第070話 枢機会議
魔導院枢機会議は、どうやら国会代わりにされている建物で行われるようだった。
一般には”旧校舎”と言われていて、実際に遥かな昔基礎学校の校舎だった建造物をリフォームしたものらしい。
旧校舎は、歴史上の誰かが壊さずに残したいと思ったのも頷けるような、どこの建築家が設計したのか知らないが、建築に疎いおれでさえ心惹かれるものを感じさせるような建物だった。
学校としてのオーソドックスな機能を備えているように見えつつも、全てが洗練されていて、見た目からも作った職人の丁寧な仕事が伝わってくる。
中に入ってみると、内装はぴかぴかに整えられていて、板張りの床なども傷んでいない。移築したときに梁などを含めて、木製部分を総とっかえしたようだ。
「ルシェくんは枢機会議には参加できん。議論は形式的なものになるとは思うが、議決に進むまで待っておれ」
天文学部から同行していたオスカーが言った。
まあ、もう多数派工作は済んでいるからな。
「分かりました。控室で待っています。よろしくお願いしますね」
「ああ、もちろんだ」
オスカーは力強く頷いて、勝手知ったる我が家のように階段を登っていった。
◇ ◇ ◇
それから一時間ほど待っていると、コンコン、と扉がノックされた。
ようやく終わったか。と思いながらソファから腰を上げ、「どうぞ」と言うと、扉を開けて入ってきたのはキェルさんだった。
「こんにちは。ルシェさん」
キェルさんは、ここにいるのが当たり前というように、ぺこりと頭を下げてきた。
「どうしたんですか? ここでもバイトしてるとか?」
「いいえ、究理塔の現状について特級備品管理官の立場から呼び出され、さきほど証言してきたところです。どうやら念願が叶いそうな雰囲気なので、お祝いを申し上げに来ました」
「ああ、そうなんですか。それはまた、ありがとうございます」
キェルさんはおれがヴァラデウムに来た当初からの努力と苦労を知っている。祝ってもらえるのは嬉しい。
「ルシェさんが装置を直してから、三十二回の試射は全て成功しています。ずっと立ち会わなければならなかったのが馬鹿らしかったくらいです、職務上あの重い鍵をかけてから出てきましたが、今日の会議でそれも議論するらしいので、明日から必要なくなるでしょう」
そりゃよかった。
「まあ、直ってよかったです。おれとしては、気球方面の技術を進化させたほうが有益だとは思いますが、オスカーさんが望みを叶えられたのはよいことだと思うので」
「えっ、なんで気球のほうがいいんですか?」
「だって、究理塔は上がって落ちての繰り返しでしか観察できないじゃないですか。浮かんだままじっくり観察できたほうがいいに決まっています。究理塔の場合は、何百回も繰り返すと霊体のダメージが蓄積して、健康被害も出たそうですしね。まあ……たとえ気球で高高度まで上がることができても、可能なのはせいぜい星系内の星竜の観察くらいでしょうが」
外宇宙の声は本当にかすかなので、少しでもノイズが入る高度では、それを捉えることはできても分析までは難しいだろう。
「そういえば……天文魔導学では、宇宙には親切な知的存在がいて、彼らが魔術の秘奥を宇宙の底から教え授けてくれているという論説があるようですが、ルシェくんはどう思ってますか?」
「どうでしょうね……そう考えたくなる気持ちはわからないではありませんが、おれはあまり期待していません。そもそも、そんな教えたがりの高位知性がいたとしたら、わざわざ理解しづらいように教えを送るでしょうか。当然の発想として、誰にでも分かりやすいよう平易なプロトコルを使うでしょう。わざわざ分かりにくくする必要が分かりません」
それに、なんとなくあれはそういうものではない気がする。
そもそも、特定の一方向ではなく、全天球方面に対して数百光年届く魔力波を発するには、変換ロスをゼロとして計算しても、太陽竜の発散するエネルギーを丸ごと利用するような莫大なエネルギー量が必要になる。そんなことのできる超越的存在が、教材配りのようなボランティア活動をするだろうか……。
「まあ、考えてみればそうですね」
「そういえば、キェルさんの論文読みましたよ。亜竜の性質と誕生地の地質についての考察、とても興味深かったです」
「ああ、それはどうも。ありがとうございます」
亜竜というのは卵から産まれるわけではなく、突然地を割って生まれてくる。なので、たまに人間の土地で発生すると、どこから出てきたのか分かることがある。
その亜竜が飛竜種なのか地竜種なのか、あるいは他の性質はどうかという点に、実は生誕地の地質が関係しているのではないか? というのがキェルさんの研究だ。
実際のところ、地を這いずる地竜の場合は生誕地が容易に突き止められるが、飛竜の場合は飛んでいってしまうのでサンプル数が非常に少ない問題はあったのだが、それでもよく調査していると感心したくなるような内容だった。
どうやら、亜竜の発生範囲は地表をアメーバのように移動する一定の範囲の中に収まって、それは何個も何個もあるらしい。問題の発生する竜種はアメーバによって一定なのだそうだ。
それまでやんわりと受け止められていた仮説は、たとえば山岳地だったら飛竜、平地だったら地竜、海や湖沼だったら水竜といった具合に発生するのではないかという、単純なものだったようだが、キェルさんの研究で否定された格好になる。
こういった研究は、コツコツとした資料集めが重要になる。かなりの実地調査が必要だったことだろう。
「ルシェさんほどの人に褒めてもらえると、やっぱり嬉しいですね」
キェルさんの顔は嬉しそうにほころんでいた。
「あれほどの内容だと、かなり苦労したのでは?」
「そうですね。好きでやっているのでフィールドワークは苦にしませんが、なにせ時間がかかるので、定職につけないことが辛いですね。今やってる仕事は全部パートタイムなので」
「ああ、そりゃそうですよね」
好きなことを追い求めるのも楽じゃないってことか。
そこで、ドアがコンコン、とノックされた。
「どうぞ」
「ルシェ様、枢機会議に召喚されました。お越しください」
やっと終わったか。
「ルシェさん、いよいよこれで最後ですね。頑張ってきてください」
「ありがとうございます。それでは、行ってきます」
おれは立ち上がった。
◇ ◇ ◇
案内された部屋に入ると、そこには見知った学部長の四人が、それほど長くない長方形のテーブルに座ってこちらを見ていた。
おれは堂々と歩き、一つだけ空いている用意された椅子の横に立ち、床に荷物を置いた。
「なんだ、やけに荷物が多いな」
エレミアが訝しげに見ていた。
それほど機嫌を損ねている様子はない。
「ええ……ちょっと今は、宿を転々とする暮らしをしているので」
「まあいい。ようやくお前が待ちかねた、採決の時間だ。もう十分時間を無駄にした。手っ取り早くいこうじゃないか」
一体、どんな会議をしてたんだろう。
「特級魔導司、ルシェ・ネル。枢機会議に望む要望を唱えよ」
ああ、おれが言うのか。
「禁書の閲覧を。セプリグス・サイゼンタ著、”徒爾永生探究叙説”の閲覧を請願いたします」
慇懃に頭を下げておいた。
「では、決を取る。賛成する者は手を挙げよ」
スッ――と、挙がった手は、二本だけだった。
えっ……!?
天文学部長のオスカー・レイと、霊魂学部長のヘルミーネ・ヘフバーンの手は挙がっている。
しかし、付呪学部長のクラエス・サルトーリの手は挙がっていなかった。
――エレミアか?
政治工作を疑い、とっさにエレミアの顔を見ると、したりげにこちらを見ている――わけでもなく、意外そうな目でクラエスを見ていた。
次にこちらを見て、目が合った。「話はついてるんじゃなかったのか?」とでも言いたげな目をしている。
オスカーに至っては、どうなってるんだと今にも口に出しそうな顔で、おれとクラエスを交互にチラチラ見ていた。
見られている当人、クラエスは背筋を伸ばして椅子に座りながら、澄ました顔で目を閉じている。おれが部屋に入ったときは目覚めていたので、まさか居眠りをしているわけではないだろう。
「しくじったようだねえ。ぼうや」
ヘルミーネが言った。こちらを睨んでいる。
「一体、なにをやらかしたんだ。失礼でもして、機嫌でも損ねたのかい?」
「いえ、せいけ――」
思わず口に出しかけて、言っていいものか少し迷った。言っていいはずだが……。
「研究試料として、壊れている聖剣を渡したはずですが。クラエスさん、一体どういうつもりなのですか。約束と違うのでは?」
そう言って返事を待っても、クラエスは目をつむったまま身じろぎもしなかった。その口は、少し笑みを浮かべているようでもあった。
「ぼうや、もしやかして、先渡しで聖剣をくれてやったのかい? この性悪女に」
は……?
「いや、でも……イーリの旧友で、学生時代は親友であったと」
「はあ? イーリ・サリー・ネルから、直接そう聞いたのかい?」
「いえ、人づてに……」
正確には今まさに手紙で尋ねているところだが、盗み見のズルを諦めてから多数派工作を開始した時点から、まだ十日も経っていない。まだ返事は返ってきていなかった。
「やれやれ。親子みたいな関係だというから、てっきり言うまでもないかと思っていた。それは表向きの話だよ。彼女がミールーンに帰ることになって、この都市を去るとき、大喧嘩をして絶縁したんだ。ネリスから直接聞いたんだから、間違いない」
――そうだったのか。
ああ、だから……。
腑に落ちた気がした。
だからイーリは禁書の閲覧をあっさりと諦めたのだ。クラエスの説得は不可能だと考えていたから、エレミアが拒否をした時点で望みを断ったのだ。
こういう政治工作はイーリの大得意分野であるはずなのに、あっさりとおれにできて、なぜイーリにはできなかったのだろう、と少し不思議だったのだが、謎が解けた感じだ。
四人の内三人の票が必要なのに、二票は否定票で、絶対に動かない。だから諦めたのだ。
「三十分後、再度決を採ろう」
オスカーが提案をした。
「その必要は……ない。これで終わりだ」
エレミアがそう返す。
「枢機の都ヴァラデウムは、彼にそれくらいの借りはあるはずだ。究理塔を修復した大功をはじめ、各分野で壁になっていた難題を壊す論文をいくつも提出してくれた。我々は、三十分待ってもう一度決を採るべきだ。その労すら惜しむのは、ヴァラデウムの名折れである」
オスカーは力強くそう言って、おれをもう一度見た。
その時間でなんとかしてみろ、と目が言っている。
「……まあいい。分かった。それでは、三十分後にもう一度決を採ろう。だが、それで最後だからな。同様の請願提出は、一年間不可とする。それでいいか?」
エレミアはおれを見た。願ってもない。
「ええ、構いません。クラエスさん? 別室で、少し話をさせていただきたい」
クラエスは目を瞑ったまま席に座っている。だが、口元の笑みはなくなっている気がした。
立たない。応じる気はないようだ。
「クラエス・サルトーリ。こいつが嘘を言っているとは、俺には思えん」
エレミアは、咎めるようにクラエスに言った。
「もし聖剣などという重要な聖遺物を譲渡されたのであれば、そこで誓った約を反故にするのは信義則に反する。枢機の都ヴァラデウムの名を貶める行為だ」
たしかに、それはそうだろう。
おれがもっと有名になったとき、そのことを触れ回ったら、やっぱり「ヴァラデウムってなんやねん」って話になるだろう。
「……えぇと、誓った覚えはありませんが。そちらの子が勝手に勘違いなされたのでは?」
いっらぁ……。
この人こんな人だったんか。
エレミアは、
「言葉のあやで誤解したのだとしても、説得の機会くらいは与えてもいいだろう。少なくとも彼がそのつもりで聖剣を譲渡したことは自明なのだから。残骸とはいえ聖遺物だ。オルメール金貨でいえば千枚は下らないものを、無償で譲渡する理由がない。もし、彼がイーリの親友であると誤解して渡したのであれば、クラエス・サルトーリ、君はその誤解につけこんだことになる。どのみち、渡された聖剣は返却すべきだ」
なんかやけに庇ってくれるな。
冷静に、おれに禁書を読ませた際のリスクと、枢機の都ヴァラデウムの名が地に落ちる場合のリスクとを秤にかけているのかもしれない。
ただ……クラエスが裏切ったままでも、エレミアが手を挙げてくれれば可決して終わりなんだけどな。
意見を翻すことを恥のように感じて、意固地になって拘っているようにはとても見えないが、そこは信条の部分で譲れない一線なのかもしれない。
四十代男性の複雑な心理はおれには難しい……。
「聖剣を返却するか、彼と話し合うか、どちらかにしたまえ」
手を挙げさせる強制力はないのだろうが、返却させる強制力はあるらしい。
「はぁ……それでは、話し合いましょう」
クラエスはようやく、目を開けて椅子から立ち上がった。
「隣室をお借りしていいですか?」
と、おれは言った。
「ああ、構わん。存分に話し合え。ただし、暴力はなしだぞ」
「わかってますよ……」
エレミアに対しては前科があるので、強くは言えなかった。
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