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断章のセレナーデ  作者: 白鳥毘毘
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3話ーそれでも、生きていい

——お昼過ぎの公園。 柔らかい光が空から降りて、ベンチの上で小さな影をつくっていた。

ランドセルを抱えて座った僕の隣には、ナインがいた。 銀の髪を昼の太陽が照らし、静かな笑みをたたえている。

「……君が ”選ばれる側”って言われたとき、どう思った?」

唐突にナインが口を開いた。

僕は、ランドセルを抱えたまま目を伏せる。

「怖かったよ。でも……ちょっと、ホッとした」

「ホッと、した?」

「うん。選ばれるってことは、もう頑張らなくていいんだって、思っちゃって……」

ナインは何も言わず、静かに耳を傾けていた。

「昨日、言ってたよね。“終わりたい” って思ってる人の奥に、“それでも”があるって」

僕の声は、どこか乾いていた。

「でも、僕には……そんなもの、あるのかな」

ナインは何も言わず、ただ傍に座る。 その沈黙を打ち消すように僕は口を開いた。まるで、心の底に詰まっていた空気が、ようやく漏れ出したように。

「僕、ずっと……”ちゃんとした子”でいなきゃいけないと思ってた。 お母さんの期待に応えて、先生に褒められて、友達にも迷惑かけないようにして。

……それが、“いい子”ってことだと思ってたから」

ナインが、ゆっくりうなずく。

「ずっと、がんばってたんだね」

「でも、本当はね——そんなの、苦しかった。 毎日、予定通りに宿題やって、習い事の時間に遅れないようにして、 “ふざけてる暇があったら復習しなさい”って言われて……」

声が震える。

「……でもさ、本当は、僕だって! 勉強なんかほっぽり出して、 みんなとバカやったり、サッカーしたりしたかったんだよ!!」

その言葉は、まるで幼い叫びのように響いた。

「朝のチャイムぎりぎりまで校庭で遊んで、 帰りに友達と駄菓子屋寄って、意味もなく笑って…… そういうの、したかったのに……僕だけ、しちゃダメだって思ってた」

ナインはそっと、悠生の肩に手を置く。

「誰も、そんな君を責めないよ」

「……ううん、責めるよ。 ちょっとサボっただけで “どうしたの?” って言われるし、 親も先生も “悠生はしっかり者だから安心だ” って、勝手に決めてくる」

悠生の語気が強くなる。 でも、それは怒りというより、悲しみに近かった。

「僕が頑張ってるのは、怒られたくないからじゃない。 優秀な悠生ってイメージが崩れるのが怖いから。……優秀じゃないって思われて周りに見捨てられたくないからだよ」

沈黙が流れる。 ナインは目を細めると、静かに言った。

「怖かったんだね、必要とされなくなることが」

僕は、ふっと顔を背けた。 目に入ってくる陽が滲んで見えるのは、光のせいだろうか。

「だって、僕にはそれしかなかったもん…… いい子でいること以外、僕がここにいていい理由なんて、なかったんだもん……!」

言葉の端々に、子どもらしさが滲み出す。

「誰にも“本当の僕”なんて見せたら、嫌われると思ってた。 泣き虫で、ずるくて、たまにサボりたくて、怒りたくなる……そんな僕なんて、誰も必要としないと思ってた。

みんなが見てる“僕”は、優秀で、頼りになる僕だけだから——」

ナインの目が優しく揺れる。

「でも今、君はちゃんと話してくれてる。 それが、君の “本当の声” なんじゃない?」

「……そんなの、遅すぎるよ」

ランドセルを地面に置いて膝を抱え込み、縮こまった。

「全部言ったって、何も変わらない。友達も、お母さんも、僕の本音なんてきっと……」

「——変わるよ」

ナインの言葉が重く、しかし優しく落ちる。

「変わるかどうかは、相手次第。でも、伝えなければ、何も始まらない」

「……こわいよ」

「うん。怖くて当然。でもね、君の中にまだ “それでも” があるなら、 僕はその声を信じたい」

悠生の肩が小さく震えた。 そして、ぽろぽろと涙が頬を伝い落ちていく。

「僕……どうしたらいいの……?」

「まずは、今日ここで、自分の声をちゃんと聞けたことを、大事にしよう」

「……僕の声、聞こえた?」

ナインはにこりと笑って頷いた。

「うん。すごくよく聞こえた」

その瞬間、胸の奥にあったざらついたものが、少しだけほどけた気がした。

どこか遠くで、下校チャイムの音が聞こえる。 あたりは薄暗くなりはじめてきた。

「そろそろ、みんなが帰ってくる時間だね。友達にも、お母さんにも、悠生なら絶対自分の気持ちを伝えられる」

「怖いよ。怖いけど、頑張ってみたい。」

そのとき、遠くから名前を呼ぶ声が聞こえた。

「悠生ーっ!!」

驚いて顔を上げると、公園の入り口に数人の同級生の姿があった。息を切らしながら、こっちへ走ってくる。

先頭にいたのはハルカだった。

「ほら、言っただろ?さぁ、行って来な。ちゃんと自分の気持ちを伝えれば、きっと理解してもらえるはずだよ。」

ナインは僕にみんなのところに行くよう促した。

僕は短く息を吐いて、みんなに向かって歩き出した。

「いた……!悠生、ほんとに、よかった……っ」

僕を見つけた瞬間、涙をこらえていたような表情のハルカに続いてみんな駆け寄ってきた。

「……便利だなんて、言ってごめん。なんでそんなこと言っちゃったんだろ……」

「……俺さ、悠生がなんでもやってくれるから、正直頼ってた。楽だったんだ。でも、それってさ、ずるかったよな。ごめん」

「悠生が怒ったの、当然だよ。むしろ、今まで何も言わずに頑張ってくれてたのに、気づけなかった私たちが悪い」

ひとりひとりが僕の前に立って、ちゃんと目を見て謝ってくれた。

「僕、そんなつもりじゃ……でも、ありがとう」

「ね、明日からさ、また一緒にお昼食べようよ。今度は、ちゃんと“対等に”ね」

「うん。言いにくいこととかあったら、話してよ。僕ら、友達だもん」

僕は頷いた。今度は、しっかりと笑顔で。

「僕、本当は勉強あんまり好きじゃないんだ。」

「うん」

みんなが真剣に聞いてくれている。

「本当はみんなと日が暮れるまで遊びたいし、バカやって先生に怒られてみたい。」

「みんなの知ってる僕とはまるっきり違う僕だけど、これからも仲良くしてくれる?」

「うん!」

みんな勢いよく頷いて僕に抱きついてきた。

ナインに感謝を伝えなきゃって思って振り返ってみたけど、そこにナインの姿はもうなかった。

——みんなと話し終えて、公園を後にするとき、僕の中に少しの“あたたかさ”が残っていた。

まだ全部がうまくいったわけじゃないけど、ほんの少し、僕は「自分の声で生きてていい」って思えた。

——夕焼けの道を少し歩くと、家の前にたどり着いた。

玄関の前には、お母さんが立っていた。

腕を組み、眉間にしわを寄せていて、僕の姿を見るなり、大きく息を吐いた。

「悠生……どこ行ってたの! 学校から連絡があったのよ。心配して、どれだけ……!」

怒られる。

そう思った瞬間、僕の体がこわばった。反射的に、言い訳を探していた。

でも——今日は違う。

「ごめん」

僕は、まっすぐお母さんを見上げて言った。

「でも、ちょっとだけ……休みたかった」

「休みたかった? なにそれ、意味が分からない。あなたは今日、国語の発表も——」

「ねえ、もういいよ」

僕は、ランドセルの肩紐を掴んだまま、ぽつりと続けた。

「僕だって、完璧じゃないんだよ……!」

お母さんの目が揺れた。僕の中で、何かが決壊した。

「ずっと“しっかりしなさい”って言われて、ちゃんとやってきたよ。忘れ物もしないように気をつけて、成績も落とさないようにがんばって……でも、それなのに、母さんは僕のこと見てくれてたの?」

「……悠生?」

「僕はね、お母さんに褒められたくて頑張ってたんじゃない。見捨てられたくなくて、ただ、それだけだった。『いい子』じゃないと、自分に価値がない気がしてた。……そんなの、苦しいよ」

震える声で言うと、涙がにじんで、頬を伝う。だけど、もう止められなかった。

「本当は、もっと甘えたかった。サボりたい日だってあったし、意味もなくバカみたいに笑ってたい日もあった。でも……それを言ったら怒られると思ってた」

お母さんの口が、かすかに震える。だけど、今は僕の番だ。

「僕って、“ちゃんとしてる”から大事にされてたの? 間違えたら、忘れられちゃうの? そう思うくらいには、怖かったんだよ……」

その瞬間——

お母さんが、僕の肩をぐっと引き寄せて、強く、強く抱きしめた。

「悠生……ごめんね……! 本当に……ごめん……!」

その声は、しゃくりあげるように震えていた。

「いつもちゃんとしてるから、ちゃんとしてて当たり前だと思ってた。勝手にどんどん期待を悠生に背負わせてた。泣かないから、平気なんだと思ってた……そんなの、私が勝手に決めてただけなのに……」

僕の肩が、彼女の涙で少し湿っていく。

「ごめんね……悠生。あなただけに頑張らせてた……。私が母親のくせに、あなたの“気持ち”をちゃんと見てなかった……」

僕も、涙が止まらなかった。

「……僕、お母さんに怒られないように頑張ってたんじゃないんだ。……喜んでほしかったんだよ」

「……知ってる。今なら、分かる……。ちゃんと、分かってるよ。もう無理しなくていい。泣きたかったら、泣いていい。甘えてほしい。怒ってくれてもいい。私は……悠生の“本当の声”を聞かせてほしいの」

その言葉が、胸の奥にすっと届いた。

ようやく届いた。

「……ほんと?」

「ほんと。悠生は、“いい子”だから大事なんじゃない。”良い子”の悠生じゃない、ただの悠生が、大事なのよ」

僕は、お母さんの腕の中で、小さくうなずいた。

言葉にはならない気持ちが、胸いっぱいに広がっていた。

しばらくのあいだ、何も言わずに、ただ抱きしめ合っていた。

夕焼けが、二人の影を長く伸ばしていた。

高い空の上から、静かに夜が世界を包みはじめていた。

住宅街の一角、小さな家の灯りが優しく瞬いている。

その明かりの中で、抱きしめ合う親子の姿が、ゆっくりと心を通わせていた。

ナインは、その様子を空から見守っていた。

 

「気持ちが伝わってよかったね、悠生。」

「……間に合って、よかったね」

その声は、空気に混ざるように柔らかく響いた。

ナインが横を向くと、そこには宙にふわりと浮いた少女——ユスリがいた。

髪は艶のあるピンク色、前髪の隙間から大きな瞳がこちらを覗いている。

夜風に揺れる彼女のローブもまた、彼女が寿命管理局の死神であることを示している。

「やっぱり、“保留” したんだね。ナインだけだよ、こんなこと許されてるの」

「特例扱いだからね。正式には違反寸前だけど……まだ、選ぶには早いと思ったんだ。」

ナインは、ほのかに微笑みながら空を見下ろす。

ユスリは月明かりを背に、くるりと一回転して空中に浮かぶ。

その小さな体からは、鈴のような気配がほのかに漂っていた。

「ナインってさ、死神のくせに、すっごく人間の言葉を信じるよね。私はそもそももう人を ”選べない” けどさ。」

「選べなかったんだ。……声を聞いたから」

「選ばなかった、じゃなくて?」

「うん。僕は彼の未来を選んだんだ。あの子にもう一度生きたいって気持ちに気づいて欲しくて。」

ユスリはその言葉を聞くと、しばらく黙って、ゆらゆらと足を組んで浮かんだまま。

「ナインっぽいね。でも、私もその気持ちわかるなぁ」

遠く、家の灯りが消える。けれどその余韻は、胸の奥にほのかに残った。

「明日から、きっと少しずつ変わっていくよ。あの子も、あの家族も」

ユスリは横目でそれを見ながら、ほわんと笑った。

「……うん。じゃあ、またね。ナイン。次の選定地、もう回ってるよー」

「うん。ありがとう、ユスリ」

ナインは静かに立ち上がり、ゆらゆらと闇へと飛び立つ。

その背中はどこか柔らかく、でも確かな使命を帯びていた。

誰かの小さな ”それでも” を拾い上げるために。


【寿命管理局:選定記録】

選定対象ID:00378-KY

選定者:ナイン

選定実行時刻:2047年6月17日 21:26

選定結果:保留

本来の残寿命:82年4ヶ月12日

寿命保存:未回収(選定延期により)

備考:小学校近隣の公園にて観測。対象は選定直前に精神的臨界状態に達していたと判断される。

当選定においては、担当選定者による独自裁量により一次選定の延期が実行された。

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