第077話 とこしえを求める書 下
クレア・ケリー姉妹は、時を同じくして母親から産まれた双子で、西方でいうところのいわゆる”神が割った双子”、つまり、まったく同じ外見をした姉妹だった。
つまり、彼女らは究極の近親者ということだ。
それまでの研究で、近親者であることが相性に関係していることは判明していたので、クレア・ケリー姉妹の実験は元々期待されていた。しかし、まさか唐突に完全な成果を得られるなどとは、我々は思ってもみなかった。
彼女ら姉妹は、私がこの本を綴じた四紀歴1852年現在、まだ二人とも元気に生きている。ケリーの体を使っているクレアは、実験後すぐに交際相手との間に子を身籠ったが、出産した子供にもなんの影響も見受けられない。
この成果に我々は歓喜した。
しかし、それは同時に研究の終焉を意味していた。数多くの人々の中から選んでよいのであれば、相性のよい死刑囚や奴隷を探し、その中から選んで肉体を提供してもらうということは可能だろう。
しかし、近親者に犠牲を強いるのは感情的、社会的な壁が高い。ましてや”神が割った双子”など、偶然にいるものではない――。
………なんてこった。
じゃあ、人工的な一卵性双生児――つまり体細胞クローンなら、不死業は発症しないのか。
だが、この方法はイーリには使えない。
仮にこれからクローン技術の裾野を拓き、イーリの体細胞クローンを作成し、促成培養したとしても、不死業は相変わらず進行してゆくだろう。それはあくまで、発症していない健康な人が、老化か病気で肉体がもたなくなったとき、安全に肉体を交換する方法にすぎないからだ。
つまり、あくまで”不死業を起こさない方法”であって、”既に起きている不死業を治療する方法”にはならない。
おれは、不死業研究には大別して、この二系統のアプローチがあることはわかっていた。
そして、その片方がまったく役に立たないことも。
この研究は、まったく役に立たない方のアプローチだ。
この時点で、おれはこの研究に対する興味を失ってしまった。
まあ……せっかくだし続きも読んどくか。
――――我々の研究は頓挫した。
親子、それぞれ別の顔をした双子など、相性の良い組み合わせを試してみても、やはり不死業は発生したし、前研究の実践によって事実上の不死に到れるほどの進行の遅さにも、やはりならなかった。
我々は、間抜けなことにそこではじめて最古の文献のことを思いだした。
原初の魔術師、そして始めての霊体交換者といわれている魔神帝は、他でもない、自分の息子に乗り移ろうとしたのだ。
説明するまでもないだろうが、彼は歴史上はじめて全世界を平定した人物とされている。もし彼が実在の人物であったなら、肉体の交換先など、老若男女よりどりみどりに、千人だろうが十万人だろうが簡単に調達することができたはずだ。
だが、彼はあらゆる選択肢の中で、息子という最も近しい肉親を選択した。
これは憶測にすぎないが、遠い過去の彼方にいた彼は、我々が達したこの結論に辿り着いていたのかもしれない。
(ここまでの研究は、”第二章 霊体交換先の肉体との相性についての考察”において纏め、ここからの研究を第三章において纏める)
しかし、セプリグスはそこから、更に進んだアプローチを考えついた。
それは、交換先の人間に対して、様々な”加工”を施し、相性の変化を調べる。というものだった。
つまり、交換先の人体を人工的に”神の割った双子”と同じものにすればよい、という発想である。
この頃の我々がしていた行為は、言い訳のしようもない。
外道の所業としかいいようのない、恐ろしい実験を毎日のように行った。
それまでの実験は、まだよかった。被験者は死への恐怖を漏らしこそすれ、外傷から血を流したり、激痛に苦しみのたうちまわったりすることはなかった。ただゆるやかに人としての尊厳を喪い、精神の死を迎えるだけだった。
研究室の運営者であるセプリグスは、その頃すでに往年の精神状態ではなくなり、良心的研究者の皮をかぶることも忘れてしまったようだった。
人の手足を切り落として相性を比べてみたり、臓器を抜いたり毒を飲んで瀕死となった者を使ってみたり、妊婦を使ってみたりと、我々は人々に苦痛を強いる陰惨な実験を繰り返した。
そのような実験は、我々の心をえぐるようにして痛めつけた。端的にいって、それらは平穏な日常を好む通常の人間が、まともな精神状態で行える実験ではなかった。
研究室の面々はあからさまに憔悴しきり、悪魔のような所業を続けることに疑問を抱き、当然ながら辞めたがる者も現れはじめた。
しかし、そうなるとセプリグスに呼ばれ、明くる日には昨日までの葛藤や良心の呵責を忘れたように、きれいさっぱりとした顔で再び実験に従事するのだ。重要な仕事を任されていないものは、そのまま被験者になることを志願し、実験体となった。
そんなことが常態となると、私は恐怖に取り憑かれながら必死に己を隠すようになった。この悪夢が終わる日を心から待ち望みながら、毎日を送っていた。
そして、その日は唐突に訪れた。
研究の開始から一年が経ち、犠牲者の数が一千人に届こうとしていた頃、セプリグスの実験はついに実を結んだ。
究理塔にある”封印されし処刑の間”に入れ、処刑された者に対しては、不死業が発症しないことを突き止めたのだ。
この処刑室は、かつてヴァラデウムにて極刑を宣告された魔術師に対して使われていた部屋である。
執行の手順は次の通りである。まず、死刑囚を処刑室にある大きな台に固定する。それから、壁で仕切られた小部屋にある装置で一定の操作をすると、死刑が執行される。ただし、その場では何も起こらない。死刑を執行された者は、その後部屋から出て食事をすることもできるし、知的な議論を交わすこともできる。
しかし、それから半月ほどの間に全身にありとあらゆる病的症状があらわれ、最後は溶け崩れるように死ぬ。それはどのような医者にも治せないし、延命もできない。そうなる原因も不明である。
神族の作った残忍な処刑室として、約半世紀前に使用を禁止され、それからは立ち入りを禁止されていた―――。
――これは、あの部屋のことだろう。
究理塔をマスドライバーとして物質を射出していた頃、たとえば悪意を持った者が塔を破壊しようとしたら、簡単な方法がある。
爆発物をパッキングして、加速度検知器をつけて発送すればいい。そうすれば、加速を始めた途端に荷物は大爆発して、究理塔はぶっ壊れてしまう。当時既に周辺に都市があったのかは謎だが、塔が折れれば周辺の都市にも大打撃を与えることができただろう。
そのため、当然の付属設備として、究理塔には荷物を非破壊的に検査するための部屋が備えられていた。
それは現在は立ち入り禁止の封印の間とされているが、射出台と同じサイズの広々としたドアが設置されている。そこでは、おそらくX線かなにかを使って、人間に対する検査の何千倍とか何万倍とかの出力を照射し、金属をも透過して非破壊的な検査をしていたはずだ。
別に、残忍な処刑室でもなんでもない。
本来の使用法で使われていた当時は、人間が入った状態で部屋を使うことは、厳に戒められていたはずだ。それが、人間が入った状態でのみ使われるようになった。要は、使う側に悪意があっただけのことだ。
―――その処刑室を使ったあと、肉体が滅び死へと向かう半月ほどの間だけは、クレア・ケリー実験と同様の結果が得られる。つまり、乗り移っても霊体損傷は一切、発生しないことが分かったのだ。
その結果が判明したとき、私はその場にいた。そして、セプリグスの横顔を見ていた。
にやり、と悪魔のように口端を上げて歪んだ笑みを浮かべたのを、私は今でも覚えている。
その夜、私はゲルダ・チルのところへ行った。
セプリグスはその頃、大量に発生する実験の余り物、つまり心神喪失者について、現象学部に引き渡すことで一部を処分していた。
心神喪失者は肉体としてはまだ生きており、外傷を受ければ死ぬ。
なので、現象学部戦技科における実験台、あるいは攻撃魔法の標的として処分していたのだ。
その頃のセプリグスの精神状態について、私は今もよくわからないでいる。
悪魔が人の皮を被っていたにしても、清廉潔白な理想的な研究者を演じていたころの彼であれば、そういった行為がどういった印象を人々に与えるか、心に人並みの良心を持つ一般的な人々がどれほどの反感を抱くか、よく理解した上で行動できていたはずだ。
もはや人の皮を被る必要はないと脱ぎ捨てたのか、あるいは、老齢に至って、日常厳しく自らを律していたタガが外れてしまったのか……今でも、私にはよくわからない。
とにかく、ゲルダ・チルは以前からヴァラデウムを包む異様な状況について強い懸念を抱き、私に何度か相談を持ちかけていた人物だった。
私は、彼女の家にいくと、すべてを話した。
ついに研究が完成してしまったこと。
今すぐに研究を封印しなければ、老いた権力者が半月足らず寿命を伸ばすために、一人を処刑室にいれて命を奪う時代がくること。
おそらくそれをする最初の一人は、人の皮を被った悪魔、セプリグス・サイゼンタになるであろうこと。
それを言い終わると、ゲルダ・チルは即座に決断をした。
彼女は、部屋を出た足で自らの師であったフェルディナンド翁の居室にゆくと、鋼のような意思でもって、鳥でも締めるようにして彼を縊り殺した。
そして、すぐにセプリグスの研究室に向かった。
私は彼女を止めると、セプリグスに信頼されている私がやる、と申し出た。ゲルダはそれを了承し、私に小ぶりな魔法剣を貸し与えた。
私は、セプリグスの研究室に入ると、いつものように話しかけ、机で執筆を続ける彼が振り向いてきたところで、不意打ちに斬りつけた。
生まれてはじめて振るう剣は、熱したナイフでバターを切るようにして、神の技を持つセプリグスの右腕を切断した。
そして、振り向いた彼の左手が私の右腕を握ると、その部分に突如として耐えがたい激痛が発生した。
それはまるで、腕の中を通っている骨が、唐突に棘の付いた灼熱の棒となり、往復して肉を裂き削っているような、耐えがたい痛みだった。右手で剣を握っていたら、間違いなく手放してしまっていただろう。
私は、考える暇もなく半ば反射的に動いていた。
毒虫が右手に止まったら、反射的に左手で払い除けるように、一も二もなく、ともかく痛みを遠ざけようと、握っている彼の腕を切断した。
すると、彼は少し苦々しい顔をして、「そういえば、君は左利きだったな」と言った。
セプリグスの”死へ繋ぐ橋”によって引き起こされた右上腕の激痛は、セプリグスの左手が離れたあとも消えることはなかった。結局、私は痛みに耐えかね、右腕を切断することになる。
その後、セプリグスに洗脳された研究生達が狂乱状態になり戦いをしかけてきたので、ゲルダが彼らを殺害した。
両腕から血を失ったセプリグスは、しばらく経って気を失った。
ゲルダは彼をすぐさま殺すことはせず、逆に止血を施すと、精神に強い影響が出る薬を致死量飲ませ、彼の命に刻限を作ると同時に精神活性度を奪った。
そして、彼に対して霊侵術をかけることを私に要求した。
前述した、フェルディナンド翁に対する加害行為や、本人しか知り得ない超魔について私が知り得ているのは、このときの霊侵術で情報を抜き出したからである。
しかし、深い部分にある精神性や、動機などについては、抜き出す前に彼の命が尽きてしまった。
その後、私とゲルダはそれぞれ霊魂学部と現象学部の学部長となり、ゲルダは学長を兼任することになった。
私たち二人は、自分にその席に座る資格がないことは自覚している。しかし、セプリグスの起こした事件に収拾をつけ、関係者の口を閉じ、記憶を消失させ、研究を封じるためにはそうするしかなかった。
だが、その仕事もいよいよ終わる。この本を禁書として夜帷書庫に封じ次第、私たちは後任を探し、すみやかに退任するつもりである。もし後の世の歴史書でそうなっていなかったら、私たちに最大級の侮蔑を向けてほしい。
最後にもう一つ。私たちはこの研究を禁書として後世に残すべきか、あるいは影も形もなく抹消するべきか、激しい議論を交わした。
世界のことを思えば、このような研究は跡形もなく消滅させるべきだろう。しかし、我々は枢機の都ヴァラデウムの研究者でもある。目ざわりな研究成果を消却してしまう行為は、いうまでもなく我々の抱える信念と矛盾するものだ。
議論の結果、ゲルダは処刑室の重要な装置を取り外し、私イザベルは禁書を残すことで折り合いをつけた。
あなたがもし不死の野望を抱く者であった場合、がっかりさせることだろう。セプリグスが最後に発見した、他人の命の上に自らの残命をわずかに伸ばす手段は、ゲルダが封印し、既に使用不可能である。
以上が、この論文に記した研究が引き起こした大事件の顛末である。
このような、本来研究とは関係のない駄文を、長々と読ませてしまい申し訳なく思う。以上を序章とし、一章からは私的な感情をなるべく省いた叙述に努める。
一章―――。
◇ ◇ ◇
読み終わった。
おれは、徒労感と疲れに苛まれながら、ドアを開けて外に出た。
「休憩か」
廊下には、司書の長らしき人が背中を壁に預けることもなく、直立不動で立っていた。
「いいえ、読み終わりました」
「――そうか」
「安心してください。詳細は述べませんが、題名にある”永生探求”のすべは、現在では使用できません。当時の学長が実現の核心を担う装置を破壊したそうです。また、おれの目的に対しても、まったく利用ができないものでした」
はあ、と落胆のため息をついて、おれは続きを話した。
「つまり、もはや災いを撒き散らすようなことはありえず、おれにとってはまったく役に立たない、完全に無益な本でした」
ゲルダ・チルは装置を隠したのか、あるいは壊したのか。
前者ならば、装置を探し当てる方法があるのかもしれないが、それをする意味もない。
「それは残念であったな」
「ええ。もはや、枢機の都でやり残したことはありません。数日中に、この都を去ります」
「では、出口に案内する」
司書の長は歩き出した。
ほどなくして、見慣れた受付室にたどり着く。
「それでは、失礼します」
「待て。きみに一言、礼を言わせてもらいたい」
「なんです?」
礼……?
恨み言ではなく?
「きみが考案した掃除の魔術。さっそく使わせてもらっている。我々の生活を一変させるほどに便利で、ぜひとも礼を述べたいと申す者が数多い。代表として、礼を言わせてもらうよ。ありがとう」
そうか。使ってくれているのか。
「どういたしまして。禁書、たしかに恐ろしいものでした。きちんと封印が機能しているか、一度確かめておいてください――特に天井を。それでは」
おれはそう言って、夜帷書庫を出た。
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