第16話 微睡みから羞恥で宣言した。
管理人さんの家で翌日の予習こと勉強を終わらせたあと、
(あれ? なんだろう……妙に心地良い。それに、この匂い……好きな匂いだ)
私は不覚にも眠ってしまったらしい。
意識が少しずつ覚醒していく間、なんで寝てしまったのか思案した。
(えっと……教科書とノートを片付けて、明君がお茶請けのクレープを焼いてくると言ってキッチンに向かったんだよね。そんな彼の格好いい姿をリビングで見てて、心からの幸せを感じて)
急に眠気が襲ってきて、座っていたソファのうえにゴロンと転がったらしい。
(そういえば、昨晩は色々あって寝られなかった、ね。目の下にクマもあったし)
その弊害か知らないが、緊張が解けた事で眠気が復活したようだ。
(あー! 勿体ない! 明君との貴重な時間がぁ!? 起きなきゃ! でも……)
目覚めようとする意識と横になっていたい疲れた身体との齟齬が発生して目を開ける事が億劫になった。
それだけではなく不思議と懐かしい感覚が頭頂部にあって、心から気持ちが良かったのだ。
感じるとか下ネタではなく居心地が良い的な。
(も、もう、いっそ、このままでも、いいかも)
これだけで身体の疲れが癒やされるような気がした。
(この、程よい弾力の枕も、香しい匂いも、癒やされるよ)
クラス委員長としての私は何気にストレスを溜めている。
例の噂とかクラスメイトとのやりとり。
教師達からの心証とかバイト先での細々。
二年からの授業内容等も日々のストレスの元凶だった。
そこに明君との関係悪化も加わっていたから猫の皮を何枚も被って耐えるしかなかった。
そんな中、明君の家を知って食事に招待されてなんだかんだあって交際が始まった。
およそ十年もの遠恋の果て。
ようやく私の願っていた環境が得られた。
(婚約の件は生後数ヶ月で決まったようなものなんだけど)
職場復帰した母さんが明君のお義母さんに私を預け同じベッドに寝かしていた。
その際に赤子ながら手を繋いだ事が婚約のきっかけだったらしい。
これは母さんから離されて泣き喚いていた私が、眠る明君の隣に寝かされた瞬間に明君の小さい手を握ったと言っていた。
赤子で積極性を魅せるってなんなのって思ったよ、聞かされた時は。
そこから先は毎度の如く手を繋いでいて泣き喚くことなく健やかに眠っていたそうだ。
(母さんが家に連れ帰ろうとして泣き喚いたとか言われたっけ)
それは物心が付く前の出来事。
物心が付いても一緒に居るのは変わらなかった。
一緒にお風呂に入った時も。
口と口のキスをした時も。
同じベッドで寝た時も。
私のファーストキスは三才。
相手は明君だった。
(結婚しようねって約束したよね。明君は忘れていたけど)
四才を迎えた別れの日まで常に一緒に遊んでいた私達。
婚約話を聞かされたのは小学校に上がった頃だった。
それを聞いて嬉しかった。
心から嬉しかったのだ。
明君の初めて女になれると知って嬉しかった。
(初めて云々は中学になって意識した事だったね)
幼子、童女の頃は純粋に好きだった。
肉体関係を考慮しない好意だけがあった。
思春期を迎えてからはそちらの方にも意識が傾いた。
(明君に魅力的な下着を魅せたいとか考えたりしたっけ)
あくまで考えただけ。
恥ずかしくて実行は出来ない。
精々、胸を両腕で抱き寄せて大きさを示すまでが限界だ。
学校での明君は女子達に見向きもしないからか枯れていると思えた。
(胸とかお尻とかに視線が向かないもんね。私はいつでもウエルカムなのにな)
だが、その認識が間違いだったと私は知ってしまった。
それは高一の夏季休暇前の事。
とある女子が明君の正面で平然とパンツを晒していたのだ。
根暗だからと男とも思っていない態度だった。
見るからにギャルっぽい下品な女子だった。
若干瑠璃とキャラ被りしていた女子だけど頭の出来は下から数えた方が早かった。
明君が急に椅子から立ち上がり、横切る時に言ったのだ。
『俺も人並みに性欲がある。襲われたくないなら股、閉じろ』
そう、言って教室から出ていった。
言われた方は『キモ』の一言で片付けていたが『露出プレイに励むマゾッ子だ』と瑠璃が発した途端、いそいそと股を閉じたのは滑稽だった。
その当時、その子のグループと私達のグループはある意味で敵対関係だったから注意出来ただけなんだけどね。
これが同一グループの女子が相手なら出来ない毒舌だった。
(人並みに性欲はある……か。私には欲情してもいいんだよ? 他の子はダメだけど)
私はぽわぽわした意識の中、無意識に自身の胸を抱き寄せた。
形が変わる感覚が脳髄に伝わり「うぉ!?」という声が耳に入ってきた。
頭の枕が少し揺れて元の位置に戻った。
すると今度は管理人さんの声が響いてきた。
「あらあらあら。膝枕なんてして!」
「い、いいだろ。別に」
「それにブランケットまでかけてあげて。優しいのね」
「か、風邪引かれると困るからな。委員長だし」
「はいはい。そういうことにしといてあげるわ」
「は? どういうことだよ」
「分かっている癖に。スカートが捲れて見えたんでしょ。さーちゃんのパ・ン・ツ」
「うっ」
「さーちゃんって寝相が相当悪いそうよ。落下防止のためかキングサイズベッドを選択しているしね」
「……」
「それよりも、さーちゃんの幸せそうな寝顔。役得ね」
「う、うっせ!」
え? ちょっと待って?
こ、これって膝枕されているの?
(じゃ、じゃあ頭にあった感覚は……撫でられていたの?)
会話を聞いて意識が急速に目覚めてきた。
微睡みからの覚醒。
驚きで心拍数が跳ね上がった。
(あと、寝顔……寝顔見られたのぉ!?)
いや、寝顔だけでなくもっと不味い物を見られたような?
(あ! パ、パンツ! きょ、今日は……ダメな奴だぁ!)
寝相が悪いのは自覚しているから仕方ないとしても、まさか明君に膝枕されながら見られては不味い柄のパンツを見られて、ついでに寝顔を見られてしまうなんて恥ずかしいよぉ。
「あ、さーちゃんの顔が真っ赤だわ」
「これって目覚めてね?」
「目覚めているわね。狸寝入りかしら」
「うっ」
狸寝入りじゃないです。
低血圧のせいで起きられないだけで。
私が薄らと瞼を開くと苦笑する明君の顔が見えた。
明君の右手は私の頭の上にあって撫でてくれている。
管理人さんは私が目覚めた事に気づくと、
「で、どんな柄だった?」
興味津々でとんでもない事を問いかけてきた。
「死体蹴りしてやるなよ」
「だって気になるじゃない。明君なんて記憶に永久保存してるでしょ?」
「うっ」
「図星ね。で、どんな柄だったの?」
「猫柄パンツ。小さい猫の顔だけが描かれた」
「……」
「ふふっ。可愛らしいわね」
い、いっそ殺してぇ!?
お願い、殺してぇ!
あまりの事に恥ずか死しそうだよ、ぐすん。
「それはそうと。心のパンツフォルダに永久保存した明君?」
「おいこら! そういう呼び方は止めてくれよ!?」
「でも、本当の事でしょ。今更取り繕ってもね?」
「で? 何が言いたいんだよ?」
「そのパンツの記憶だけど。将来、セクシーな下着を着たさーちゃんで上書きしてあげなさいよ。本人としては不本意なパンツのチラ見せなんだから」
「あ、ああ……そんなの当たり前だろ」
「そ。理解しているならいいわ」
ちょっと! なに勝手な事を言っているのかな?
私は真っ赤な顔のまま物申す。
「見られた本人置き去りにしてそういう話するの止めてもらえます?」
「「あっ」」
「見てもらえるなら直ぐにでも見せてあげる。だけど穿き替える時間が欲しいよ」
「それもそうね」
「すまん。配慮が出来ていなかったわ」
「気にしないでって言ったら嘘になるけど準備が出来たら見てね?」
「お、おう。楽しみにしとく」
「楽しみにしておいて」
「良かったわね。将来が近々になって」
「「……」」
あれ? 冷静になって考えると、私……とんでもない事、言ってない?
(言ったよね。言ってしまったよね。管理人さんの前で)
ニヤニヤ顔でしてやったりと舌を出したしぃ!?
(嘘でしょ!?)
こ、こうなったら女は度胸!
「あ、明君」
「どうした? 声が震えているが」
そりゃ、震えるよぉ。
顔も真っ赤なままだし。
正面には格好いい顔があるし。
目をそらすと管理人さんのニヤニヤだし。
反対を向くと明君の腹筋だし。
「次の休み、下着買いに行くから付き合って」
「い、いきなりぶっ込んできたな?」
「明君好みの下着を選ぶから、存分に見てね?」
「そ、そうか。楽しみにしておくわ」
「うん。どのみちブラのサイズが合わなくなっていたし。丁度良かったよ」
とりあえずデートの約束に下着購入を取り付けたので良しとした。
実際にセクシーな下着は持っていなかったし。
買っておいて本番まで取っておけばいいしね。
その本番がいつになるのか不明だけど。
「うんうん。若さよねぇ。私なんて垂れ始めたし」
「き、急に生々しい事を言わないでくれるか?」
§
その日の夕食はクレープ生地を使った春巻き擬きだった。
クレープ自体は甘さ控えめだったようでオカズとしても使える代物だった。
「結構、薄く焼いたのね。このクレープ」
「でも、それがパリパリと良い食感で具材とのハーモニーを演出してて。美味しいです」
「いや、これは春巻きの皮だぞ」
「「ふぁ?」」
「春巻きの皮でクレープを作るレシピがあって試してみたんだ。ただ、食べる前に咲が眠ってしまったから食後のデザートになったんだ。ただ、皮が余ってな。いっその事と思って春巻きを揚げたんだ」
クレープと思ったら春巻きの皮。
横に置かれたデザートを見るに春巻きの皮には見えないね。
「何事も使いようかぁ」
「無駄が無いってこういう事なのね」
「そこそこの本数を揚げたから食べてくれよ」
「「勿論!」」
春巻きの具材は本場の春巻きと思うような材料が使われていた。
これも例のスーパーマーケットで手に入れたのだろう。
私でもここまでの品を作れるかと言われたら無理だと思う。
「専業主夫ならぬ専業シェフね。さーちゃんの旦那様は腕利きの料理人よね」
「そ、そうですね」
寒いギャグに頬が引き攣った。