第009話 浄化
数時間後、ゲオルグは剣を構えたまま、地面にあぐらをかいている竜人を見ていた。
竜人は手足の欠損部の回復をコントロールできるらしく、欠損はまるで回復していない。右腕は爆発したあとの荒々しい断面のままだ。
もう夜は完全に暮れてしまっているが、わずかに欠けた月の光が夜を照らしていた。
「子よ、次の木に移れ」
竜人が再び声を発し、立ち上がった。ルシェは、竜人の言う通り抱きついていた木を離すと、よろよろと立ち上がって別の木の根本に行き、再び抱きついた。
「この木を処分する」
そう言うと、竜人はしゃがみこんで左腕の手刀を木に深々と突き刺し、全身に力を込めたふうでもなく立ち上がった。
片足のつま先がない足が地面に深く沈み込み、代わりに根っこがズルズルと地面から抜けていく。
形は人間でありながら、人間の膂力ではありえないことをしている。非現実的な光景だった。
竜人は根っこに土を抱えた木をひきずりながら庭を歩いていった。
木の幹を足で蹴って腕から幹を引っこ抜くと、思い切り蹴り上げ宙高く浮かべた。
そして左腕を木に向けて伸ばすと、最初はルシェに、そして小さな手を向けてゲオルグに放つつもりであったであろう一撃を放った。
莫大な魔力の奔流が腕から放たれ、木は中空で消滅した。どういった仕組みか、残滓すらも消えたようで地面に何かが降ってくる様子もなかった。
竜人は、地面に落ちたままだった右腕を拾うと、返ってきて再びあぐらをかいて座った。
「その腕をどうするつもりだ?」
「先程の処理で魔力を消耗した。補充する」
「勝手なことをするな」
竜人は、ゲオルグの言葉に耳を貸さず右腕の指を噛んだ。
噛みちぎり、ゴリゴリと咀嚼をして嚥下する。
「そも、私の存在の第一義は浄化の遂行分子である。子を生かしておくのは、殺さずとも浄化を遂行できると判断したからだ。子を先程の木のように浄化するのが私が取るべき最善の行動であったが、お前が無視できない戦闘能力によって妨害したため妥協をした。だが、それは次善の方法でも完全なる浄化を遂行できるという前提あっての妥協だ。完全なる浄化のために魔力の残量に不安がある以上、補充は妥協の余地のない必須の行為だ」
意味のわからないことを言ってきた。
何やら腕を食うことは譲ることの出来ないことであるらしい。イーリがここにいれば興味深く拝聴したのだろうが、ゲオルグにはあまり興味がなかった。
イーリとネイはここにはいない。体力の限界が来て休んでしまっている。
「その、じょうかというのは」
ルシェが口を開いた。
体力が限界に来ており、いつ気を失ってもおかしくない死にかけのような有様だ。なのに話を聞いていたらしい。
「私が喋るのは」
竜人が言葉を遮った。
「問題の解決に必要だからだ。必要のない会話はしない。喋れば喋るほど竜としての純性が落ちてゆく。それは私にとって喪失だ」
要するに、人心がついてしまうということだろう。
ほとんどの竜人は、むしろヒトのままで居続けることを望みながら否応なくヒトでなくなってしまうものだと思うが、一度竜人になると戻りたくなくなるものらしい。
「ひつようなことだ。わたしはほしをがいさぬために、いくつかのことをしっておくひつようがある。あなたがじょうかしようとしているのは、ほしのやまいのようなものか」
意識が朦朧としているのか、うつらうつらとした声だった。
「……我らは星を地上にある生命のように喩えるのを良しとせぬが、病というのは比較的正しい喩えだろう。通常それは天から降りきたる石として星に来るが、今回はヒトがヒトの形として持ち込んだ。故意に行ったのであれば、それは星を滅ぼさんとする凶行に他ならない。星に棲まう一員として、他に棲む者たち全てを裏切る最も罪深い行いと言える。だが、今は故意ではなく無知ゆえの浅はかな行動であったのだと解釈している」
なにやらこっちを世紀の大犯罪者のように思っていたようだが、今では誤解は解けたようだ。
それでも、警戒を怠るわけにはいかない。竜人というのはそもそも人間とは別の思考形態をしている存在だ。竜人自身が先程言ったとおり、竜人にとってはルシェを滅却するのが一番手っ取り早く確実なのだろう。いま後ろで剣を構えている脅威がなくなれば、すぐにでも方針を転換してそれを実行してもおかしくない。
「わかった。ありがとう」
ルシェがそう言うと、竜人はもう答えを返さなかった。
竜人は黙したまま、干し芋でも齧るように自分の腕を喰らっていた。
◇ ◇ ◇
五本目の木を消滅させたあと、竜人はぐるりと家の周りを確認し、汚染のようなものが確実に消滅したのを確認したのか、用は済んだとばかりに無言で去ろうとした。
「待て」
ゲオルグは竜人を呼び止めた。
「………?」
竜人はゲオルグのほうを振り向いた。腕はなくなったままで、左足のつま先も消えたままだ。
「続きをしないか? どちらかが死ぬまで。なんなら腕を生やしてからでもいい」
「なぜ」
「そのために生きてきた」
ゲオルグは言った。
自然と腕が剣を構える。
この竜人となら心から満足のいく戦いができるかもしれない。そしてそれは、老いた体にとって最後の機会かもしれない。
「もはや争う必要はない」
竜人は興味なさげに言った。
ゲオルグの心から闘争心が逃げていった。竜人は戦う気がない。野生の動物が必要のない戦いを避けるように、もしゲオルグが襲ったとしても一目散に逃げるだけだろう。それが言葉でなく、態度から実感として感じられた。
悲しかった。その悲しみは、本望を遂げずに朽ちていく肉体が流す涙のようだった。
「……そうか」
「かつては私もお前のような求道者だった。不滅を望むなら竜鱗を飲むがいい」
「いや、それはおれが求める道ではない」
「話は済んだな」
竜人は足早に話を打ち切るように言った。
「執行に必要だったとはいえ、大きく純性を喪ってしまった。ヒトの心のなんと煩わしいことか……」
そう言うと、竜人は地を蹴って飛翔した。小さな丘くらいなら飛び越えそうな飛翔を見せると、そのまま闇夜の森に消えた。
ゲオルグは来た道を戻り、ルシェの元に行く。
ルシェは、地面に仰向けに倒れて気を失っていた。
ゲオルグはその小さな体を抱えあげると、家に戻りイーリの部屋のベッドに横たえた。
死闘を演じた夜は眠れなくなる。ゲオルグは、外に出るとベンチに座り、月を見ながら今でも世界のどこかを彷徨っているであろう、宿敵のことを想った。
◇ ◇ ◇
「――あ゛っ」
という短い声で、ゲオルグは眠気の帳から覚めた。
「い゛た゛い゛」
ひどいしわがれ声だった。ルシェが発したようだ。
ルシェのベッドに戻り、隣の丸椅子に座っているうちに眠ってしまっていたようだ。
「頭が痛いのか?」
ルシェは首を振った。
「ぜ・ん・じ・ん」
「そうか。じゃあ、まあ、筋肉痛だろう。あれだけ暴れればな」
全身全霊のトレーニングをずっと続けていたようなものだ。今までは別次元の痛みで感じる暇すらなかったのだろうが、体中の筋肉がズタズタになっているのだろう。
「歩けそうか?」
「がんばれ、ば」
「じゃあ、動くな。ちょっと待っていろ」
ゲオルグは部屋を出ると、居間に向かった。
イーリとネイは、食事用のテーブルに座って本を広げていた。
「起きたぞ」
ゲオルグが言うと、二人は今気付いたかのように本から目を離した。
魔術師というのは皆そうだが、本に対すると集中力が凄い。
「筋肉痛が酷くて立てないそうだ。ネイ、よければ食事を持っていってやってくれ」
「あ、はい。すぐに」
と、ネイは厨房のほうに小走りに走っていった。
つい先程、早めの夕食を摂ったばかりだ。まだ料理は温かいだろう。
ゲオルグはイーリの部屋のドアを開けると、元の椅子に座った。
「ネイが食事を持ってくるそうだ」
「ぞ、う」
「喋るな。じっとしてろ」
しばらく待っていると、ネイが作った食事を運んできた。
食事の補助をネイに任せ、ゲオルグは居間に向かいソファに座った。
すると、本を読むのをやめたイーリが杖をつきながら歩いてきて、膝が接するほど近くに座った。
イーリはゲオルグの頬を片手でゆっくりと撫でると、白の混じった顎先の髭を親指と他の指でつまむようにしながら離した。
「少し若返ったな」
「……なにがだ」
「昨日は、初めて出会った頃のお前に戻ったようだった。血気に逸ったせいで若々しくなったんだろう」
「馬鹿を言うな」
少し興奮したくらいで若返るなら誰も苦労はしない。
「久々にあの頃のお前を思い出したよ。食客として招かれたら……ふふふっ、木刀で庭の木を一つ枯らして、我が家の名物にしたんだよな」
あの頃は異常なほどの執念で、僅かでも時間があれば鍛錬に費やしていた。
剣を切り返しながら立て木を左右から打ち据える修行があり、立て木がないので庭の木を代わりにしてやっていたら、木の左右が徐々に削れていき、そのうち枯れてしまったのだ。ネル家の先代に申し訳ないと謝ったら、むしろ話のタネになると喜ばれたのを今でも覚えている。
「まあ、人を辞めるほどの修行をしなければ剣神には勝てないと思っていたからな」
あの頃は、勝つためには一欠片の妥協も許されないと思っていた。
全ての時間を研鑽に費やし、怪我や故障をして休むべき日には一日中瞑想をしていた。生きていくための金も働いたり人に剣を教えたりするのではなく、勝負や戦争に雇われることで稼いだ。
完璧な存在にならんと徹底していた。あの頃と比べれば、今の自分は酷く錆びた鈍らのようなものだ。
「今、山神様の居場所が分かったらどうする?」
「どうもしない。今更、剣神に会いたいとも思わない」
そもそも、ゲオルグが最初にイーリと出会ったのは、山神と呼ばれる神族に会うためにミールーンに赴いた時のことだった。
ミールーンはそもそも、その山神という男が作った……というより、場所を提供してルーミ族に作らせた国で、神族と関わりが深かった。
神族というのは何らかの方法で老いなくなった人間で、いつの時代からか知らないがわずかな数がおり、永久の人生の暇つぶしに世界中を放浪している。
自らの出自を語ることがないので謎に包まれているが、何千年も昔に星竜の気まぐれで竜人化することなく不死性を獲得した運のいい村があって、その住民たちなのだとか、あるいは神話の時代にいた人類の原種のような存在なのだとか、単純に魔族の一種なのだとか言われたりもする。
だが、神族同士で横の繋がりがあるのは確からしい。ゲオルグがミールーンに赴いたのは、一向に出会えない剣神の居所を山神に教えてもらうためだった。
神族というのはあてどなく世界を放浪している掴みどころのない連中だが、山神はただ一人の例外で、国父として定期的にミールーンを訪れると聞いていたからだ。
とはいえ、山神が来るまで何年でも留まるというのも当時の状況では非現実的な話だったし、当時既に剣聖の名で呼ばれていたにせよ、ただの旅の剣士に山神の来訪をわざわざ使いを出して伝えてくれるほどミールーンは酔狂な国ではなかった。そのため、ゲオルグはネル家に食客として留まりながら、幾つかの貸しを作ることにしたのだった。
結局、その縁で二度の戦争にも参加することになり、魔王とも戦うことになった。
どれもこれも、ゲオルグにとっては過去の話である。
「そうか。確かに、今回は山神様のことを聞かなかったな」
「聞かずとも、現れればお前らが大騒ぎしているだろう。そんな話は耳に入っていない」
「……そうだな。察しの通りだ」
ミールーンが滅んだのは、元を正せば山神が来るのを止めたのが原因だ。
ゲオルグがミールーンに初めに赴いたのは18年前、28歳の時だったが、その時は「もう3年来ていないから、そろそろ来るはず」というようなことを言われた。
ミールーンは気まぐれな山神のために来訪が何年おきかの情報をまとめており、ゲオルグが当時聞いた時は平均して3年に1回、最長でも5年は間が空いたことがないという話だった。
だが、結局山神はそれ以降ミールーンを訪れなかった。飽きて来るのをやめたのか、誰かに殺されたのかは知る由もないが、とにかく山神は来なくなった。
「正直、俺はお前が羨ましい。魔術は年老いても衰えることはないし、政治には老獪さが役に立つ。剣だけ握っていたおれは、年老いたら塵になるだけだ。錆びて朽ち果てた剣のようにな」
そう言うと、イーリは驚いたような顔をし、怒ったような目でゲオルグを見た。
「なんてことを言うんだ。剣神と戦い聖剣を賜り、魔王に勝ったお前が塵なわけがない。そこらの村人に名を名乗ってみろ。私の名前は知らなくても、お前の名前は知っているはずだ。人類最強の男だとな」
「俺は最強じゃない。剣神に勝てなかった」
「またそれか。世の中、そんなことは幾らでもある。私だって、魔導の世界には私より優れたものが何人もいるし、歴史上には術くらべのしようがない達人だっている」
「まあ、それはその通りだろうな」
イーリの言いたいことは分かっていた。そんなことは、自分に何度も問いかけてきたことだ。
だが、ゲオルグは空想上の人物や、歴史上の達人と自分を比べているわけではないのだ。現実に剣神と戦った。そして、イーリのようにある分野では負けているが得意な分野では秀でているといった気休めもない。一対一の勝負には、勝ちか負けかという純粋な二択しかない。そしてゲオルグは負けた。
「生き甲斐がないなら、道場でも開いて弟子でも取ったらどうだ」
「それもいいかもしれないな」
イーリがうるさくなってきたので適当な返事を返した。
何十年も流浪の生活をしてきたのに、今更街に道場を買って近所付き合いをして暮らすなど、気が進まないにも程がある。
「なら、クシュヴィの森に来るといい」
イーリは心なしか嬉しそうだった。クシュヴィの森とは、ミールーンの民の避難先になっている広大な森林のことだ。
「道場から老後まで、全て面倒をみさせてもらう。ミールーンの民はお前にそれくらいの借りはある」
剣士というのは敵の刃に倒れて死ぬものだ。
衰え、戦いを避けるようになり、老いさらばえ、誰かに看取られて死ぬ。そんな末期は下の下である。
まったく気が進まないことだった。
ブックマーク・評価・SNSでの宣伝などしていただけると大変励みになります。
どうかよろしくおねがいします<(_ _)>