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竜亡き星のルシェ・ネル  作者: 不手折家
第三章 枢機の都、ヴァラデウム
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第057話 気晴らしデート


「じゃ、私は残っていくから、ルシェは帰っていーよ」


 ベレッタにそう言われて帰る途中、おれは考え続けていた。

 こっちにくる以前の知り合いの顔など、実母を含めてどうでもよかったが、ゲオルグの顔貌を忘れてしまうことに対して、おれは自分でも意外なほどの抵抗を感じていた。

 だが……そんなことで進歩を止めるべきだろうか?

 そもそも、本当に忘れるとも限らないのに……。


 おれは中央図書館に向かい、相貌区画についての書物を洗い、基礎知識を得た。ヘルミーネの言っていたことは事実のようで、調べてみるとやはりうってつけの性質を備えていた。

 家に戻ると瞑想に入り、体積的に足りるかどうか確認をした。

 概算で十分に足りることを確認すると、イーリに手紙を書いた。

 近況の報告と、イーリ、ネイ、ゲオルグの肖像画があったら送ってほしいという内容だ。


 エレミアのいる現象学部棟まで出向き、秘書に手紙を預けると、もやもやとした不安感を胸にいだきながら、また概念炉の設計に戻った。


 ◇ ◇ ◇


 それから二週間が経ち、基礎設計が終わり、勝手にOS(おーえす)と呼んでいる人工知能の開発が終盤に差し掛かったころ、事件があってから新しく借りた新居に荷物が届いた。

 梱包を開いてみると筒が入っており、中には画用紙のような紙が丸められて入っており、鉛筆で描いたデッサンが描かれていた。


 ちゃんと三枚、イーリとネイ、そしてゲオルグの肖像画が描かれている。

 ゲオルグの絵は、おそらくイーリは若い頃のゲオルグの肖像画を一枚くらい秘蔵しているだろうと思っていたのだが、意外なことにおれが知っているゲオルグそのまんまの顔だった。


 筒の中には丸めて帯で留められた手紙も入っており、それを読むと、どうやらイーリはゲオルグの遺体を火葬する前に、肖像画家にかなり正確な絵を描かせていたようだ。これはその際に描かれた絵を、さらに鉛筆で写したものらしい。イーリとネイのほうのデッサンは、ついでにその場で描かせたのだろう。

 油絵の複製となると時間がかかるし、額に入れて送らなければならないから、簡易的なデッサンにしたと書かれている。


 次に、概念炉の相談の手紙が来てから、それについて考えているうちに肖像画の手紙が追って届いたので、二枚一緒に返事をするという但し書きがあって、概念化についてのイーリの考えが書き綴られていた。

 アイデアの秀逸さを称えながらも、霊体の改造に伴うリスクに対して強い懸念があるようだ。肖像画を要求したことで、相貌区画を削るという計画もバレていた。人工知能を確実に隷下に置くため命令に加えておくべき条項が五つほど並んでいて、うち一つはおれも考えつかなかったものだった。概念化については、さすがにその領域については一家言あるようで、その行為の本質的な性質について深く掘り下げるような内容が長文で書かれていた。


 事務的な連絡と、論文的な記述が終わったあとには、私信が始まり、そこはお説教で満ちていた。どうもエレミアがチクったらしい爆発事件について詳細な報告を求める文脈が延々と続き、「心遣いは嬉しいが、私はルシェが私のために危険を冒すことは望まない。無茶なことはしないで、いつでも帰ってきなさい」と締めくくられていた。


 ◇ ◇ ◇


 概念炉の開発に取り掛かってから一ヶ月と十日が経ったころ、ようやく設計図ができあがった。

 約三百枚の紙を整理し、綴り紐でくくってひとまとめにすると、やるべき準備はすべてやり切ったな。という気分になった。


「ルシェ、終わったの?」


 いつのまにか目を開けていたベレッタが、こちらを見ていた。

 最近のベレッタは、おれの部屋にきては瞑想をしている。ヘルミーネとなにをやっているのか知らないが、なにか自分なりの課題を見つけたらしい。


「うん。すぐ始めるよ」

「気が早いねー。一日くらい休んで体調を整えたら?」

「もう休んだ。昨日の朝終わって、丸一日資料を全部整えながら、見逃しや落とし穴がないか総ざらいした。もう十分だ」


 今はお昼だし、今日は頭も使っていない。体調は万全に近い。

 最後に、表にまとめた作業プロセスのチェックシートを手に取ると、後ろからベレッタが抱きついてきた。


「本当に大丈夫? 出会ってから二ヶ月近く経つけど、一日も休んでないじゃん」

「いいんだよ。休むのは死んでからでいい。それからはベレッタが使ってくれるんでしょ?」

「……えっと、そのつもりだけど。どうしたの? 疲れてる?」


 疲れてるって。自分がそうしたいって言ったのに。


「べつに、ベレッタにそうされるの嫌じゃないからね。焼かれたり埋められたりするより、ずっといいと思ってるし」

「……ふーん、そうなんだ」

「そろそろいい? 始めたいんだけど」

「駄目」


 駄目?


「今日は一日休んで、明日やることにしよ」

「だから、もう休んだって」

「見逃しがないことを総ざらいした一日を、休日とは言わないの。一ヶ月以上もかけた大仕事に取り掛かるんだから、一日休むくらい無駄じゃないでしょ?」

「うーん……本当に疲れてないんだけど」


 どういったら分かってもらえるのかな。

 と考えていると、すっ、とベレッタの腕が動いて、おれの首を後ろから締めた。

 顎の下にベレッタの左腕の肘が入ってきて、首に絡みつき、右腕と繋がって頭を押さえて頸動脈を絞めた。

 キュッ、と力を加えたあと、ベレッタは腕を離した。


「ほら、万全じゃないじゃん」

「……まあね」


 平和な雰囲気だったから油断していたのもあるが、それにしても反応が遅かった。バックチョークは顎の下に腕が入り込むことで成り立つ技だ。だから、顎を肩や胸にくっつけるだけで防ぐことができる。

 ベレッタの今の動きは、かなりゆっくりしていた。奇妙な動きをし始めてから三テンポくらい遅れても間に合ったはずなのに、おれは動きもしなかった。

 たしかに、万全だったら反応していただろう。


「そういう疲労って、本人には分からないものなの。決まりね。今日は一日気分転換の日」

「……でも、気分転換って何すればいいのかわかんないよ」


 街に遊びに出かけたこととかないし。


「だいじょーぶ。今日は私に付き合ってよ」

「……うーん、まあ、いいけど」


 一体ベレッタは何をするつもりなんだろう。


 ◇ ◇ ◇


「はい、まずはここね」

「……美容室?」


 なんというか、普通の床屋より店構えや内装にセンスを感じる。

 おしゃれさん向けのお店だ。


「ルシェの髪、だいぶ伸びてるから。まずはさっぱりすること。髪を切って洗ってもらったら、誰だってきもちいーでしょ」

「まあ、それはそうかも」


 施設には、たまに髪を切る人が来ていた。彼らは近くの専門学校の学生だったようで、上手く切ってもらえるかは運次第だったが、髪が短くなるのは気持ちよかった。


「さ、入ろ」


 店はベレッタ馴染みの店らしく、すぐに椅子まで通され、女性の美容師さんがやってきた。


「今日はどれくらい切りましょうか」

「ざっくり、四分の一くらいの短さにしてください」

「ちょっとっ!」


 横から物言いが入った。


「切りすぎ。四分の三くらいの長さで、揃える感じでおねがいします」

「……それでお願いします」

「では、そちらで切らせていただきますね」


 髪の毛なんて短くてもいいんだけど……。

 まあ、今日はベレッタについていくと決めたんだ。従うとしよう。


 美容師さんがチョキチョキと鋏を操り、髪を切り始める。

 しばらくして調髪が終わると、剃刀で顔を剃られた。首筋を刃が這うのは緊張したが、怪しい仕草もなかったので、なすがままにしていた。

 それが終わると、陶器の洗面台のようなものが前に運ばれてきて、洗髪の流れとなった。

 シャンプーとは少し違う、なんだかいい香りのする石鹸で髪を洗われると、最後に酸っぱい果実のような香りのする液体をなじませて、軽く流してから拭かれた。弱酸で石鹸のアルカリを中和する仕組みなのだろう。


 顔を上げると、なんだかくつろいだような気分になった。

 そして、それはずいぶんと久しぶりの感覚である気がした。


「では、髪を乾かしますねー」


 驚いたことに、美容師さんは付呪具も使わずに自ら魔法を編んで熱風を出した。

 さすが魔術の都という感じだ。


「お上手ですね」

「ええ、毎日のことですから」


 やっぱり毎日やってることって強いよな。

 髪が短いのもあって、熱めのドライヤーをかけられると、あっという間に髪の毛が乾いていく。

 これも身近にある物理現象の一つだ。空気が含むことのできる水蒸気の量は、気温が上がるにつれて指数関数的に上がっていくから、こうやって空気を温めると湿度がガクッと下がる。その風をそのまま髪の毛に吹き付けると、あっというまに水気を奪うことができる。

 髪の毛が乾くと、美容師さんは温風を止めた。


「では、マッサージを始めますねー」


 美容師さんは手に液体を取って、おれの顔に塗り始めた。これが噂に聞く、化粧水ってやつか。

 油ともまた違う、少し花の香りのついた液体が顔に塗られる。


 そのあとずいぶんと長い時間肩を揉まれていた。ベレッタが「ありがとうございました」と言って椅子を降りると、美容師さんは手を離した。

 どうやら、ベレッタと同時に終わるようにマッサージを延長してやってくれていたようだ。

 その頃には心地よい眠気が意識を覆っていて、もう少しで眠ってしまいそうだった。


「ルシェ、いくよー」

「うん」

「今日は私のおごりね」

「おっけー」


 まぶたをこすりながら言う。ベレッタもおれも、けっこうなお金持ちなので妙な遠慮をする必要はない。食事の会計も、その時々で交代に支払っている。

 それにしても、美容室の値段はちょっとびっくりするほど高かった。法外とは感じなかったが、かなりお高い店だったようだ。


「次はどうするの?」

「行ったことのないお店でランチを食べるの」

「あー、なるほど」


 それは気分転換になりそうだ。


「目星はつけてあるから、そこにいこ。カルランス?料理の美味しい店なんだってさ」


 ヴァラデウムには各国から留学生が集まるので、食文化は国際的だ。本場の味かどうかはさておき、世界中どの地域の料理でも食べられる。

 各国の留学生会館みたいなものがあって、郷土の料理屋はその周りで店を開いている事が多いようだ。


 それにしてもカルランスか。この世界では珍しい宗教国家だと聞いたことがある。

 この世界では、魔導研究によって魂や人格の正体である霊体の存在が知れ渡っているため、精神や生命のありかた、死後の世界に対して神秘性を見出す文化が希薄だ。

 そのせいなのか、宗教は小規模で、超国家規模の大宗教みたいなものはない。宗教というよりも、神話――あるいは、伝説のようなものが各地で信じられている。

 たとえばミールーンでは山神が絡んだ建国神話が信じられていたし、そういうものは各国にあって、ヴァラデウムに来る道中でもそういう神々や偉人を祀る祠や神殿を数多く見かけた。

 カルランスは例外的に、かなり組織だった宗教を信じている国だ。


「いいね。カルランスは牛料理が美味しいんだってさ」


 ゲオルグが昔言ってた。


「へー、そうなんだ」

「水牛を神聖視してて、絶対に食べちゃいけないんだけど、牛は水牛に似てるめでたい動物だから、逆に食べると徳が上がるとされてるんだって」

「……えっ、なにそれ。どういうこと? 嫌いでもないのに食べちゃいけないの?」


 そこからか。

 魔境には食のタブーみたいなものはないのだろうか。


「うん、そうなるかな」

「なにそれ、コワッ! じゃあ、その食べ物がもし大好物だったら損しちゃうじゃん!」


 それは確かに。


「まあそうだけどさ。極端な話、人肉だって食べられなくても残念ではないでしょ。そんな感じで、当人たちは残念とは思わないんじゃない?」

「あー、考えてみれば、そりゃそっか」

「肉は食べられないけど、代わりに水牛のチーズが名物らしくて、それがすごい美味しいんだって」

「チーズか。私、こっちに来て初めてチーズ食べたんだよ。一時期ハマってさ~」

「魔境にはチーズってないんだね。あっちの料理って、想像付かないな」

「料理はこっちのほうがずっと美味しいよ。向こうじゃ、魔獣肉ばっか食べてるからさ。香草で臭いを消すから、まあ、不味くはないんだけど……」


 あんま美味しくなさそう。


「魔獣肉って、魔狼(ヴァーグ)とか?」

「あははははっ、あんなの食べられたもんじゃないよ。三角犀(トライホーン)とかさ」

「ああ、あれか」


 三角犀(トライホーン)は、鼻先にサイのような角がある、小さなゾウくらいの大きさをした魔獣だ。鼻先の主角以外に、中くらいの角が二つ、両目の上についている。

 攻撃手段は突進だけだが、その突進は木造の建物なら簡単に貫通してしまえるほどの威力がある。小さな村くらいなら、建物を破壊しながら一直線に突き抜けてしまう。突進時には(まぶた)も鎧戸のように締まるので、ひとたび猪突猛進が始まったら氷をぶつけようが炎をぶつけようが止まらない。

 一度だけ狩ったことがあるが、そもそも魔獣を食べるという発想がなかったので食べようとは思わなかった。あれだったら食べごたえがありそうだ。

 そもそも、魔獣は魔族に反抗しないらしいので、狩るのも難しくないのだろう。


「あ、ついたよ。ここだね」


 ベレッタが指さした店は、二階建ての一階に居を構える広めの飲食店だった。

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