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竜亡き星のルシェ・ネル  作者: 不手折家
第三章 枢機の都、ヴァラデウム
55/79

第055話 論文執筆


 翌日、


「口述筆記……ですか?」


 おれの提案に、キェルさんは少し不思議そうな顔をした。


「ええ。以前に代筆がどうとか言っていましたが、キェルさんは速記はできますか?」

「もちろん、できますよ。書記の資格も持っていますから」

「なら、論文の代筆をお願いしていいですか?」

「代筆……って、ゴーストライターのように私が論文を書くって話ではないですよね? 普通、代筆というのは読み書きのできない人や、目が見えない人の代わりに書くものですが」


 それは百も承知なのだが……。


「口で言っていったほうが早いし、キェルさんのほうが字が綺麗なので。もし迷惑だったら自分で書きますが」

 手で書くのだと、どうしても時間がかかってしまう。字を丁寧にしようと思うと更に時間がかかるし、口で言ったほうが倍以上早い。

「いえ、収入になるので、それは嬉しいのですが……まあ、いいでしょう。とにかく、一日やってみましょうか」

 話が早くて助かった。


 ◇ ◇ ◇


「――つまりティサロピアの神秘学派が示した天啓論理は、以下のように解呪(デコード)することができる」


 おれがそこまで言って言葉を止め、別紙に術式を書きはじめると、キェルは線虫がのたくったような形をした速記をやめ、空いた時間を清書をする作業に使い始めた。


「できました。挟んでください」

「はい」


 紙を差し出すと、それを速記で書いた紙の後ろにはさみ、新たな紙をもってきて速記の用意をする。


「この式から、天啓論理の欠陥を浮き彫りにすることができる。その欠陥とは、式には本来組み込んでおくべき欠落が存在するということであり、それは式Ⅱで示したところの、魔力が流体としてふるまったときの変化量である。この欠落が及ぼす影響は静的な魔力場では微小であるため、いわゆる天啓のいたずらとして実測値に生じるわずかな誤差として許容されてきた。しかし極めて大きな変化量を持った場、たとえば数多くの魔術が飛び交う戦場のような混沌とした場では、その変化量は無視できないものとなる」

 そこまで言ったところで、おれは一度水を飲んで思考を整理した。

「改行。つまり、天啓論理を基底観念に採用した魔術は、総じて場の状態の変化に対して繊細であり、特に戦闘の局面では使用が不可能になることさえあるということだ。そのような状況は術者の精神に動揺をもたらすのが常であり、術式が破綻をきたした場合でも、原因を術者の心理的要素に求めることができたため、現在に至るまで問題が表面化してこなかった。しかし、その実態は上述した通りである。改行。最後に、この拙論を読んでおられる読者が容易に検証実験をできるよう、魔力場の変化を効率的に起こすモデル術式を以下に載せておく。正常に機能した場合、基底観念に天啓論理を採用した魔術は全て、発動から三十五秒以内に破綻をきたし動作を停止するはずである」


 そう言って、術式を書き終わったときには、キェルの清書も終わっていた。

 これで三本目の論文ができた。


「――ふぅ、すみません、疲れたので少し休憩させてください」

「そうですね。おれも少し疲れました」


 ほぼ喋っていただけとはいえ、さすがに三本ぶっ続けでやると疲労を感じる。

 とはいえ、一日で三本も終わるとは思っていなかった。一人だったら半分しか終わっていなかっただろう。


「あ、そろそろ終業時刻ですね」

 キェルは、壁にかけてある時計を見て言った。もうそんなに時間が経っていたのか。

「なら、今日は終わりにしましょう。あとはこちらで謝辞を書いて発表しておきます」

 おれは論文を集めると、トントン、と揃えた。

「……私の自意識過剰だったらいいんですが、謝辞に私の名前は載せないでくださいね」

「えっ」


 普通に載せるつもりだったのだが。

 別に書いて損するわけでもないし。


「それは一体、なんでですか?」

「代筆なんて書いたら、どんな捉え方をされるかわからないじゃないですか。私が考えたわけでもないのに」

 ああ、そういうこと。

 別に嘘ではないんだし、勝手に勘違いさせて名を売っとくのもいいと思うけどな。

「なら……執筆協力とかならどうですか? これなら誤解されようがないと思いますが」

 おれがそう言うと、キェルは不思議そうに首を傾げた。


「ルシェさんは、なんでそんな親切をしてくれるんですか?」


 親切……?

 そんなに親切だっただろうか。


「もしかして、迷惑でしたか? こちらとしては、俗な言い方で申し訳ありませんが、割のいい仕事を提供しているつもりだったのですが……」

「いえ、迷惑ではありませんし、大変助かっています。お陰でバイトを減らすこともできそうですし。でも、なにか意図があるのかなと」


 意図……?

 もしかして、下心的な?


「今日の作業だって、別にお一人でも執筆できたわけじゃないですか……それなのに私に声をかけてくださったのは、なにか理由があるんでしょうか?」

「理由はありますよ。キェルさんの字が綺麗なのは知っていましたし、一人で急いでやったら走り書きになるから、他人に見せるのは恥ずかしいですから」

「本当に、他に理由はないんですね?」


 キェルはなにが知りたいのだろう……。


「ありませんよ。強いて言うなら、キェルさんの有能さを評価していたのが、仕事を頼んだ理由です。能力もわからない、自己紹介から始めなければならない人に依頼するより、気心の知れた有能な人と仕事をしたいと思うのは、自然なことだと思いますが」


 なんというか、自由な時に臨時雇いできる秘書とか助手みたいなものだ。それで時間を節約できるなら、使わない理由がない。


「そうですか。なら、安心しました」

「なにがご懸念だったのかよく分かりませんが、じゃあ、執筆協力者として謝辞に名前を載せさせていただいて構いませんか?」

「はい。よろしくお願いします」


 キェルはほころぶような笑顔で小さくお辞儀をした。


 ◇ ◇ ◇


 その三日後、おれはまたエレミアに呼び出されていた。


「査読が終わったぞ」

「そうですか」


 査読とかあったんだ。知らなかった。


「レン魔導環の欠陥の指摘と改良型の提案、外宇宙魔力波の出力と発信者についての考察、天啓論理の欠落項と天啓のいたずらの正体、神秘性に頼らないロジカルな新式基底観念の提案、実戦闘に向いた魔術の考え方と三つの術例……提出された五つの論文のうち、三つで査読にケチが付いた。だが、俺が黙らせておいた。質問をしてみたら、査読者の理解力のほうに問題があるようだったからな」

「それは助かります」


 どれにケチがついたかは見当がつく、間の三つの論文だ。一つ目と五つ目については、慣習的に使われ続けている現行の技術を改善する内容だからケチのつけようがない。


「四つめについては未だに誰も正確な理解ができていない。実証まで考えると一年近くかかるかもしれん」

「ああ、あれを書くのは丸一日かかりましたからね。開発にも一ヶ月かかったし、自分で言うのもなんですが、一番まともな論文、というか本だと思いますよ」


 話しはじめたら興が乗って無駄に一日かけてしまった。

 そのせいで結局、一日で三つ、一つ、一つ、で五本出すのに三日もかかってしまったのだ。もう少し簡単なテーマにすれば、二日で終わらせられたかもしれない。


「分野は付呪学、天文魔導学、あとは現象学の基底研究科と戦技科か。綺麗に分けたものだな。わざとやったのか?」

「ええ。現象学をメインにバラバラにしたほうが稼げると思って。賠償の金額はこれで間に合いそうですか?」

「ああ。そもそも、この都市であの爆発を知らんという奴は一人もいない。あんな爆発を起こせるほどの術師が直後に論文を出すんだ。内容はどうあれ、興味を惹かないわけがないだろ。だから査読をつけたんだ」


 そういうことだったのか。

 そもそも査読というのは、論文を掲載する学術誌などが、掲載した論文が嘘まみれだったら雑誌の信用がなくなるので、信頼性を担保するために行うものだ。べつに査読を通過していない論文はたくさんあるし、この都市においては必ず真実でなければ論文を発表できないという文化もない。

 あんまりいい加減なことをしていたら、研究者が自身の信頼を失って誰からも相手にされなくなるというだけのことだ。


「まあ、それならよかったです。ともかく、これで一件落着ですね」

「ああ……内容からいって、各分野の研究者は明日から大混乱だろうがな」

「好きにオモチャにしてくださって結構です。おれは責任を果たすためにやっただけですから」


 おれがそう言うと、エレミアは机上に広げてある論文に目を落とした。


「――この論文は、先に私が引き起こした事件の責任を取るために執筆したものです。術式の暴発によって自らの住居を壊され不便を強いられた数々の人々、そしてなにより、ご自身のお体に傷を負われた方々に対し、この場を借りて心からの謝罪をさせていただきます……か。意外と、処世術も心得ているんだな」

「まあ、書くだけなら無料ですしね」


 おれがやったわけではないので罪悪感はないが、ポーズは必要だ。そういう立ち振る舞いの大事さは、イーリからよく学んだ。


「本来なら、こういう評判になりそうな論文の著者は質疑応答会を開催するものだが、それも嫌なんだな」

「勘弁してください。おれがここにいるのは、イーリの治療法を探すためであって、学者として立身出世するためではありません。あまり時間を取られたくないのです」


 イーリは今すぐにでも死んでしまうという状況にはないが、どういう治療法を見出すにせよ、症状からいって早ければ早いほどいいのは自明のことだ。

 既に一日余計に無駄にして、今この時間も無駄にしている。しかも、役に立つのかどうかわからないような本を読むという行為のためにだ。

 こんなことさっさと終わらせて、この都市から立ち去りたい。


「なら、もう行っていいぞ」

「はい。では、失礼します」


 おれがぺこりと頭を下げると、


「――しかし、影響を受けたものたちは、お前を放っておこうとは思わないだろう。気をつけろ」


 と、エレミアは最後に警句のような言葉を放った。


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― 新着の感想 ―
[一言] 魔術を習いながら教科書のここなんかおかしくない?とか考察しつづけたんだろうな。 大体は自分が理解できずに間違ってるけど、たまに本当に教科書が間違ってる場合も。 戦闘時に魔術が崩壊する可能性な…
[一言] かっけぇ。溢れる知性で返り討ちにしてやれ。
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