第068話 休息
例の鉄の箱から取り出した部品を天文学部に持って帰り、拡大鏡のついた台で見てみると、やはり面白い構造になっていた。
現代の技術よりも圧倒的に進んだ魔導工学だが、神族の時代よりもわからん感が薄い。丁度半ばくらいに思える技術が使われている。
「どうだ!? なにか分かりそうか!?」
狭い部屋で、オスカーが前のめりになって見てくる。
やりにくいって。
「ちょっと時間をください。仕組みをじっくりと確認しないことには、原因なんてわかりませんよ」
「……それもそうだな。ここまで来たんだ。じっくりやってくれ」
「じっくりとはやりませんけどね」
やっと禁書に手が届くところまで来たんだ。ここからが正念場だ。
◇ ◇ ◇
天文学部に借りている小さな一室に、ベレッタがやってきたのは、それから二日後の夜だった。
「ルシェ、いるー?」
「…………」
「いるじゃん。どーしたの、二日も音信不通で」
「うん……」
おれは途中で作った自作の顕微鏡を覗きながら言った。
「……ルシェ?」
肩が引っ張られ、目がレンズから引き離される。
「どうしたの? 酷い顔だけど」
「なんでもないよ……徹夜してるだけ」
「もしかして、私の家から出てから一睡もしてないの?」
「うん」
「あっきれた。なにしてんの? ていうか、なにさせられてんの? 奴隷労働?」
「いや……」
むしろ休め休めと言われてるくらいだ。
「わっかんないんだよ。なんで故障してんのか……」
「わかんないのは当たり前じゃん。今の技術じゃないんだから」
「技術は分かるんだよ。すごい技術だけど、魔導回路が裸だから考えれば仕組みは推察できる。でも、どんなに調べてもどこも壊れてないんだ」
「ふーん……魔導工学はよく分かんないから、なんとも言えないけど」
「はあ……」
溜め息が出てしまった。
「とにかく、いっぺん寝なよ」
「でも……」
「いーいーかーらっ! 人を呼んでくるから、そこでじっとしてて! その機械覗いてたら怒るからね!」
ベレッタはそう言い残して、部屋を出ていった。
やれやれ……でも、たしかにこのまま続けるのは非効率かもしれない。
考えるのに疲れきった頭で座っていると、意外にも退屈ではなかった。退屈さを感じるほど、明朗に頭が思考していない。
なるほど、疲労している証拠だ……。
◇ ◇ ◇
ふと目覚めると、見知らぬ天井があった。
柔らかなベッドで、清潔な布団をかけられている。
仮眠室か? と思い、左右を見たが、同じようなベッドはなかった。
部屋の模様を見るに、ホテルでもなさそうだ。どうも誰かの私室であるらしい。
外は真っ暗だ。地下ではないので、ベレッタの寝室ではない。
状況を観察しているうちに、廊下を人が歩く音がして、ドアが開かれた。
「……あら? 起きました?」
現れたのは、寝巻きを着たセリカさんだった。
「……は? えっ……」
なに?
「すみません、どういう状況ですか?」
さすがに訳が分からない。
「ルシェさんは椅子でお休みになられていたので、取り急ぎ仮眠室に運ぼうとしたのですが、ベレッタと名乗るあなたの知己の女性が、それではダメだと。事情がよく飲み込めなかったのですが、ともかくルシェさんの居場所を自分が知っていると非常に都合が悪く、下手をすると命に関わるということでしたので……私の部屋にお連れした次第です」
ああ、そういうこと。
「それはどうも、ご丁寧にありがとうございます。それなら、早めに失礼したほうがよさそうですね」
なんてこった。
ベッドから出ると、二日間徹夜した汚れた服を着ていることに気付いた。寝具を汚してしまったな。
「いえ、どうぞ夜が明けるまで休んでいってください。もう日付が変わった頃なので……ベレッタさんの話だと、現在はご自宅もないとか。今からでは宿もとれません」
うーん……。
「お腹が空いていますよね? 食事の用意もありますので、どうか食べていってください」
ここまでされて断固として帰るというのも失礼にあたるか。事実腹は減っているし……。
「それなら、すみませんが……朝まで居座らせてください」
「はい、もちろんです。こちらへどうぞ」
招かれるままにベッドを出て、居間に向かう。
広めの間取りの部屋に小さなキッチンがあり、四人座ると狭そうなテーブルが置いてあった。
壁には書棚が据えられていて、本で埋まりつつある。その奥には、読書に良さそうなソファが置かれていた。すべて几帳面に整理整頓されていて、掃除が行き届いている。
どこか一人暮らしっぽい。すべてが、セリカさんの単色に染まった個人の部屋。という感じがした。誰かと住んでいたらこうはならないだろう。
「どうぞ、座ってください。お口に合うといいのですが」
テーブルには、一つだけランチョンマットが敷かれている。ここに座ったほうがいいだろう。
座って待っていると、薄く青の混ざった磁器の深皿に、ごろごろと野菜と鳥肉の入ったシチューがよそわれたものが置かれた。
焼きたてとはいかないが温め直されたパンに、チーズの散りばめられたサラダも運ばれてくる。
申し分のない食事だ。
「いただきます」
「はい、どうぞ」
セリカさんは既に食事を済ませているのか、向かいの椅子に座った。
こういうシーンでは、イーリの振る舞いを見ていたことが役に立つな。年上の女性にじっと見られながら食事をするというのは、普通だったら緊張して味が分からなくなってしまうところだ。
一定以上のテーブルマナーを習得しているという自負心があると、こういうとき自信を持って振る舞える。
シチューを食べながら、パンをちぎっては口に運ぶ。どちらも十分に美味しかった。家庭的な味だ。
「ルシェさんにお任せしている仕事なのですが」
話しかけてきた。
こういうときは、慌てずに口の中のものを食べ終わってから返事を返せばよい。慌てて返事をしようとすると見苦しくなってしまう。
「はい」
「オスカーと相談して、もう十分ということになりました。緊急動議という形で、臨時会議招集の申請を行いましたので、数日以内に禁書閲覧についての会議が行われるはずです」
「……は?」
えっ、どういうこと?
「究理塔の修理は、まだ終わっていませんが」
「はい。ですが、既に十分すぎるほどの進捗がありました。これ以上、禁書を盾にルシェさんに負担を強いるのは、我々の本意ではありません」
そんなこといわれても。折角やる気になっていたのに……。
なんというか……強い心残りを感じる。
なんとなく、中途半端にしたくなかった仕事のような。
……いや、これでいいのか。
なにしろ、すべてが完璧に動いていて、何度見返しても回路の消滅や焼損などはないのだから……。
あの鉄箱に使われている魔導回路は、現代の乾性油ベースの魔導インクではなく、なにかしらの重金属ベースで作られている。
まさか線を引きちぎって分析するわけにはいかないので、なんの金属が使われているのか未だ不明だが、かなり比重が高く大量に星鱗が添加されている。そのため非常に耐久性が高い。
修理の見通しが立たないのだ。あの調子では、あと何日かかるか分かったものではない。
むしろ、きちんと直るまでは認めない、などと居直られたら困ってしまう……。
「……分かりました。力及ばず、申し訳ありませんでした」
「いえっ、そんなことはっ! ルシェさんが、全力を尽くして頑張ってくださったこと、我々全員が痛いほど理解しています」
「ありがとうございます」
ともかく、これで一件落着だ。
ヴァラデウムで達成すべき課題はこれで終わった。
終わったというより、終わらせられてしまった、という感覚のほうが近く、不快感のようなものは残るが……もともと、やりたい仕事ではなく、やらされていた仕事だったのだ。これで問題ない……。
「あっ、食事の続きをどうぞ。冷めてしまいますよ」
「はい。そうですね」
ぱくぱくと、食事の残りを平らげた。
寝起きのお腹には十分な量で、食べ終わると安らいだ気分になった。
「では、お風呂の用意もありますので、どうぞお入りください」
「いえ、そこまでしていただくわけには……」
「遠慮なさらないでください。二日もお風呂に入っていないでしょう。着替えも用意させていただきましたから」
「……なら、お言葉に甘えさせていただきます」
案内されてお風呂場に向かうと、「お風呂を出たらこちらの籠にある衣服をお召しください。浴室のものは好きに使って構いませんので。ごゆっくり」と言われ、脱衣所の扉が閉まった。
新品らしき肌着とバスローブがあるのを確かめると、おれは衣服を脱いで浴室に向かった。
中は模様の入ったのタイルが敷き詰められていて、湯気の立ったバスタブには湯が張られている。十分以上に綺麗な浴室だった。
まさか研究者の一般的な賃貸住宅がこの水準ということはないだろうから、たぶん別に借りているのだろう。さすが、副学長ともなると収入があるんだな。
丁寧にラベルが張られた洗剤をとって全身を洗うと、湯船に浸かった。全身が溶けてゆくような感覚を十分に堪能すると、さっぱりした気分で浴室を出た。
「あがりましたか。バスローブはぴったりですね。よかったです」
やはり女性用のバスローブだったのか。白いのでわからなかった。
「ホットミルクはいかがですか? まだ朝まで時間があります。眠れるかもしれません」
「いただきます」
眠れるなら眠っておいたほうがいいだろう。本棚の本を借りて朝まで読んでいてもよかったが、一つ大仕事が終わった喪失感のようなものがあって、今勉強をしようという気分にはなれなかった。
セリカさんも、普段ならとっくに眠っている時間だろう。あまり迷惑をかけてもいけない。
マグカップに入ったミルクが運ばれてくる。
「はい、どうぞ」
「ありがとうございます」
適温に温められたミルクを口にする。練乳でも入っているのか、少し甘かった。
飲み終わると、ほっと息をついて安らいだような気分になった。
「そろそろ寝ますか?」
「はい。そうします」
眠れなかったら瞑想してればいいし。
「こちらへどうぞ。って、場所は分かりますよね」
最初に寝ていた客用の寝室だろう。
セリカさんは、わざわざ先を歩いて案内をすると、一緒に部屋の中に入った。
お風呂に入っている間に変えたのか、敷布と布団のカバーが違う色になっている。
「どうぞお休みください」
「えっ……あっ、はい」
この場でベッドに入るのか。まあいいけど。
部屋を軽く見ただけで、緻密な生活をしていることが分かるような人だ。あまり来客に部屋を荒らされたくないのかもしれない。
バスローブを脱いでからベッドに入って布団をかぶると、魔術灯火が操作され、暗くなった。オンオフ以外にも中間があるお高いやつだな。
ぱたんとドアが閉じられる。
とんとん、と足音がして、ベッドの反対側にセリカさんが入ってきた。
「えっ……と。セリカさん?」
「どうかしましたか?」
いや……どういう流れ?
「てっきり、ここは来客用の寝室かと」
「私は一人暮らしです。来客用のベッドは用意しておりません」
「そうなんですか……」
としか言いようがない。
来客に一つしかないベッドを貸し、今は自分も眠いので、一緒に寝る。
うん、理にかなってる。
いやいや。ロジックは合っていても、世間的にはやはり異常だ……と思う。
おばあちゃんならともかく、セリカさんはたぶんまだ二十代後半だし……。
しかし、てっきりセリカさんは常識人で模範的な大人だと思っていたもんだから、面食らったような気分だ。
自分の中の常識に当てはめながら色々と考えていると、
「……二人では眠れませんか?」
と、再び声をかけてきた。
「あの、まあ……はい」
もしかしてこれはちょっとした異常事態なのではないですか、と尋ねたいところだった。しかし、セリカさんの思考形態の中ではごくごく標準的な対応なのかもしれず、言葉選びに難儀した。
「そうですか……」
もしかして、自分はソファで寝るというロジカルな対応を取るのだろうか、と考え、その場合は「いや自分が」と言い出そう、と頭で会話を組み立てる。
しかし、セリカさんはそのどちらでもない対応をした。
体をこちらに向けて、肩に手を回して、抱きしめてきた。肌の上をシルクのような寝巻きの感覚が滑ってゆく。
「……あ、あの。仕事のお礼ということであれば、そういうのは」
「いいえ、私は仕事とプライベートは分けて考えます。もしルシェさんが不快な異性であったら、仕事上でどれだけお世話になっていても、部屋に招いたりはしません」
「そうですか……」
「……こんなことをしでかしたのも、初めての経験です。その……私にとって、魅力的に思える異性は、非常に限られているので」
ああ、なるほど……。
「セリカさんも魅力的な女性ですよ」
「嬉しいです……なら、その……しばらくこうしていてもいいですか?」
「はい」
セリカさんは、ひときわ強く抱きしめてきた。
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