第046話 ベレッタ・ロックハート
エレミアの「閉じ込めている」という表現で確信した。禁書は夜帳書庫にある。
考えてみれば、そんな禁書を学部長や学長に管理させるわけがない。
研究者の好奇心は、必ずその本を開くのだから。
エレミアも建前では大人ぶったことを言っているが、本音では読みたいに決まっている。面倒くさい手続きがなければ、良心と道徳だけで本を開かないなんてことはあるはずがない。そんな人間は教師としては適正かもしれないが、研究者としては二流だ。
「それでは、失礼します」
「ちょっと待て。お前を呼んだ用事が終わっていない」
「え、掃除の件じゃなかったんですか?」
おれがそう言うと、エレミアは心外そうな顔をした。
「そんな用事で呼び出すわけがないだろうが。あれは次に会った時に聞こうと思っていただけだ」
「そうなんですか。じゃあ、用件は?」
「お前に一人学生を預けたい」
……はあ?
「意味が分かりません。おれはやることがあってこの都市にいます。時間の無駄遣いをするつもりはありません」
「魔族なんだよ」
魔族?
そういえば……。
「魔族がこちら側に来るのは、ここ百年ほどなかったことだ。そもそも、魔族は人間に対して本能的な敵愾心を持っているし、知能が低い種族はこちら側で暮らすという発想自体がない。しかし、たまに本能が希薄なのが生まれるらしい。その上で、あちらの領域で暮らせなくなるような事情があると、こっちにやってくるのがいる」
「ふーん、そうなんですか」
「その中で、更に魔術を使えるとなるとかなり希少だ。向こう側の魔術体系は独特で、こちらとしては学ぶことが多い。百二十年前の魔族は大した魔術は使えなかったからな。今回は大チャンスなわけだ」
「それが?」
おれには関係ない。
「向こうの魔術大系を学べば、お前の目的にも何か得るものがあるかもしれないと思ってな。こちらで不可能でも、向こうでまでそうとは限らんだろう」
「まあ、それはそうかもしれませんが……しかし、なぜおれを?」
いやに親切だな。
「スパイかもしれんからだ。こちらの技術を盗まれて、すぐに次の戦争で使われたらつまらんだろ」
まあ、そりゃそうか。
「魔族はイーリの敵だ。お前はイーリの損になることはしない。つまり、戦争で使えないような技術に限って教えつつ、向こうの技術を盗んでこいということだ。これは、かなりの目的意識がなければ難しいからな。お前なら適任だろう」
「……それで、相手は何を望んでいるんですか?」
「わからん。最初は基礎学校の講義を受けていたが、三回ほど聴講すると行かなくなった。それからは、金を対価に情報を小出しにしている」
「お金で済むなら話は早いじゃないですか。幾らでもくれてやればいい」
「それが、大富豪になれるほどの金を積むから知る限りを教えろといっても、首を縦に振らない。わずかばかりの生活費が欲しいだけらしい」
生活費だけとなると、大した額の出費にはならないだろう。得られる情報も少ない。
エレミアからしてみれば、未読の書物をどっさりと馬車に載せた商人がやってきて、馬車ごと買いたいとオファーしたのに、一日一冊しか売りません、それで生活するのに十分ですから、と言われたようなものだろう。
どうやっても商人から書物を吐き出させたいわけだ。
「それこそ、殺さずに捕らえて霊侵術で盗み取ればいいのでは?」
「一応、ヘルミーネに相談したが、高次概念は盗み取れんそうだ」
高次概念とは、付呪学では媒体素子と呼ばれる概念で、現状で素子に表せていない無形の感覚のことをいう。
素子に表せる概念を低次概念といって、全てを低次概念で構築された魔法は魔術とは呼ばなくなる。それは同時に付呪具化できることを意味し、特別な学習をしなくても道具として扱える魔法になるからだ。
一般に魔術と呼ばれるものには必ず高次概念が関わってくる。特に開発者がただ一人だけ使えて、他の術者に教えても誰も使えないといった類の魔術は、だいたいその人にしかわからない独自の世界観や、独特の感性が影響していることが多い。
自らの偉業を後世に遺そうと、一生懸命やり方を紙に書き残しても、媒体素子記号で表された高次概念部分を誰も再現できないというパターンだ。
それを盗み取れないとなると、リスクを背負って襲撃しても得るものがない。そこが一番美味しいところなのに。
「それに、今のところは協力的だからな。ある程度以上の力量の魔術師に対して、完全にバレずに霊侵するというのは不可能だし、やってみて関係を壊したら元も子もない」
「それでおれですか。お役に立てるかは分かりませんよ」
「とにかく一度会ってみろ。それくらいはいいだろ」
まあ、別に会って話すくらいはいいが……。
というか、たぶん既に会って話してはいるんだけど。
「はい。じゃあ、会わせてください」
◇ ◇ ◇
「どぉも~」
軽い調子で現れた女は、やはり究理塔の近くで出会ったあの娘だった。
「……どうも」
「前に会ったよね、やっぱりあの時の子だったんだぁ」
「会ったことがあるのか?」
エレミアは怪訝そうな目でおれを見た。
「ええまあ、究理塔の近くでばったり……やっぱりあの時の娘か。って感じです」
「そうか。まあ、仲良くしてやれ。粗相のないようにな」
粗相ってなんだ。
「ええ。それじゃ、失礼します」
おれは部屋を出た。
「ちょっとちょっと、待ってよー」
女は追いかけてきた。
◇ ◇ ◇
「どうしたの? なんか不機嫌っぽかったりする?」
女は研究棟を出るところまでついてきた。
気安い感じだ。ついてくるということは、興味があるんだろうか。
「不機嫌ではないですが、やることがあるんです」
「なにをやるの? 手伝おっか?」
「いいえ、夜帳書庫に行くだけですから。話なら歩きながらつきあいますよ」
おれは足を止めず、すたすたと歩いていく。
「ねえねえ、名前くらい教えてよ」
「ルシェと言います」
「私はねえ、ベレッタ」
ベレッタというらしい。
「そうですか。ベレッタさんは、なぜ故郷を離れてこの街に?」
「なんかぁ~、みんなそれ気にするよね~」
そりゃそうだろ。
としか言いようがない。スパイをしに来たのか、逃げてきたのか、まあ本当のところは言わないにしても、建前くらいは聞いておきたいところだ。
「でも、ひーみーつ♪」
「フーン……まあ、いいですけどね。そんなに興味ないし」
「キミはなんで?」
ここでイーリの話をしたら、なにか魔族の技術で解決してくれるだろうか?
やめておいたほうがいい気がした。そもそも、彼女にはおれに協力する義理がない。知っているフリをされて、なにか交換条件でも出されたら厄介だ。
「調べたいことがあって来たんです」
「じゃー、手伝ってあげよっか?」
「いや、その必要はないです。そもそも、おれは相当優秀なので自分でやれますから」
自分で言うのもなんだが、そんじょそこらの人に手伝ってもらっても嬉しくない。
キェルのように雑務を代行してくれるのは歓迎だけれど、研究の手伝いとなると説明するほうが手間だ。
「私だって優秀だよ~? 魔王様からは、天才って褒められたんだから」
魔王?
「えっ、魔王に会ったことが――」
と言いかけて、そりゃ会ったことがあっても不思議ではないか。と思い直した。
「魔王と話したことがあるんですか?」
「そりゃあるよー。私の魔術の先生だもん」
魔術の先生……そうなのか。
やばい。見る目変わっちゃう。
「すごいですね。どんな魔術を教わったんですか?」
「あ、そんな堅苦しくしなくても、タメ語でいーよ♪」
タメ語……。
ここしばらく、誰に対してもずっと敬語だったから口にしづらいな。
「どんな魔術を教わった……んだ?」
変な語尾になってしまった。
「あははっ、そーそー。まー魔術についてはひ・み・つ、だけどっ」
はあ?
「あーそう」
萎えた。
「ああっ、だめだめ。秘密じゃなくて交換ね? 私、こっちの魔術はレベル低くて飽きちゃってるんだ~」
レベルが低い?
「へー、そーなの」
「信じてないなぁ」
「うん。信じてない」
前にバラバラにしちゃった人たちも魔術使ってたけど、べつに驚天動地の大魔術をぽんぽん使ってきたわけじゃなかった。
魔族の連中が目に見えてこちら側よりレベルが高いなんてことはないと思う。
「じゃー、特別にいっこ見せてあげよっか」
見せてくれるのか。
「ふーん。見せて」
「はい」
ベレッタは、ぱっとおれの手を掴んで、おれが振り払う前にすぐに離した。
「……なにをした?」
なにかされたのか? まったく、その兆候は感じられなかった。霊体侵入をされた気配はない。
「ほら」
ベレッタは自分の口を指さしている。
なに?
「どう? なかなか凄いでしょ」
思わず立ち止まってしまった。
そう言ったベレッタの口が動いていなかったからだ。
腹話術?
いや、違う。そもそも、彼女のほうから声が聞こえてきている感じがなかった。
……テレパシー?
そんな超能力みたいな。
「なかなかすごい」
「どう?」
「どういう仕組み? 気になる」
頭の中で原理を考察してゆく。
といっても、魔術の中には術者でさえ原理がよく分かっていない、なぜか働くといった種類のものもあるので、必ずしも結論が出るとも限らないのだが……。
「仕組みはひ・み・つ♪」
「じゃあいいや」
萎えた。
できることさえ分かっていれば自分で考察するのも楽しいし、あえて聞かなくてもな。
おれはまた歩きだした。
「じゃなくて、そっちもなんか見せてよ~。私ばっかじゃ不公平でしょ?」
「それはたしかに」
しかし、軍事転用が可能そうな技術を教えるのは駄目だ。
この子もなんだか只者じゃない感が漂ってるし、絶対に再現が難しいものとなると……なにかな。
「じゃあ、手を繋いで」
「うん? いいよ~♪」
ベレッタはあっさりとおれの手を握った。
「どうする? 私の手を凍らせてみる? いっとくけど、自信あるよ」
不敵な表情でこちらを見てくる。凍らせようとしたら、熱の魔術を瞬間的に編んでやり返すという意味だろう。
おれは知らないが、そういう早業勝負のような文化があるのかもしれない。
「そんなくだらない真似するわけないでしょ。ちょっと集中するから、話しかけないで」
好都合なことに、辺りは人通りが少なかった。究理塔の周りに広がっている中央公園の広い通路だ。ここなら歩きながらでも集中できるだろう。
おれは集中を高め、複雑極まる術式を編んでいった。この場を操ることは、熱変換より、電磁場を操るより、物性変化より、ずっとむずかしい。
しばらく、おれは手を繋ぎながらとぼとぼと歩いていた。
ベレッタは歩幅を合わせながら、なにも言わず手を繋ぎつづけている。
そして魔術が発動した瞬間、地面を踏んだ足が普段より余計に体を持ち上げた。
軽い浮遊感が体を包み込み、一瞬で消滅する。
「うわっ!」
隣で歩いていたベレッタが大声を上げて、次の足を上手く出せずに転びそうになった。
おれが手を放すと、「とっとと」と言いながらたたらを踏んで、バランスを取った。
「なに? 今の」
「ひみつ」
久しぶりに本気の本気を出したせいか、思考のリソースをガリガリ使い切ったような軽い痛みが頭に残っていた。
やっぱり、持続させることはできなかった。火で言えば、火花を散らしたところで終わったようなものだ。
「風で体を持ち上げたんじゃないし……地面を捲りあげて足を押したのでもないよね?」
「うん。今のおれにできる一番すごいことをした」
初めてこれができた時は感動したものだ。
だが、現状ではなんの役にも立たない。理解できるはずもないから、見せるにはもってこいだろう。
「へぇ~。じゃあ、さっきの術と秘密の交換しよっか?」
「いや、いい。どうせちょっと考えたら分かるし」
「つれないなあ」
ベレッタは不敵な笑みを浮かべた。
おれはそれを無視して、また歩きだした。用事は他にある。
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(ベレッタの綴り:Beretta Rockheart)








