第60話 数少ない願望を叶えてみた。
急遽、同棲する事になった私達。
「何処から何処まで掃除していいか教えてくれ」
「そうだね。自室とトイレ、風呂場は私がするよ」
「おけ。それ以外は俺が担当するわ」
一緒に暮らすうえで必要な事を先に話し合った。
「食費は折半で」
「水道光熱費は?」
「そこも折半だな」
「り」
「残りは生活リズムをどちらに合わせるか、だが」
「そこは明君に合わせるよ。私の場合、体調変化もあるし」
「なるほどな。分かった」
生理になった時とか重さで乱れてしまうから。
そんな時に明君を巻き込む事は忍びないのだ。
寝具に関しては注文した時間が遅かった事もあり、
「夏場だし、バスタオルを貸してくれたら適当に寝るわ」
「り。好きに使っていいよ」
本日はリビングで寝てもらう事になった。
急な引っ越しと急な生活変化。
戸惑いは明君だけでなく私にもあった。
戸惑いの最たるものは食生活にもあるね。
「それで今日の夕食はどうするの?」
てっきり管理人さんの家で食べるものと思っていたのだが予定が消え失せた。
明君はスマホを取り出して、
「飲兵衛は外食するみたいだから……今から材料を買ってくるしかないな」
チラシを眺めつつそう言った。
時刻は午後五時、学校から戻ってきて三十分しか経っていない。
「タイムセールには間に合わないから簡単な物しか作れないがな」
「そうだね。食器なんかも一人分しかないし」
「あ、それも購入する必要があるな」
元々が一人暮らし。
誰かと一緒に住まうような数は揃えていない。
母さんの抜き打ちチェックも日帰りだし。
お茶を出す程度のコップしか無いしね。
「そういえば調理器具は?」
「お鍋とフライパンならあるよ?」
私はキッチンに移動して両手で小鍋とフライパンを掲げた。
「それって小鍋だよな?」
「そうなるね」
「圧力鍋は流石に?」
調理器具を片付けた私は首を横に振りつつ明君に応じた。
「無いね。そこまで凝った料理は作らないし」
一人暮らしで凝った料理とか寂しいどころの話ではない。
ここでお一人様な先生方とか副会長なら凝った料理を作っていそうだけど。
会長のようにカップラーメンで済ます場合もあるから、
「ごめんね。女の子の一人暮らしの現実を示してしまって」
調理器具も炊飯器と電子レンジ以外はまともに揃っていないのだ。
冷蔵庫や洗濯機も単身者用の小さい物だしね。
家は大きいが中にある電化製品は少なかったりする。
明君は苦笑する私を尻目に遠い目をした。
「いや、飲兵衛という最悪を見たあとだから大丈夫」
「最悪って。いや、納得だよ」
管理人さんより下は居ないって認識なのね。
管理人さんはある意味で汚部屋の主だもんね。
「調理器具は追々増やしていけばいいか」
「それでいいと思うよ」
「そうなると足りない品で必要な物を優先して購入するしかないか」
明君はスマホを眺めてポチポチと購入を進めていった。
そのどれもが後日配送されてくるって事だね。
すると明君がスポーツバッグの中から、
「今から適当に買ってくる。弁当の食材も必要だしな」
サングラスとヘルメットを取り出した。
制服姿のままだが両手に手袋をはめて、中身を抜いた鞄を背負っていた。
「え? えっと……今から買ってくるの?」
「今回は数が数だからな。歩いて行ったら間に合わないし」
「どうやって行くの?」
「それはもちろん自転車だが」
「自転車? 自転車なんて何処に?」
「普段はエントランス裏に隠してあるんだ」
そういえば裏に駐輪場みたいな場所があったね。
住人には自転車に乗る人も居て、その人達が預けている場所でもある。
あの中に明君の自転車もあったんだね。
「一台、数百万もするからな。表の駐輪場には置けないし」
「ふぁ?」
じ、自転車でそんな価格ってあるの?
ママチャリでもそこまで高くないよ?
「その分、速度が車並に出るから慣れていない内は事故に注意だ」
「そう、なんだ」
明君は乗り慣れているのか軽く準備運動して玄関から出ていった。
本日から始まる同棲に向けての準備なので今回は素直に見送った私だった。
だって念願の一緒の時間が増えたんだよ?
学校は数時間しか取れないし普段の食事の時間を除くと半分以上も離れ離れだし。
一緒に居られるならなんだってするよね?
「自転車、かぁ。私も買ってみようかな?」
そうすれば自転車デートも出来そうだしね。
電車やバスで移動する範囲だとナンパ野郎に遭遇しそうだし。
風や自然を感じるデートも楽しそうだ。
「貯蓄、いくらあったかな?」
自室に戻った私は通帳を取り出して中身を見る。
「そうだった。先日、服を買ったばかりじゃん」
通帳の中身は大変寂しい事になっていた。
こ、これは父さんに強請るしかないかな?
許してくれるかどうか分からないけども。
§
明君が買い物に出かけて数時間後。
「ただいま」
「お帰り!」
鞄一杯の荷物を背負った明君が戻ってきた。
「えっと、一杯買ったね?」
「一週間分の食材だからな」
「そうなんだ」
冷蔵庫に入るのかな、あれ?
冷蔵庫にはヨーグルトと麦茶くらいしか入っていないからいいけど。
明君の背後から見た感じ、無事に収まっていた。
一杯あると思ったけど、そこまで無かったんだね。
明君は額の汗を拭いつつヘルメットを脱いだ。
「飯を作る前に風呂借りていいか」
何気に有酸素運動なのかな、自転車って?
「う、うん。どうぞ」
私の同意を得て脱衣所へと向かっていった。
一度も教えていないのに場所を知っているのは、
「「……」」
管理人さんから間取り図を見せてもらったのかもね。
アルバイトで個々の家に出入りする事もあるから。
私は明君の背後から付いていく。
脱衣所に入った直後、明君の匂いに目眩がした。
(こ、これ、反則!)
すると明君は鞄から日用品を取り出した。
「ボディソープと洗顔と。歯ブラシも置かせてもらって」
それらも一緒に買ってきたんだね。
見た事の無いパッケージが沢山あった。
そのどれもが黒い容器。
髭剃りを見ると男性なんだなって思った。
「私のボディソープを使ってもいいのに」
「俺のは皮脂を洗い流す系だからな。保湿は二の次なんだよ」
「そうなんだ」
だから自分用を買ったと。
あとは遠慮もあるのかな?
私に遠慮しなくてもいいのにね。
「シャツとパンツ……あとは着替えっと」
明君は男性物のパンツをスーツケースから取り出した。
それは初めて見る黒いパンツだった。
パッと見、スパッツにも見える。
「じゃ、借りるわ」
「う、うん。ゆっくりしていってね」
私は脱衣所の扉を閉めて外に出る。
私の背後で大好きな明君が裸になる。
(汗の匂いもそうだけど、想像するだけでキュンだよぉ)
これから明君と一緒に暮らす。
この状況、私は耐えられるか心配だった。
私の求めていた二人の距離が一日で短縮した。
短縮したのはいいが、戸惑いも同時に来るね。
「この中で試験勉強も……?」
嬉しい反面、集中出来るか心配になった私だった。
明君のお風呂は結構早かった。
「お先」
「早いね。本当に入ったの?」
「シャワーだけだからな」
「お湯に浸かっても良かったのに」
「飯の用意があるからな。空腹だろ」
「それで」
ご飯の用意があるから、シャワーで洗い流すだけにして出てきたと。
(お風呂前の明君は色香があって格好良かったけど、風呂上がりも格好いい!)
そうではなくて!
自身の癒やしより空腹を配慮してくれた事に嬉しくなった私だった。
「ご飯を炊く時間はないから冷食で済ませるぞ?」
「うん、私はそれでもいいよ!」
冷食でも明君の手料理が加わるならどんとこいだ!
すると明君が、
「それはそうと咲も風呂入ってこいよ」
「え? あ、うん」
調理の様子を見守っていた私に声をかけた。
お風呂……明君のあとにお風呂。
(それってつまり、そういう?)
いや、それは多分、ないと思う。
同棲が始まったその日に同衾は、ね。
明君の寝床はリビングになっているし。
私の部屋に入ってくる事は無さそうだし。
私が逡巡しつつ見守っていると、
「どうかしたか?」
明君が心配そうに私を見つめた。
これは考えてすら、いないね。
「なんでもない。お風呂、行ってくる」
「ゆっくりな」
「うん」
私は着替えを取りに自室に向かう。
その際に反対を向く明君の呟きが耳に入ってきた。
「ここは咲の家だもんな。家でノーブラなのは仕方ないよな」
ノーブラ……。
帰ってからすぐに外していたんだ。
私は基本ノーブラだ。
胸元を見ると薄い生地の下に見慣れた谷間が見えた。
シャツ越しに立っている事も把握した。
(え、えっと……ま、いいかな。うん)
近い将来、直接見せる事だってあるしね。
今はお互いに恥ずかしい気持ちが先立っていても。
(普段の服装、少しだけ見直そうかな?)
これが寝起きだとパンツ一枚でシャツを着ている事もある。
(さ、流石に……嫌われないよね? 大丈夫だよね?)
その姿に幻滅されないよう注意しようと思った。
でもね、それはそれ、これはこれ、だから!
(明く〜ん! 好き〜ぃ!)
明君の過ごしたお風呂場で色々頑張った私であった。
汗の匂いと学校でのバックハグ。
想像力をフル動員して慰めてもいいと思うんだ。
今はまだ虚しさもあるけど、これは必要な事でもあるからね。
(それと少し……整えておこう。いつ、見られてもいいように)
そんなことは起こり得ないと思うけど、分からないからね。
お風呂のあとは明君お手製の夕食を頂いた。
豆腐のステーキに温野菜サラダ。
冷食のご飯で作ったチキンライス。
デザートは無かったけど、それでも満足出来る夕食だった。
「今、とっても幸せだぁ!」
「そ、そうか?」
「うん!」
だって本当の意味で二人きりなんだもの。
一緒に過ごせるだけで私は胸がいっぱいだよ。
すると明君の視線が私の胸元に集中した。
「ところで咲さん?」
「何?」
「この際、ノーブラは受け入れる」
「受け入れてくれて嬉しいよ」
「だが、それは俺のワイシャツだよな?」
「彼シャツに憧れていたから着てみた!」
「お、俺の汗臭いシャツを着るか、普通?」
「明君の匂いが好きだから大丈夫!」
「そうか」
「明君も私のブラウス、匂っていいよ?」
「おい」
今から無糖珈琲、買ってこよう(´・ω・`)