第058話 レストラン
「うわっ、これ美味しっ!」
ベレッタは真っ白いチーズの入ったサラダを食べている。
よっぽど美味しかったのだろう。目が輝いていた。
おれも食べてみたが、美味しくはあるものの、それほど感動するほどではなかった。
モッツァレラチーズというものを食べたことがなかったのだけれども、こういう味だったのだろうか。
どちらかといえば、この牛肉の煮込みのほうが美味しい。牛といっても角はなく胃は二つしかない動物らしいが、少し癖のある味は牛肉そっくりだ。
「もう一皿おかわりしちゃおうかな」
「せっかくなら、別のチーズの料理頼んでみたら? これなんか美味しそうだよ。メニューの上の方にあるし」
平らに焼く、みたいな料理名がついていて、なんだかピザ感がある。
「それもそうだね。じゃ、それ頼んでみよっと」
◇ ◇ ◇
「はー、めっちゃ美味しかった~」
ベレッタは物凄く満足そうだ。
牛料理はそれほどでもなかったようだが、水牛のチーズがとにかく気に入ったらしい。
あの四角いピザみたいのは、おれもかなり美味しく思えた。
ベレッタは最後にチーズケーキまで食べて、お腹いっぱいになったのか、今はお茶を飲んでいる。
「美味しかったね。たしかに、こういう食べ歩きみたいのって楽しいかも」
「そうっしょ?」
「うん。すごい気晴らしになった」
ベレッタに感謝しないとな。と思いながらお茶を口に運んでいると、店の席を離れてこちらにやってくる人がいた。
男女のカップルだ。店員さんではない。
「あんた、ルシェ・ネルか?」
声をかけてきた。
「そうですが?」
おれがそう言うと、男は不愉快そうに表情を険しくした。
なんだなんだ。
「このあいだの論文についてなんだが、あれはどういうつもりで書いたんだ?」
どういうつもりって……。
「論文って、どの論文のことですか?」
「天啓論理に決まってるだろうが」
ああ、そういえばカルランスの教会は天啓論理の総本山なんだった。
まずったな。
「どういうつもりもなにも、論文を発表するのに理由が必要ですか?」
金のためにちょうどよさそうな題材だったので選んだ、というのは黙っておこう。
「お前は、天啓論理に泥を塗った。その意味が分からないのか」
「泥? おれの論文に、なにか間違いでもありましたか?」
「そういう問題ではない。格式の問題だ」
「格式……? 天啓論理には長所もあるし、そこはなにも変わっていませんよ? むしろ短所が明らかになって良かったでしょう。なにも知らず戦場で使って死ぬ人を減らせるんですから」
「天啓論理は完全でなければならん。神から与えられたものであるのだから」
なに言ってんだこの人……。
「べつに、他の基底観念を使ってはいけないって教義があるわけじゃないでしょう。用途によって使い分ければいいだけでは?」
おれは神秘性に重きをおいた基底観念は使いこなせないから、扱いやすい基底観念を自分で作ってほとんどそれでやっているが、どれを使ったところで長所や短所はある。宗教上の理由があるにしても、短所を一つ指摘されたことで怒るなんていうのは了見が狭すぎる。
「ぷぷっ」
テーブルの向こうで吹き出す声が聞こえた。
「ルシェって、まじで大勢の中で学んだことがないんだね。この人が言ってるのは違うんだって」
「なにが違うの?」
「この人は基底観念を一つしか扱えないんだよ」
「はあ?」
どういうこと?
おれが作った新式のものや、他にも応用性が高い広く使える観念はあるが、天啓論理はそういうものじゃない。特定の得意分野に秀でたものだから、一つしか使えないなら魔術の幅が大きく狭まってしまう。
逆に、二つ以上使い分けないメリットがない。習得難易度も、プログラミング言語よりは高いが自然言語よりも低いんだから。
ネイでも三つくらいは使ってたぞ。
「低レベルな人ってそうなんだよ。一つ増やすのに、半年とか一年かかる人もザラにいるんだから」
「でも、ここってヴァラデウムだよ?」
田舎の村の魔術屋さんじゃあるまいし。
この都市で生まれ育ったならともかく、留学生であれば、その国の魔術師の中でもトップクラスのエリートが選抜されてくるものじゃないのか。
「そんなの関係ないない。二つ以上自由自在に使いこなす人って案外少ないんだから。半分以上の人は、一生涯一つでやってくんじゃないかな。だから謝っといたら? このむのーに」
ベレッタはカップルを見て意地悪そうにニヤニヤしている。
「あなたのちっちゃい拠り所にケチつけちゃってすみません、ってさ」
無能呼ばわりはともかく、これは謝っておくべきかもしれない。なにやら血気盛んな様子だし、この感じだと戦闘魔術師になりたかったりしたのかもしれない。そしたら、その道がおれの論文で途絶えた可能性もある。
「そうとは知らず、どうもすみませんでした」
「……俺と勝負しろ」
せっかく謝ったのに、男の方は顔をプルプルさせて激高している様子だった。
彼女のほうもそーとー怒った顔をしている。
いったい、どーせいというのか。
「そんじゃ、まずは私とやろっか?」ベレッタは椅子を立った。「せっかくのデートに水差されて、内心激おこなんだよね」
「いいぞ。女」
「さっそく、はじめるよ」
おっとぉ。
「ダメだよ」
おれは語気を強めにして制した。
「――なんで?」
ベレッタは獣のような顔をして言った。口は笑っているが、目は据わっていて、もう戦闘モードに入っている。
「店に悪い。せっかく美味しい料理を食べさせてくれたのに」
そう水を差すと、
「あっ、そっか。それもそうだね」
と、あっさりと椅子に戻った。店に対する感謝が心の火を消したのだろう。
「じゃ、もう少しで食事が終わるので、外で待っていてください」
「ああ。そうさせてもらおう」
男は憤懣やるかたない様子で、店の外に出ていった。ツケで食事をしているのだろうか?
「ベレッタさ、殺す気だったでしょ」
お茶を飲みながら言う。少し冷めていた。
「あったりまえだよ。店の人に大迷惑だと思ったからやめたけど」
白昼堂々、店内で人間二人が惨殺されたら迷惑どころの話ではない。
そのことはさすがに理解できるようだ。
「勝負っていっても、たぶんあれは術比べってやつで、殺し合いじゃないと思う。たぶん、殺したら犯罪だよ」
「は?」
と、ベレッタは素っ頓狂な声を上げた。
「ええっ……だって、向こうから喧嘩ふっかけてきたんだよ? あの人たち、子供みたいなじゃれ合いをするつもりだったってこと?」
「そうなるかな」
「なにそれ、あっきれた」
ベレッタは心底から呆れ返った顔をしている。
魔境では、ああいう感じに喧嘩を売られたら、その場で――つまり、こういうレストランの真ん中で殺してしまっても、他のお客さんは動揺すらしないものなのだろうか?
どんな世界だ。
「まあ、よくあることだから……一々相手しないほうがいいよ。どうしたらいいんだろうね。ああいうのって」
「……どうしたの? いつになく沈んだ顔してるけど」
自覚していなかったが、どうも顔に現れていたらしい。
「昔からああいうのに絡まれてきたからさ。思い出してうんざりしてるのかも」
「そうなんだ。じゃ、私がやっとこっか?」
「……? なにを?」
「先に出て、ボコしとこうか?ってこと」
ああ、それか。
「相手にしないほうがいいって言ったじゃん。いいんだよ、放っとけば」
「放っとくって? 店の外で待ってるんだよ」
「席で会計をして、窓から失礼すればいい。マナー違反だけど、店の前で喧嘩するよりはいいでしょ」
「ああ、なるほど」
ああいう手合に律儀につきあってやる必要なんかない。
同じ施設やクラスに閉じ込められてしまうと、もうどうしようもないが、今回はそうではないのだ。構ってやる理由がない。
「じゃ、お店を出ようか。次はどこいく?」
「甘いものを食べに行こ。もう決めてあるから」
「さっきケーキ食べてたじゃん」
「チーズケーキは甘いものには入らない。まだ時間あるし、北区の貯水池の近くを散歩してから向かおうよ。そしたら美味しく食べられるでしょ?」
「ああ……うん。そうだね」
おれは店員さんを呼んで席で会計を済ませると、二人で窓から失礼し、貯水池に向かった。
デートの続きはとても楽しかった。
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