第045話 禁書
夜帳書庫を出て中央図書館に歩いてゆくと、道中で見覚えのある顔と出会った。
キェルだ。
「こんばんわ。さっそく書庫ですか?」
「ええ、まあ」
「どうでした? 収穫はありましたか?」
仕事とはいえ一日がかりで調べた身としては、やはり自分の仕事が役に立ったかどうか気になるのかもしれない。
「はい。ただ、これから読むべき書物を調べるために読んだ感じなので、やっと調べ物が始まったって感じですね」
「そうだったんですか。よろしかったら、またお手伝いさせてください。私の方にも手当が付きますので、頼んでいただけると嬉しいです」
歩合制の部分もあるのか。それなら頼みやすいな。
「じゃあ、これをお願いしていいですか?」
おれは先程メモしておいた用紙を差し出した。
「えっ、もうですか?」
「ええ。支払いについては心配しないでください……どうも、百点くらいならパッと使ってしまっても問題ないようなので、最大限請求してくださっても結構ですよ」
「そんなあこぎな真似はしませんが……大丈夫なんですか?」
「ええ。急いでいる研究なので、点数に糸目をつけていられないんです。なるべく早く取り組んでいただけると助かります」
「そうですか。なら、承りました」
キェルは紙を受け取った。
割の良い仕事ができるのが嬉しいのか、顔が綻んでいる。バイトしているくらいだから、懐事情は豊かではないのだろう。
「そういえば、今日読んだ論文に塗りつぶしてある箇所があったんですが、なにかご存知ありませんか?」
「塗りつぶし? 本が塗りつぶされていたんですか?」
「いえ、特定の語句だけ、きれいに検閲されてたんです」
「ああ、それは禁書ですね」
え?
「あっ、言っちゃった」
キェルは慌てて口を押さえた。
「禁書、ってなんですか?」
「私もよくは知りませんが、封印されているというか……誰にも読めない本みたいです。それこそ学長でも読むことができないとか」
「へえ、なるほど」
学長も読めない? じゃあ、誰が管理しているんだ。
夜帳書庫か?
「誰かに興味を持たれないように、それに関する記述は塗りつぶすようですね。禁書指定が起きる同時代の研究には、やはりそれに言及したものも現れるので、時代によってはそれほど珍しくはありません。ただ、禁書自体が数点しかないものなので、全体からすれば極々わずかですが」
「そうなんですか……なるほど。勉強になりました」
「それでは、今日はもう遅いので、失礼しますね。明日出勤したら、すぐに取り掛かりますので」
「お願いします」
キェルは小さく手を振って、背を向けて去っていった。
禁書……そんなものがあるのか。
じゃあ、ゲレド氏は禁書を読みたかったわけだ。
その禁書ってなんだ? セプリグスの著書だとは書いていなかったが……他にもあるのか。
しかし、中央図書館でさっそく資料探しをしようと思っていたのが、キェルに頼んだので必要なくなってしまった。
とりあえず、今日は帰って寝よう。
◇ ◇ ◇
それから一週間、おれは中央図書館と夜帳書庫を行き来して資料を読み漁った。
そこから導き出された結論は、やはりゲレド氏と同じものだった。
セプリグス・サイゼンタは、なるほどあらゆる方向から、様々な解決法を試みていた。現実に神と喩えられる腕前を持つだけあって、高度なレベルで実践もしたが、それでも結果には結びつかなかった。
セプリグスは、実際に論文を読んでいくと、たしかに天才としかいいようがない優秀な男だった。
不死業に対して本腰を入れて取り組むと決めたら、ありとあらゆる角度からアプローチを仕掛け、後半では増えていく霊体の疵を修復するための魔術を、施術前にあらかじめ習得させるというアイデアまで考えた。
これはおれが見ても、よく考えついたなと拍手したくなるようなアイデアで、要するに「霊体が傷つくことが解っているなら、それを修復できる魔術を事前に習得すればいい」というものだった。つまり、人力では無理のある修復を、高速自動化しようという試みだ。
セプリグスは、アイデア出しだけではなく、実際にその手段を開発した。これがまた天才的で、SFでいうところの医療用ナノマシンみたいな発想で、傷ついた部分を検知すると術式が自動的に修復してくれる仕組みになっている。
それによって、たとえば一秒に十個の疵を修復できるとするなら、初期の初期、一秒に五個しか疵が生まれない状況に対してであれば、損傷は永久にゼロにしておける計算になる。
不死業は治癒したわけではなく、損壊は起こり続けるが、修復のほうが勝れば永遠に問題は表面化しない。
実際には、人間には睡眠が必要なので二十四時間続けるわけにはいかないが、睡眠を七時間として他の十七時間でリカバーできれば、ずっと生きていける。
セプリグスは、そのアイデアを考えついた後、自分しか使えないのでは意味がないので、一年もの時間をかけて紙上に表現したあと、死病に冒された優秀な弟子に習得させた。
その術式は論文に載っているのだが、発現素子の羅列だけで百ページ以上になるような壮大な大魔術だ。体を交換してからの一発勝負で発動できなかったら死ぬ、というのではお話にならないので、あらかじめ動作確認する方法まで考案している。
しかし、そこまでしても結局は何の役にも立たなかった。
原因は、大魔術の術式が大掛かりすぎ、不死業を発症した状態で稼働すると、大魔術の稼働自体が引き起こす影響のせいで損傷が増大することだった。その影響は事前に計算に入れてはいたのだが、見込みが甘かった。
つまり、十個の疵を修復しても、十五個の疵が新たにできる状況になり、目論見が破綻してしまった。
これを読んだとき、おれは相当がっかりした。
イーリに対して、工夫をすれば使えそうなアイデアだったからだ。
だが、計算してみると無理だった。この方向性で多少の効率化を加えても、イーリの場合は既にある程度進んでしまっているので、たとえ二十四時間使い続けてもほんの僅かの効果しか見込めない。これなら現状維持のほうがまだマシだ。
あのおばさ――じゃなかった、ヘルミーネが言っていた通りだ。これほど優れた研究が既にあるのであれば、研究者は諦めても仕方がない。
おそらく、ゲレド氏同様、セプリグスが死んでから百年の間、「無理なんだから諦めろ」と言われただけでは納得できず、自分なりにやってみようと思った研究者は沢山いたのだろう。
その人達は、おれと同じように一通りセプリグスの足跡を辿り、そして彼の天才ぶりに感嘆の声を漏らし、そして諦めていったに違いない。
◇ ◇ ◇
「――はあ」
思わず、ため息を吐いてしまった。
「どうしましたか?」
新たに机の上に本を積んだキェルが言った。
「いえ……やっぱり一筋縄ではいかないようです」
「そうですか。ところで、手紙が届いていましたよ」
キェルは一枚の手紙を差し出した。
中央図書館に直接届いたのか。
「学長からです。やっぱり貴方はすごいんですね。彼から手紙を受け取るなんて」
「そんなことはないですよ」
「一応、決まりなので本人確認のために研究証を見せてください」
「はい」
キェルは研究証を受け取ると、さっと名前を照合して手紙と重ねて返してきた。
エレミアに禁書のことを尋ねようと思い、一週間前からアポイントメントを取っていたのだが、予定では三日後のはずだ。なにかあったのだろうか。
ぴりぴりと封筒を破いて中を見ると、時間が空き次第来てくれと書いてある。
「学長が呼んでいるそうです。持ってきていただいた本は、貸出の手続きをしてください」
「はい、承りました」
キェルはよいしょ、と言いながら五冊の本を再び持ち上げ、カウンターに歩いていった。
◇ ◇ ◇
おれが部屋に入ると、
「よう」
と、エレミアは片手を上げながらおれを迎えた。
「お前がやっていた風魔術だがな、やってみたらたしかに難しかった」
やってみたのか。
「そうでしょう。ごみを布に通して集めれば簡単なんですけどね」
「どういう仕組みなんだ? ヒントを教えてくれ」
まさか、それを訊くために呼び出したのか。
「遠心力です。ゴミやホコリは空気より重いから、空中に漂うことなく床に落ちているわけでしょう。なので、全部が混ざった空気を小さな竜巻に巻き込むと、ゴミやホコリは重いぶん外側に飛び出そうとします。そうしたら、はじき出された異物を落下させてゴミ箱に落とすだけです」
「ああ、そういうことか。小さな竜巻を作っていたのは見て取れたが、気圧の容器に包むのが重要だったんだな」
「そうですそうです」
さすがは頭がいい。話を一段とばしに飲み込んでいく。
「夜帳書庫の方々に教えたら、生活が便利になるかと思います。目が悪いのでは掃除が大変でしょう」
「ああ、それはそうかもしれないな。検討してみてもいいが、お前がやらなくてもいいのか?」
これは暗に研究点のことを言っているのだろう。こんな研究でも参照する者がいれば、わずかながらでも稼ぎになる。
「あそこの人たちには世話になっているので、教えたいのは山々ですが、忙しくてその時間がありません。アイデアは好きに使ってもらって構いませんよ」
「そうか。なら、うちの研究生にでも課題としてくれておこう」
研究生に丸投げか。大学のゼミみたいだ。
ただ、この都市ではそんな研究でも即刻、即物的にお金になって返ってくるわけで、下働きの研究者もやりがいがあるのかもしれない。ある意味では、特許とか起業の原案を渡されるようなものだ。
「しかし、早速夜帳書庫を利用しているとは、研究がはかどっているようだな」
「いえ、そうでもありません。どうも、不可能である理由をおさらいしているような感じで……具体的な進展がなくて」
いや本当に。
「そうか。まあ、元々が難しい課題だからな」
「それで、それについて尋ねたいことがあって、アポイントメントを取らせていただいたのですが」
「ああ、一週間も前から申請してたそうだな。今度から優先的に入れるように言っておいたから、次からはそれほど待たなくていいはずだ」
そうなのか。
「それは助かります。それで、禁書というのを一つ読みたいんですが」
おれがそう言うと、エレミアの目が険しくなった。
「……誰からそれを聞いた?」
「誰からって……それは秘密ですけど」
なんだか詰問されているような雰囲気を感じる。教えてくれたキェルの名は出さないほうがいいだろう。
「この都市では霊侵術で他人の記憶を好き勝手覗くことは禁止されている。安易にそういうことはするな。外道に堕ちるぞ」
えっ、そういう話になってくるのか。
「してませんよ。そもそも、おれには霊能が全くありませんから、できませんし」
「霊能がない? じゃあ、誰が喋ったんだ。金に目がくらんだ奴でもいるのか?」
なんだ?
エレミアがこんなに問題視するほど御大層な情報だったのか。キェルが知ってたくらいだから、この都市の事情通なら誰でも知ってる話なのかと思ってた。
「いや、そのへんの女学生に聞いたら教えてくれたんですが……でも、誰も読めない本だと言われただけですよ? 興味が向かないよう、関連する記述は黒く塗りつぶされているとか。おれもその塗りつぶしを見て、これはなにかと尋ねたんですが」
「そんなはずはない……はずなんだが、どうも情報が緩くなっている学部があるようだな。引き締めておかないといかん」
「それで、禁書ってのはどうすれば読めますか?」
「お前だから言っておくが、そもそも、読んでも意味がないものなんだ」
……どういうこと?
「お前はヴァラデウムにきて間もないから知らんだろうが、ここは研究成果を公開、共有するのが絶対の理念なんだ。禁書はそれを破って研究を封じる制度なわけで、そんなことをするには相応の理由がある。時の学長が、公益よりも世界に及ぼす害のほうが遥かに大きいと判断した時にだけ、禁書認定がされるんだ」
そうなのか。
「たとえばどういう?」
「たとえばって……お前なあ」
エレミアは呆れたような表情でおれを見てきた。
「しかし、研究というのは互いに関連して広がっていくものでしょう。病に対する研究は、人為的に流行り病を起こすことにも、病を癒やすことにも使えます。悪用だけを封じられればいいんでしょうが、高度な専門家から悪い発想だけをなくすということはできません。そういった措置を行うのであれば、やるべきは研究を封じることではなく、行いを法律で禁じることでは?」
「そのへんは、時の学長がきちんと評価している。害のほうが圧倒的に大きくて、その先に発展性も見いだせないような研究が指定されるんだ」
「エレミアさんは読んだことがあるんですか?」
「ない」
ないのか。
キェルが言っていた、学長でも自由に読めないというのは本当のようだ。
「だが、先代の学長から一冊だけ概要を伝え聞いている。それを知った上で、読んでも意味がないと言っているんだ。聞けば、お前でもどういう性質のものか理解できる」
「すみませんが、聞いていないので理解できません」
聞けば理解できると言われても、そうなんですか、はい諦めますとはならない。
おれがそう言うと、エレミアは苦笑いをした。
「まったく、強情な性格だな。絶対に他に漏らさないと約束するなら、教えてやる。これはイーリにも話すな」
「約束します」
あっさりと教えてくれるのか。
まあ、教えないことには知るまで絶対に諦めないと思ってるんだろうな……正解だけど。
「俺が知っているのは、七大禁書の二つ目、迂愚水試記という本の内容だ」
やけに難しいタイトルの本だな。
ばかなまねをした水魔術の実験記……みたいな意味か。
「これは水術とあるが、結果を見れば火術に類する現象を起こそうとしたものだ。どこで起きた出来事なのかは伏せるが、その本には火山を人為的に噴火させる術が書いてある。実際に読んだわけではないがな」
火山を噴火させる?
大量の水を山体に浸潤させるか、地下水脈を操るかして、マグマ溜まりで水蒸気爆発でも起こすのか?
「当人たちは軽く溶岩を吹き出させる程度のつもりだったが、それが恐ろしい破局噴火を招いた。実験地は人里から遠く離れた山脈の奥深くだったんだが、遠くまで火山灰が降り注いだせいで穀倉地帯が一つ丸々潰れた。大飢饉が起こって、数十万人の餓死者が出て、大国が一つ消滅した。歴史上では自然に起こった噴火だとされているがな。実態は、この都市にかつていた軽率な大魔術師が起こした人災だ」
「……なるほど」
「その遠征隊も噴火から逃げられず、術を開発した本人以外は全員焼け死んだ。当人は火術と水術の達人だったから、灼熱の業火の中からでも生き残ってこれたが、足に酷い熱傷を負って、結局回復できず両足とも切断することになった」
また大変な話だ。
当人が腕や足をただ失っただけなら、ばっかだなー、で済むが、裏で数十万の餓死者が出ているのでは笑えない。
なんつーことをしでかしたんだ。
「禁書ってのは、そういう類の研究を封じたものだ。逆に言えば、そのくらいはた迷惑な研究でなかったら禁じたりはしない」
しかし、それを聞いても、読んでみたいと思うおれの気持ちは変わらなかった。
はた迷惑なのは確かだろう。しかし、それは大いなる災害を生み出すような研究だったから禁止されたのだ。ただ迷惑といっても、もたらした被害が大したものではなければ禁書という扱いにはならないわけだ。むしろ後人に対しての警句として残すべきだし、封印する意味がない。
「もちろん、その研究が、例えば火山の噴火を予想して止めることにも使える、ということであれば、禁書認定はされなかったはずだ。だが、それにも使えないんじゃ害を及ぼすだけにしかならんだろう」
「そうですね。理解しました。では、その禁書というのはどうすれば読めるんですか?」
「理解してないな。諦めろと言っている」
「方法が難しかったら諦めます」
そう言ってエレミアを見ると、苦虫を噛み潰したような顔をしていた。
「……まあいいか。どちらにせよ不可能だしな。閲覧には四人の学部長のうち、三人の許可が必要だ」
「ああ、そうなんですか」
エレミアは学院長と現象学部長を兼ねているから、あと二人口説き落とせばいいだけか。
「そうなんですか、じゃない。全員、もちろん俺も、許可なんぞ出さないからな。ヴァラデウムが始まって以来、七冊しか指定されていない有害図書なんだ。どの本にも都市の名を汚すような恐ろしい内容が書かれている。この都市の理念として、闇に葬って存在しなかったことにする訳にもいかないから、仕方なく閉じ込めておいているだけだ」
「いや、分かってます。それを聞いて諦めました。禁書については、考えないようにします」
おれがそう言うと、やけに物分りがいい態度に拍子抜けしたのか、エレミアは少し疑るような目でおれを見た。
「……理解したなら、それでいいがな」
そんなわけがない。
正規のルートが迂遠で面倒なら、裏口から入るだけだ。
いつもお読みいただきありがとうございます!
ブックマーク・評価・SNSでの宣伝などしていただけると作者のモチベーションアップに繋がります。
よろしくお願いします<(_ _)>








