第2話 遭遇からの追跡は戦々恐々。
掃除当番の後、教室の鍵を職員室へと取りに向かった俺は白木の居なくなった教室を施錠して職員室へと戻った。職員室で仕事を熟す教師達は入退室を行う俺の一挙手一投足をつぶさに眺め、出て行く直前まで視線を鍵ケースからそらせる事はなかった。
「失礼しました」
「「「……」」」
単に問題児と称されている俺がどのような悪事を働くか監視していたようなものだ。教室の鍵を借りた時も「終わったら返せよ」と近くに居た体育教師から脅されたくらいだ。鍵を紛失しようものなら停学もあり得るとかなんとか言ってな。
俺への問題児像がそこらの犯罪者共と同じ扱いになっているのは解せない話ではあるが、それなら入試の時点で弾けば良かったのだ。それなのに問題児を補欠とした。
どうも、当時の試験官は仕事をしていなかったようだ。
(おかしいのはこの地域の中高だけだと思うが、海外の教師がマシに思えるよな)
それはかつての俺が通った海外の学校の事だ。俺の記憶には比較対象が存在する。余所の教師を知らなければ、分かり得ない明確な違いだった。
それはともかく、
「さて、帰るか」
殺伐とした職員室を後にした俺は下駄箱へと向かう。
本日は部活動も休みのためか、校内には数名の生徒が残るだけだった。
そのどれもが掃除当番の生徒達。三年までの一部だけが残ったままだ。
明日は新入生が訪れる入学式。在校生は生徒会執行部を除いて一日休みだ。
下駄箱から玄関を抜け、スマホ片手に今晩のレシピを考える。
「明日が休みなら大蒜たっぷりにしてもいいな。オリーブオイルを買って、アヒージョを作るのもありか?」
ロングホームルーム中も考えてはいたが、それはすき焼きの具材の事だった。
肉はA5ランクの和牛を。野菜とキノコ、豆腐と割下は何を使うか、とかな。
近所のスーパーマーケットのオンラインチラシを眺めながら何を買うか決めていき、金額と品目をリマインダーに登録していった。
「とりあえず、必要な予算を暗算して……」
本日の利益から税金分を差し引いた残り。
それを食費とメモしてデビットカードの決済口座へと振り替えた。
すると、俺の視界の右端、校門脇のフェンス前の人影に気がついた。
それは先に帰ったであろう、俯いた状態の白木だった。
「……」
俺は無視を決め込み淡々と歩みを進める。
「……」
白木は俺の背後、三メートル後方を歩き始めた。
ここで独り言を口走ろうものなら白木から「喋るな」と文句が出てきそうなので、沈黙しつつ通学路を進んでいった。
ただな、背後から突き刺さる刺々しい視線だけは嫌でも分かった。
(視界にも入れたくないってか。なら、さっさと帰ればいいものを)
こいつは何を思ってフェンスに寄りかかっていたのか皆目見当もつかないでいた俺であった。通学路を進み、近所のスーパーマーケットに立ち寄った。
白木も用事があるのか背後から付いてきていた。
(社長令嬢が庶民派のスーパーマーケットに立ち寄るなんてシュール過ぎるな)
コンビニならまだしも格安を売りとしているスーパーマーケットだ。
金に余裕のある御令嬢がこんな店に立ち寄る事が信じられなかった。
流石の白木も入店すると同時に俺から離れていった。
目的の品を買い、レジに並ぶと別のレジにて支払い中の白木に気づいた。常に財布へと大金を持っていそうな白木。
彼女の決済は黒いクレジットカードかと思いきや普通に現金決済を選んでいた。
無人レジが不慣れかと思ったが、慣れた様子で袋詰めしていった。
(何気に庶民派なのかね? あの御令嬢)
横目でチラリと白木を眺めると不意に視線が合った。
いつもならば無視するのに今日に限って睨み返してきたから眺める行為を止めた。
(何、見てんだコラァ! って口が動いた気がする)
君子危うきに近寄らず、だな。
そそくさと買い物袋に詰め込んだ俺は白木が目を離した隙に急いで出口まで向かった。ここで白木と関わると碌な事にならないからな。
現に……、
「あ、あぶねぇ。この店でバイトしていたのかよ。柏餅」
白木の親友こと柏瑠璃が従業員の制服を着て白木へと声をかけていたのだ。
柏は金髪ショートボブで猛禽類の如くな相貌を持つ。
背丈は白木より十センチ低く、体型はお子様、声音はうるさい部類に入る。
「耳障りな声音だ。あれで客商売なんて出来るのかね?」
この柏瑠璃という女子生徒は俺の事を根暗と呼ぶ。
名字を一字だけもじったあだ名ではあるが言い得て妙だと周囲からも呼ばれるようになった。白木だけはあだ名で呼ぶ事はせず、何故か本来の名字で呼ぶけどな。遠く離れても会話が無駄に筒抜けとなる柏。
「でさ、聞いてよ。本当なら今日はどちらのシフトも休みだったんだよ」
なんでも今日だけは人手不足が理由で臨時シフトに入ったらしい。
「休みなら二日続けて入ってくれって店長にお願いされてさ。こっちはファミレスのバイトもしているんだから、少しは空気を読んで欲しいよね〜。折角、咲とシフトを合わせた貴重な二連休だったのにぃ」
社長令嬢がアルバイト? それは一種の社会経験的な行いなのだろう。
或いは彼女の両親は自由に金を使わせない教育方針なのかもしれない。
(金銭を稼ぐ苦労を知りなさいとかなんとか?)
それはまるで俺の両親と同じ思考回路をしていそうだ。
俺もアルバイトこそしていないが、似たような勤労を行っている。
トレーディングはその勤労で得た、使い道の無い給金を元手としている。
これを無理の無い課金と言うと叔母から意味が違うと揶揄われるが、お陰で金に困ることはない。
それらの利益も食費、学費、貯蓄、運用と都度意識して用途分けを行っている。
俺はチラッと背後の騒ぎを見つめ、視線を出口に戻した。
(ま、俺には関係ないか。白木との縁も来年の四月には途切れるし)
俺の誕生日は四月の初め。十八を迎える頃に自主退学する予定だ。
ギリギリで進級して春休みの間に退学届を出す。
来年の春休みは色んな意味で大忙しとなるだろう。
心残りの無い高校生活。
(高校なんて時間の無駄と思わざるを得ないよな。父さん達は何を思って行くべきと言ったんだか?)
客がごった返す出口に到着するといつの間にか白木が追いついていた。
「瑠璃ってば本当に愚痴ばかりなんだから。使ってもらえるだけ有り難いでしょうに」
親友から愚痴を聞かされて時計を眺めて急いで出てきたか。
この時の口調はいつもの彼女とは少々違って聞こえた。
親友が煩わしい的な。それこそ白木は何枚もの猫の皮を被って過ごしていそうだ。家への帰宅中、彼女との距離感は下校中と変化無しだった。
俺はこの時、白木は途中で駅に向かうものと思っていたのだが、
(いや、なんで付いてきてんだよ?)
俺の住まうマンション前に到着しても離れる事はなく、むしろ訝しげな視線が突き刺さるばかりだった。
エントランスを素通りし、オートロックの鍵を開けて自動ドアをすり抜ける。
エレベーター乗り場を通過した途端に背後から声がかかった。
「ちょっと待って!」
「は?」
「ここ、女性専用マンション」
「それが?」
「貴方は男性」
「は?」
訝しげな視線の理由はそこにあったらしい。
女性専用マンションに男が平然と入っていく。
変態と思われたのかもしれないが、
「いや、俺は住人で合ってるから問題は無いぞ」
「は? 住人ですって?」
仕方なく住むに至った理由を語る俺だった。
「か、管理人の手伝い?」
「そうだ。主な仕事は紗江さんの身の回りの世話。もちろん洗濯以外だが。あとはマンション管理の手伝いだ。女性だと手の届かない場所も当然ある。汚れる場所もな。俺は単に男手要員でしかないんだよ」
紗江さんとは母方の叔母で優木紗江という女性だ。
御年二十九才・独身。
絡み酒が原因で婚期を逃した大変可哀想な叔母だったりする。
見た目は茶髪ショートウルフ。年齢にそぐわない童顔の持ち主。体型は出るところが出て引っ込むところが引っ込んでいる。飲ませなければ深窓の令嬢に見える容姿。酒を飲ませると男が必ず引く残念さを醸し出す。
「男手要員」
この叔母は母方の祖父母が事故で他界したあと元々管理していたマンションを相続したのだ。母さんは海外への転勤前に相続放棄をしていたので、丸々紗江さんが受け取る事になった。
「じゃ、じゃあ。上階にはどうやって?」
「上階に昇る時は紗江さんも一緒だ」
「そ、そう。で、でも、呼んだら来るの?」
「困りごとがあるなら。出来る限りで、だが」
「そうなんだ」
どうも白木は実家から出て、このマンションの最上階で生活しているらしい。一人暮らしでは大きすぎる部屋しかないが、社長令嬢が相手なら仕方ないのかもしれない。そうなんだと言いつつ何処か恥ずかしげになる白木。
(つか、疑いの目から恋する乙女に変化しているのは何故なんだ?)
何処か楽しそうで「ふふっ」と微笑む様はクラスで見てきた塩対応を忘れさせるに足る表情の変化だった。すると管理人室から飲兵衛が顔を出す。
「ちょっと! 明ちゃん遅いよ!」
「あ、おb」
「紗江さん、でしょ」
「紗江さん」
俺がおばさんと呼ぼうとすると必ず圧をかけて名前を呼ぶよう訂正してくる叔母。年齢が三十路前だからか、その辺りの呼び方が気に入らないだけなのだろう。
俺からすれば叔母なのは変えられない事実だから仕方ないが。
「あ、そちらに居るのは」
紗江さんは白木の存在に気づくと手鏡を取り出して身形を整えた。今更、遅すぎる対応だと思うが、口に出すと面倒なので黙っておいた。
白木も空気を読んでか整えるまで待った。
「ご無沙汰しております」
二人の関係は管理人と住人。
「先日の誕生パーティー以来かしら?」
「そうですね。頂いた、ぬいぐるみは大事にしております」
「そう。それは良かった」
いや、住人以外にも繋がりがありそうな二人だった。
これはおそらく俺の誕生日の翌日、夕方に外出した件だろうか?
「彼が住んで居たとは存じませんでした」
「出くわすことすら無かったものね。朝も七時に登校するし」
「そんな前から?」
「お、おう」