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白夜

作者: 藤野纏





深夜2時のコンビニ。じじ、とライトに虫がぶつかって落ちていく。光に魅せられた蛾がひらひら、とその周囲を舞う姿は、真昼の蝶によく似ている。どこの国のハーフかわからない店員のカタコトのいらっしゃいませ、にどれだけのやる気が含まれているのかぼくは知らない。アンドロイド同士だったから、目を合わせれば会計はすぐ済んでしまった。頼まれた大量の命の前借りを抱えて、店を出る。

夢の島、ニホン。四季折々の美しさと、たくさんの希望を抱えた先進国。桜が舞い散り、夏は青々と、秋は紅葉に、冬はまっちろな雪景色。そんな国に、希望を持ってみんなやってくるのだ。

この国には、たくさんの蛍が年がら年中舞っている。働きアリのように懸命に働くものたちが宿す光が、ビルのそこかしこに宿っている。この国は南極のように、白夜だったのかもしれなかった。

コンビニを出たぼくは、その光を見ながら胸の辺りの苦しさを自覚した。星より懸命に輝くいのちのうつくしき輝きは、いつになったら安寧を手に入れるのだろう。

しばらくメンテナンスされていない体を引きずって、耳鳴りみたいな音を響かせながらぼくは帰路を急ぐ。

8月某日。高校最後の夏休み。

ぼくはとある作戦を決行しようと考えていた。


⚪︎


8月31日。

ぼくは白夜の中をあるいている。ジジ、と虫が焼け死ぬ音がして、ぼくはまた胸が苦しくなった。

コンビニに入る。いらっしゃいませ、と投げやりな声が聞こえてきて、ぼくは顔を伏せながら雑貨が置いてある場所に駆け足で近づいた。ビニール紐を一つ持って、命の前借り____エナジードリンクのコーナーの前を息を止めながら通り過ぎる。ばくばく、と無いはずの心臓の音がする。緊張って多分、こんな感じかしら。汗をかく機能がないぼくが握るビニール紐は相変わらず乾燥していて、ぼくは陳列されているお酒みたいにレジに並んだ。前に並んでいるおじさんの買い物カゴには、三本の命の前借りとお酒。晩酌でもするのだろうか、お酒のアテと、ちょっとばかりの健康志向のコールスローがひとふくろ。

もしもし、もっときちんと食べなきゃ死んでしまいますよ、なんて声をかける勇気なんか出ずに、ぼくはカタツムリみたいに黙り込んだ。

「次の方どぞー」

あ、呼ばれた。ぼくは呼吸をふたつして、思い切って足を踏み出す。人間の店員さんだ。なんだアンドロイドか、とぼくの瞳を見た店員さんは、ぼくの瞳にバーコードスキャナーをかざそうとした。

「これもお願いします」

疲れてしゃがれた声が、お会計に割り込んできた。

ふ、と顔を上げると、世界を遮断するような分厚いメガネの奥に、どろりと濁った瞳にクマのある顔。それがこちらをのぞいている。ぼくの学校の国語の先生だった。

「佐藤先生、」

「うん?」

彼女の手には、命の前借りと、ブラックコーヒーを1人ずつ。ビニール紐とは不釣り合いだ。

佐藤先生は、レシートでぱんぱんになった財布をもたもたと取り出して、折れた千円札を店員さんに差し出す。店員さんはそれを受け取って、機械に通す。折れていたのが悪かったのか、うまくスキャンできずに、店員さんは一つ疲れたため息をついた。すいません、と佐藤先生はもう一枚、ちょっとだけマシな千円札を出して窮屈そうに頭を下げる。後ろにまとめてある、細くなった髪が垂れ下がって、まるで枯れ木みたいだ。

「ほら、いくよ」

ありがとうございました、とため息まじりの人間の店員さんはあくびを噛み殺して頭を掻いた。

「……佐藤先生、あの」

「ええっと、確かきみはハナヅカ ケイくん。そうだ、“蛍”で、ケイくんだ。花塚蛍。覚えてる覚えてる。アンドロイドの生徒なんて珍しいからね」

「……はい、」

そう。ぼくはまだ珍しい、“学生”のアンドロイド。人間のためになれない、働けないアンドロイド。父と母は人間で、子供ができない体質だった。だいたい6歳くらいのサイズから記憶と義体を調整されてここまでやってきた、無能のアンドロイド。父と母の愛に報いることのできない、ただの玩具だ。

「ああスッキリした!なんかここで引っかかってたんだよな、蛍くん。蛍くんだ、そうそう」

先生は嬉しそうにぼくの名前をつぶやく。

ぼくは佐藤先生の下の名前を知らない。

極めて機械的で、役割だけを果たす彼女を知っている。だから驚いたのだ、まさかこんなところで出会うなんて。

「こんな遅くまで出歩いてたらいけないよ。早くうちに帰らなきゃ。ご両親は?」

「今日は出張だから、ぼく1人です」

ぼくが歩くたび、関節が軋む音がする。そんな音を気にもしないで、佐藤先生は笑っていた。

「で、それ、何に使うの?」

「……」

「言いたくないなら良いんだけどさ。はは、誰しもあるよね、そういうこと」

彼女は物分かりがいいふうに振る舞いながら、命の前借りのプルタブをあける。諦めたようなため息混じりの吐息と共に、中身を啜る音がした。

ぼくはぎゅっと息を止めて、体内の酸素を全て吐き出す。

先生のメガネは、レンズが割れていた。それにつるが折れて、それをテープでぐるぐる巻きにしている。ぼくはそれはなぜかを知っている。授業中、腐った卵を投げられ、邪魔だと言われ、押されてメガネを踏まれた先生を知っている。その時彼女は、努めて機械的に振る舞うのだ。まるでそんなダメージを受けていないかのように、ただ淡々と授業を続けるのだ。他の生徒に支障をきたさない様に、心を殺して。

「……実は、企みをしていました」

「企み?」

「はい、ぼくの……ぼくだけの、いっとううつくしい企みです」

「ははあ、じゃあわたしはその企みの現場に居合わせたわけだ」

先生は命の前借りを飲みながら、ぼくに相槌を打った。

「その企みはうまくいくの?」

「わかりません。でもうまくいくといいな、と思います」

「そうかそうか」

「……先生は、その、」

「ん?ああこれ?平気平気。スペアがあるからね」

まるで当たり前に変えが効くように言うもんだから、ぼくはすっかりだまってしまった。

しばしの静寂。ぼくは顔をあげることもできずに地面を眺めながら歩く。先生の革靴は暗闇が隠しているが、煤けて傷んでいる。

「あんまりうまくいかないね、人生って」

ぽつり、こぼれた言葉は先生の言葉だったろうか。顔を上げても先生は笑っている。だけど、命の前借りを持つ手が震えている。ぼくは先生の手から命の前借りを奪ってごくり、と飲み干した。

全てを誤魔化すような甘味。こんなもので苦しさが紛れてたまるものか。そんな機能、ぼくには存在しないのに、涙が出るほどつらかった。

炭酸で胃がヒリヒリして、吐き出しそうになるそれを飲み干した。

「蛍くん、」

「それでも、うつくしい」

ぼくは今にも泣き出しそうな声で叫んだ。

「それでもうつくしい!」

工場で働くおじさんの手にできたマメとか、宅急便のお兄さんの汗とか、睡眠を削ってぐしゃぐしゃになった朝の母の顔とか。

それらが、どれも、うつくしい。

それらを見るたびに、ぼくは心がギュッと苦しくなって、そのうつくしさに報いることができるのだろうかと考えるのだ。

人間はいつだって、祈るようにぼくらを撫でる。その手に次第にしわが増えること、ぼくの義体が母の背を追い越していくこと。「あなたはわたしのかわいい息子よ」と、血の通わないシリコンの肌を撫でること。その温度は、この冷たい義体にすべて吸われていくこと。それには全て願いが込められている。

どうか、わたしたちの息子が幸福でありますように。

どうか、わたしたちの息子の未来が希望に溢れたものでありますように。

どうか、わたしたちの息子にぬくもりが宿りますように。

どうか、私たちの思いが未来まで届きますように。

どうか、どうか、どうか。

彼がどこまでも、どこまでも、飛んでいけますように。

その祈りに触れ続けて、ぼくは。

____________ある日、蛍の光を見た。

「うまくいってないことなんてない、人間はこんなに頑張るんだから、いつかは報われるんだ。報われるためにぼくらを作ったんだ!人が頑張る姿はうつくしい。人間は今までずっとそうやって繋いできたんだ、夢を、希望を!」

きっと、遠くへ、遠くへ、自分たちの思いを繋いでいくのだと信じて。いつかの未来をぼくらに託すのだ。

それは、まるで祈り。

蛍のような、祈り。

「ぼくはあなたの全てを管理しているアンドロイドではないから、あなたがあるがまま美しいなんて言いません。けれど、少しでも、よりよくあろうとする一歩を踏み出そうとするその姿は、きっとうつくしい。脱ぎ捨てた服をハンガーにかけるとか、落ちてたゴミを捨てるとか、そんな些細なことで構わないんです。あなたはうつくしい。少しでも、よくあろうとする姿が」

その姿が、もしも蛾であろうとも。懸命に光を求めて羽ばたく姿を誰が笑えようか?

ぼくは抵抗するのだ。それを笑うものへの、抵抗。

9月1日。ぼくは朝一番の教室で首にビニール紐を巻いて、そして。

ぼくは、白夜からとびたつ、ひとつうつろう蛍になろうと思うのだ。

「……そんなことでいいのかい?」

「“そんなこと”じゃありません。良くあろうと進化するのは人間にしかできません。退化もまた同じなのです。ぼくらはプログラムされた、作られた時のまま停滞することしかできないのですから」

蛍であることは、人間にしかできないのだ。

ぼくらはせいぜい街灯で、ランプで、蛍光灯だ。人間がいなければ輝くことができない。

蛾のように光を求めて羽ばたく本能は、人間にしか搭載されていない、こころのかたち。

「退化もまた人間の特権、か」

「そうです。そうやって試行錯誤して、あなたたちは進んできた。“教えること“だってそうでしょう。いろんな道を違えて、あなたたちはそこに来たんだ。それの何が悪いんですか。みんないつか報われなきゃおかしいんだ、みんなこんなに頑張るのに、こんなに輝くのに」

ぼくはすっかり錆びついている手を握りしめる。父と母の祈りであるこの体のメンテナンスは大金を要する。メンテナンスがついに追いつかなくなったのだ。ろくに動けないがらくた。毎日、ただただ父と母のための命の前借りを運ぶだけのロボット。

「ぼくはただの愛玩用のアンドロイド。働くこともできない製品番号K-404。ねえ、先生。ぼくは、はやく人間に報いることのできる“蛍”になりたい」

綺麗に形を模した蝶を愛でるより、懸命に羽ばたく蛾をうつくしいとおもうこころを抱えていたい。

先生は驚いた顔をして、そして、ふ、と笑った。

「それだけきみに愛されている人間たちなら、きっとこの先もだいじょうぶだ」

そうやって、先生は命の前借りをぼくの手から奪って最後の一滴を飲んだ。

「これが愛ですか?」

「これが愛だとも」

「こんなに苦しいのが愛ですか」

「時に苦しいことだってあるんだよ」

「ぼくは何もできちゃいないのに、こんなのが愛だなんて間違っている!」

「K。大丈夫、人間はまだまだしぶとく続いていくよ。大丈夫、大丈夫なんだ」

先生はぼくの頭を撫でる。こんなのは間違っている。間違っている。

「そのうつくしいと思う心が愛なんだ」

「これが、愛でいいんですか」

「いいんだとも。現にわたしは今、救われたからね」

まるで我が子を抱える母親のように、生身の先生は機械のぼくを腕の中に収める。

「ぼくに何ができるでしょうか。どうすればはやく蛍になれるでしょうか。どうすれば、蛍の愛に報いることができますか」

先生、教えてください。先生。

先生はその問いには答えずに、ただぼくの背中を撫でさすった。ゆっくりと、ゆっくりと、泣く赤子を宥めるように。

その温もりは、義体のぼくの 永遠に温度を宿さない体に吸われていって。

ああ、ぼくはまた、蛍の光を両手に抱えている、と思った。


2月。

冬の風がまだ冷たい。雪が降って、道はまるで粉砂糖をふるったよう。

佐藤先生は学校を辞めるそうだ。

ぼくはそれを逃げだとは思わないし、それで良かったんだと思う。先生はひとつ、メモを残してくれた。

ただ、「ゆっくりおいで」と。

彼女はまた、別の人生を歩んでいるのだろう。

もう先生は命の前借りを飲んでいないといいな、と思いながら、ぼくは白夜の中、蛍が集うニホンで、今日もコンビニに命の前借りを買いに行く。

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