第076話 とこしえを求める書 上
おれが夜帳書庫に到着してドアを開けると、学長のエレミアと、以前侵入した時に禁書の隠し棚のある部屋をガン見していた、書庫の長らしき者が待っていた。
二人は知り合いのようで、おれが入るまで雑談をしていたようだ。
「エレミア・アシュケナージ。この男がルシェ・ネルで間違いないか」
「間違いないことを学長として証明する」
謎の手続きが行われると、エレミアは、
「これで用は済んだ。どんな内容か知らんが、イーリを助ける役に立つといいな」
と言って、おれの肩を叩いて外に出ていった。
「すでに用意はできている。来たまえ」
普段は入れない通路の奥に通され、なにやら私室を改造した一室に案内された。
最初に入った時はベッドがあった部屋だ。このためだけに改装したのだろうか。
部屋のドアの前には、屈強な男が二人立って身構えていた。
「禁書は、この中に用意してある。が、入らせる前に聞かなければならない。おまえは、なぜ禁忌を暴こうとする」
まだ手続きがあるのか。
「ある人を救うために」
「それが何千何万もの人を犠牲にするものであってもか」
またそれか。
だが、彼にとってはどうしても聞いておかないと気が休まらないのだろう。ずーっと禁書の隠し部屋の隣で寝起きしてるくらいだからな。
「大勢の人間を犠牲にするものであれば、その数を少なくしようと努めます。あるいは、命を奪わずに済むよう改良を加える方法を考えます」
「それが実を結ばなかったら?」
あーもう。
「そんなこと、考える必要がありません。まずは読んで、可能性を調べてみる。それだけのことです」
「禁書は、君が敬うべき先人が害多きと判断して封印したものだ。なぜ先人の叡智を信頼し、諦めようとしない」
「彼らは、今日を生きる我々より劣っているからです」
おれがそう言うと、司書の長は顔をしかめた。
「なにをもってそう考える」
「語るまでもなく、それは自明のことです。我々は政治家や職人ではなく、学者なのだから」
「学者であることが、なぜ理由になる」
わからないか。
まあ、この人は学者ではないからな。
「政治家や職人なら、今を生きる我々が、判断力や技量で過去の人に劣ることもあるでしょう。だけど、学問においてはそれはない。学問は一方向への前進であって、退化はないからです。学問とは、先人の意見に疑問をさしはさみ、理解しようとし、反駁することで進歩する、人々の営為でなければならない。ならば、現在を生きる我々が過去の人より優れているのは当然の道理です。前進しているのですから」
神族の技術が、そもそも秘匿されていたものなのか、人類の知識が断絶したものかは分からない。だが、少なくともセプリグスの時代から地続きのヴァラデウムでは、そんなことはなかった。
ならば、学問は進んでいて当然だ。もしかつての学者より今の学者のほうが見識に劣っているのであれば、この都市が存在する意味がない。
「研究者とは先駆者でなければならない。過去に学ぶなどと綺麗事をいって、前進をせず後退する者は研究者とは呼べない。後人は踏み越えるものであって、崇拝するものではないのです。少なくとも学問においては」
「ふむ……」
「だから、おれは禁忌を封じた過去の人たちの意見を信頼しません。より進歩した我々は、よりよい形で技術を更新できる可能性を秘めているから」
司書の長は少し考えると、
「道理である」
と言った。
「浅はかな野望のために禁忌を破らんとするものであれば、ここで君と戦い、禁書を焼こうと考えていた」
おいおい。
「今は、学問に殉ずる者としての真摯な姿勢と、人を救うという清らかな願いを信じよう」
そう言うと、司書の長はドアを開けた。
部屋には、机と椅子がワンセット置かれ、天井から下げられた魔術灯火が机の上を照らしている。
「それでは、拝読させていただきます」
◇ ◇ ◇
“徒爾永生探究叙説”
著者:セプリグス・サイゼンタ
編者:イザベル・ファルコーニ
当書は、四紀歴1852年、前霊魂学部長セプリグス・サイゼンタの研究を、現学部長イザベル・ファルコーニが編者として綴じ、第97代学長、ゲルダ・チルが禁書指定を行い封じたものである。
禁書指定者ゲルダ・チルによるまえがき。
私は、当研究がヴァラデウムにもたらした悲惨の被害者の一人として、また事態を収束させた当事者の一人として、当書を読む者が永劫現れぬことを期待する。
あるいは現れたとき、その者が永久の命を望む者でなきことを切に願うものである。
序文
当書は、碩学たるセプリグス・サイゼンタの研究を、非才イザベル・ファルコーニが編者として綴じたものである。
当書を読まんとする者は、当然、偉大なるセプリグス・サイゼンタの研究の足跡を追わんとする霊魂学者であろう。
研究の主題に入る前に、どうかあなたへの警句として、当書に纏めた研究が枢機の都にもたらした災いについて語ることを赦してほしい。
愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶという。これから語ることは、この枢機の都で起こった現実の出来事である。
あなたがこれを読み、歴史から得た教訓を胸に秘め、腕を振るうことのできる、心正しき霊魂学者であることを祈る。そして、あなたが人間性を捨て去った、人の皮を被った悪魔でないことを願う。
四紀歴1848年、セプリグス・サイゼンタは私の同僚であった優秀な研究者、ピッコロを喪い、同時に『不死業に係る霊体損傷の修復についての技術。その展開と失敗』(03の0443ー5221)にある大研究を失敗例として閉じることとなった。
そして、次なるアプローチとして、霊体交換に付随して必ず起こる損傷(いわゆる不死業)について、交換先の相性が与える影響についての研究をはじめた。
私は、セプリグスの研究室の古残研究生として、この研究にはじめから携わっていた。
我々はまず、文献調査に取り掛かった。ヴァラデウムに残っている霊体交換例を総ざらいに洗うと、まず男女の差、つまり異性間で霊体交換を行った時の損傷の進展速度が有意に高いことがわかった。
つまり、異性間の交換は相性が悪い、ということが判明した。
(ここまでの研究結果については“一章 文献調査”において纏めている)
我々は、すみやかに研究成果を得られたことに気を良くした。
“相性”を次々と発見していき、“理想の条件”にまでたどり着ければ、研究に三年の歳月をかけた先の失敗研究を蘇らせることができるかもしれない。つまり、損傷の進行を回復速度内に収めることができるかもしれない。と考えたからだ。
そのときの我々は向こう見ずで、楽観的で、かつ想像力が欠落していた。
この研究を閲覧しているあなたにとっては、容易に想像できる範疇のことかもしれない。この研究の文献調査から先は、人々の死体の山を歩むが如き血塗られた道であり、我々の研究は泥に足を取られたように停滞してしまった。
世に知られた大学者、セプリグスの名声をもってしても、他人の研究のために自らを捧げようとする者は現れなかったのだ―――。
……なるほど。
たしかに、それは中々進めるのが難しい研究だ。
つまるところ、臨床試験を重ねて大量のデータを集め、傾向分析をするということだ。
塗り薬かなにかの臨床試験だったらまだいいが、この場合は実際に霊体交換をやってもらって、その二人は死んでしまうわけだから、一件のデータを集めるために二つの人命が必要となる。
そんなことを自発的にしようとする人間は、そう多くはないはずだ。自然に募集をして集める方法では、十年かけても数件のデータしか集まらないだろう。
それに、やはり霊体交換をしたがる人間というのは、高齢で老衰死が迫っていたり、あるいは死病に侵されている者が多い。若者から異種族まで、試してみたい条件に当てはまる人が次々と自殺志願者として現れるなどありえないことだ。
“理想の条件”を探求するためには、多種多様なパターンの組み合わせを試すのが重要なのに、その方法では偏ったデータしか集められない。
そりゃ、停滞もするわけだ。
続きを読もう。
――当時の学長であった現象学部長、フェルディナンド翁が奇病を得たのはその頃であった。
当人が語ったところによると、“目の裏あたりに小さな悪魔が入り込んで、暴れ狂っているような”頭痛をしばしば発するようになり、職務の続行がままならなくなった。
セプリグスの元を受診すると、その症状は嘘のように消え失せ、代わりに意気消沈し内臓の不調を訴えるようになった。
精神疾患も併発した。彼の症状は、自己評価の低下や抑うつ症状はうつ病に似ているものの、典型的な症状ではなかった。通常、うつ病に付随して発生する希死念慮は少しも発生せず、逆に死への恐怖を頻繁に漏らすようになり、彼の行動は生に固執するものになってゆく。
後の調査で判明したことだが、フェルディナンド翁に発症した頭痛はセプリグスの術によるものであった。彼は、この術を“死へ繋ぐ橋”と呼んでおり、自らの超魔として二十歳の頃に開発した。
“死へ繋ぐ橋”は、自らが触れた者に対していつでも、遠隔かつ任意の患部に痛みを感じさせることのできる術だった。その痛みの程度も調整でき、かけられた者は魔術攻撃を受けているとは感じられない。その術理はほとんどが極めて分析が困難な高次概念で、非才な自分には再現どころか、術理すら理解できないものであった。
彼はかつて、師であったミーア・ケルミアに対してこの術を使用し、フェルディナンド翁にしたのと同様の手口で自らの患者になるよう誘導した。患者になれば、あとは合意の元で合法的に霊侵術による施術ができる。そうなったら、彼ほどの術者にとっては他人を操り人形にするのは容易い。彼はそうやって、若くして霊魂学部の学部長の椅子に座った。
そのような人の皮を被った悪魔のような人格をしながら、彼は日常において人品に優れた模範的な研究者として振る舞った。
現在、彼の研究は霊魂学者たちに多大な影響を残している。そして、おそらくそれは後世においても同様だろう。彼の研究は、これから長い間、霊魂学会に金字塔としてそびえ立ち、きらめき続けるはずだ。
私は、彼が行った悪魔の所業を自らの心の内に秘し、禁書として封じた上で、永久に公開しないことに決めた。悪魔の行った研究全てが、人を悪魔にするわけではない。聖人を偽って書いたものなら、それはそれとして後人の糧となればよい。
この禁書のごとき、人を悪魔にする研究だけ、厳重に封じればよいのだ――――。
………頭が疲れてきた。
なんて野郎だ。
歴史上、ひどい悪さをした霊侵術者たちは、大抵は女性をどうこう、とか、豪遊してどうこう、とか、要するに我欲を満たそうとするのが普通だったが、セプリグスは……こいつは一体、なにがやりたかったんだろう。
普通の人間における贅沢や肉欲に値するものが、彼にとっては社会的地位だとか、学者としての評価だったのだろうか……。
それに……仮にも現象学部長を務めるほどの魔術師に、まったく悟らせないように激痛を感じさせる術をしかける?
現象学部は、他の学部とは少し違う。ヴァラデウムにおける事実上の軍事組織、戦技科を抱える学部なので、学部長も相応の戦闘能力が備わっているのが当たり前とされている。
少なくとも、天文学部のオスカーのような生粋の学者は、ヴァラデウムの学長にはなれても現象学部の学部長にはなれない。
だとすると、やはりこのフェルディナンドという爺さんも、エレミアクラスの術師であったと考えるべきだ。
エレミアに、術をかけられている事自体まったく悟らせない形で、激痛を感じさせる術をしかける。
あまりにも非現実的な話だ。
だが、この筆者はそれができたのだと書いているし、ここで嘘を書く意味もないので、おそらく本当のことなのだろう。
あるいは、ベレッタがやっていた、そしてつい四日前にベレッタに対して行った、霊体の共振現象を使った疑似テレパシーの原理を悪用したものだったのかもしれない。当人が死んでしまっているのでは、検証のしようもないが……。
続きを読もう――。
――セプリグスは、当都市の最高権力者である学長フェルディナンド翁の全面的協力を得た。
我々の研究室には、毎日数々の被験希望者が現れるようになった。
そこで行った我々の、いや私の罪について、見苦しい言い訳をさせてほしい。
当時の我々はセプリグスの信奉者であった。彼のことを、清廉潔白なる人品甚だ高き研究者だと信じており、千年に一人の天才の下で働ける喜びとともに、至敬を込めて接していた。
実験の道徳的な是非など、はじめは考えもしなかった。
我々は、被験者を毎日のように究理塔の霊体離脱室に連れていき、霊体を交換した。そして、人格を喪失していく被験者の世話をし、かつ経過を観察し、完全に自我を喪失すると記録をつけて処分をした。
この研究を閲覧しているあなたにとって、私はどう映るだろうか。悪魔の所業に手を貸した、愚かな手下の一人と映るなら、私にとっては幸いある。それは、この書を読んでいるあなたの感性が清廉である証左であるからだ。
学長フェルディナンド翁の変心から六ヶ月が経ったころ、被験者――つまり、犠牲者の数は二百人を超えていた。
そのころになると、いくら愚かな我々といえども、自らの行いの正義について疑問を抱きはじめていた。
被験者は様々なルートから連れてこられたが、老人や死病に侵された者ならともかく、若く健康な学生までもが霊魂学の進展のためにその身を捧げようとするのは、どこかしら異常な事態のように思えた。
当事者である我々でさえ、人としての人格を消滅させてまで実験に貢献しようとはなかなか思えないものを、彼らは嬉々としてその身を差し出すのだ。それに異常性を感じる程度の精神は、まだ我々にも残っていた。
(彼らは外交によって連れてこられた他国の死刑囚である場合もあったが、多くはセプリグスによって洗脳されたヴァラデウムの一般市民であった。フェルディナンド翁の権能によって、セプリグスは事実上、ヴァラデウムのどの人物であっても自由に被験者にすることができた。学長の名を使って召喚し、拘束し、洗脳すればよかったのだから)
しかし、二百七十二番目の被験者、クレア・ケリー姉妹の実験によって、我々は革新的な成果を得た。
彼女ら姉妹の交換では、霊体損傷が起こらなかったのである。
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