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第七章:『記憶の重さ』

 初夏の陽光が射し込む中、葬儀は静かに執り行われていた。従来の線香の香りに代わって、電子香が控えめに漂う。2070年の今、これが標準的な葬儀の形となっていた。


 祭壇には父の遺影が置かれている。穏やかな笑顔を湛えたその写真は、末期の父の痩せ衰えた姿とは違っていた。それでも、その眼差しだけは同じだった。確固たる意志を秘めた、強い眼差し。


「美影さん」


 後ろから、蒼幽の声がした。


「住職様」


 振り返ると、紺色の作務衣姿の彼女が、静かに手を合わせていた。


「デジタル霊廟のシステムは、いつでも準備が整っています」


 その言葉に、私は深く息を吐いた。遺影の父が、どこか意味ありげな表情で私を見つめているような気がする。


「住職様」


「はい」


「人は、なぜ生きているんでしょうか?」


 突然の問いに、蒼幽は驚いた様子も見せず、ただ静かに微笑んだ。


「その問いに答えを求めることが、生きることなのかもしれません」


「でも、お父様は答えを知っていたように見えました」


 蒼幽は穏やかに首を振った。


「いいえ。来栖さんは、答えを知っていたのではありません。ただ、問いの本質を理解していたのです」


「問いの本質?」


「生きる意味は、記憶の中にあるのではない。今、このときの『生』の中にある。それが来栖さんの伝えたかったことではないでしょうか」


 私は黙って祭壇を見つめた。遺影の父は、相変わらず穏やかな笑みを浮かべている。


参列者の姿が少しずつ減っていく。最新の葬儀場らしく、壁には電子スクリーンが設置され、参列できなかった人々のホログラムが次々と現れては消えていった。


「美影さん」


 声をかけてきたのは、父の会社の後輩だった内海さんだ。


「内海さん、わざわざありがとうございます」


「いや、当然です。部長には本当にお世話になりましたから……」


 内海さんは言葉を詰まらせた。彼の目が、少し潤んでいる。


「実は、これを……」


 そう言って、内海さんが差し出したのは、古いタイプのメモリーカードだった。


「二十年前の忘年会の映像です。偶然、整理していたら出てきて」


 私は黙ってそれを受け取った。二十年前。私がまだ高校生だった頃の父の姿が、このカードの中に残されているのだろう。


「部長は、いつも娘さんのことを誇らしげに話していました」


「え?」


「『うちの美影はな』って。本当によく話してました」


 内海さんの言葉に、胸が熱くなる。


「父は……あまり私に、会社での話はしませんでした」


「ああ、そうでしたか。でも、本当によく……」


 内海さんは懐かしむように微笑んだ。


「特に美影さんが大学に合格した時は、みんなに御馳走してくれて。『わしの娘は天才なんじゃ!』って、珍しく酔っ払っちゃって」


 私は思わず目を丸くした。父があんな風に騒いでいたなんて、想像もできない。いつも凛として、少し厳格なイメージしかなかったのに。


「そうだったんですね……」


「ええ。このメモリーには、たぶんその時の映像も入ってるはずです」


 手の中のメモリーカードが、急に重みを増したように感じた。見るべきか。それとも……。


「美影さん」


 蒼幽が静かに近づいてきた。


「はい」


「来栖さんは、記憶を残すなと言いましたね」


「ええ」


「でも、それは『全ての記憶を消せ』という意味ではないのかもしれません」


 蒼幽の言葉に、私は息を呑んだ。


「どういう……」


「記憶を『保存』することと、記憶を『持つ』ことは、違うものなのです」


 祭壇の花が、微かに揺れた。エアコンの風だろうか。それとも……。


「デジタル霊廟に保存される記憶は、永遠に変化することのない『データ』です。でも、私たちの中にある記憶は、日々新しい意味を持ち、変化し、成長していく。それこそが、本当の『記憶』なのではないでしょうか」


 私は黙って頷いた。手の中のメモリーカードが、やけに温かく感じられた。


「ありがとうございます、内海さん」


 私は深々と頭を下げた。内海さんは照れたように手を振った。


「いえいえ。部長のことは、私たちの記憶の中で、ずっと生き続けていきますから」


 その言葉に、私は思わず微笑んだ。父は確かに、この場所に、この時間の中に、存在していた。データではない、もっと確かな形で。


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