第三章:『記憶の守人』
白い病室に、午後の陽が斜めに差し込んでいた。小さな窓から見える空には、淡い雲が流れている。父と私の沈黙が、重苦しく室内に漂っていた。
その時、病室のドアがノックされた。
「失礼いたします」
入ってきたのは、紺色の作務衣を着た女性だった。短く刈り込まれた髪に、凛とした佇まい。しかしその表情には、不思議な優しさが宿っていた。彼女の姿を見た瞬間、室内の空気が一変したように感じた。まるで、濁った水が一瞬で澄んでいくような感覚。
「蒼幽住職……」
父が穏やかな声で呼びかけた。その声音には、普段は感じられない親しみが混じっていた。
「今日は早めにいらっしゃいましたね」
「ええ、来栖さんとお話ししたいことがございまして」
蒼幽。デジタル霊廟の開発者であり、禅寺の住職でもある女性だ。その二面性は、私には常に不思議な存在に映っていた。最先端技術と古来の仏教思想。一見相反するその二つを、彼女は自然に調和させているように見える。
蒼幽は穏やかな足取りで病室に入ると、私の方にも視線を向けた。その瞳には、深い智慧と慈悲が宿っているように感じられた。
「美影さんもいらしてよかった。あなたとも話がしたかったのです」
蒼幽は私にも微笑みかけた。その表情には、どこか悲しみの色が混じっているように見えた。私は思わず、彼女もまた誰かを失った経験があるのではないかと感じた。
「デジタル霊廟の件で、三郎太さんから相談を受けました」
その言葉に、私は思わず身を乗り出した。胸の中で、怒りと悲しみが入り混じった感情が渦巻く。
「お願いします、住職様! お父様を止めてください! 記憶を消すなんて……」
必死の思いで叫んだ私の声が、病室に響き渡った。しかし蒼幽は、その激情に動じる様子もなく、静かな微笑みを私に向けた。
「美影さん。あなたは、なぜわたしがデジタル霊廟を作ったのか、尋ねたことはありましたか?」
その問いかけに、私は言葉を失った。確かに、これまで考えたことはなかった。なぜ禅寺の住職が、最先端技術を用いた記憶保存システムを開発したのか。その矛盾に気づかなかったわけではない。しかし、それを正面から問うことは避けてきた。
窓の外では、夕暮れが近づいていた。オレンジ色の光が、三人の影を壁に長く伸ばしている。私は自分の影を見つめながら、答えを探していた。しかし、その答えが見つかる前に、蒼幽は静かに語り始めた。
「人は皆、『記憶』に執着します。それは当然のことです。記憶は、私たちのアイデンティティの核だと信じているからです」
蒼幽の声は、まるで遠い鐘の音のように、静かに心に響いてきた。
「でも、それは本当でしょうか? 記憶とは、本当に私たちの存在の本質なのでしょうか?」
その問いかけは、まるで父の言葉の続きのようだった。私は思わず、父の方を見た。父は穏やかな表情で、蒼幽の言葉に耳を傾けている。その姿に、私は不思議な既視感を覚えた。まるで、この光景を以前から知っていたかのような……。




