第88話 真実は知らない方がいいな。
俺達は尼河家の別荘に到着した。
タクシーを降りて荷物を受け取り、大門扉を抜けた先に大邸宅が存在していた。
「でっけぇな! これが別荘かよ」
「そうか? 白木の本邸よりは小さいだろ」
「本邸ってウチはここまで大きくないよ?」
タクシーが止まった場所は門扉外。
そこから先は徒歩で向かった俺達だった。
まさか奥にこんな別荘が存在していようとは。
「違う違う。本家の方だ」
灯の比較対象が本家の屋敷だったのは反応に困ったが。
「「そっち?」」
咲も同じ反応だったしな。
これは仕方ないと思うしかない。
一方の市河さんは庶民の代表として驚くと思いきや、
「入らないので?」
きょとんと玄関扉を開けて待っていた。
あまりの反応に咲も目が点になるよな。
市河さん相手に「庶民でしょ?」と言いたげな表情で固まっていたのだから。
「あ、うん。今行く」
市河さんに呼ばれた咲は荷物を持って玄関へと入っていく。
俺は隣で佇む灯に問う。
「肝が据わってないか?」
「何度も来ているからな」
「それでか」
理由は簡単、幼い日より何度も遊びに来て泳いでいたようだ。
この別荘の下には尼河家のプライベートビーチがある。
「知っているから今更驚く必要はないと」
「行くぞ」
「ああ、今行く」
灯に呼ばれた俺は急ぎ足で別荘の中へと入っていった。
§
別荘内の部屋割りは男女別ではなく、交際相手と同じ部屋を割り当てられた。
「ベッドがふかふか」
「ホテルのスイートに匹敵する広さだな」
室内はダブルベッドが一つだけ。
ベッド以外はソファとテーブル、観葉植物等がバランス良く置かれていた。
窓の外は海の見えるバルコニーがあり小さいながらベンチも存在していた。
この別荘は滅多に人が訪れない割に埃の無い管理の行き届いた空間だった。
「ここで数日を過ごすと帰れなくなりそうだな。このベッドとか」
「うん。居心地は良さそうだよね。海も綺麗だし」
海は綺麗だよな。
だがな、俺の心を鷲づかみしたのはベッドなんだよ。
「このまま寝ていたい」
海よりも泳ぐ事よりも人をダメにするベッドに惚れたのだ。
直前に熱烈な光景を直視していたから単純に疲れただけな。
「寝たらダメだよ! 死ぬよ!」
「心がな……やばっ。眠い……」
「寝たらダメだって!」
このやりとり何処かで見たな?
ああ、どこぞの芸人のコントか。
そんなコントを二人でしていると、
「泳がないので?」
きょとんの市河さんがラッシュガードを着て扉前に立っていた。
その瞬間、俺の眠気が飛んでった。
「おい、あれ?」
「ふ、不思議だね。どうやって収まっているの?」
咲も驚愕したまま指をさしていた。
これを見て驚くなと言う方が難しい。
「俺は幻覚を見ているのか。死ぬのか?」
「私も幻覚を見ているのかも。暑すぎて」
「何をバカな事を言っているのですか?」
いや、だってな?
電車内で晒されていた二つの大玉メロンが見えていないのだ。
胸元から大きな存在が消え失せていたからな。
すると咲が何かに気づく。
「あ、よく見ると、ほら?」
指先を見ると市河さんの太ももが見えていなかった。
「ああ、なるほど。そういう理屈か」
「一体、何の話をしているので?」
つまりあのラッシュガードは灯の私物と。
「これって彼シャツか?」
「一応、そうなるかもね。ちょっと見てくるよ」
咲はそう言って座っていたベッドから立ち上がり、
「え? あの、何か?」
市河さんの元へと向かう。
「少し、ごめんね!」
謝った咲は市河さんの前で屈む。
ラッシュガードの真下から中を覗き込んだ。
「ひゃ!? い、一体何を?」
急に覗き込まれたら、驚くよな。
「下乳の存在を確認!」
なるほど、やはり存在していたか。
覗き込まれて報告された市河さんは混乱している。
「ど、どういう意味ですか!」
「あら? 毛根を根絶したのね」
「だから?!」
「ん?」
その後も咲の観察は続いたが何かに気づいて、
「ビキニショーツ、穿き忘れてるよ?」
立ち上がったのち市河さんに囁きかけた。
咲の囁きを聞いた市河さんはラッシュガードの後ろから自身の腰に触れていく。
パチパチと音をさせ、戸惑いのまま真っ赤に染まった。
「ふぁ? え? え? あ、忘れてた!」
「今なら間に合うから穿いてきたら?」
「そ、そうしますぅ!」
脱兎の如く、割り当てられた部屋へと入っていった。
微かに聞こえた声音から俺は何事かと咲に問う。
「なんだ?」
咲はスーツケースから自分の水着を取り出して一枚のパンツを示した。
「これを忘れていたみたい。碧ちゃんのビキニ、白だったから」
「それを穿き忘れていたのか?」
「うん。これが無かったら肌が透けるの」
肌が透ける?
それとチラッと聞こえた……あ。
「咲、グッジョブ!」
理解した俺は右手でサムズアップした。
マジで良くやったと思うわ。
最悪、灯の手で海に沈められてしまうから。
その後は俺達も水着に着替える。
この時の俺は物陰に隠れて着替えたのだが、
「というか、カーテン閉めないか?」
「何言ってるの? この解放感が最高なのに」
咲はカーテンを開いたまま裸になり平然としていた。
「まぁ咲が良いならいいか」
おそらくこれは露天風呂の件で羞恥心が吹っ飛んだからだと思う。
咲は気にせず下から順に水着を着ていく。
「こんな感じ?」
市河さんが穿き忘れたパンツをわざわざ穿いて魅せてきた。
「ああ、そうやって守るのか」
「この上に水着を着ていくの」
咲が選んだ水着は黒ビキニだった。
咲も最初は淡い色合いのワンピースを選んでいたのだが、買い物デートの最中に灯から市河さんの水着を示されてしまい、負けてなるものかと黒ビキニに変えたのだ。
女子には女子の勝負というものがあるのだろう。
俺は普通に黒い短パンだがな。
咲はトップスを身につけ、胸周りの肉を収めていく。
「でもさ、育って良かったよ」
「そうだな。Eだっけ?」
買い物時に判明したが壁が厚いと言っていたEに育っていたんだよな。
「うん。揉まれてもいないのに育ったのは驚きだけど」
「それは食生活もあるんじゃないか? お義母さんも大きいし」
「そうかも! ん? なんで母さんのおっぱいを?」
「本人からの自己申告」
お義母さんがメッセージで「私はGよ」と伝えてきた時は気まずかった。
咲のシャワー中に送ってきて「耀子と呼んで」と書かれていて絶句した。
俺の自己申告を聞いた咲は過去最高の笑顔になった。
「あとで母さんとお話しなきゃ」
笑顔だが目は笑ってない。
これは母子喧嘩が勃発か?
「ほ、ほどほどにな?」
着替えを終え、二人で玄関まで向かう。
当然ながらラッシュガードを着る前に、日焼け止めのスプレーを吹き付け合った。
それは紛失して困る事と日焼けしながら吹き付けるのは無いと思ったからだ。
しかし玄関に二人は居らず、
「こっちだこっち!」
「早く来て下さい!」
外に出ると海側の通路に二人で立っていた。
まさに大興奮って感じだよな、市河さん。
俺と咲は顔を見合わせ噴き出した。
「「ぷっ」」
今の気分は元気な子供を見守る夫婦って感じだ。
それこそあの二人は年の離れた兄と元気な妹か。
俺達は二人に遅れながらも海に向かう。
「ん〜! 日差しが強い!」
「麦わら帽子持ってきていて正解だったな?」
「そうだね! 明君も自転車のアイウェアだよね、それ?」
「ああ。紫外線を避けるにはこれが丁度良いからな」
本当は新しいサングラスを買う余裕が無かっただけだ。
家の事とかロードのパーツとか出費が大きかったから。
すると咲が後悔した素振りで愚痴りだす。
「私も持ってくれば良かった!」
俺は飲料水の入ったバッグからアイウェアを取り出した。
「持ってきているぞ?」
俺が自分だけ用意するなんて有り得ないからな。
「本当!」
「ほれ!」
そう言いつつ咲の額に着けてあげた。
「ありがとう! 日差しが眩しかったから助かったよぉ」
俺としても咲の笑顔が見られて幸せだよ。
俺達が笑顔で見つめ合っていると灯の大声が割って入った。
「おーい! そこのバカップル! 早くこい!」
灯はビーチパラソルの下で市河さんに日焼け止めを塗っていた。
「あいつ、塗ってやがる」
「忘れたんじゃない。碧ちゃんが」
「今度はそうきたか。て、誰がバカップル?」
「この場合は私達かな? 私達しか居ないし」
それを聞くと「おまいう」の気分になるな。
こちらは移動中、それで疲れてしまったのに。
「そっくり返すか?」
「今回は放っておこう」
「それがいいか。分かってないし」
「無自覚って本当に恐いね」
「だな」
早くこいの一言を無視しつつ咲の腰を抱き寄せて緩りとしたペースで砂浜を進んだ俺だった。
§
ビーチパラソルに着くと咲が頬を引き攣らせて俳句を詠む。
「夏の海、はみ出る駄肉、捥ぎたいな」
これは俳句か?
川柳にも聞こえたが。
(なんて光景なんだ。これがIの力か)
俺達の目前にある半裸は反応に困る代物だった。
横たわっている状態で駄肉が左右から溢れていた。
白い背中と細い腰。
細い腰から聳え立つ巨尻が咲の裸を忘れさせようと魅了してきた。
小柄な身体にこんな危険物を隠し持っていたとはな。
「ロケットランチャーの次はショットガンか?」
すると咲が俺の状態に気づき、
「ショットガン? あ、そういう」
小声で詠んだ俳句を大きな声で詠んだ。
「もう一回詠むよ。夏の海、はみ出る駄肉、捥ぎたいな」
今回は声量が大きかっただけあって市河さんにも聞こえた。
「捥がないでくださいよぉ!」
咲の一言に怯えながら起き上がり胸を晒して後退る。
俺は起き上がった段階で海を見た。
灯は威嚇しつつ市河さんに駆け寄った。
「も、捥ぐなよ? これは振りじゃないぞ?」
咲もそのつもりはないと思うぞ。
単に魅了しすぎた事への苦言だしな、あれ。
「捥がないよ。それよりも丸見えだから隠そうね」
「ふぇ?」
「あ、碧、見えてる」
「あっ。凪倉君は……海見てる?」
「明が空気の読める男で助かったな」
「うん」
本当は咲が「海、見て」と言ったから。
危うく嫁を本気で怒らせるところだった。
「明君、覚悟してよね?」
「あ、ああ。ところで俺はいつまで海を?」
「ご飯まで海を見てて!!」
違った。
咲は本気で怒っていた。
雲行きが怪しくなってきましたよ(´・ω・`)
二人の喧嘩はほぼ咲の嫉妬が発端ですが。