第74話 邪魔者は退散してくれよな。
それは例の騒動が起きた翌日の事だった。
「とりあえず、受け取りに行くぞ」
「うん。物が物だしね?」
俺は自分のロードを押してサイクルウェアに着替えた咲の実家に向かった。
俺も一応、着替えてから向かったけどな。
今日は自転車を受け取ったあと、ちょっとしたサイクリングに向かう予定だから。
俗に言うサイクリング・デートというやつだ。
咲の実家はマンションから歩いて五十分の距離にある高級住宅街に存在していた。
本家もこの近くにあるようだ。
庭園みたいな広さでな。
「ところでどんな車種を買ったんだ?」
「詳しくは聞いていないけど最新式とか聞いたよ」
「おい、初心者」
これを聞いたらツッコミたくなるよな。
「仕方ないじゃん。父さんが選んだのだし」
「それはそうだが」
本当に末娘に対しては何処の父親も甘いな。
自活を促す教育方針でも、何かの拍子に甘えてきたらつい買ってしまうと。
咲の場合は滅多な事で甘えないから、それが顕著だ。
仮に甘えるとすれば爺さまの方で、お義父さんと爺さまがマウントの取り合いをする事が多々あるのだとか。
これは咲のお母さんからの言葉だ。
咲の実家に到着すると、
「待っていたぞ!」
玄関先にサイクルウェアを着た不可解な男が座っていた。
咲は顔を見るなり盛大に引き攣り、侮蔑の表情に変わる。
「は? なんでアンタが居るわけ?」
先ほどまでの会話からは想像出来ない低い声音。
顔を見ただけで変化するってよっぽどだよな。
「俺が居たら悪いか。バカなお前に」
「悪い」
食い気味に返答する咲。
バカと言われてカチンときていた。
「まぁいい。それよりも車庫に置いてあるロードバイクを俺に寄越せ」
「「は?」」
急に何を言い出すんだ、この男。
咲は大きな溜息を吐きながら、
「急に人様の家の前に現れたと思ったら、寄越せとか何様な訳? 今回、アンタのバカ親の所為で、どれだけ本家が迷惑を被ったか、理解しているの?」
俺が驚く罵詈雑言を浴びせた。
バカ親の所為?
ま、まさか、こいつが例の……?
「バ、バカ親だと?」
「ええ。バカ親にバカ親って言って何が悪いの? アンタも、優しくて常に謙虚な伯父の血を引いているのか疑問に思う不遜な態度よね。一体、誰に似たんだか?」
それこそバカ親だろ。
「て、てめぇ! 公立しか通えないバカが何様だ!」
「三流しか通えないおバカ様よりはマシ。この偏差値一桁のおバカ様!」
「へ、偏差値は関係ないだろうが!」
「関係あるでしょ。バカなの?」
この煽り口調、咲でもこういう言葉を吐くんだな。
「私が通う高校は進学校。大学進学を前提としたカリキュラムで日々研鑽している。その中で上位を維持する事は大変なの。アンタみたいに野山を駆けまわる余裕はないの。ようやく出来た時間を作って、彼とデートに行こうって時に邪魔しないでよ!」
本人の口では余裕はないと言うが割とあるんだよな。
これも日々の研鑽が結果として表れているだけだが。
「で、デートだと?」
「そうよ。女日照りで女性を女性とも思わないクズでは一生叶わないデート!」
今日は特に煽るな。
これは運動でストレス発散させないと爆発しそうだ。
「じゃ、じゃあ、何か? そこの安そうなロードを持った野郎が相手だと? お前、見る目ないな。そんなの俺と」
「アンタとなんだって?」
なるほど。
こいつはきっと、にわかだな。
ロードバイクに乗らず流行に乗っているだけの。
ただな、流石にこれはカチンときた。
「その言葉、そっくり返す。見る目が無いのはお前だ!」
「んだとぉ!」
よく見ると鍛え上げられた身体ではないな。
こんなの格好良さから乗ったようなもんだろ。
一つ下と聞いたから、まだ半年もないか?
学校ではブランドに助けられているだけかもな、知らんけど。
「これは安っぽく塗装しているだけだが?」
「そうなの? 明君?」
「パーツを含んだ累計は最新型の本体価格よりも高額になると思う」
明確に幾らかかったか覚えていないが。
チラッと見た限り咲のロードは最新型。
本体価格は百万か? そこに色々付け足しているから総額はお義父さんに聞いてみない事には判明しないだろう。
もしかすると爺さまもパーツ購入に参戦しているかもな。
末の孫娘には滅茶苦茶甘いから。
「この塗装が窃盗対策でもあるんだよ。見る目のある奴が見たら気づかれるが、こいつみたいに外観しか興味が無い奴には効果的だろうよ」
「そういう手法もあると」
「あくまで俺が行う対策だけどな。他は知らん」
怒ったまま睨む外道を無視して俺達の世界を作ったが、これはこれで効果的だな。
とはいえ家の前で睨みっぱなしも外聞が悪い。
昨日のニュースでちょっとした騒ぎにもなったしな。
俺は思案しつつ、
「そんなに咲のロードが欲しいなら、俺と勝負するか?」
「しょ、勝負だと?」
ちょっとした勝負を提案してみた。
「お前が勝てばロードを持っていけばいい」
「あ、明君!?」
その代わり、持ち主が驚いたのでロードを挟んで顎を寄せ、口づけした。
「んー!」
これだけで咲は黙った。
逆に外道が真っ赤な顔で怒鳴ったが。
「ひ、人前で!!」
こういう事に免疫がないのかもな。
「別にいいだろ。お前はそこらの石ころと同じだ」
「石っ!」
「勝負の場所はそうだな……お前が決めろ」
「そ、そうかよ。ふっ。吠え面をかかせてやる!」
外道はスマホを取り出して何処かに連絡を入れる。
一方の俺は敷地内へと入り、ロードに施された鍵を解除した。
咲を手招きして一旦預ける。
「だ、大丈夫なの? あんな約束して?」
「大丈夫だろ。経験的な面でも四年ちょいの差があるし」
「四年ちょい?」
「あれはただの初心者だ。偉そうなのは口と白木のブランド名だけな」
「ブランド名?」
咲は滅多に使わないが他の血縁者は威を借る狐かもしれないな。
その証拠に、
「いいんだよ。俺の名前を出せば顧問も動くから! 寄付で脅しておけ」
家の前だというのにとんでもない言葉を口走っている。
「風評被害そのものじゃねーか?」
「そ、そうだね」
お義父さんが積み上げてきた信頼を平然と踏み躙る行動だよな。
「さっさと処してくるか。準備が出来たみたいだから、移動するぞ!」
「う、うん。直前で明君の自転車に乗せてもらって助かったよ」
「慣れが必要だからな。これは」
§
俺と咲は外道の先導で近隣の峠道に向かう。
そこでは外道の学校の部員達が勢揃いしていて一種の行事っぽく見えた。
「勝負は登りきって、戻ってくるだけだ」
「なんだ。それだけでいいのか」
もっと厳しいコースかと思ったがそうでもないらしい。
「そう言っていられるのは今のうちだ。ここは学校の私有地。俺はここを走りきる自信があるからな! お前みたいな野郎に負けてたまるか!」
「ふーん」
走る前からアドレナリンがドバドバ出ている。
「余裕かよ。だが、俺には絶対に勝てないぞ!」
「言ってろ」
準備が整ったので隣に並んで呼吸を整える。
サイクルコンピューターを動かして合図を待つ。
俺の準備が整うと他の部員が時計を眺める。
腕の振りだけで合図して、
「出遅れた!!」
咲の言葉通り、俺は出遅れた。
そもそもここは敵地だ。
外道にとってのホームで、合図も自分達だけが分かっているしな。
多少の反則など折り込み済みだ。
「そこまでして勝ちたい心境って何なのだろうな」
俺は緩りとしたペースでコースを把握していく。
焦って追いついたところで意味は無い。
「気楽に登っていくか。景色もいいし」
咲には悪いがこれはこれで楽しい勝負に思えた俺だった。
「気のせいか? ペースが変化してないぞ。タイムはどうなっている?」
『白木は……ザザッ! 区間毎にタイムが落ちています!』
「あ、相手は?」
『全区間で一定でした』
「なんだと?」
どうも一キロ毎に部員が控えているみたいだな。
部員がタイムを計っている? 割とガチな部活か。
しばらくすると外道のケツが見えてきた。
「バテバテじゃねーか」
俺はいつのも調子で漕いでいるだけなのに。
この差は一体なんなのか。
経験差だろうな。
「頑張れ」
「てめぇ!? はぁはぁはぁ」
途中で声をかけたら怒鳴る気力だけあった。
追い抜いてペースを落とすと追いついてきた。
折り返すと外道は怒り心頭のまま加速した。
「お前には負けねぇ!」
登りで気づいたのだが、この峠道はカーブが多かった。
加速するのはいいが、冷静にならないと詰むよな。
それよりも、
「当初の目的を忘れてないか?」
そう呟きたくなるくらいに外道は熱くなっていた。
「意外と真剣に取り組んでいるのかもな、きっと」
それを知ると真摯に向き合う必要がある訳で。
「それなら、俺も本気でいきますか」
呼吸を整えギアを変える。
コースを思い出してルート選択する。
目の前で躍起になる外道の視認しつつ距離を詰めていく。
「お、おい、あれ?」
「なんだあの走り?」
「俺には真似できねぇ」
区間毎に何か言っているが気にしても仕方ない。
ゴール付近に近づくと危険な場所が見えてきた。
そこは少しでも減速しないと飛んでいくカーブ。
「おい、減速しろ!」
「うへぇ。聞いちゃいない」
この峠で一番危険な場所だった。
俺は減速して内側から抜く。
外道は加速して外側を進む。
当然、曲がりきれる訳もなく、
「やっちまったぁ!」
「監督に叱られるぅ」
「顧問に叱られる」
見事に飛んでいった。
熱くなると危険だよな、マジで。
幸い、怪我はしておらずロードだけが大破した。
「とりあえず、ゴール!」
「明君!」
咲は嬉しそうにキスをした。
外道は肩を借りた状態で歩いてきた。
「なんで俺がこんな目に」
「アンタの自業自得でしょ」
「だが、俺は白木だ!」
「私も白木だよ」
「ウチの方が偉い!」
「アンタの家は寄付が出来ない状態だから偉くないでしょ」
これは子供の喧嘩か?
別の意味で喧嘩が勃発したが。
「お前、寄付は嘘か!?」
「うっ」
咲は俺の隣に立ち現実を突きつける。
「というか、いつまで白木でいる気? 母親が悪事を働いて離婚したのに。アンタの親権は伯父には無いよ。既に他人だから名乗らないでね」
「!!」
その言葉は波紋を生み、周囲は白い目を向けた。