第067話 究理塔(下)
「キェルさん?」
現れたのはキェルだった。
「……これ、ルシェさんがやったんですか。一体、どういうつもりなんです?」
怒っている。眉間にシワを寄せてぷんぷんに怒っている。
「この究理塔の修理を頼まれたので、業務の一環で。一応、事前に壁の中になにもないことは検査しましたよ?」
「そういった作業には所定の手続きが必要なはずですが」
「必要ない」
オスカーが身を乗り出して答えた。
「必要ない……とは?」
オスカーVSキェルか。
「究理塔の管理は天文部に一任されている。都市運営部はあくまで起動法を封印しているだけだ。壁の取り扱いについては、天文部の外に報告をする義務も、許可を得る必要もない。出しゃばらないでいただきたいものだな」
オスカーの顔からは不快感が滲んでいる。元々究理塔のあるじは我々であるという強い意識があって、都市運営側に制御の根っこを奪われていることに対して忸怩たる思いがあるのかもしれない。
「……まあ、それはそうですが! 古代の文化財をこんな風に破壊していい道理はないでしょう!」
文化財。
それで怒ってたのか。
「究理塔は古のものではあるが、現役の稼働施設でもある。整備のために一部に穴を開けることに、なんの不都合がある」
おっとぉ……オスカーも意外と弁が立つな。
「ぐっ……」
キェルの負けか。実際、制度的な裏付けもなかったみたいだしな。
「ルシェさん、彼女とお知り合いなのですか?」
セリカさんが言った。
「ええ、まあ。キェルさんは役人の役職を持っていたんですか?」
「……これはバイトです。備品管理の資格と法曹資格を持っていたら登録できて、必要に応じて呼び出されるのです」
そんなもんなのか。
「ま、じゃあ一つ開封をよろしくお願いします。キェルさんのことだから、手順は予習済みでしょうが」
「……はぁ、それじゃ始めましょうか」
しかし、キェルさんも色々副業やってるなあ。でなきゃ食べていけないのかもしれないけど……。
売れない研究を続けるのも大変だ。
四人して制御室の木の階段を登って制御室に入ると、キェルさんは大きなバッグから番号がラベリングされた綺麗な紺色の箱を取り出し、封印された起動レバーに向かった。
箱を開けると、中には無数の細長い棒が差し込んであった。パターン鍵と呼ばれる一種の魔道具だ。封印の側面にかざすと、側面の一部がスルッとスライドした。キェルは次々と棒を取り出すと、するするとスライドさせていった。
寄木細工の秘密箱のような構造になっているようだ。そもそもパターン鍵は無数の鍵の組み合わせで解錠を難しくするものだが、ここまで数が多いものは初めて見た。
十分以上をかけて全ての工程が終わると、キェルさんはレバーから封印装置を取り除き、ずいぶんと重たそうに持ち上げて床に下ろした。
「はい、以上です」
たしかにこれだと、誰にも気づかれず脱着するというのは難しそうだ。
「じゃあ、オスカーさん。おれが向こうで合図したらレバーを入れてください」
「分かった」
おれは制御室を離れると、自分の空けた穴のところへ行った。
手を制御室のほうに向けて、手を軽く握って見せる。
そして、下げた。
バチン、とパワーラインから魔力が昇ってくるのが見える。やはりこの部屋がパワーラインの経路であって、その流動を制御する部分で間違いない。
「どうした。ルシェくん、なにか分かったか」
オスカーが走ってきた。起動レバーは放っておいても問題ないのだろう。
「ええ。壊れているところが分かりましたよ」
「そうなのか!! どこだ!?」
今までで一番の大声だった。
穴を通って部屋の中に入ると、初めて入った時から怪しいなと思っていた、メイン機材の横にとりつけてある無骨な鉄製の箱を指さした。めっきを施してあるようだが、ほとんど剥げて部分的に少し錆びている。
他の部分と少し質感が違う。全体を見るとそれだけ雰囲気的に浮いて見える。
「こいつですよ」
他に制御室との接続部分がないことが確認できた。制御室との連絡は、全てこの小さな鉄製の箱を介している。
「なんの部品だ?」
「この施設の機能を制限しています」
おれは小さな南京錠っぽい鍵を壊すと、鉄の箱を開けた。
中を見ると、複雑に魔力線が交錯している難しい回路が走っていた。メンテナンス前提の機械だからか、樹脂封印はされていない。
「制限? なぜわざわざ制限などするのだ」
「この施設は、元々霊体を射出するためのものじゃないんですよ。おそらく物理的に、物質――というか、パッケージした荷物を宇宙に射出することができたはずです。両側のレールの間に入っている座台、一度も動いていないはずですが、あれが射出台として働いて、上に乗ったものをとんでもない速度で放り出すんです」
「……意味がわからん。そんなことをしても、我々が危険になるだけだろう。射出したものはそのまま落ちてくるだけだ」
この星は反時計回りに自転していて、ヴァラデウムは北半球にあるので、宇宙に達するほど高く打ちあげるとコリオリの力の影響でやや西に落ちてくるはずだ。しかし、たぶん何キロメートルも誤差が生まれるわけではないと思うので、風向きが悪ければ市中に落下ということもあるだろう。
「砲身自体がおじぎをするように傾く仕組みがあるんですよ。上下角だけでなく、左右角も変えられます。調べてみましたが、塔公園の円部分がターンテーブルのようになっていて、地面ごと回転するんです。つまり、砲身はおおよそ天空の全角度、どこにでも向けられるということです」
この世界の住民は霊体のみになると地面に引っ張られる。それは係数の違う重力のように扱えるので、理論上は霊体を低軌道に投入することも可能であるはずだ。
それをすれば「垂直に打ち上げて、落ちてくるまでの僅かな時間に観測する」などという馬鹿馬鹿しい行為をしなくて済む。おれのように体内の魔力を空っぽにする必要もないので、帰ってくるのは簡単だし、肉体側の事情が許す限りいくらでも漂っていられる。
だが、軌道投入となるとエネルギーがより多く必要となる。
方程式上、砲の長さは固定されていて動かせないのだから、速度をより多く稼ごうと思えば、加速度を上げるしか選択肢がない。
おそらく、軌道投入できる加速度をかけようとすると、霊体が耐えきれずにバラバラになってしまうのだろう。
「周囲の丘は多少邪魔ですが、低いので運用の障害にはならないのでしょう」
「……つまり、どの軌道にも投入可能ということか」
衛星軌道の知識はあるのか。
まあ、ずっと地べたにへばりついていたわけではなくて、実際に宇宙まで出て外界を眺めたわけだから、そのあたりの基礎的な知識はあって当たり前か。
「この地点を基準にした低軌道ならどこでも投入可能でしょうね。元々は、制御室にある十字のレバーが塔を倒したり旋回させたりするための装置だったのだと思います。ただ、その機能は――というか、それをするための操作は、この箱ですべて殺されています。誰がやったのか知りませんが、神族の時代より後の時代に、後付けで取り付けたんでしょう。なにかしらの事情で宇宙にモノを送る必要がなくなって、研究目的に改造したのだと思います」
「それで、直せそうか?」
「なんとも言えませんが、可能性はあります。ま、とにかくやってみましょう」
おれは部屋の隅からパイプでできた簡素な椅子を取ってきて、鉄箱の前に置いた。
今日は丸一日ここに座っていることになりそうだ。
◇ ◇ ◇
一日中お手伝いの仕事をこなしたあと、自宅に帰るなりベッドに潜り込んだ。疲れていたせいでうとうとする間もなく、崖から転げ落ちるように眠ってしまった。
夢の中で、おれは自分の育った施設を見ていた。嫌というほど見慣れた施設は、夜を裂くような朱色に彩られて紅蓮に巻かれている。火事のようだった。
左右を見ると、雑多な服を着た同年代の子供たちが炎を眺めている。見覚えがあるはずの彼らの顔は、半数近くがわからず、顔面は灰色の絵の具で塗りつぶしたように不鮮明だった。
火に包まれた施設を眺めながら、おれは「ついにやってしまった」という自責の念に包まれていた。自分が放火したかどうかは定かではないものの、どこか自信がなく、ついにやってしまった、という感覚が渦巻いていた。心に孕んだ憎しみが炎となって溢れ出して、引火したのかもしれない。そんな非科学的な想像が夢の中では事実のように感じられ、茫洋とした不安が心を包んでいた。
そこで目を覚ました。
「あっち」
思わず口に出した。ぼうぼうと燃えているストーブを触ったときのような熱さが実際にあった。
なにかと思い、明るい室内を左右に見回してみると、そこは――大火事になっていた。
天井、床、壁、そこら中から火が出て燃えさかっている。ベッドにも既に引火していた。
おいおいおいおい。
どうする?
水。いや、真空にしたほうが早いか。
おれはあらん限りの魔力を使って燃えている室内を真空に近い状態にした。すると、炎はその存在が嘘だったかのように一瞬にして消え、木材の中に残る赤い熾火を残して、夜の暗闇が戻ってきた。
それから水を作ってベッドなどの布類を念入りに消火すると、部屋を開け放って換気をしながら部屋を見聞した。
どうも、ベッドで眠っている間に熱線のような攻撃をされたらしい。それが概念炉で動かしていた反射膜にぶつかって、跳ねかえって天井や床を線状に焼いていった。
すると、犯人は一人しかいない。
ベレッタはなぜ攻撃を続けなかったのだろう? 窓の外からビビーっと攻撃をして、そのまんま逃げたように見えるが……。
とりあえず、行って聞いてみるか。
◇ ◇ ◇
ベレッタの家に着いたものの、前回の怒りようを考えると寝室に入るのは遠慮しておきたい。
そもそも自宅を襲っておいて帰ってくるつもりがあるのだろうか、という疑いはあるが、とりあえずベッドのある客間を勝手に使わせてもらうことにして、眠かったので寝直すことにした。
自然に目が覚めると、朝になっていた。
階下に下がってゆくと、生活音がした。ベレッタはシャワーを浴びているようだ。
おれはリビングの椅子に座って水を飲み、パンかごのパンを齧ったりして用事が済むのを待った。
「――ヨシッ、っと」
お風呂場の向こうで小さな声が聞こえた。なにやら脱衣所での雑事が終わったようだ。
人の寝込みを襲っておいて堂々としている。
「ふんふんふーんっ」
謎の鼻歌を歌いながらこちらにやってきた。デートの時も美容室にいってたし、ベレッタはお風呂に入って髪を洗うのが好きなのかもしれない。
廊下の角から現れたベレッタは、下穿きのショーツ以外素っ裸で、バスタオルを首から下げていた。
堂々とリビングの椅子に腰掛けているおれと目が合うと、
「えっ、なんでいる――って、キャアアーーッ!!」
ベレッタは甲高い叫び声をあげながらその場にしゃがんだ。
まさか裸ででてくるとは。
「ごめんごめん。目ぇつむったから」
とりあえず、そっぽを向いておこう。
「なんでまたいるの!? ルシェってそういう趣味があるわけ!?」
「いやないけど、緊急に話したい用件があったからさ」
どういう反応だろう?
てっきり、もっと後ろめたげな反応をされるものかと思っていた。これじゃこっちが変質者だ。
そこからバタバタと駆け回る音がして、目を開けると、ベレッタは一応シャツとスカートを穿いていた。
むっすりとした表情で椅子に座っている。
「それで、何。乙女の家に侵入した言い訳とやらを聞かせてみなさいよ」
「もしかして、まったく身に覚えがないの?」
「どういうブラフ? 言っとくけど、私怒ってるから。かなり」
うーん……マジでなにも覚えてないらしい。
「昨夜――じゃないか。日付が変わってすぐの深夜だと思うけど、熱線系の攻撃を受けて部屋が焼けた。てっきりベレッタの仕業かと思って来た……んだけど」
ベレッタはぽかーんと口を開けて、唖然を絵に描いたような顔をしていた。
「違ったか」
「違ってないと思う。どうしよ……無意識のうちにやっちゃったんだ」
とりあえず怒りは雲散霧消したらしい。
よかったよかった。
「無意識って、夢遊病みたいに? そんなに明晰に行動するもんかな」
百歩譲って、包丁を握って玄関に訪ねてきたならわからないでもないが、不意打ちのような形で窓から攻撃を仕掛けてきたりするもんだろうか。それはもはや作戦を練っているというか、あまりにも計画的犯行という感じがする。夢うつつで衝動的にやったのなら、そうはならないだろう。
「するよ。私だったら」
うーん……まあ、してもおかしくはないか。ベレッタだし。
「ごめん、すぐこの街から出てくから」
「いや、別にそれはいいって」
「ダメ。ルシェを殺すなんて、考えたくもないもん」
「だから、大丈夫なんだって。この街にはもう、あと一週間くらいしかいないんだから」
おれがそう言うと、ベレッタは「あ、そうだった」という顔をした。
「当たり前だけど、めんどいから新しく部屋を借りるつもりなんてないし。あとはホテルを転々とするつもり。どこに泊まるかベレッタに教えなければ、襲撃のかけようがないでしょ」
「分かった……出ていくのはやめる」
「うん。で、もしよかったらなんだけど、ベレッタの習得魔術の中で特に殺しに使いそうなものを教えといてもらえる? 万が一のとき防衛しやすくなるからさ」
あたおかベレッタはおそらくその記憶を共有しているだろうから、手の内が透けていることを知れば殺害を諦めるかもしれない。
「いいよ。これから教えてあげる。超魔の特徴や弱点もね」
「じゃ、ご飯食べながら話そうか」
「うん」
◇ ◇ ◇
「よし、こんなところかなー」
多種多様な殺人技に目がくらむような思いがする。
やっぱり高級魔術は原理が理解不能なものが多いな。自分が再現しようとすると、まあ無理ではないが、理屈で考えすぎて迂遠な筋道を取ってしまい、難しすぎる割に効果は弱くなってしまいそうな魔術がたくさんあった。
このあたりのよくわからない部分を、専門用語で神秘性とか直感覚とか言うのだが……なんとも、おれには欠けている部分だ。
「勉強になったよ」
「ところで、究理塔のほうはなんとかなりそ?」
「うん。盗み見ようとしてたのがバカバカしく思えるくらいあっさりいった。できたら全部直すつもりだけど、上手くいかなくても一年以内には動き出すんじゃないかな」
「そっかー。じゃ、この街ともいよいよお別れだね」
「ベレッタはどうするつもりなの? ついてくる?」
「うーん……こっちのほうはまだ課題が終わらなそうなんだ。ついていきたいけど……」
課題というのは、ヘルミーネとやっているアレだろう。
「ベレッタには言いにくいんだけど、正直、ちょっとこの街で時間を潰してくれたほうが都合がいい」
「……なんで?」
案の定、ベレッタは暗い表情になってしまった。雰囲気も重い。
「禁書の内容がどうでも、一度クシュヴィの森に寄ろうと思ってるんだ」
「あー、そっちか……まあ、そりゃそうだよね」
「イーリは理解してくれると思うけどね。ただ、国民全員に理解を求めるのは無理だ。外に出たりしたら襲われるかもしれないし、そのとき反撃して殺しちゃったりすると、相当まずいことになる。行くとしたら、イーリのお屋敷に缶詰みたいな形になるかな」
「わかってるわかってる。そんなところ行かないよ。イーリさんの立場も悪くしたくないし」
よかった。正直、少し安堵した。
おそらく、クシュヴィの森のミールーン人たちは魔族に対して相当な恨みを抱いているだろう。滞在が合法的で、反撃が正当防衛だったとしても、法制度が公平に扱ってくれるとはとても思えない。そのときイーリが強く庇えば、イーリの立場を悪くしてしまいかねない。
「あと、放射魔力を偽装する方法についても考えてるから。それができれば、将来的にはクシュヴィの森にも来れるんじゃないかな」
「へ? そんなことできるの?」
「わかんない。将来魔境に侵入するかもしれないから、暇なときにでも考えとくかって程度だから」
「あー、そっちか」
ベレッタが言ってた魔族秘蔵の書籍にも興味あるし、それよりもイーリが固執している政治の問題は、魔王を殺せばだいたい解決する。
「それで、ベレッタのほうの問題は解決のメドは立ってるの?」
「ううん。ずーーーーーっと、コツコツ解析してる感じ。種族の族性がどういう仕組みで発現しているか解析できたら、中枢的な部分を消去して、そこに概念炉を設置しようと思ってるんだけどねー」
「それができたら最高だけど、人格を司る部分と混ざり合ってたら危険だね」
「そうなんだよ。でも、たぶん果てのない作業ってわけじゃないから……できる可能性は高いと思ってる。信じてるって言ったほうが正しいかもしれないけど」
「まあ、できなくっても別に大丈夫だから、気楽にやればいいんじゃない」
「なんで? できなかったらルシェと生きられないじゃん」
「ベレッタがずっと課題に取り組んでるうちに、おれは何十歩も先にいくことになるから。そのうち太刀打ち出来ないくらい差ができるよ。そしたら悩む必要もなくなる」
絶対勝てなくなるから。
「……はあ?」
ベレッタがヤンキーのように睨んできた。
「そうはならないから」
「そうかな」
「そうだよ。私のこと舐めすぎ。種族の問題なんてすぐに解決するし、概念炉を設置したら絶対いい勝負できるようになるから。私を置いてけるなんて思わないで」
それはそれで怖いんだが……。
あの超魔を使いながら、もう一個別の魔術を使えるようになるわけだ。いやいや、きついきつい。
それができないのが最大の弱点だったのに……。
「そうだね。早く解決できるならそれに越したことはない」
「やる気出てきたから、早めに出よっかな。ルシェも行くでしょ」
「うん。じゃ、一緒に出よっか」
ベレッタは椅子を立って玄関に向かった。
その背中を見たとき、おれはなんとも言えない新鮮な感情を抱いた。
誰かと一緒に家を出る日常……それは自分の中では初めての体験だった。
今はまだ日常ではないけれども、ベレッタの問題が解決すれば、それはいともあっさり日常になるのだろう。
思いのほか、それは悪くないことのような気がした。
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