第060話 デート終わり
「でも結局、ほとんど私なしで仕上げちゃったねー」
帰り際にベレッタが言った。
「まあそうだけど、役に立たなかったわけじゃないよ。雑談から拾ったアイデアで採用したのもあるし」
「セプリグス・サイゼンタの頭を良くする研究ってあったじゃん」
「うん? 急に何」
唐突に話題が変わったな。
「私も今研究に行き詰まっててさぁ。あれまだ読んでないんだけど、読めばルシェみたいな頭の出来になれるのかなーって」
「あれはダメだよ。使いもんにならない」
「どういう研究なの?」
「選択的に神経を興奮させるんだよ。なにかに物凄く熱中している状態を人為的に作るっていうのかな。根本的に、頭の良さとは別問題だ」
「あーそういうことか。でも、便利そうではあるね」
「あんまりよくないよ。そりゃ、敵地で活動してて、三日も徹夜で逃げてて、あと一日集中して動けなかったら殺されちゃう、みたいな場合だったら便利だけどさ。日常で使いだしたら、脳みその報酬系ってところがおかしくなる。眠れなくなるし、使わない時の集中力がガクッと落ちるから、日常生活もままならなくなる」
作用機序がまったく違うが、擬似的に覚醒剤を使ったのと似たような状態にする研究なのだ。
実際に一時期流行ったようだが、副作用が多発したため、現在ではあまり用いられていない。覚醒剤のように、吸ったり注射したりすればお手軽に使えるものではなく、難しい術式を習得する必要があるからだ。天才になれるわけではないと知られてからは、それだけのために苦労して覚える酔狂な者は少ない。
「その報酬系ってなに?」
「どう説明したらいいかわかんないけど……かいつまんでいえば、なにかの行動と、幸福感とか満足感みたいな、喜ばしい感覚を紐づけている仕組みのことだよ。そういう感覚って、人生のあらゆる動機付けなんだ。空腹なとき美味しいものを食べたら幸せなのも、好きな人に抱きしめられて幸せな気持ちになるのも……まあ、あんまりよくない言い方だけど、体にあらかじめ備わっている仕組みが動作してそうなってるわけだからさ。そこがぶっ壊れたら、もう生きてる人形みたいなもんだよ」
「へー……そういう仕組みがあるんだ。興味深いな」
「ていうか、尾行されてるね」
と、おれは歩きながら、努めて会話の続きのように言った。
「ベレッタの客?」
「わかんない」
「じゃ、次の大路の交差路で別れようか。おれは引き返して二重尾行するから」
「あー、こいつか」
ベレッタも反響で特定できたようだ。
「大柄なわりに歩く速さが遅い人でしょ? でも、この近さだと暗殺者ではないと思う。尾行がお粗末だし」
「じゃあ何。ベレッタのストーカー?」
「違うと思うな。むしろルシェのほうじゃない?」
おれ?
「どけどけっ!」
前方から野太い男の声が聞こえてきた。
そして、すぐに歩行者をかきわけて、男が現れた。四人ほど引き連れている。
「はあ……」
思わずため息が出てしまった。
「ね? 当たったでしょ」
「なんの用ですか?」
なんだか気分がどん底まで落ちた気分だった。
呼吸をするのも嫌になるくらい、どろどろとした嫌な気分になる。
「この間は逃げられてしまったが、今度は逃がさんぞ」
この間レストランでいちゃもんつけてきた男だった。
同じような男たちと徒党を組んでいる。友人かなにかなのだろう、四人の同じような年齢の男たちを連れている。
尾行していた奴を加えて、全部で六人だ。まあ、たしかにこんなふうに囲んだら、普通は逃げられないだろう。
「おれがなにしたってんですか……怒りの矛先を向ける先が間違っているのでは?」
「貴様、一度決闘を了承しただろう」
その場しのぎで戦うといっただけで、決闘するとは一言も言っていないのだが。
「一体、あなたがたはなにがしたいんです? 決闘に勝ったところでご褒美があるわけでも、論文が撤回されるわけでもないでしょうに」
そもそも、査読も済んで何百人――下手をすれば千人に届く数の魔術師たちが追証実験を終わらせた研究だ。もし、おれが論文が間違っていたと公表したところで、正しかったのだからなかったことにはならない。
「あの妨害魔術は、それだけで全力を要する。戦闘で天啓論理の有用性を損なうものではないことを、俺が証明してやる」
一瞬、相手の意見を理解しようとする頭の回路がこんがらがってショートしたような気がした。
ワンテンポ遅れて理屈を整理する。
つまり、あの妨害魔術は一人の人間が全力を傾けなければならないほど複雑なので、その時点で……相手に魔術を使わせないための魔術で、自分も魔術を使えなくなる。だとしたら条件はイコールになるだけではないか、という理屈か。
そもそも、戦場においては妨害するまでもなくカオスな条件を満たしてしまうから問題なんだよ、という話なわけで、まったく見当違いであることに変わりはない。
まあ、双方魔術が使えず……拳の勝負にでも雪崩込めば勝てるって思ってんだろうな。ほんとに、頭に蛆の湧いたチーズでも詰まってるんじゃないか。
「貴様は一度決闘を了承したのだ。さあ、今度こそ来てもらうぞ」
「嫌です」
決闘にも作法があるのかしらんが、そんなことに時間を取られたくない。
「ザコの相手なんてしてられない、っつってんの」
ベレッタが口を挟んだ。
「虫けらに決闘しろっていわれて、わざわざつきあってやる人間様がどこにいんのよ。こっちは法律があるから叩き潰さないでやってるんだ。死にたくなかったら、さっさと消えな」
「なんだと――」
「ああ、ベレッタ、もういいよ。じゃあ、今、ここで始めましょうか。全員かかってきていいですよ」
もう面倒くさい。
「ここで? お前、常識がないのか?」
男は小馬鹿にしたように笑った。周り中に民間の建物があり、何事かと遠巻きに人が見ている。こんなところで魔術戦をしたら被害が拡大する……というか、そもそも犯罪なのだろう。
「約束したのは事実なので、それを果たすって言ってるんです。じゃ、はじめますよ」
「あのなあ――」
男は苛立った様子で、一歩踏み出した。おれの肩でも掴もうとしたのだろう。
その瞬間、顔色が変わった。
「おまえらは、なんでおれの足を引っ張りたがるんだ?」
日常で一刻も止まることなく繰り返しているサイクルが唐突に止まり、男たちは一斉に口や喉を押さえた。
大気が百分の一以下に薄まった真空が頭を覆っているのだ。
息ができなくなり、うめき声も聞こえなくなる。口を開けるたびに、肺の中の空気が絞り出される。
通常、この手の魔術は成功しない。魔術は自己に近い領域ほど操作しやすいため、指を振るような気軽さの対抗術で妨害できてしまうからだ。
赤子の手を捻るような、圧倒的な力量差がなければ。
おれは五人が対抗術を編もうとするたび、それを打ち消していた。
ベレッタの喩えは的確だ。虫けらと勝負するために、決闘場まで移動する馬鹿はいない。
おれの人生は、いつもこの手の虫けらに邪魔されてきた。何度も何度も。逃げられない狭い檻の中に閉じ込められて、ありとあらゆる嫌がらせをされ、底辺の沼に引きずり込もうと足を引っ張られてきた。
イーリと会って、ようやく解放されたと思ったらこれだ。いつになったら消えてくれる。
いい加減にしろ。
「ルシェ」
ベレッタの声が耳に響いた。
その瞬間、周囲の音が返ってきた。石畳の上でのたうち回り、ばたばたと足で叩く音――それを遠巻きに見ている人々は、怖ろしさに息を殺すようにして、白昼の凶行を見守っていた。
男たちの顔は、チアノーゼで紫色になっている、喉をかきむしっていた手の力も弱まり、生から死へと近づこうとしていた。
「殺しちゃうよ?」
「……うん」
手を軽く振って魔術を解除すると、男たちは一斉に息を吹き返した。死の淵に現れた小さな舟に縋り付くように、痙攣しながら浅く短い呼吸を繰り返す。
「……いこ?」
ベレッタはおれの服の袖を掴み、小さく引いた。
「うん」
◇ ◇ ◇
その日、家に帰って明日の侵入に使う魔術を作っていると、気づいた頃には日が暮れていた。
天井から吊り下がっている魔術灯火を点けてみると、ベレッタはソファに寝そべったまま概念炉の仕様書を胸の上で開いて、眠ってしまっていた。
珍しい。
というか、ベレッタの寝顔って初めて見たかもしれない。
「ベレッタ?」
「…………」
声をかけても起きず、不愉快げに眉間に少し皺を寄せた。
ここは起こさないでおこう。
とはいえお腹は減っているから、近くの店でテイクアウトでも取って戻ってくるか。
ここ一ヶ月少しで行きつけになってしまったお店で料理を包んでもらい、玄関のドアをくぐって手を放すと、やけに強く吹いている風がドアを押し、バッタン! と思いのほか強く閉まった。
玄関で靴を脱いでいると、部屋の中からドスン! と何かが床に落ちたような音が聞こえた。
靴を脱いで中に入ってみると、ベレッタが妙に真剣な表情というか……「寝ぼけてソファから転げ落ちちゃった。てへへ」みたいな感じではない、マジな顔で中空を見ており、次いでおれの顔を見た。
事態を把握すると、それでも身に降り掛かったアクシデントを自分の中で消化できない様子で、動悸をなだめすかすように胸を押さえながらソファに座った。
「寝てたから、ごはん買ってきたよ」
「ああ、うん。ありがと……」
「大丈夫? どこか悪いの?」
寝起きで胸を押さえていたが、心臓病かなにかを患っていたりするのか。
以前戦ったときは、そうとは思えないほど快活に戦闘をエンジョイしてたけど。
「いや、悪くないよ。そっか、寝ちゃってたんだ。ごめん」
「べつに、謝らなくていいけど」
読みものをしているうちに居眠りしてしまっただけのことだ。謝るようなことではない。
寝ぼけてあの魔術を暴発させて、またしてもアパートを一棟全壊させたとかだったらさすがに謝ってほしいけど。
「そうだね。あ、ごはんありがと。温かいうちに食べよっか」
「うん、そうしよ」
と、おれは紙と本で散らかっているリビングのテーブルの上を片付け、端っこにひとまとめにした後、料理を並べた。
その頃になるとベレッタはいつもの調子を取り戻したようだった。
「ごちそーさま、おいしかったね」
「うん。今日はもう遅いし、眠いなら泊まってく?」
と、努めて自然におれは切り出した。
ベレッタは意外そうな顔をすると、からかうような表情を作って、
「ルシェはえっちだな~」
「えっちじゃない」
「でも、まだだめ。今日は帰るよ」
「そう。じゃ、また明日」
おれはいつもどおり別れを切り出した。
「明日は、ヘルミーネさんのところにいく用事があるんだ」
あ、そうなんだ。
妙なことはやられていないらしいが、けっこう足繁く通っているようだから、心配ではあるな。
「夕方には終わるから、会いにくるよ。侵入のときは近くに控えてるから」
「わかった。じゃあね」
「はいはい、またね~」
ベレッタは軽く手を振りながら、玄関のドアの向こうに消えた。
五秒ほど遅れて、おれは後を追った。あまり間を空けると見失う可能性がある。
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