第63話 日常が変わり始める予兆か。
市河さんの機嫌はメッセージのやりとりで呼びつけた灯の機転で元に戻った。
ただな、尼河家の兄弟は市河姉妹に隠したがる性質があるようだ。
灯の弟も恋心がある割にプライドが無駄に大きく、小学生か中学生の延長みたいな揶揄いで関わっているらしい。
「外堀が埋められている妹には酷だが、これも現実だよな」
「そうだね。問題は和ちゃんが鈍感って所だけど」
「他人の恋愛は鋭敏なのに自分の事となると鈍感ってなんぞ?」
「その点だけは明君には言えないかな?」
「うっ」
そうだよな。
俺も結構鈍感だったわ。
咲から打ち明けられるまでド忘れしていたうえに他人事だったから。
「妹は明かされた時、俺と同じリアクションを取るだろうな」
「そこは取ると思うよ。明君より酷いかもだけど」
「ひ、酷い、だと?」
「恋愛感情のれの字も無いからね。頭の中に」
「お、おう。そ、それは、弟が可哀想だな?」
遠恋で結ばれた兄と未来の義姉。
自分も遠恋で片思いだった。
なのに相手は興味無しだと報われないよな。
「灯のようにプライドを投げ捨てるくらいじゃないと結ばれない気がする」
「私も結ばれないと思う」
だが、パッと見、夫婦喧嘩の様相なんだよな。
「姉さんの婚約の件、アンタは知っていたの?」
「知っていたぞ。校内でも有名な二人だし」
「なんで私には教えてくれないのよ?」
「言う必要はないだろ?」
「なんでよ!? 幼馴染なんだから教えなさいよ」
「いや、鈍感だから言っても意味がないかなって」
「誰が鈍感よ! 誰が!」
「和」
「なんですってぇ!?」
ヒートアップするのは市河妹。
無駄に冷静なのは尼河弟。
どちらが脳筋なのか分からなくなるな。
「夫婦漫才か」
「この場合、ツッコミはどっち?」
「妹の方だな。弟はボケ担当で」
「文化祭の前座で漫才でもさせる?」
「そうだな。灯達と協力して空気を作るのもアリか」
「それで進展すれば幸いだね?」
「だな」
あの二人、妙に息が合っているもんな。
「だから俺の頭をポンポン叩くな!」
「いいでしょ。どうせ赤点しか取れないし」
「取ったら試合に出られなくなるだろうが! あと結果発表前に不吉な事を言うんじゃねー!」
「不吉っていうか、不味い答案が返ってきていたような?」
「うっ」
「出られないなら出られないで夏休みを寂しく謳歌したら?」
「ほぅ。それなら和の夏休み、俺が買ってやる!」
「おいこら。誰が売るって言った?」
「いや、兄貴達は一緒に暮らすし。和の家は無くなるし」
「あっ」
「そうなると和の初めては」
「アンタにだけは渡さないわよ!」
「お前は何を言っているんだ? 高校初の夏休みって意味だぞ?」
「ボフッ」
「ふふん。和の裸なんて見飽きているしな」
「それは子供の頃の話でしょう!」
これはこれで喧嘩ップルっぽいな、うん。
俺達の前を喧嘩しつつ歩いているからな。
その前には呆れ顔の会長達。
最前列にはラブラブな市河さんと灯が居た。
「今日は騒がしい通学路になったね」
「そうだな。校内の方が騒がしい気もするが」
「ああ、結果発表だったね」
俺達は昇降口を抜け、張り出される場所に向かう。
「白木さんが二位!?」
「嘘だろぉ!? 何かの前触れか?」
「凪倉の奴、まぐれじゃなかったのか」
騒ぎはどうであれ、点数を見ると満点ではなかった。
「やっぱり国語で落ちたか」
「そこはケアレスミスだね」
「でも、咲とは一点差だな」
「そうみたい。英語で誤解答があったからそれかもね」
「なるほどな」
そういえばリスニングの試験もあったな。
英語教師の発音がまともになっていて努力の成果が感じられる試験となった。
教師の喋る速度もそこそこ速くなり、英語の点数を落とした生徒が結構出た。
咲もその一人だが、
「試験勉強で何度か会話した結果か?」
「だと思う。先生の発音が遅く感じたし」
家での試験勉強。
私生活の中で何度か日本語禁止を実施していた事があった。
それが期末試験で発揮出来たのは嬉しいよな。
「そうなると今日はお祝いか」
「明君の一位に?」
「いや、咲と肩を並べる事が出来たから」
「そう? でも……私、二位だけど」
「中間では一位だろ。一勝一敗って奴だよ」
「なるほど」
ここで咲が一位継続だったなら本来の意味で祝っていたが。
どちらにせよ、祝う事は変わりなかった。
教室に到着するとまたも騒がしくなった。
「咲が二位ってマジ!?」
「あんなに頑張った……訳ではないか」
「頑張ったよ! 私は常に全力なんだけど?」
「全力で彼氏に負けたかぁ。ドンマイ!」
「私は負けても悔しくないからいいの!」
「それってドM宣言ってこと?」
「なんでよ!?」
これはいつも通りの女子とのやりとりな。
俺は信じられない者を見る目を喰らったが。
主に廊下に佇む文系の生徒からな。
「凪倉君って頭が良かったの?」
「めっちゃ良い方だぞ。両親も高学歴らしいし」
「そ、そうなのぉ!? それ、初耳!」
「顔良し、頭良し、料理の腕良しって」
「超優良物件じゃん。変態の思い込みの噂に踊らされた私のバカァ!」
「こ、告白、間に合うかな?」
廊下の会話を聞いた咲が苛ついている。
「どうだろうな? 本命が居るし」
「「「ほんめい?」」」
「二人三脚。一緒に走ったのは?」
「「「あっ! 咲じゃん!」」」
「そうそう。勝てない喧嘩はするもんじゃないぞ」
「「「そんなぁ!」」」
色んな意味で勝てないのが咲だ。
若干、機嫌が悪くなりかけたが落ち着いたらしい。
ショートホームルームに入り、俺も出欠で呼ばれるまでになった。
この変化はマジで大きいよな。
これも生徒会入りした事が要因に思えてならない。
試験後の授業は返ってきた答案の解説だった。
中間でも同じ事があったからここは普通に熟していった。
ただな、全体の空気が試験からの開放感に置き換わっているよな。
初夏の熱気と天井から吹き付ける冷風もあるが、
「ではここまでとする」
「起立!」
全員の気持ちが夏季休暇に向かっている事だけは分かった。
授業後にカースト上位が集まって教壇前で駄弁る。
「休みに入ったら何処か行くの?」
「俺はバイト三昧だな。欲しい服があるし」
「私はどうしようかな? 咲は?」
「普通に生徒会活動だね」
「あ、それがあったね」
「あとは夏季講習かな?」
「おぅ……忘れてた」
咲もその一員だから当たり前に組み込まれている。
俺が加わってもいい雰囲気はあるが、まだまだ気後れするな。
そんな中、
「おーい、明!」
「どうした、灯?」
俺を呼ぶ声が廊下から響いた。
俺は廊下に移動して灯と話し合う。
「例の件、時間は取れそうか? この日なんだが」
「あ、ああ。その日は問題ないぞ。ん? 三泊四日?」
「一日だと楽しめないだろ? どうせなら色々見たいし」
「それも……そうだな」
俺は一瞬、咲を見る。
咲は俺の視線に気づいて振り返った。
耳がピクピクしているから気になってはいると。
「持ち物は水着と三泊分の着替えな」
「それで当日の料理は?」
「バーベキューでいいだろうと思って」
「用意してくれるのか?」
「材料だけは、な?」
「料理は俺に期待と」
「当たり前だろ?」
「なら、調理道具も」
「それは何が必要かあとで教えてくれ。用意しておくから」
「おけ」
まぁそうだろうな。
でもま、それで親睦を深められるなら、良いデートにもなるか。
灯との話し合い後、咲が俺の元に来た。
授業が開始される前だから短時間しか会話出来ないが。
「さっきの話、なんだったの?」
「灯の家の別荘に招待されたんだよ」
「別荘!?」
別荘に何故か驚く咲。
「おい、社長令嬢?」
「だって、ウチには別荘無いし」
「無かったのかよ?」
「維持費がバカにならないから持たない主義なの!」
「それでか」
別荘は滅多に使わないから管理人を置いて維持するしかないもんな。
建物は使わなければ一気に朽ちる。
常に使ってこそ価値があるからな。
そんな事に無駄金を使うくらいならホテルに落とす方がいいとか思ってそうだ。
「当然、次期会長も来るけどな」
「あ、そういう事? だから水着と」
あの二つの大玉メロンを見せつけたいのかもな。
俺としては咲くらいが丁度良いのだが。
「ま、当日までに水着でも買いに行こうか?」
「うん! 勝負下着もね!」
「そうだな。それもあったな」
忘れていたかと思ったが忘れていなかったっぽい。
勝負下着と聞いた男子の大半が酷い有様になった。
(人様の彼女で変な妄想してんじゃねーよ!?)
授業が開始され呪文のように試験の解説が続く。
眠る男子と舟を漕ぐ女子。
窓の外を眺める男子と真剣に前を向く女子。
咲は前を向く女子だが別の事を考えていそうだな。
俺は窓の外を見ていたので、何かの拍子に当てられるってな。
「次、凪倉君」
「はい」
「設問八。作者はどう感じたと思いますか?」
俺が落とした部分の答え合わせかぁ。
「良い出会いを見つけて寿退職したい。です」
「……」
何故、全員沈黙?
作者だから先生だよな?
「私に彼氏は居ますから! って、私ではないですよ」
「「「えーっ!? 先生に彼氏が居たのぉ!」」」
「居るに決まっているでしょ!?」
「俺、ショック。年増な先生、狙っていたのに」
「山田君はあとで説教です!」
「なん、だと?」
「未婚女性に年増とか失礼過ぎるからだよ!」
「「「そうだそうだ!」」」
設問の答えはまったく別物だったが良い意味でウケた。
ただな、山田。
お前は女性の機微をバイト先で学んでこい。
バイト三昧なら学ぶ機会があるはずだから。
そんなこんなで授業は進み、昼休憩になった。
俺と咲は弁当を持って生徒会室に向かう。
本日は要項策定前の企画提案だ。
俺達の練りに練った案がどういう結果を導きだすか不明だがな。
「企画もそうだけどテーマも必要だよね?」
「まぁな。一応、俺達のテーマは〈偕楽〉だから」
「それが上手く通るといいね」
「だな」
咲の企画は予算不足があった関係で一時頓挫しかけたが予算の補填が叶ったお陰で、そのままの企画で提案する事になった。
俺の企画は大仰な物になりかけたが、バスケ部顧問の苦言によって気軽な物に置き換わった。
これは発表前に修正が入って助かったとも言える事案だったな。