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竜亡き星のルシェ・ネル  作者: 不手折家
第三章 枢機の都、ヴァラデウム
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第056話 相貌区画


 ベレッタの襲撃事件から二週間が経ち、ガラスが割れた窓に板を打ち付けていた家々も復旧をはじめ、根こそぎ薙ぎ払われた木々も生きているものはレンガの容器に戻され、都市は元の姿を取り戻しつつあった。


「ごめんね、ルシェ。結局、お金まで払ってもらっちゃって」

 隣を歩いていたベレッタが、ぽつりと言った。

「何度も言うけど、そんなこと気にしなくていいから。お金についてはどうとでもなるしさ。実際三日で片付いたんだし」

「でもさ……」


 めずらしく申し訳無さそうな顔をしている。


「そう思うなら、そのうち行動で払ってよ。お金で返してもらっても嬉しくないし」

「……うん。わかった」

「それに、ベレッタの論文、全然悪くなかったよ。すごく興味深かった」


 だけど、おれの論文と一緒に出してしまったのがまずかった。

 ベレッタの論文は、こちらの魔術大系とはかなり違う新しい技術を紹介するものだった。そういうものは、他にわかりやすい研究対象がある時には優先度が低くなってしまう。

 しかし、おれが出した論文が遊び尽くされたあとには、やはり注目されるだろう。


「嬉しいなー。そういってもらえると」


 ベレッタは嬉しそうに顔をにやにやさせている。


「あそこが霊魂学部だよ。学長は個性的なおば――じゃなかった、女性だから気をつけてね」

「うん。私、あんまりおばさん受け良くないからさ、喋んないでおくよ」

 おばさんって言っちゃった。

「その”お”から始まるワードは建物に入ったら禁句ね」

「あ、そりゃそうか。ほんとに黙っといたほうがいいかもね」


 ……うん、これは黙っといたほうがいいかもしれない。

 おれは霊魂学部の学部棟に入ると、入り口のお姉さんにアポイントメントを確認して、二階に上がっていった。

 ヘルミーネの研究室に入ると、整理された机の奥で茶を喫している。休憩中のようだ。


「ぼうやかい。色々、ご活躍のようだねえ」

「ええ、まあ」

「そっちの連れは……エレミアの小僧が招き入れたという魔族の娘っ子か」


 やはり、ヘルミーナくらいになると一発で看破されてしまうか。

 ベレッタの見た目は、普通に見ると異国人ならありえるのかな? という感じの肌色と髪色だが、能力のある人が少し疑って見れば、すぐに風変わりな魔力の性質に気づく。


「ええまあ。ちょっと共同研究をしていまして。それ関係で少し助言をいただけないかと」

「霊魂学についての論文は出さないのかと思ったら、今やってるとこかい」


 まったく違うが、口に出さないでおいたほうがいいだろう。


「まあ、そんなところです。今は自我霊体に空きを作る研究をしていまして。ちょっと滞っているんです」

「空き? 霊体を削って、なんにも役割のない隙間を作るってことかい?」

「そうです。とはいっても、やるのは自分ですから、人格は可能な限り……というか、できれば完全に温存したいと思っているのですが」

「素人が遊びでそんなことをするのは、お勧めできないね。一体なにをするつもりなんだい?」


 これに対する答えはあらかじめ考えてあった。


「そこに術式を刻み込んでおいて、いつでも使えるようにするんです。要は入れ墨のような形で、付呪具を体内に宿すと考えればわかりやすいかもしれません。それなら、危急の際に術が失敗するということも原理上ありえないでしょう」

「あー……そりゃ、そうかもねえ。新しいアイデアだ。人格がきちんと温存できればの話だがね」

「確実に温存できる方法を考えついたら、大いに広まる可能性を秘めた技術だと思いませんか」

「それはそうだ。まあ、目の付け所はいいね」

「それで、人格を綺麗に温存するとしたら、どこを削ればいいんでしょう。できればどこも削らず、弾力性のある部分を押しのけてスペースを作るような形にしたいんですが」


 なんだかんだいって、自我の一部を構成しているなにかを削るのは怖かった。それは、なにかしら自分が自分でなくなるということだ。


「悪いことはいわない。それはやめておきな」


 と、ヘルミーネは険しい顔をして言った。


「……なぜです?」

「素人考えでは押しのけたほうが障害が少ないように感じられるんだろうが、無理に押しのけて隙間を作るということは、その周囲に圧力をかけて歪ませるということだ。周辺部分にはどうしても機能障害が現れるし、全体の圧力も高まる。削れば一部で済んだ障害が、逆に全体化してしまうおそれがあるよ」


 そこまで言うと、ヘルミーネは少し考えるように口ごもり、煙管に草を詰めて煙を呑んだ。

 思考を整理するように二吸いして吐き出すと、


「――感情野には問題が起こらないかもしれないが、記憶野のほうが問題だね。少しでも歪むと、新たに入った記憶がなじまなくなる可能性がある。その若さで健忘症になりたくないなら、やめておいたほうがいい」

「分かりました。では、削るとしたらどこを?」


 おれがそう訊くと、ヘルミーネは首を振った。


「ここからは有料だよ。なんでも無料(ただ)では教えてやれないね」

「あ、そうですか。もちろん支払います。おいくらですか?」


 と、おれが前のめりに値段を訊くと、ヘルミーネは黙ったまま答えず、煙草の煙をくゆらせた。


「あたしゃ学生の頃、屍操術(ネクロマンシー)に興味があってね。わざわざミールーンまで行って、かなり調べたんだ」

「……そうですか」

 そうくるか。

「そこでだんまりを決め込んでいる娘っ子は、屍操族(しそうぞく)ってやつじゃないのかい。教える交換に一つ、頭を覗かせてもらいたいんだけどね」


 頭を覗く……。


「そういうことなら、この話はこれでおしまいですね。それでは、失礼します」

 慇懃に頭を下げて、おれは踵を返した。

「待って、ルシェ」


 部屋を出ていこうとするおれの手を、ベレッタが掴んだ。


「いいですよ。覗くだけなら」

「ベレッタ」


 おれはかなり強い口調で、咎めるように言った。


「そういうのは要らないから。はっきりいって、なんにも嬉しくないよ」

「違うよ」

「なにが違うんだ」


 そういう自己犠牲はまったく求めていない。そもそも、ヘルミーネの助言が役に立つとも限らない。条件としてまったく釣り合っていない。

 しかしベレッタは、ヘルミーネのほうを向き、


「元々、私のほうも相談したい話があったんです。それに乗ってくれるの込みなら、ちょっと見せるくらいならいいですよ」

「なんだい? 相談ってのは」

「私が持ってる、やっかいな性質のことです。もちろん、秘密厳守でね」


 と、ベレッタは口元で指を立てながら言った。

 ああ、それのことか。ベレッタは、自分の厄介な族性(ぞくせい)霊侵術(サイコマンシー)でどうにかできるのではないか、と考えているのだ。

 可能性としてはどうなんだろう。そもそも、おれは霊能がないせいで、霊侵して原因を確認することはできない。なので原理的に分かりようがない。


「ベレッタ。でもさ、洗脳されたら」

「大丈夫だよ。侵入腕が這入(はい)ってきたら一発で分かるくらいの腕はあるし。洗脳してくるようなら攻撃するから」


 ――まあ、ベレッタは攻撃を躊躇しないだろうし、いくら年の功があったとしても霊魂学が専門のヘルミーネが戦闘で勝てるとも思えない。その点は安全か。

 ベレッタが侵入されて人形になってしまう危険がないと分かると、少しほっとした気分になった。


「大した自信だねえ」

「ええまあ。実のところ、この間の爆発を起こしたのは私なので」


 突然のカミングアウトだ。


「ちなみに、その私を倒したのはルシェくんでーす」


 と、ベレッタはおれの両肩を握って後ろに回った。

 まあ、べつに賠償の形式上ああやって穏便に済ませただけで、秘密としては大したものではないから、露見しても構わない性質の話ではあるのだが。

 ベレッタからしてみれば、最初からそのあたりの秘密はぶちまけてしまって、腹を割った相談事をしたいのかもしれない。


「――ふうん、そうかい。まあ、質問にしても興味深い話を聞けそうではある。私は構わないよ」


 ヘルミーネは認める構えだ。


「なら、覚書(おぼえがき)を書いてください」とおれは言った。「侵入腕を使い洗脳を試みた場合、抵抗する権利を認める。その際に殺されてもあらゆる責任を負わない、と」

「そこまでするのかい。面倒だねえ」

「ベレッタは、殺人に対してほとんど心理的な抵抗がありません。本当に殺してしまう可能性がありますから、そうでもしないと安心して預けられないんです」


 それもちょっと違う気がするが、そのくらい脅しておいたほうがいいだろう。


「まあ、構わないよ。ぼうやは我々に偏見があるようだが、洗脳する気は本当にないからね」


 ヘルミーネは机の引き出しから一枚用紙を取ると、さらさらと覚書を書きつけ、サインの端に被るように判を捺した。


「はいよ。これでいいかい」


 机の上に投げ出されたそれを読むと、年の功なのか、今作ったにしては綺麗に形式が整っていた。達筆すぎて少し読みにくい。

 ベレッタはそれを読むと、自分もサインをした。


「これで契約せーりつですね。じゃ、ルシェの疑問に答えてやってください」

 ああ、そうだった。

「前払いかい? まあ、構わないがね……」


 長話をして疲れたのか、ヘルミーネはまた煙草を吸って、一息ついてから話し始めた。


「あくまで私だったらの話だが……記憶野の相貌(そうぼう)区画を削るね」

「相貌区画? たしか……顔の?」

「ああ。他人の顔を記憶している区画だ」


 とんとん、と煙管を灰皿に叩き、灰を落とした。


「記憶野は下手に荒らすと人格が混乱するが、相貌区画は影響が小さい。完全に独立しているし、消去しても顔を思い出せなくなるだけだ。社会生活上、大きな問題も起きない。別に、顔なんて忘れちまっても誰ですかと聞いて、また覚え直せばいいだけの話だろう?」


 なんとまあ、言われてみれば確かに……うってつけの性質を備えている。


「ただし、相貌区画は記憶野全域からしてみれば、ほんのわずかな領域にすぎない。ぼうやの求める術式を刻むのに十分かは分からないね。言うまでもないが、全部削ったら大変なことになるから……まあ、半分くらいに収めておくべきだろう」


 全部削ると、いわゆる相貌失認と同じ症状になるのだろう。さすがに、他人の顔をまったく覚えられなくなるのは困る。

 ……しかし、一つ問題がある。


「セプリグスの著書では、たしか、あそこは記憶を選別できない特殊区画だと書いてあったような……」

「そうだよ。最近の用語で言うところの、モザイク結晶質様(けっしょうしつよう)記憶だね。てんでバラバラに収められていて、ひび割れた鏡が詰まってるみたいになっているから、特定の記憶を参照することが極めて難しい」

 そう言いながら、ヘルミーネは煙管にふたたび草を詰めた。

「ここは、心的外傷(トラウマ)を治療する際に消去すると具合がいいんだよ。心の傷を負わせた相手の顔をまっさらに忘れてしまうからね。だけど、特定の誰かさんの顔だけを選んで消すことはできないから、ぜんぶ丸ごと消去するんだ。しかし、領域ごと削る場合はどうだろうねえ。そんなことをやった者がいないから分からないが、顔の記憶全部が意味消失する可能性もある」

「……そうですか」

「あの施術は何人もやったが、社会生活に大きな問題が起こった例はないよ。頭が悪くなったりもしない。そこは保証してやってもいい」


 問題はあるのだ。死人にはもう会えないのだから。

 顔を忘れてしまったら、それまでだ。


「ありがとうございます。助かりました」


 どうしよう。

 

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― 新着の感想 ―
「私が持ってる、やっかいな性質のことです。もちろん、秘密厳守でね」 一周目読んだ際は、種族の殺したくなる衝動だと思ったんですが、魔王に支配される方だったりする?それとも両方?不穏すぎる。
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