第87話 揺れ動く愛と暑苦しい車内。
交流会の翌日。
この日の俺は咲と別行動した。
「「うぃーっす!」」
それは駅前で灯と合流し、交際相手を駅前で待つという一種の交際イベントを敢行したからだ。
元々は灯の発案なんだよな、これ。
駅前で会った灯の格好は緑の短パンにピンクのアロハシャツ。
額にド派手なサングラスを載せ、右肩の浮き輪が微妙な存在感を示していた。
足許はビーチサンダル、部活で使うスポーツバッグが隣にドーンと置かれている。
「完全に遊びに行く格好だな、灯?」
「当たり前だろ。そういう明は何処に行く気だ?」
「海だろ?」
「いや、そうだが。お前、何処の大学生だ?」
「大学生って」
海外の大学を卒業しているから間違いないが。
あ、俺の格好か?
白のポロシャツとデニムパンツなんだが。
目立つのはスマートグラスと耳のイヤホン。
尻ポケットにささった長財布くらいか。
足許はいつも履いているスニーカー。
「そこはTシャツと短パンでいいと思うが?」
やっぱりそっちが良かったか。
俺も最初は言った通りの私服を選んだんだよな。
でも海に行くならこっちがいいと咲が要望を言ってきた。
こうなると要望を聞かない訳にもいかないよな。
「咲の見立てにケチつけるなよ」
「嫁が選んだのか。納得だわ」
なんでそれで納得する?
なお、俺の手荷物はスーツケース一つ。
着替えは中に圧縮して入れてある。
流石に薬瓶などは自室に置いてきた。
しばらくすると、
「「お待たせ〜!」」
咲と市河さんが揃って合流した。
市河さんの格好は、淡いピンクのTシャツと緑の短パン。
白くて小さいショルダーバッグを谷間へ通すように袈裟がけしていた。
左手にはピンクのスーツケースが一つ、足許は涼しげなサンダルを履いていた。
対する咲は淡い水色のワンピースと麦わら帽子。
右肩には青色のショルダーバッグ、左手首にはデートで買った銀細工の腕時計。
足許は同系色のパンプスだが、丈の長いスカートではっきりと見えていない。
手荷物は翡翠色のスーツケースが一つ、上着類を収納した旅行鞄が一つだ。
「旦那も旦那なら嫁も嫁か」
「なんだよ?」
何故、姿を見ただけで呆れられたんだ?
「俺からすればリンクコーデはどうなんだって思うが」
「別にいいだろ。俺達はそれでいいんだから」
おいおい。
こっちは批判して自分は良いか?
ま、いいや。
「しかしあれだな。パイスラか」
「俺の彼女の何処を見てやがる」
「胸? どちらにせよ、あれは誰でも見るぞ?」
現に何人もの男共が振り返っては鼻血を出している。
それだけ強烈な存在感を示す大玉メロンが胸元にあるのだ。
それがパイスラで強調されれば、隠せないロケットランチャーでしかないだろう。
こちらに訪れるまでの間、周囲の被弾数は途轍もない事になっているはずだ。
「ああ。カーディガンを持ってこさせれば良かった」
「あとで咲に貸してもらえ。持ってきてるから」
「すまん。あとで借りるわ」
咲の場合は胸元を強調していないので、見られるのは涼しげな装いと美麗な顔立ちだけだ。
格好からして御嬢様……深窓の令嬢にも見える装いだよな。
見た目に反して中身は活発な令嬢だけど。
「それで品評会は終わった?」
「ああ。綺麗だぞ」
「ありがとう」
「灯君、私には?」
「凄い可愛いが、カーディガンを貸してもらってくれ」
「はい?」
きょとんとする市河さん。
「これは気づいていないな」
「気づいていない? カーディガン? あ、あー」
察しが良すぎる嫁で良かったよ。
スーツケースに載せた旅行鞄からカーディガンを取り出して市河さんの両肩にかけた。
借り物故に全体のコーディネートは微妙だがな。
かけた後は市河さんの耳元で囁いた。
「いくらなんでもIを強調させすぎだよ?」
「え? 愛? 愛、愛って? あ!」
きょとんとして理解して湯気を出す。
「これは浮かれすぎた結果だね」
「だな」
駅から電車に乗り、特急が出る駅まで向かう。
移動中は灯達のバカップルぶりが電車内の気温を急上昇させていた。
冷房が効いているはずなのに灼熱地獄に落とされたような空間に変わったからな。
それだけではなく常に砂糖を吐きたくなる空気が蔓延して、降りて直ぐにエスプレッソコーヒーを咲と分け合って飲んだほどだ。
まだ鼻の中と口の中が甘ったるい。
「乗り換えの終点に着いたのに降りてこないな?」
「あそこまでのイチャつきっぷり、私達に出来ると思う?」
「今のところは経験不足で無理だな」
「だよね。まだ口の中が甘いよ。苦いコーヒーが甘さで中和されたかな?」
「どれどれ」
「ん……ぷはっ。ここでキスしなくても」
「大丈夫。麦わら帽子で見えていない。やっぱ、甘い」
「甘いよね。空気まで糖質に変えるって凄いよ」
「だな」
しばらくすると駅員に声をかけられた二人は終点と気づく。
真っ赤な顔で慌てだし、手荷物を持って降りてきた。
「着いたなら着いたって言ってくれよ!」
「すまんすまん。苦いコーヒーが飲みたかったからな」
「なんだそれ?」
おい、自覚無しか。
質が悪いな。
「そうですよ。凄い恥ずかしかったんですから」
「碧ちゃんは自分の行動と言動を思い返す方がいいよ」
「ふぇ? ど、どうして?」
こっちも無自覚か、天然恐るべし。
「時間もなんだから、乗り換えようぜ」
「そうだな。何時だったか」
「十分後だな。隣の三番線」
俺達は少々騒ぎながら乗り換えホームに向かう。
「どうしてなんですかぁ?」
「私の口からは何とも言えない」
「答えになっていませんよぉ!」
騒がしいのは市河さんだけだが。
特急に乗り換えて冷凍みかんを食べながら着いたら何をするか話し合った。
「先ずは水遊びだよな?」
「いや、先に日焼け止めを塗るだろ?」
「誰の?」
「彼女の」
それは水着に着替えてからの予定だった。
「俺達はスプレーでいいわ」
「そうそう。スプレーでね」
俺達はそれで一発だし。
「何だよ。そこは手で直に塗らないと!」
それが醍醐味みたいに言うなよ、分かるけど。
俺は周囲を見回して灯に注意を入れる。
「いや、塗るのはいいが、ブレーカー、上がらないか?」
俺がそう言うと気がついたように市河さんを見て怯えた。
「あ、上がっちまうな。流石の俺も外では避けたい」
「だろ? スプレーが無難だぞ」
外では避けたい。
外で延々は厳しいって意味な。
炎天下で水分補給も無いまま頑張らないといけない。
これはどんな筋トレだってなるよな。
今回は休息日を利用した休暇だから。
するとこの中で自身の性質を知らぬ者が問いかけてきた。
「ところでブレーカーってなんです?」
「碧ちゃんの」
「はい。咲は黙ろうな」
「うーうー!」
危ない危ない。
俺は咲の口を押さえたまま市河さんにそのままの意味を伝えた。
「別荘を使う前に上げないといけない重要な設備だよ」
「そうそう。それを上げないとエアコンも使えないからな」
本当は管理人が既に上げて食材を保存しているそうだが。
「そうなんですね……というか、咲さんが苦しそう」
「あっ。すまん」
「ぷはっ。危うくスイッチが入るところだったよ。好きな匂いすぎて」
これはギリか? ギリだよな。
理解して……いないな。
一先ずの俺はトイレと称し、
「そうだ。コーヒーを飲み過ぎたから、ちょっと」
「え? 私も行くの?」
「咲も飲み過ぎていただろ?」
「あ、うん。ちょっと行ってくる」
咲を連れて連結部に向かう。
本人の前では注意が出来ないからな。
察しが良いから直ぐに気づいたが。
「本人は知らないんだから言うなよ」
「ごめんなさい」
「で、スイッチは?」
「ギリ大丈夫」
「何とか耐えたか」
「ごめん。本音を言えば正直辛い」
「あ、う、海まで耐えてくれ」
「うん、頑張るね。私」
これは海でキスと抱擁をしないといけないか。
足りなかったら触るしかないと、腹を括るか。
俺達は言い訳どおりに用を足し、
「少しスッキリした」
「何しているんだよ」
「仕方ないじゃない」
「ハードルが下がっただけいいか」
ボックス席で待つ二人の元に向かう。
「なぁ?」
「う、うん」
「また気温が急上昇しているよな?」
「冷凍みかんが解凍みかんになってる」
「水分が水蒸気に変化するってなんぞ?」
「凄まじい熱さだね」
指定席だから我慢して座るしかないのだが、この二人は二人きりにすると気温を引き上げないと耐えられない病にかかっているとしか思えてならない。
「これは着くまで入口前で待つか?」
「残り数時間を揺れる場所で延々は辛いと思う」
各自の席は俺の前に市河さん、咲の前に灯が座っている。
この座り方にしないと俺と灯の膝がぶつかるからな。
「座っても揺れる重いIか」
「Iだね。私も見惚れるよ」
「Hで徹底的に愛情を注がれて」
「Iに急成長したんだね」
俺達がどれだけ注視して揶揄しても、気にしない素振りのバカップル。
「同じ席だから他人の振りも出来ないな」
「そうだね。周囲からの視線が凄い痛い」
「帰りは送迎、頼むか?」
「うん。それがいいかも」
それも別々の車で帰った方がいいと思えた。
運転手には酷だが動く熱源を帰りの電車へ乗せるのは危険だからな。
§
別荘のある港街の最寄り駅に到着した。
「海だぁ! 海だよ! 海! 灯君、海!」
「はいはい。分かったから、そんなに飛び跳ねるな!」
到着して駅前に出ただけで大興奮の市河さん。
飛び跳ねるお陰でIが揺れる。
胸の痛みすら気にしていない。
「い、市河さんのテンション、すげぇ」
「あれって、海無し県で育った弊害なのかな?」
「おそらく」
俺達は高温の蒸し風呂から解放されてひと息入れていた。
駅舎内でソフトクリームを買って休んでいただけな。
「美味しいね。このアイス」
「ああ。癒やされる」
ここからはタクシーで目的の別荘地に向かう。
バス移動もいいのだが乗り過ごしたら堪らないので俺達が提案したのだ。
「おーい! 早くしろ!」
「「今、行く!」」
俺達の手荷物をトランクに入れてもらい、市河さんを前に。
咲を挟んで俺と灯が座る。
こうしないとドライバーに迷惑をかけるからな。
幸い、タクシードライバーは女性だった。
「とても大きいですね」
「え、ええ。まぁ……」
女性ドライバーでも、視線はIに向くよな。
存在するだけで甘い空気と灼熱地獄って……。