第58話 変化しない日常と急展開か。
体育祭から数日後、
「で、これをこちらに代入して」
「ふむふむ。じゃあ、こっちは」
学校の雰囲気は期末試験一色になった。
体育祭の騒ぎは行事が終わった途端に鳴りを潜め、騒ぎの元凶も退学ではなく一年間の停学処分となった。
処分理由は証拠不十分と実行犯ではない事だった。
逆に実行犯に回った三年生は停学、二年生は六人が退学を喰らった。
(学校の罰則が司法と真逆になる不思議)
証拠不十分の理由は口利きにあったとされる情報が綺麗さっぱり消えていたから。
前校長が徹底的に消し去ったから、バックアップも含めて残っていなかったのだ。
とはいえ一年間の停学は事実上の退学扱いだ。
身から出た錆として反省しろとの意味合いもあるだろう。
だが、あの兄弟は反省出来るような人物ではないと思う。
教師は何処かしら夢見がちな人物が多く、一年後には更生していると判断した結果なのだろう。
咲は無理に決まっていると言っていたが、これは俺も同意だな。
(あれも結局、策士そのものだから報復を恐れて、なんだろうな)
蜥蜴の尻尾切りで裁判沙汰になっている愚弟も、精神状態が相当悪く、出てくる可能性が高くなっているし、俺達の未来は暗雲が立ち込める不穏な気配しか無かった。
(ま、奴の事など出てきてから考えればいいか。今回から試験に集中しないとな)
またも点数調整しようものなら咲に叱られてしまうから。
(文化祭の要項を作る事も忘れずにだけど)
文化祭は予算の確保が叶ったので当初の予定通りの案でいく事になった。
これを会長へと発表するのは試験後となり状況次第では休暇返上で準備に勤しむ事になるようだ。
それも夏季講習と休暇の狭間で右往左往する地獄の夏が始まるのだが。
(咲と海に行く約束が頓挫しなければいいが)
その約束には灯と市河さんも付いてくる。
灯曰く『ダブルデートするぞ!』との事だ。
ここに柏とアレクが加わったらトリプルになるが、大学と高校は休日期間が違うので、二人が合流する事は無さそうだ。
バイト時間を優先するようだしな。
(咲の水着か。そういえば勝負下着を買いに行く約束も頓挫していたな)
報道記者のお陰で行くにいけず、体育祭の期間に入って準備に忙殺された。
体育祭の後始末と帳簿整理もあって、気がつけば試験期間に入って以下略。
それこそ何処かしらで予定を作らないと、
「進展はしないよな」
そう口ずさむ程度には俺の中に焦りが芽生えた。
咲が好きだし一緒に居たい。
離れていた期間の埋め合わせもしたい。
でも現実は物理的距離もあって叶いそうにない。
交際こそ認められるまでになったが教室での関係はそこまで変化していなかった。
(咲の塩が無くなっただけでクラスメイトと一緒に居る事が多いもんな)
教室以外だと割と一緒に居るが教室だけは別だった。
「今思うと独占欲が強かったんだな」
目と鼻の先で咲が笑顔で語り合う姿を見ると、俺も関わりたいとの欲求が芽生えてきた。
だが、折角の空気を壊しそうで恐くて動けないでいたのだ。
(俺もかなり拗らせているよな)
この拗らせも陽希兄弟の謀略の結果であり、やるせない気持ちが無駄に湧き上がるだけだった。
俺は時計を眺めて休憩時間がまだあると察し、席を立って教室から出ていった。
(気晴らししてくるか)
今から向かう場所は第二体育館。
試験期間は部活動も休みだが、個々の自主練だけは可能だった。
俺も灯に呼び出されては練習に付き合っているからな。
第二体育館に着くと中に先客が居た。
いや、居るのは分かっていたけどな。
制服を着たままバッシュを履いて、
「少しの間、ボール借りますね」
「「「うぃーす」」」
バスケ部員に許可を得てボールを握ってシュート練習を始めた俺だった。
「やっぱり触れている方が落ち着くな」
俺は高校バスケだと経験の差で活躍が出来ない。
大人に混じって戦っていたから仕方ないがな。
最初はゴール下から打って少しずつ距離を取る。
「お、おい? アイツ。センターラインから」
「普通は入らないだろう? 大丈夫かぁ!」
「い、入れやがった……なんだ?」
次はドリブル練習に入って何本も往復した。
「なんだあのドライブ。速すぎる……」
「彼の仮想敵って誰が相手なんだ?」
「もしかすると灯か?」
もしかしなくても灯だ。
日々弱点を克服しているから戦っていて楽しめるよな。
本日は期末試験を優先しているから体育館には居ないけど。
俺が気晴らしの練習を終えると、
「明く〜ん? 何してるのかなぁ?」
笑顔の咲が第二体育館に顔を出した。
やべっ! めっちゃ怒ってる。
「き、気晴らし?」
「ふ〜ん。私に一言も声をかけず出て行くなんてあんまりじゃない?」
いや、あの空気で声をかけるのは悪いと思ったし。
「バッシュを持ち出した時点でここに居るとは思ったけどね」
「……」
「バスケ部員の皆様、失礼しました〜」
「「「お、おう」」」
「明く〜ん。教室に帰るよ〜」
「し、白木さん。手が痛い」
「私の心はより痛いから我慢してね?」
「う、うっす」
俺と一瞬でも距離を置くと辛くなる咲。
(それならそれで俺の気持ちも分かってほしい)
なんて思うこと自体、烏滸がましいよな。
俺は不意に立ち止まり、
「明君? どうかした?」
勢いのまま咲に抱きついた。
「ふぇ? あ、明君?」
「少し、このままで」
「う、うん」
やはり咲の温もりは安堵するよな。
体育祭で密着してから、物足りなくなった俺。
制服越しに感じる咲の柔らかさ。
それは俺の寂しさを埋めるに足る薬だった。
「あ、明君? もう、いい?」
「す、すまん。急に愛おしくなったから」
「そ、そう?」
咲の顔を見ると少し顔が赤い。
嬉しそうな表情ではあるが恥ずかしい気持ちが先に出たようだ。
よく見れば周囲に興味深げな視線がある。
奥にはジト目を向ける市河さんも居た。
(決して、胸は揉んでないからな!)
普通にバックハグしただけだし。
すると咲がボソッと呟く。
「ど、どうせならキスしてほしかったけど」
「……」
俺よりも重傷なのは咲だった件。
これは帰ってから誠心誠意詫びるしかない。
「か、帰ってからでも、いいか?」
「う、うん。いいよ」
バックハグだけならまだ許せるが、校内のキスはハードルが高いから。
すると今度は市河さんの背後から灯が突撃した。
「きゃ!」
俺達にジト目を向けてきたけど似たり寄ったりじゃねーか!?
突撃されて叫んだのち沈黙して身を委ねていた。
「あらら。碧ちゃん達もやるねぇ?」
ただな、こうやって他人に示されると冷静になるよな。
「そうだな。冷静に見ると……なんか、すまん」
「別にいいよ。私も落ち着いたし」
咲も本音では一緒に居たいと。
あれは結局、クラスの付き合いで……仕方なく対応していただけか。
「クラス委員長も大変だな」
「大変なんだよ。来年はしないけど」
「それは出来ないだろうな」
副会長との兼任は地獄でしかないし。
教室に戻ると咲は女子達の中に戻った。
「さっき、抱いてもらっちゃった!」
「いいなぁ。私も彼氏が欲しい!」
「でもでも、咲は未開通じゃん!」
「ぐっ」
「私の方が一歩先に行っているよね!」
女子の中ではマウントの取り合いが常時起きているみたいだな。
「で、でも、大きさなら負けてないよ」
「それはなんの大きさよ!?」
「普通に考えると胸よね?」
「胸かぁ……私も大きくしたい!」
これは野郎で言うところの大きさ・固さ・持久力だろうか?
「なんで女子ってああいう事が平然と言えるのか?」
「俺達が話していたらセクハラになるのになぁ」
「不条理だ! 理不尽だ!!」
いや、お前等は日頃の行いが原因だと思うぞ?
同じ事を灯が言ったら面白可笑しく拾われるからな。
これも彼女持ちの余裕の成せる技だろうが。
昼休憩の後、授業を経て放課後になった。
試験期間中は生徒会活動も休止なので俺達は早々に帰宅した。
「あ、明君。ごめん、私、再婚するから!」
帰宅した途端、飲兵衛から驚くべき一言を聞かされた。
「え?」
「今日中に元旦那と子供が来るから……明君は咲ちゃんの家に引っ越ししてね?」
「は?」
え、えっと?
これって追い出されたのか?
「荷物は元々少ないし、直ぐに引っ越せるよね?」
「いや、まぁ、そうだが……突然、過ぎね?」
「急に決まった事だからね。どのみち来年には結婚するし、時期が早まったと思えばいいじゃない?」
「それはそうだが、お義父さんの許可は?」
「それも問題ないわ。そのための最上階だし!」
「そ、そうなのか」
同意の上かよ。
まさか彼女の家に住み込む事になろうとは。
「バイトは継続していいから、お願いね!」
「お、おう」
「でも! 行為の際はゴムを着けなさいよ? 在学中の妊娠は御法度ね!」
「んなことは言われなくても、分かってらぁ!?」
そもそも、その関係にすら至ってないわ!
それを聞かされた俺は部屋の片付けを行う事になった。
薬瓶などはスーツケースに収め、教科書類はスポーツバッグに片付けた。
着替えはジャージしかないので制服と共に畳んで、スポーツバッグに片付けた。
いや、一応……余所行きのジャケットもあるが、時期的に着ないのでこちらはスーツケースに片付けた。
ジーンズやらスウェットも圧縮し、引っ越し準備を整えた。
そうして咲に連絡を入れると、
『マジでぇ!? す、直ぐに掃除しないと!』
別の意味で大慌てになったのは言うまでもない。
俺の彼女は意外とズボラなのかもしれないな。
「掃除は俺がするから、下着類だけ片してくれよ」
『えっ。そ、それは流石に悪いよ』
「どうせ結婚するんだから隠しても意味ないだろ」
『あ、そうだよね。うん。お願いします』
連絡を済ませると次は飲兵衛に挨拶した。
「一年ちょい、お世話になりました」
「それは私の言葉だけどね」
確かにそうだ。
俺が世話していたから。
「作り置きはそのままにしておくよ」
「ありがとね」
大荷物を持って管理人室を出て書き換えておいたカードキーをエレベーターで翳して最上階に向かった俺だった。
「こうやって来る事になるとはな」
最近だと会長の家に入った時以来だ。
「来たぞ〜」
『はいはーい。今開ける』
もしや、二人の甘い生活が始まる?