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竜亡き星のルシェ・ネル  作者: 不手折家
第三章 枢機の都、ヴァラデウム
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第047話 反響定位

 夜帳(とばり)書庫に入る前に、おれはベレッタに言った。


「ベレッタ、ここに来るのは初めて?」

「いや? 何度か来たことあるよ。気になった本を読みに」


 へー。一応、なにも勉強せずに大したことないとか言ってるわけではないのか。


「ついてくるなら、入ったら一言も口を利かないで欲しい」

「黙ってろってこと? 外で待ってよっか?」

「いや、それは全然、かまわない」


 むしろついてきてくれたほうが助かる。


「ふーん。まあいいけど」

「もう一度確認するけど、喋らないでね。できれば足音もなるべく立てないでほしい」

「も~、分かってるって」


 おれは夜帳(とばり)書庫の重厚な木のドアを開けた。

 いつものお姉さんが座っている。


「こんにちは。論文を再読させて頂きたいんですが」

「あら、ルシェさんが再読を希望するのは初めてですね。もちろん、構いませんよ」


 論文は、一度研究点を支払えば、実に半年もの間自由に読み直すことができる。

 書庫の司書さん方にとっては面倒くさいことこの上ない作業なのだろうが、一度読んだ内容を完全に覚えてられる人は少ないし、かといって忘れないよう大量のメモ書きをされるのもそれはそれで問題ということで、半年というのは妥協点なのだろう。


「どの本ですか?」

「前々回読んだ、セプリグス・サイゼンタの”貪食性霊素の性質についての考察”をお願いします」

「はい。かしこまりました」


 お姉さんは例のパンチングマシンでメモ用紙に穴を開けて、持っていった。

 はて……?


 ベレッタのほうを見ると、褐色の肌にクリーム色の髪の毛をしている。服は暗色だ。

 ドアの色も黒っぽいので、同化して気づかなかったのかもしれない。人間は、ヒトの形をしたシルエットには注意がいくようにできていても、微妙な色合いの髪の毛だけが浮いていても注意は向きづらい。


 あのお姉さんは、眼鏡をしていても遠くはほとんど見えていない。ここに来たときも、こちらから声をかけないとしばらく黙っている。

 声色で誰が来たのか判断するために、声をかけられるのを待っているのだ。


 おれはベレッタを無言でぐいぐいと押して、白い大理石の壁が後ろに来るよう、すこし横にずらした。

 ベレッタは、なになに、とでもいいたげな、なんだか楽しそうな顔をしているが、口には出さず大人しく横にずれた。


「はい、手配しました。しばらくお待ち下さいね」


 戻ってきたお姉さんはそう言いながら椅子に座り、こちらを見てニコッと微笑んだ。

 そして、視線を戻しながら、幽霊でも見たかのように、ドアの横にいるベレッタを二度見した。


 慌ててポケットから何かを取り出すと、カツッ、と小さな硬質な音が聞こえた。


「……そこにいるのは誰ですか?」

「ああ、おれの同行人です」


 と、おれはベレッタと目を合わせ、頷きながら言う。


「どぉも~♪」

「……あなたでしたか。ルシェさん、同行人がいるときは言葉で言っていただけると助かります。知っての通り、私は弱視ですので」


 そう言われると申し訳ない気分になる。すまないことをしてしまった。


「すみません。すっかり忘れていました。今後は気をつけます」


 おれは口だけの謝罪をして、頭を下げた。



 ◇ ◇ ◇



「へ~、あの道具を見るための小芝居だったんだ」

「うん、そう」


 道具を見るためというより、音波の性質というか、周波数を知りたかったのだが。

 てっきり音波も魔術で出すものかと思っていたのだが、道具を使っていた。案内される際にちょろっとカウンターを覗いたら、先が二股に枝分かれした金属の道具が置いてあった。

 つまり、音叉(おんさ)だ。

 おれが知っている音叉と違い、肉厚が分厚くなっていて、フォークになっている部分が短かった。道具として使いづらそうな形をしていたが、物理的な性質上仕方がない仕様なのだろう。

 フォークの部分が長いと音は低くなってしまうはずなので、可聴域以上の超音波を出そうと思えば、短く分厚くせざるをえない。


「あの人たち、あんな方法を目の代わりにしてたんだね~。ちょっと感心しちゃった」


 へえ、あれで仕組みに気づいたのか。

 なかなかやるじゃん。


「悪いけど、もう相手できないよ。これからアレを習得しなきゃだから」


 おそらく書庫の奥は真の暗闇になっているから、どうしてもあれを習得しなければならない。

 全員が目が見えないのであれば、じゃあ普通に光を放って歩けばいいじゃん。という話になるのだけれど、目の病気というのはそう単純なものではない。完全に視野が真っ暗という人はむしろ少なく、明るい、暗いくらいの感覚は残るほうが多数派と聞いたことがある。

 光を放って歩いていたら、おいお前誰だ、となってしまう。それこそ、泥棒が銅鑼(どら)を叩きながら忍び込んでいるのと同じだ。


 大事な禁書を書庫に預けているのには、おそらく相応の理由がある。

 実際、人間に本来存在しない感覚をごまかさなければならないわけで、音を消したり透明になったり鍵破りをするだけで忍び込める、普通の厳重警備の施設よりよほど厄介だ。


「さっきのを覚えるの? なんで? 目が見えてるなら、習得する意味なんてないと思うけど」

「なんだっていいじゃん。とにかく覚える必要があるの」


 まさか、これから犯罪行為をするために覚えるんだとは言えない。


「でも、あれって感覚的なアレだから……たぶん物凄く時間がかかるでしょ? 数ヶ月程度じゃ無理だと思うよ?」

「そこは簡略化する。受信した超音波を視覚情報に変換(コンバート)して、視野に重ね合わせする。そしたら目で見てるのと同じになる」

「そんなの」


 ベレッタは、なぜかワクワクしたような笑みを浮かべた。


「すごく難しいじゃん」

「うん。難しいから相手できないの。それじゃ、また会ったらお話しよ」


 ばいばーい。と手を振って背を向けると、


「私もやる~♪」


 と、声をかけてきた。


「はあ?」


 なんでだよ。


「べつにいいでしょ? 面白そうなんだもん」

「面白くはないと思うけど」

「二人でやったらアイデアも出し合えるよ? 合理的じゃない?」


 うーん……。

 そもそも、おれはこういう場面で他人の知恵みたいなものに頼ったことがない。

 まあ、エレミアからも情報を引き出すよう言われたし、軍事転用するには難しすぎて利点の少ない魔術だから構わないが。


「まあいいけど。変なことしないでね」

「しないよ~。信用してってば」


 この子……なんだか無邪気で知的好奇心の強いだけの女の子に見えるんだけど、やっぱり信用できないな……。


 ◇ ◇ ◇


「今日はここまでにしよう。寒くなってきたし」


 おれは座っていた芝生から立ち上がり、草のついた尻を叩いた。


「そ~だね。もう真っ暗だよ」


 空を見ると、たしかに日が暮れてしまっていた。

 光を出して懐中電灯のように明るくする。


「途中で帰ってもよかったのに」

「私にしては頑張りすぎだけど、付き合うっていったしね」


 さすがにベレッタも疲れているのか、声に弾むような調子がなかった。

 しかし、予想に反して真面目についてきている。

 真っ昼間からぶっ続けで……えーっと、五、六時間は作業したことになるか。堪え性のない人だったら投げ出してしまう強行軍だ。

 意外なことに、あんまり喋りかけてきたりもしなかった。


「それで、どこまで進んだ?」

「視覚に変換(コンバート)する処理の途中まで」

「ほんと~? 私、跳ね返ってきた超音波を検知するとこで躓いてるんだけど。どういう方式でやることにしたの?」


 後追いなら、やってる途中に話しかけて方法を聞いたらよかったのに。

 彼女なりに勝負しているというか、競争のつもりなのかもしれない。


「首の周りの皮膚に、ぐるっと力場を張ることにした」

「首の周り? なんで? 耳のほうが感覚的に自然じゃない?」


 おれは勝手に歩き出した。お腹が減っている。どこかレストランに入って空腹をなんとかしたい。


「ね~、勝手に行かないでよ~」


 ベレッタは、こっちもまた勝手についてきた。


「耳でもいいけど、形が邪魔だよ」


 外耳、つまり頭から外に張り出した耳の部分は、一種の集音器の役割をしているが、ラッパの形はしておらず、後ろだけに広がっている。それは拾う音に差をつけ、前後を区別できるようにするためだ。

 反響測位でそれをすると、逆にちょっとややこしいことになる。


「首なら一回り一周、なにもついてないし、後ろからの反響もよく拾える」

「あー、そっか。でも、私にはついてるしなあ」


 なにをいってるんだこいつは。と思ってベレッタを少し照らしてみると、長い髪が背中までかかっていた。

 ああ、それか。


「まあ、多少は影響あるかもしれないけど、大丈夫でしょ。耳だと戦闘中に壊されたら、痛みで使えなくなるかもしれない」


 鼓膜は結構簡単に破れるし、その際は激痛が伴う。激痛に晒されている部位に新たに術を張るのは、無理ではないが失敗の危険性が高くなる。特に戦闘中は、空気の炸裂や真空で猛烈な気圧差に晒されることは多いわけで、わざわざリスクが高い設計にする必要がない。


「ああ、そーゆーの想定してるんだ」

「うん。ていうか、どうせなら、って感じかな」


 首なら斬られたらほぼ致命傷になるので、傷ついたら使うのが難しくなるのは一緒だが、戦闘の最後まで使い続けられる。

 戦闘中に使うことは想定していないけれども、忍び込むにしても後ろまできちんと見えるというのはいいことだ。どうせなら首にしておいたほうがいい。


「それで、コンバート? のほうはどうするの?」

「そっちはそんなに難しくないと思う。反響波を視覚情報の形式(フォーマット)に変換して、脳の視覚野に流してあげるだけだから」

「視覚野? に流せば見えるようになるの?」

「うん。たぶんね」


 これは脳インプラントの分野では既に確立されつつあった技術だ。脳の視覚野に小さなデバイスを入れて、視神経を通って視覚野に伝達される電気信号と似たような規格で電流を流してやる。そうすると、機械のレンズに写った映像を脳が視覚として認識できる。

 元々、視覚というのは網膜の奥にある視細胞が、光を神経信号に変換(コンバート)して、つまり電気信号を脳に送って見えているものだ。視神経がしている処理を、超音波に対してやるだけのことで、冷静に考えればできないわけがない。


「要は、自分の頭に幻覚を見せるみたいな話?」

「あ、まさにそう。頭いいじゃん」


 眼球という器官を使った視覚だけが正しく、それ以外からくる感覚をまやかしと定義するなら、幻覚という表現はまさにぴったりだろう。


「えへへっ……そうだよ。私、頭いいんだよ」

「うん。それじゃ、おれご飯食べに行くから。またね」


 おれは丁度差し掛かった道を左に曲がった。


「待ってよ~。ご飯くらい一緒に食べようよ~」


 ◇ ◇ ◇


 一緒に食事をしてから、家に来たいとか言いだしたのでそれを断り、翌日も一緒に修行に励んだ。


「おっかしーな」


 なんで見えないんだろう。きちんと出来ているはずなのに。

 目を開けると、色彩鮮やかなクリアな視界が飛び込んできた。


「悩んでるね~」

「うん。できてるはずなんだけど、なんで視覚に映ってこないんだろう……」

「私まだそこまでいってないから分かんない。ねえ、視野の形式(フォーマット)ってどうやって調べるの?」


 もうそこまで行ってるのか。

 本当に頭いいんだな。


「魔族とおれとじゃ違うかもしれないから、伝えられないよ。瞑想して調べればすぐ分かると思う。目を開けてる間中、ずっと頭の中を走ってる信号なんだから。瞑想しながら目を開けたり閉じたりしてみれば?」

「あー、それもそうだね」

「ほら」


 おれはポケットに畳んで入れてあったペラ紙を渡した。


「なにこれ? ……古本屋さんの特売情報?」

「白い紙を使ってて、インクは黒だけでしょ。それを見ながらやれば、信号がシンプルになるから解析しやすい」

「あ~、なるほどね。ありがと」


 ベレッタは紙を受け取ると、至近距離で見ながら目をパチパチしはじめた。

 おれも作業に戻ろう。


 ◇ ◇ ◇


 三時間後、


「おっかしーなぁ……なにが足りないんだろ」


 予定では今日中に仕上げて忍び込むつもりだったのに。

 これで駄目なら一日半も時間を無駄にしたことになる。


「私、そろそろできそうなんだけど」


 停滞してるうちに、ついにベレッタに追いつかれてしまった。


「今日はもうやめない? 朝からずっとじゃん。お昼もパンだけだったしさ……」

 ベレッタはさすがに疲れた様子を見せている。

「……そうしようか」


 今日一日、ほとんど進まなかった。ずーっと、故障した機械を点検して、右往左往したあげく故障箇所も結局わかんなかった感じだ。

 そういう作業は、進歩している充実感を伴わず、ひどく重苦しい徒労感だけが精神に積もっていく。昨日以上に疲れていた。


「空も暗くなってきちゃってる」

「うん。まだ真っ暗じゃないけどね」

「もう月が出てるね。今日は満月かあ」


 ベレッタの視線の先を見るともなく見た。

 雲が夕焼けに照らされて紅くなっている。その上に、夜空に君臨する女王のような存在感を放ちつつ、どこも欠けることのない満月が浮かんでいた。

 昼が終わり、夜が来る。その交代劇の幕間のような風景だった。明暗が織りなすコントラストが美しい。

 光と闇――。


「――あっ!」


 そのとき、頭の中を閃光のような気付きが走り抜けた。


「明暗だ」

「めいあん?」

「明るい、暗いのこと。音には明暗なんてないから、像だけ映しても意味がないんだ」


 おれはなんて馬鹿なんだ!


 映像はずっと映っていた。ただ、見えていなかっただけだ。真っ暗な暗室の中で本を読んでいたようなものだ。

 ずっと目の前にあったのに、暗いことに気づいていなかった。


「あー、そこで詰まってたんだ。たしかに、盲点かもしんない」

「うん……いやー、馬鹿だなー」

「いやいや、ルシェはすごく頭がいいよ。ほら、ご飯いこ」

「えっ、ちょっと……」


 気づいたからには続きをやってしまいたかった。


「お腹空いてるから駄目。手を引いてあげるからさ、考えながら歩けばいいじゃん」

「それならいいけど」


 おれはベレッタと手を繋ぎ、引かれながら歩いていった。

 気づけば簡単なことだ。ものの五分もしないうちに改良が終わり、ダイヤルをひねるように明暗の属性を付与することができた。


「うあっ!!」


 最初の超音波を感知した瞬間、びっくりして足が止まってしまった。

 ゆるく繋がれていた手が、ちぎれるように離れる。


「どうしたの?」

「うわー、やっちゃった。気持ち悪い」

「なになに? できたの?」


 できたにはできたが……。


「視野が全部の方向にある感じ。目とぜんぜん違う」

「へえ! 面白そう」

「面白くないよ。絶対、力場は喉の前で絞ったところから始めた方がいい。下手すると脳機能に障害がでるかも」


 情報の塊でできた棍棒で、脳みそをぶん殴られた感じだ。

 目が頭の周りに何個もついていて全周囲を視ているような、まったく異質な感覚で、視えるはずのない背後の景色まではっきりと視えた。

 あまりモノがない開けた野外だったのが功を奏した。もし室内でやっていたら、天井まで見えていただろう。そしたら昏倒していたかもしれない。


「へー、早くやってみたいな!」

「ベレッタなら、明日にはできるようになるよ」


 おれは繋いでいた手を離して、自分で歩き始めた。

 目を瞑って、受信力場を喉の前にちょこっとだけ線のように展開すると、目とほぼ変わらない視野に狭めることができた。


 いい感じだ。白黒の世界が三次元の立体図形のように見える。

 あらゆるものがシームレスに動いていく視覚とは違い、超音波を放った回数しか更新されないので、リフレッシュレートが極端に低い。そのため、カクカクとしたコマ送りのような映像になる。

 だが、歩くのに支障があるほどではなかった。


「そうだといいな~。できなかったことができるようになるって、私、楽しいんだ~♪ なにに使うってわけじゃなくてもさ」

「それ、わかる」

「だよね~♪ わかってくれると思った」


 ベレッタは本当に嬉しそうに笑っている。


「おれは、どっちかっていうと理解できるのが楽しい。世界のことを理解して、実証して自分の中でしっかりと納得できると、この世界の仕組みと自分が溶け合っていく感じがする」

「あー、そっちか~。それもあるよね~」


 うんうんと頷いている。

 ノリが軽いな。結構勇気を出して言ったのに。


「まあ、今日はご飯食べたら解散ね。やることがあるからさ」


 おれはそう言って、作戦を考えながら歩き続けた。

いつもお読みいただきありがとうございます!

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― 新着の感想 ―
[良い点] 研究の過程が楽しいなあ。 ジャンプ等の漫画だと修行シーンは嫌われると言いますが、こういう試行錯誤の過程は実にわくわくします
[良い点] ルシェの感覚について来れそうないいキャラ出てきた。 "結構勇気を出して言ったのに"のところでおぉってなった。 [一言] GW終わり際が一番憂鬱でしたね… 更新楽しみに待ってます!
[一言] これは強くなる(確信)
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