覚醒。
極めて稀に存在する、能力の限界を超えて再び覚醒する者。
S級討伐者すらも、その噂を耳にする程度の存在だ。
だが、次に行われた簡易測定は――。
《測定結果:Fランク》
協会員は落胆を隠せなかった。
蓮の肩にも、重く失望の影が落ちる。
(……やっぱり、僕は……)
だが、彼の視界にはまだ確かに、黒いウィンドウが浮かんでいた。
《スキル:レベルアップ》
その意味を理解するのは、これからのことだ。