第064話 天文学部
一度自宅に戻ってから付呪学部の第六研究棟にいくと、右往左往して得た情報通り、クラエス・サルトーリの秘書に会うことが出来た。
第六研究棟は石造りの建物なのだが、最近作られたのか、ほとんど新築のようだった。石もなんだか切り出してすぐのような新しさを感じるし、なにより床や壁、梁のような内装がすべてぴかぴかに新しい。
さすが、金持ち学部なだけある。
確認を取りにいっていたクラエス氏の秘書が戻ってくると、
「今お会いになるそうです。こちらへどうぞ」
と言ってきた。
直近のアポイントメントを取るだけのつもりだったのだが、すぐに会えるようだ。手っ取り早くて助かるな。
「はい」
通された部屋は、四階建ての四階の部屋だった。秘書さんがノックをすると、「入りなさい」という声が奥から聞こえる。
ドアが開かれ、通されると、そこは広々とした清潔な部屋だった。数の多い本は、傷のないまっさらなフローリングの上に散らかされることもなく、壁に備え付けられた書棚にきっちりとしまわれている。その奥には片付けられた机があり、さらに向こうには、園芸が趣味なのか緑が濃く生い茂ったテラスがあった。
建物自体が新しいのもあるだろうが、エレミアやヘルミーネの部屋より遥かに立派だ。金かけてんな、って感じする。
「はじめまして、こんばんは。ルシェ・ネルと申します」
おれは頭を下げて礼をした。
「クラエス・サルトーリよ」
クラエスは、焦げ茶の髪を後ろに流した、優しげな顔立ちをした女性だった。眼鏡をかけていて、染み一つない白衣を着てデスクの向こうの椅子に座っている。
イーリの後輩……? と、一瞬不思議になった。
皺が目立つほどの年齢ではないのでハッキリとは分からないが、イーリよりこの人のほうが五、六歳は年上に見える。三十代後半といったところか。
やっぱりルーミ族って凄いんだな。それともイーリのスキンケアが凄いのか。
「挨拶が遅れまして、申し訳ございませんでした」
「私のことは、イーリから聞いてる?」
……ん?
そういえば、聞いた覚えがない。
前に手紙を出したときはクラエスと面会するつもりはなかったので、質問するのを忘れてしまった。
「詳しくは聞いておりません。在学中、仲が良かったと人づてに聞いているくらいです」
「……そう、か」
イーリが自分の話をしていなかったのが悲しいのか、クラエスは物憂げに顔を下げた。
「今日は、おれの禁書の閲覧許可を、枢機会議で支持していただきたく参上いたしました。イーリの不死業を癒やすための手がかりになるかもしれないのです。どうかご協力いただけないでしょうか」
おれは深々と頭を下げた。
「……きみの論文を読んだよ。レン魔導環の改良についての」
「そうですか。学部長にお読みいただけるとは、光栄に存じます」
多少はへつらっておいたほうがいいだろう。イーリの親友となれば、失礼をするわけにもいかないし。
「あれの性質に欠点があることは既に知られていたけれど、改良の仕方が上手かったね。小さいことが売りのレン魔導環を、大きくしてしまったら元も子もない。最小限の増加で大きく性質が改善するよう、よく工夫が凝らされていたと思う」
「そうですか。クラエスさんの論文も、いくつか読ませていただきました。とてもよい論文だと思います」
「……あれはイーリが考えたのかな?」
? なに?
「レン魔導環についての論文のことですか?」
「うん、そうだよ」
「いいえ。すべて自分が考えました。もちろん、イーリはおれの師匠なので、間接的に影響は受けましたが」
なんの質問だろう?
イーリの手柄を横取りした……というか、甘やかしで与えられた研究だと思われたのだろうか?
「そうなんだ。イーリは弟子まで優秀なんだね」
「はあ……そうかもしれませんね」
優秀かどうかは知らないが……まあ、出来の良い弟子であろうと頑張っていることは確かだ。
「それで、不死業についてだったかな?」
「はい。ご支持をいただけるなら、近いうちセプリグス氏の研究を閲覧したいと思っています」
「そこにイーリを癒やす方法が書いてあるの?」
算数ドリルの回答のように答えが書いてあるかという意味なら、書いてあるはずはないのだが……この場の答えとしてはどうなんだろう。
即効性のある解決策にならないものなら、エレミアと同じように害のほうが大きいという判断をされるかもしれない。ただのヒントにすぎないもののために大いなる害を解き放つのか、みたいな……。
「内容を把握できていないので、その判断はできていません。ただ、可能性は高いと思っています」
この程度の表現にとどめておいたほうがいいだろう。
「そうか……まあ、賛成するのはやぶさかではない。他でもない、イーリのためだしね」
「そうですか。ほっとしました」
「しかし、なにかしらの誠意を見せてもらいたいね。何年も便りをよこさない、友達がいのない旧友のために骨を折るんだ」
何年も……そんなに疎遠だったのか。
今更どうこういっても仕方のないこととはいえ、イーリから関係性を聞いておくべきだったな。
口ぶりからして、キェルの言った通り古い友人関係なのは確かなようだが……。
「もちろん。手土産といってはなんですが、これをお持ちしました」
おれはクラエスの机に近づくと、持ってきていた包みを開き、中のものを机の上に置いた。
「なにかな? 魔法剣のように見えるけれど」
「これは聖剣の一振りです。とある伝手から入手しました」
おれがそう言うと、クラエスは刮目するように目を開いた。
聖剣といえば、聖遺物と呼ばれる神族の遺産の中でも最上級の代物だ。
「――二つに分断されているようだね」
「はい。あいにく、半分しか手に入れることができませんでした」
「刃の部分もない」
「刃は液体金属でできていて、それを雷のような速度で伸ばしたり縮めたりできる聖剣だったようです」
「……ふぅん」
おれはこれを解析することが難しいことを知っているが、クラエスはそんなことは知らない。技術者がこんなものを見せられたら、当然だが、自分で神族の技術を解析したいと思うだろう。
手土産としては、言うまでもなく最高のものだ。
「なるほど、たしかに受け取ったよ」
「では、ご協力いただけますね」
「そうだね」
これで、あとの問題は天文学部だけだ。
「それでは、よろしくお願いします。お時間、どうもありがとうございました」
「もう行くの?」
クラエスは首を小さく傾げながら言った。
とはいえ、もう用は済んだ。話すこともない。
「すみません。次は天文学部長を口説き落とさなければならないので」
「なるほど。そういうことなら、引き止めるのも悪いね。行ってよろしい」
「それでは、失礼します」
おれは深々と頭を下げると、部屋を出ていった。
◇ ◇ ◇
天文学部の研究棟は、塔広場に沿ったあたりにぽつんと建っていた。
広いレンガ造りの建物だが、見るからに古い。表面が苔むしていて、ドアなどの調度も相当くたびれている。
中に入り、学部長のアポイントメントを取ろうと受付で名乗ると、受付の人は、
「ちょ、ちょっと待っていてください。いいですね、ここで待っていてください」
と言い置いて、急いで階段を登っていってしまった。
そして数十秒後、帰ってきたのはドカドカと板を踏みながら階段を駆け下がってくる音だった。
「きっさまあああああ!!!」
禿げ上がったおっさんが、階段の半ばでおれの姿を確認するなり、鼻息を荒くして突っ込んできた。
なんだなんだ。
「きさまがルシェかあっ!」
押し倒すような勢いで、いきなり胸ぐらを掴みにきたので、反射的に突き出された袖を掴んで引き込んでいた。
腕を後ろに引っ張り込んで体勢を崩すと、そのまま足払いをかけた。
雄牛のような勢いで突っ込んできたおっさんは、前傾姿勢につんのめって入り口のドアにぶちあたり、ドアの蝶番をぶっ壊して外へ飛び出してしまった。
おいおいおい。
「わー……すみません」
いやー、やっちまった。
まさかいきなり襲ってくるとは。アカデミックな雰囲気に慣れていたもんで、あまりにも予想外の展開すぎて頭が働かなかった。
すると、とことこと階段を降りる音が聞こえてきて、さっきとは別の、キチッとした服装をした若い美人の女性が現れた。
「あらら」
階段の二段上から他人事のようにそう言うと、
「あなた、ちょっとそこに隠れていてくださる」
と、おれの側で小声で言い、次に受付のカウンターを指さした。カウンターは胸くらいの高さになっている。
ここは言われたとおりにしとくか、と思い、おれはカウンターの裏に入って身をかがめた。
「子供相手になにやってんですか、オスカーさん」
「むうう」
カウンターの向こうでなにかが動く音がする。外れてしまったドアの上に乗っているのか、いちいちガコガコと木の板が動く音がした。
「どこだ。あの少年は」
「逃げちゃいましたよ。せっかく来てくれたのに。もう二度と来ないでしょうね」
「ぐううううう!!」
ばんっばんっ、と足で木の板を踏みつける音が聞こえた。
こわ。
「今日のオスカーさんはいつにも増して頭がおかしいですね。一体全体、なに考えてるんです? あんなふうに詰め寄ったら怖がられるに決まってるでしょう」
「私の中に蘇った若き日の情熱が体を突き動かしたのだ。セリカくん」
「どれだけ呼び出しても来てもくれなかった相手が自ら門を叩いてくれたのに、情熱とやらで追い散らしたんじゃ目も当てられません。あなたは闘牛場の牛ではなく、一つの学部を束ねる学部長なんですよ。これほどの愚行は歴史を紐解いてもなかなかありません。端的に言って、呆れ果てました」
「……そう言うな。反省しておる」
なんじゃこいつら……。
「本当に反省してますか?」
「しとる」
「じゃあ、彼にごめんなさいできます?」
「なんだそれは。家に行って謝れとでもいうのか」
「そうです」
「住所を預かったのか? なら、今すぐに行って詫びようではないか」
「――そういうことなので、出てきていただけませんか?」
うわー。
なんだこれ。こういう空気苦手なんだが……。
消え去りたい……。
「……はーい」
おれは小さくカウンターから手を上げて、ゆっくりと姿を表した。
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